艦娘恋物語   作:青色3号

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睦月の場合

戦場で戦果を挙げた時、演習で成果を出した時、睦月の機嫌はマックスに跳ね上がる。戦果を挙げたことそのものが誇らしいのも確かだが、それと同じくらいかそれ以上に睦月の心を躍らせるものがある。その日も演習で高評価をもらい、睦月は意気揚々と提督執務室に現れる。

 

 

「ていとく~♪睦月、頑張ったのねん!」

 

「おお睦月、話はもう聞いているぞ」

 

 

笑顔で睦月に応えながら提督は机をまわり睦月の方へと歩み寄る。睦月の一歩手前で立ち止まり、自分の顔の位置よりだいぶ下の方にあるくせっ毛の目立つショートヘアに手を伸ばす。

 

 

提督に頭を撫でられ、睦月がかわいがられる子猫の表情で目を閉じる。「くふふっ♪」と小さな声上げながら睦月は提督の大きな手のひらの感触堪能する。

 

 

この時間が、睦月は好きだ。提督との時間が、睦月は好きだ。願わくば、こんな時間がいつまでも続いてほしいと思う。たゆたうような提督との時間が、いついつまでも続いていてほしいと思う。

 

 

 

提督のことが、睦月は好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上機嫌に鼻歌をハミングしながら睦月は鎮守府廊下の本館を歩く。「睦月ちゃん」と後ろから睦月を呼び止める声がする。

 

 

「如月ちゃん」

 

 

振り向いて声の主を確かめる。足を止める睦月に近づきながら如月は睦月に声を向ける。

 

 

「執務室、行ってたんだ」

 

「うん、提督にいっぱい褒めてもらったよ」

 

 

自分に身体を向けて笑顔を隠そうともせずそう語る睦月の姿に如月の表情もついほころぶ。ちょっといじわるな気持ちになって如月はからかいの言葉睦月に向ける。

 

 

「睦月ちゃんは本当に提督が好きね」

 

「にゃっ!?」

 

 

突然ど真ん中に放り込まれる直球に睦月の顔が赤く染まる。ぱたぱたと両手を顔の前で振りながら睦月は必死ににやける顔を抑え込もうとしつつ口ごもる。

 

 

「そ、そんな、如月ちゃん、そんな本当のこと言われてもにゃしい……」

 

「あーあーはいはい、言った私がおバカさんだったわ」

 

 

自らの恋心を隠そうともしない睦月の様子にさすがの如月も呆れ顔になる。ふと表情を作り直して如月は睦月に問いかける。

 

 

「睦月ちゃんは、今のままでいいの?」

 

「? 睦月は、今のままがいいよ?」

 

 

頭を撫でてもらって、いっぱい褒めてもらって、そのたびにキラキラした想いになって―――それ以上を、睦月は望まない。今のままの時間が続けばいい、優しい時間が続けばいい。そんな睦月の思いを感じ取ったか如月は「そう」とだけ呟き言葉閉ざす。その何か考えているような表情の奥にあるものが何かは、睦月にはわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日も睦月は鎮守府本館の中庭を横切り提督執務室を目指す。今日は目立った活躍はなかったが、それでも姿を現せば提督は睦月に優しい言葉をかけてくれる。そのこと予想して既に胸の内がぽかぽかする睦月が建物の角を曲がって目にしたものは、渡り廊下に立つ提督の姿だった。

 

 

「あ、てーと……」

 

 

思わず弾む声を推しとどめたものは、そこに提督と立つ駆逐艦娘の姿。その黒髪に提督の手が伸びていることに気づいたとき、睦月の鼓動がひとつドクン!と嫌な音を立てた。

 

 

「もー!頭撫でないでよー!子ども扱いするなー!」

 

「ははは、ムキになる暁はかわいいなぁ」

 

 

両腕を振り上げ抗議する暁とその暁の頭を撫でながら笑顔を見せる提督の姿をそれ以上睦月は見られなかった。背中をふたりに向けて睦月は、その場から必死に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埠頭の端に膝を抱えて座り込む。海からの風が穏やかに睦月の髪を撫ぜるが、その感覚すら煩わしく感じる。どろりと自分の胸の奥底に澱む感情に名前を付けることもできぬまま、その感情を振り払うこともできぬまま、睦月は顔を膝に埋める。

 

 

「睦月ちゃん?」

 

 

聞きなれた姉妹艦の声、その声に顔を上げることもない。隣に如月が座る感覚を覚えても、睦月が顔を上げることはない。

 

 

