穏やかな微笑みの裏に隠された抜き身の日本刀のような殺気。それが、彼女の第一印象だった。鎮守府に初めて配属された正規空母の姿を前に着任して日の浅い提督も少しばかりの緊張と高揚を隠せない。そんな提督の様子にどこまで気がついているのが彼女は静かな声であいさつを向ける。
「航空母艦、赤城です。空母機動部隊を編成するなら、私にお任せくださいませ」
正規空母・赤城、着任の時だった。
赤城が配属されてからというもの、深海棲艦に対する海軍の姿勢は一気に攻勢に転じた。その後次々と配属された戦艦や空母といった大型艦の存在は、それまで近海での迎撃戦を主任務としていた艦娘艦隊に大洋への進出と制海権の拡大を可能にした。通商海路は復活し、本土空襲は過去のものとなった。次第に、人々は市民生活を取り戻していった。
鎮守府の正門に華やいだ声が聞こえる。今日公休日となる駆逐艦娘たちが街に繰りだす気配だろう。市民生活が回復するに従って、艦娘たちもまた鎮守府だけの世界からその生活圏を広げようとしていた。全ての艦娘に定期的に与えられる公休日には鎮守府の外にお出かけする艦娘たちが大半になった。しかし、そんな風潮とは無縁なものもまたいるのであった。
弓道場に佇み、赤城は弓に矢をつがえる。引き絞られた弦がきりきりと微かに緊張した音を立てる。一瞬後、放たれた矢は的の中心を射抜く。演習や座学、出撃のない公休日でも赤城の姿は常にこの弓道場にあった。鎮守府の外で華やかさを増していく人々の生活、それに馴染んでいく艦娘たち、それらに背を背けたかのように赤城の生活は戦闘とそのための鍛錬に費やされていた。
「赤城」
背中からかけられる言葉に赤城は振り向く。そこに立つは、深海棲艦戦争の立役者たる提督その人。
「邪魔をしてしまったかな?」
「いえ」
微笑み、簡潔に赤城は答える。弓を下ろす赤城に近づき、提督は赤城に話しかける。
「公休日は、いつもここにいるようだな」
「はい。日頃からの鍛錬は大事ですから」
「ふむ。息抜きも時には必要だぞ?」
「休憩は必要に応じて取らせていただいております」
穏やかながらもどこか事務的な赤城の応答。そんな赤城の様子に「ふむ」と提督は声に出すと顎に手を当て何か考えるような顔になる。しばらく顎をさすって提督は赤城のことを見つめていたが、やがて制服のポケットに手を突っ込みながら赤城に問う。
「最近は、加賀と仲良くしてるようだな」
「ええ、演習などでご一緒することも多いですし……一航戦としての縁もありますので」
「それならちょうど……ああ、あった」
ポケットの中を探っていた手が止まり提督はポケットからしわになった紙片を二枚取り出す。
「映画のチケットなんだがな。加賀と、行ってくるといい。加賀には話をつけてある」
「……映画?今からですか?」
あまりに意外な提督の言葉に珍しく赤城はぽかんとした表情を浮かべる。正直あまり気乗りもせず、赤城は遠慮がちに提督に断りの言葉を向けようとする。
「お心遣いは嬉しいのですけれど……着ていく服も、ありませんし」
「そのことなら心配ない。通販でお前に合いそうな服を何着か見繕ってある。そういうのに詳しい艦娘がいてな」
外堀を埋められているのを赤城は感じる。どうやら逃げ道はないようだ。鍛錬の時間を削られることを多少ならず恨めしく思いながらそれでも赤城は「はあ」と曖昧な返事で提督の言葉を了承することしかできなかった。
その日夕方、秘書艦の朝潮を先にあがらせて提督は執務室で書類仕事に勤しむ。軽く扉をノックする音に「どうぞ」と返事をすると入ってきたのは赤城であった。
いつもの袴姿に身を包んでいるところを見ると一度寮に帰って着替え直したらしい。私服姿を見損なったな、と少々残念がる提督の見守る前で赤城は胸の前で両手を揉み絞り顔を紅潮させて上ずった声を振り絞るように出す。
「提督、あの、私、わ、た…」
映画の感想を言おうとしているのだろう、それでも言葉のうまく出ない様子の赤城を辛抱強く提督は見守る。その提督の前で赤城は言葉が上手く出てこないもどかしさを感じながらそれでも何か言葉を紡ぎだそうとする。
「私、あんな経験初めてで……画面の中のお話なのに、吸い込まれるように心が持っていかれて……心臓がどきどきして、時々呼吸が苦しくなるほどで……」
「感動したか?」
「それです!感動しました!」
初めて見る映画、初めて見る街の喧騒。それらが、赤城の心を捉えて離さなかった。いきなり世界に色がついたように赤城の知る世界が広がった。初めて見る赤城の興奮した様子に満足そうな微笑みを浮かべる提督の前で赤城は深々と頭を下げる。
