艦娘恋物語   作:青色3号

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時雨の場合

前日の夕暮れから泣き始めた空は、翌日の昼下がりもしとしとと泣き続けていた。止む気配のない雨に、仕事の手を止めて執務室の窓際に立ち窓に手を当て提督は呟く。

 

 

「長い雨だな…これはもうしばらく続きそうだ」

 

「止まない雨はないさ」

 

 

小さく届くその声の方向に提督は顔を向ける。提督の机に直角に提督のそれより少し小ぶりな机を置いてそこに身を置き、書類仕事を進める秘書艦の時雨が言葉続ける。

 

 

「雨は、いつか止むよ」

 

 

小さくもはっきりとしたその言葉、提督の耳に優しく響く。窓に目を向け直し提督は「お」と思わず呟く。

 

 

雨が、止んでいる。重い雲の隙間から地上に光が差し込んでいる。光の筋が次第に広がっていくのを見ながら提督はまたも呟く。

 

 

「止んだな」

 

「ね?」

 

微かに悪戯っぽい響きを声に乗せ微笑んでみせる時雨に提督は穏やかな笑み向ける。

 

 

 

 

提督のこの笑顔が、時雨は好きだ。こんな穏やかな時間が、時雨は好きだ。静かな空気たゆたう時間、思わず身を浸したくなるそんな時間。ふたりだけ世界に残されたような、そんな気さえして、それも悪くないなと思えて―――

 

 

 

 

―――願わくば、こんな時間がいつまでも続いてほしいと思う。秘書艦でいられる時間がいつまでも続いてほしいと思う。でもそれが叶わないなら、せめて一番そばにいられるこの時間で提督の姿をこの目に焼き付けよう。胸に抑えた思いが泣き出さないように、この人を求める心が満たされないまでも泣き出さないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日、ひとり鎮守府の廊下を時雨は歩く。開発工廠での打ち合わせを済ませ、執務室に帰るその途中、廊下の角を曲がったところで時雨は心臓をわしづかみにされたような感覚を覚える。

 

 

 

目に飛び込んできたのは、提督の横姿。そしてその胸に抱きかかえられている駆逐艦娘の小柄な肢体。陽炎を抱きしめる提督の姿を目にした瞬間、時雨の足下が崩れ去る。

 

 

 

身を翻し、その場を走り去る。ふたりの姿から逃げ出すように。否、実際時雨は逃げ出した。目の前で見せつけられた現実から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎮守府本館の玄関口まで走り続ける。途中、何人かの艦娘や軍人とすれ違ったが彼ら彼女らに気づかれなかっただろうか。自分が泣いていたことを。堪えきれぬ涙、流していたことを。

 

 

 

玄関口を出たところでようやく足を止める。身体を屈め膝に手をつき荒い呼吸を整える。姿勢を正し顔を上げ、ふと見上げた空に見えたものは厚く重い雲とそこから降り始めた冷たい雨。

 

 

「…この雨は、いつか止むのかな」

 

 

頬に涙伝わせる時雨の問いに答えるものはなく、ただ雨だけが降っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらく、乱れる心を押さえつけて時雨は提督執務室に戻る。重い扉を開けて目に入った光景は、いつもと変わらぬ平然とした様子で机の上の書類に向かう提督の姿。そのいつもと変わらぬ姿に微かないらだちと深い悲しみを覚える。もう、ふたりの時間はないのだと知って。提督の一番そばで時間を共有するのは自分ではないのだと知って。

 

 

「時雨、戻っていたのか」

 

 

顔を上げ、声をかけてくる提督のまなざしに胸を突かれる。それでも固い微笑み顔に乗せ、時雨は提督に歩み寄りながら声かける。

 

 

「提督、おめでとう…って言うべきなのかな」

 

「なんだ?なにか、あったかな?」

 

「知らなかったよ、提督が陽炎とおつきあいしていたなんて」

 

 

ぽかん、と提督は時雨を見つめ直す。そんな少し間の抜けた表情さえ時雨の胸を刺す。自分の言った事実をまだ認めたくなくて、否定の言葉を聞きたくて、でもそんなものは期待できないまま時雨はまたも瞳が潤むのを感じる。そんな時雨の様子には気づかないまま、提督は時雨に問いかける。

 

 

「なんの話だ?」

 

「とぼけないでほしいな」

 

 

悲しみとともにいらだちを覚える。いらだちは、下から突き上げるような怒りに変わる。自分の表情が鋭くなるのを感じながら、それでも大声を出すことはできずに時雨は責めるような声提督に向ける。

 

 

「さっき、見たんだよ。陽炎と抱き合ってたじゃないか。あんなこと、つきあってなければ―――」

 

 

言いかけた言葉がそこで止まる。提督の表情の変化が違和感を呼ぶ。真実を言い当てられた者のそれではない困ったような表情で頭の後ろを掻きながら提督は「ああ、あれ」と思い出したように時雨に種明かしをする。

 

 

「誤解だ、あれは階段で足を踏み外した陽炎を受け止めただけだ。なんでも夜戦演習の後やめときゃいいのに姉妹艦と酒盛り開いたらしく足下がふらふらでな…それにしても抜群のタイミングで見られたもんだ」

 

 

呆けたような顔で提督を見つめ直す。体中の力が、すとんと抜ける。知らず、小さく笑い声上げながら時雨はその笑い声とともに胸のつかえが身体の外にすっと出ていくのを感じる。