「どうしたの?提督と、なにかあった?」

 

「なにも……睦月とは、なにも……」

 

 

涙声でそれだけ呟く。実際、提督と何かあったわけではない。ただ、思い知らされただけ。提督の手のひらは睦月だけのものではないと。提督との優しい時間は、睦月だけのものではないと。

 

 

 

 

そんなことは、わかっていた、心のどこかで、わかっていた。それでも先ほど目にした現実心を刺すのをどうしようもなく睦月はますます顔を膝にうずめ涙声で呻く。

 

 

「提督が、暁ちゃんの頭撫でていて……」

 

「ああ……それで、やきもち妬いちゃった?」

 

 

さも軽いことのように言う如月の言葉が苛立たしい。そして「やきもち」の言葉に胸の中に広がるどろりとしたものがまた攪拌されるのを感じ睦月は小さく叫ぶ。

 

 

「睦月、知らない!睦月、こんな感情知らないにゃあっ!」

 

 

その言葉を合図に堰を切ったように睦月はすすり泣きの声上げる。その睦月の華奢な肩抱き寄せ如月は静かに睦月に囁きかける。

 

 

「恋をしているとね……多分、そういう感情もついて回るのよ。如月は、経験ないけどね」

 

「恋って、恋ってもっとキラキラしているものだと思っていた……」

 

「そうね」

 

 

睦月の言葉をあえて否定せず如月は睦月の肩を抱く手に力込める。小さく震えるその身体を海風から守るように如月は睦月を抱き寄せ続ける。と、なにかの気配に気がついたか急に如月は立ち上がり睦月に向かって一言告げる。

 

 

「あとは、あの人とゆっくりお話しなさいな」

 

 

それだけ言い残し如月は身を翻し埠頭を陸の方へと歩き去る。その如月とすれ違い睦月に近づく人影が、睦月の姿を認めて声を出す。

 

 

「睦月?」

 

 

これも聞きなれた優しい声、その声に睦月は涙に濡れた顔をあげて振り返る。その睦月の弱々しい泣き顔に驚いた顔をする提督が少なからず同様した声上げる。

 

 

「どうしたんだ睦月?なにか、あったのか?」

 

「……なんでもないにゃしい」

 

 

少し声がふてくされているな、と自分のことなのにどこか他人事のように感じ取る。そんな睦月にどう対応していいものか一瞬提督は迷うが、黙って睦月の隣に腰を下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま、幾何かの時が過ぎる。海からの風が、ふたりの短い髪を靡かせる。やがて、沈黙に耐え切れなくなった睦月の方が顔を海に向けたまま提督に問う。

 

 

「提督」

 

「ん?」

 

「暁ちゃんのこと、よくなでなでするの?」

 

 

言われて何のことか一瞬わからなかったが、すぐに思い当たり提督は気まずそうに鼻の下を指でこすりながら答える。

 

 

「ああ、まあ……よくというわけじゃないが……たまに、なんとなく、な」

 

「そうにゃしい……」

 

 

顔を再び膝に埋め、また新しい涙瞳に浮かぶのを感じながら睦月は呟く。

 

 

「提督のなでなで、睦月だけのものじゃないんだ……」

 

「あ~……そう来たか……」

 

 

ようやく睦月の言葉の意味を悟り、提督は情けなくも聞こえる声発する。そのまま提督は動かぬ睦月の隣で身体を揺すっていたが、やがて咳払いひとつすると思い切ったように口にする。

 

 

「俺は、睦月だけのものになってもいいと思っているぞ?」

 

 

ぴくり、と睦月の体が震える。それでも睦月は顔を上げない。その睦月の方には顔を向けられぬまま提督は海に向かって告白する。

 

 

「睦月が、俺の恋人になってくれたらいいなあと思っている」

 

 

その言葉に跳ね上がるように睦月が涙に濡れた顔を上げる。こちらにようやく顔を向ける提督と目を合わせ、睦月はか細い声を出す。

 

 

「睦月で、いいの?」

 

「睦月が、いいんだ」

 

 

こんな表情の提督初めて見た、と睦月は思う。眉を寄せ、頬を染め、気まずそうに唇を結び―――それでも、その真剣な瞳は睦月をひたと捉えて。

 

 

 

 

 

その瞳に映る自分の姿目にしたとき、睦月の胸の奥に温かな、とても温かな感情が沸きあがった。

 

 

 

 

 

キラキラの、想いだ。

 

 

 

 

 

キラキラの、恋だ。

 

 

 

 

 

 

 


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