「提督、今日はありがとうございました!」
「なに、礼には及ばない。また加賀とでも出かけるといい」
「え、またお出かけしていいのですか?」
「公休日に何をしようと構わんさ。外出届だけは、しっかりな」
嬉しそうな様子を隠そうともしない少女のような赤城の姿を提督は柔らかな表情で見守った。
季節が、流れていった。一進一退を繰り返しながらも人類は確実に深海棲艦との生存権を賭けた戦いで優位な立場を築いていった。人も、街も、明るさを段々と増していった。そんなある日、比較的大規模な作戦から帰投しその報告を終えた赤城の姿が執務室にあった。
「任務ご苦労、赤城」
「ありがとうございます」
「明日からしばらく公休だな。明日は、予定はあるのか?」
出撃後、艦娘に与えられるまとまった公休。その話題を振る提督にだいぶ表情の豊かになった赤城は華やいだ笑顔浮かべ報告する。
「はい!今回、空母のみなさんが結構な数出撃していた分みんなでまとまってお休みが頂けるので、明日はみんなで焼肉屋に遠征しようと!」
「あー……店、貸し切りにしてあるだろうな。他の客に食材絶対残らんぞ、それ」
心配そうな提督の言葉に赤城ははてなマーク頭にのっけた姿を見せるが、ふと真面目な顔にって提督に問いかける。
「提督」
「なんだ?」
「なぜ、私に街の世界を、外の世界を教えてくれたのですか?」
今更と言えば今更な赤城の質問、その質問の意図が分からず提督は赤城を見つめ直す。その提督を無垢な瞳で真っ直ぐに見つめ返しながら赤城は提督に問い直す。
「あの日、提督に映画の券を貰わなかったら、提督に外の世界を教えてもらわなかったら……私は、今でも戦場と鎮守府しか知らないままだったでしょう。でも、その方が提督にとっては都合がよかったのではないですか?余計なことを考えず、私が戦いに専念していたままだった方が」
問うてそのまま口を閉ざし提督の返答を待つ赤城のことを提督はしばらく見つめ返していたが、やがて逆に質問する。
「赤城は、外の世界を見てどうだった?」
「え?……正直、わかりません。知ることで強くなれた気もしますし、鍛錬を怠ったことで弱くなった気も……」
「強くなれたかどうかはそれほど問題じゃない」
赤城の言葉を途中で切り、机から身を起こしながら提督は赤城に告げる。
「自分が、なんのために戦うのか。自分が護っているものは何か。それを知ることは、戦うものの権利だ。俺は、それを赤城に提供したに過ぎない」
机を回り込み赤城の方に歩み寄りながら提督は更に言葉続ける。
「赤城が戦うことで救われるものは何か……それを赤城に知ってほしかった」
自分の目の前まで来た提督の瞳見つめ、そのまま赤城は言葉なくす。瞳潤むのを感じながら赤城は提督と視線を交わしていたが、やがて顔を伏せ弱々しく微笑むと小さく呟く。
「……私は、やはり弱くなってしまったかもしれません」
微かに眉を寄せ提督は首をかしげる。そのまま提督は赤城の続く言葉を待つが赤城はそれきりなかなか口を開こうとしない。それでも提督が辛抱強く待ち続けると、ようやく赤城は観念したかのようにひとつ息をつき目を閉じたまま囁くように言葉紡ぐ。
「私は……提督を、愛してしまいました。心の中に、柔らかな部分を作ってしまいました。……戦いには無用な弱い部分、それが私の心の中に……」
「その想いは、赤城の弱さじゃない」
赤城の弱音を断ち切るように提督は宣言する。顔を上げ、潤んだ瞳を自分に向ける赤城を見つめ返すと提督は声に力込め赤城に告げる。
「俺は、赤城と出会って、護りたい者ができて、強くなれたと思っている……赤城が、俺を愛してくれるといったその想いは赤城の弱さなんかじゃない。俺が、赤城を愛するこの想いは俺の強さだ」
言葉が、赤城を打ち抜き彼女の心の中で広がってゆく。その広がる想いに一瞬名をつけられず、すぐに「ああ、これが提督の教えてくれた『感動』か」と悟り、赤城は涙一筋頬に伝わせる。
言葉を返そうとして、言葉が出ない。感動が、言葉を奪ってしまった。そのまま心に満ちる熱をどうしていいか分からず立ち竦みただ提督を見上げる赤城の身体にそっと提督は手を伸ばす。
そのまま、赤城を抱き寄せる。静かに、赤城を抱きしめる。赤城の温かさが、その存在が、提督の想いを満たし提督の心を支えてくれる。
初めて知った殿方の胸の広さと温かさ、それが赤城を包み込む。大丈夫、この人のためなら強くなれる。この人と一緒なら強くなれる。
了