 

 

「あ、あはは、そう、それだけだったのか―――」

 

「なんだ?そんなに、可笑しいか?」

 

「い、いや、ごめん、そうか、あはは―――」

 

 

不思議そうに自分を見つめる提督の顔は見られぬまま、時雨は優しい時間がもうしばらく続いてくれるのだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日も雨は続いていた。提督執務室でいつも通り提督机の隣に直角にあてがわれた机に身を置き書類仕事を進めながら時雨は朝からの違和感を持て余す。

 

 

空気が、固い。こちらに横顔を向ける提督の表情が、固い。いつもの優しく穏やかな時間じゃない。張っているような、でもどこか気怠げな、冷たさすら感じさせる時間が流れる。

 

 

目の前にいる提督の距離が、遠い。いつものたわいないおしゃべりも微笑みの交わし合いも今日は、ない。その冷えた空気に耐えかねて、書類を処理する手を止めその手を胸に当てて時雨は囁く。

 

 

「あの…」

 

「どうした、時雨」

 

気のせいではない、提督の声に含まれた冷たい突き放すような響き。その響きに鼓動が嫌な音を立てるのを感じながら時雨はそのまま言葉失う。

 

 

「…なんでもない」

 

「そうか」

 

 

無理をして書類に再び視線を戻す。ふたりのペンの走る音がかりかりと響く。そのまま、意識を提督から逸らして時雨は重い時間に耐えていたが、やがて堪えきれなくなりペンを止め呟く。

 

 

「…なにか、僕悪いことしたかな」

 

 

その声に提督も手の動きを止める。自分に向けられる提督の視線感じながら時雨も提督を見つめ返し、視界が滲むのをどうしようもないままそれでも必死なつぶやき漏らす。

 

 

「僕、なにか悪いことしたかな?提督を怒らせるようなこと、なにかしたかな?もしそうなら、教えてほしい。僕がなにかしたなら謝るから、直すから―――」

 

「いや、時雨…」

 

 

胸を片手で押さえながらひたむきで必死な声自分に向ける時雨の姿に提督は言葉失いながらしばらく時雨を見つめていたが、やがて時雨から目を逸らすと言いづらそうに呟きだす。

 

 

「時雨は悪いことなんて何もしてないよ…そうか、そんな雰囲気を出しちまってたか、俺」

 

「…………」

 

「いや、俺のわがままだよ。時雨は悪くないんだが…昨日、時雨に言われた言葉で少々へこんでてな」

 

 

言われてもなんのことだか思いつかない。昨日は提督と陽炎のショックな場面を見て、でもすぐに時雨の考えついたことはただの時雨の勘違いだったとわかって―――その次の日に、提督になぜ冷たい態度をとられるのだろう。自分は何を言ったというのだろう。そんなことを思い言葉閉ざす時雨の視線横顔で受け止めながら提督はしばらく無言でいたが、やがて諦めたように語り出す。

 

 

「時雨、言っただろう?『おめでとう』って」

 

「言ったっけ?…そういえば、言った気がする」

 

「時雨に他の娘とのことをあっさり祝福されたのが、少なからずショックでな」

 

 

そこまで言って気まずそうに提督は言葉止める。まだ提督の言葉の意味十分にはわからないまま、それでも今こそ踏み出すときだとの思いに駆られて、踏み出すことに怖さ覚えながらも時雨は身を乗り出し提督に問う。

 

 

「僕には、他の娘とのことは祝福してほしくなかったってこと?なぜ?」

 

「…なかなか容赦なく切り込んでくるな、お前。…なんというか、時雨には、その…妬いてほしかった」

 

 

ぶっきらぼうに告げたその言葉が相当思い切ったものであったことは、時雨から目を逸らす提督の朱に染まった顔が示していた。思わず椅子から身を浮かし、机に両手をつき身を支えるような格好で時雨は目を見開き提督の続く言葉を待つ。はたして、一度大きく息をつき、観念したように提督は続く言葉を一気に放つ。

 

 

「ここまで言えばわかるだろう、時雨には…好きな相手には、簡単に他の娘とのことを『おめでとう』なんて言ってほしくなかった。それなのにあっさりそう言われて…少なからず、落ち込んだ」

 

 

ふう、と息をつき肩の力抜き、姿勢を直して時雨に向き直り「まあそうは言っても…」と言いかけた提督の言葉を封じたのは、両手で胸を押さえ溢れる涙抑えようともせずしゃくりあげながら自分をひたすらに見つめてくる時雨の姿。涙拭うことも忘れ時雨は提督に向かい途切れ途切れの言葉向ける。

 

 

「僕は、村雨のような色気もないし…」

 

「…いいんだ」

 

「夕立のような愛嬌もない」

 

「かまわない」

 

「…それでも、いいの?僕で、いいの?」

 

「時雨じゃなきゃ、だめなんだ」

 

 

言いながら椅子から立ち上がる。時雨の言葉に、その姿に、自分の想いが届いたことを提督は知る。そのまま、時雨に一歩身を近づける。時雨の華奢な立ち姿に手を伸ばし、その頬を手で包み込み、提督は時雨のまっすぐな眼差し受け止める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか雨は止んでいた。窓から差し込む陽光が、ふたりの姿を優しく包んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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