鎮守府外れの空き地で焚火がぽっぽと揺れている。枝で焚火の上に固定された飯盒がことことと音を立てる。やがて、春雨が大きな瞳で見守る前で飯盒がごとごと揺れて吹き出し始める。
「わっ、わっ、吹いてます吹いてます司令官!」
「慌てるな、まだまだ……ここからが大事だ」
提督に諫められ、春雨はしゃがんだ姿勢のまま飯盒をまた見つめ続ける。10分も経っただろうか、吹き出しが治まる。飯盒が静かになるのを見届けると提督は軍手をはめた手で飯盒を火からおろす。
飯盒をひっくり返して地面に置く。そのまま、しばらく時を待つ。その間も春雨の視線はじっと飯盒に注がれたままだ。さらに10分、提督は飯盒を表返すと慎重な手つきで蓋を外す。ほっかほかのご飯が姿を現す。
「すごい、すごいです司令官!」
「ざっとこんなもんだな」
目をキラキラさせて炊き立てのご飯を見つめる春雨の隣で提督は胸を張る。そんなふたりのところに通りがかった村雨が話しかける。
「ふたりともなにやってんの、こんなところで」
「おう村雨、今春雨に飯盒炊飯のやり方を教えていたところだ」
「なんだってまた?」
疑問というよりは呆れの表情を浮かべる村雨の前で腰を上げ、提督はもったいぶった口調で説明する。
「サバイバル技術は必要だぞ?戦闘の後友軍とはぐれて無人島に打ち上げられたらどうする」
「その時に備えて飯盒と米を艤装に積め、と?」
「火元も必要だぞ?」
「そーゆー問題じゃなくて」
もはや呆れかえった態度を隠そうともしないで村雨はこの行く先不明な会話を切り上げる。
「秘書艦の長門さんが探してたわよ……いつまでもこんなところでサボってたらまずいんじゃないの?」
「おっといかん、もうこんな時間か」
腕時計を確認して提督は春雨と村雨に軽く手を上げその場を離れる。笑顔でひらひらと手を振り提督を見送る春雨のことを村雨は何とも言えない表情で後ろから見つめていたが、提督の姿が見えなくなったところで唐突に言葉放つ。
「春雨の好みもわかんないわねー。あんなのが好きだなんて」
「ぴゃっ!?」
いきなりの核心を突くその言葉に春雨は飛び上がって振り向く。真っ赤な顔を見せる春雨に村雨はちょっと意地の悪い笑み浮かべるとウインクひとつ春雨に向ける。すぐに真面目な顔になると村雨は春雨に向かい問いかける。
「いつまでもキャンプごっこでじゃれているままでいいの?提督は結構朴念仁だから、はっきり言わないと伝わらないよ?」
「司令官は朴念仁なんかじゃないもん!」
勢い込んで村雨に食ってかかり、春雨は俯くと小さく呟く。
「だって……司令官にどう思われているかなんてわかんないし」
ふむ、と村雨は声上げる。俯き頬を染め瞳揺らすこの内気な妹を提督がどう思っているのか、それは村雨にとっても大事なことだった
翌日、鎮守府本館の廊下を春雨は歩く。今度は釣りの仕方でも教えてもらおうかな、などと考えながら。と、角の向こうから聞き慣れた声が春雨の耳に届いてくる。
「ねえ、提督……」
村雨姉さんだ、と気がつき春雨は足を止める。話している相手は提督らしい。思わず足を止め、お行儀悪いなと思いつつも春雨はふたりの会話を盗み聞きする格好になる。
「春雨のことを、どう思っているの?」
ドクン!と春雨の心臓が跳ねる。どきどきと高鳴る鼓動を静めようとするかのように胸に両手を当てた格好で春雨は立ち尽くす。怖い、と思いつつも春雨はそこから動くことができなくなる。
「どう思っている、とは?」
「恋愛対象として」
「え?うーん……」
もう鼓動は爆発寸前だ。怖くて怖くてたまらない。それでも春雨は健気にその場にふんばり、続く提督の言葉を待つ。
「春雨はまだ子供だからなぁ~……」
さぁっ、と全身の血の気が引いた。がくがくと足が震えた。瞳に浮かぶ涙をどうすることもできず、春雨は身を転じるとその場から駆け出し逃げ出した。
鎮守府本館の中庭のベンチの上で膝を抱えて座り込み、春雨はくすんと鼻を鳴らす。初めての失恋が、こんなにつらいとは思わなかった。心臓を刺す痛みを、心を吹き抜ける喪失感を、どうすることもできないまま春雨はじっと動かず時が過ぎるがままに任せていた。
「ここにいたのか」
聞き慣れた、今聞くのが辛い声。その声の方角にのろのろと顔を向けると、そこにいたのは果たして提督その人。何が入っているのだろう人の背丈の半分ほどもある大きな布袋を背中に担ぎ、提督は春雨に声をかける。
「今日は、テントの張り方を教えてやろう。一緒に来い」
してみると布袋の中身はテント道具らしい。今までとは全く違う沈んだ心で提督の言葉を聞きながら、それでも春雨は「はい」とお返事してベンチから立ちあがった。この期に及んでまだ春雨は、提督との時間を求めていた。
鎮守府の一角の開けた場所で提督は器用に布袋の中身を地面に並べてゆく。ビニールシートやアルミ製のフレームを地面にひと通り並べると、提督は春雨に声をかけながら慣れた手つきでテントを組み上げてゆく。
こんな優しい時間が、春雨は好きだった。こんな時間を、何も知ることなく続けていられればよかった。もう戻ることはないその時間、失われたその時間を思い春雨は小さく鼻を鳴らす。
春雨の様子にようやく気がついたか、提督が半ば形を現したテントを組み上げる手を止め春雨を見つめる。
「どうした?これからペグ打ちだぞ?」
「ペグ?」
「ペグってのはこの大きな釘みたいなやつのことでな……これでロープを張ってテントを支えるんだ」
ぼんやりと提督の言葉を聞きながら春雨はのろのろと提督に近づきペグを一本受け取る。その精彩のない動きにやっと提督も疑問の声を春雨に向ける。
「元気がないな、なにかあったのか?」
「…………」
「お腹でも痛いのか?」
ゆっくりと顔を上げ提督と目を合わせる。思わず苦笑いが漏れる。失恋の痛みに落ち込んでみれば、その失恋のお相手にはお腹が痛くて元気がないと思われているなんて。
「……私は、そんな子供じゃありませんよ」
苦笑いを寂しげで澄んだ微笑に変え、春雨は提督見つめ囁きを続ける。
「司令官が思っているほど、子供じゃありません」
例え子供と思われていても、自分はひとりの女の子なのだ。もう、立派な女の子なのだ。そんな思いを胸に満たし、春雨は囁き声を少し大きくする。
「恋だって、できます……人を好きになることだって、できます。……私は、もう子供じゃないんです」
さぁ、と風が空き地を吹き抜ける。春雨の桜色の髪が靡く。その春雨の無垢で清浄な瞳真っ直ぐに見つめ返しながらやがて提督は春雨に言葉向ける。
「子供じゃないというのなら……今から、そういう対象として見るぞ」
「え?そういう対象って……」
「恋愛対象」
言葉が春雨の心臓を直撃する。ひとつ大きく鳴った鼓動は、二度と静まることなく春雨の身体を内側から叩く。怯えの色瞳に浮かべ、それでも自分を正面から見つめる春雨に一歩一歩近づくと提督は春雨に手を伸ばす。
春雨の薄い肩を、提督の手が捉える。そのまま、提督は春雨の小さな身体を引き寄せると自分の胸に誘う。
強く、提督に抱きしめられる。自分の激しい鼓動と重なって、負けず劣らず早鐘を打つ提督の鼓動が春雨の華奢な身体に届く。そのまま、しばらくの時が流れる。提督の腕の中で春雨は初恋の叶った幸せに酔う―――
―――と、いきなり春雨を身体から引き離し提督は春雨を見つめ真面目くさった声を出す。
「さて、積もる話はあるのだが今は大事な用件を片付けねば」
「え、大事な用件って……」
「テント張りを完遂しなくては」
ぽかんとする春雨から手を離し提督はさっさと地面に転がるペグを拾い上げる。テントの隅に腰を降ろし、提督は春雨に声をかける。
「ほら、そこにあるハンマー取って」
「は、はい!」
慌てて春雨はハンマーを拾いに走り出す。手にしたハンマーを提督に差し出し春雨は笑顔も提督に差し出す。
やがてカンカンと響くハンマーがペグを打つリズミカルな音。その音が広がってゆく晴れた空。その空から差し込む陽光に照らされながら春雨は想う―――
―――大変な人を、好きになってしまったものだ、と。
了