南国の名前を持つとはいえ、この国の夏の気候はその彼女にとってもキツいものだった。汗をダラダラ流しながらホノルルは涼を求めて波止場の周辺を歩く。と、海に向かって座り込みこちらに背中を向ける松輪と佐渡の姿が目に入る。なんとはなしにその背中に近づきホノルルは声をかける。
「ちびっ子たち、なにしてんだ?」
「ふぇ!」「わっ!」
いきなり声をかけられてふたりは大げさに飛び上がる。その背中越しにホノルルが佐渡の手元を覗き込むと、佐渡が手にする白いアイスを乗せた硝子の小皿が目に入る。
「おっ、いいモンもってるじゃ~ん」
「あ、あげないからな!」
「えー、ケチ」
唇を尖らせてみせるがホノルルもいたいけな海防艦たちからカツアゲをするつもりはない。肩を落としたふりをしてホノルルがその場を離れようとすると、意外にも松輪が声をかけてきた。
「あ、あの、ホノルルさん。ひと口だけならどうぞ」
「え、いいの?」
嬉しそうな笑顔を浮かべホノルルは松輪から硝子の小皿を受け取る。バニラアイスに見えるその白いアイスを匙でひとかけら掬って口に運んだ次の瞬間、ホノルルの表情が引き締まった。
「……ちびっ子たち。このアイス、どこで?」
その数分後、提督執務室の扉の前にホノルルの姿が見られる。ほんのちょっと逡巡したのち、ホノルルは控えめに扉をノックする。「どうぞ」の声にこたえてホノルルは扉を開け提督の客となる。
「お、ホノルルか。珍しいな」
「て、提督……その……」
海防艦たちによればふたりが食していたアイスは執務室に遊びに顔を出した時に提督にふるまわれたもの。そのこと聞いて反射的に執務室に来てしまったが、正直にあのアイスのことを問うのはなんだか意地汚いような感じもして気が引ける。それでもホノルルは思い切って提督に向かい問いかける。
「あの、波止場で松輪と佐渡に会ったんだけど、ふたりが持っていた……」
「ああ、あのアイスのことか」
合点がいった、という表情を提督は見せて椅子から腰を上げ執務室の隅っこの小さな冷蔵庫に向かう。冷凍室からタッパーを取り出しそれを手に戸棚に向かい、海防艦たちが持っていたのと同じ硝子の小皿を選び出しながら提督はホノルルに声をかける。
「まだまだ残っているぞ。ホノルルも、遠慮なく食え」
スプーンでタッパーから白いアイスを掬って盛ると、提督はホノルルに歩み寄りそのアイスを差し出す。ちょっとだけ躊躇うような仕草を見せてからホノルルはその小皿を受け取り、アイスをひと口分掬って口にする。
「……懐かしい」
「はは、そうだろうな。まあソファに座りながらゆっくり食ったらどうだ?」
言われるがままにソファに腰を下ろしアイスを口に運ぶ。アイスの正体はココナッツアイス。この国に応援として派遣される前に、まだ真珠湾にいたころに、日常的にホノルルが口にしていた味。その味を確かめるように味わいながらホノルルは小さく呟く。
「また食べられるとは思わなかった……嬉しい」
「はは、そこまで言ってもらえると作った甲斐があったな」
「え!?提督が作ったのこれ!?」
意外なその一言に驚くホノルルに微笑を向けると提督は椅子に戻りながらなんでもないかのように言う。
「材料さえ揃えばそんなに難しいもんじゃないさ。時間はちょっとかかるがな」
「ほえ~……意外な趣味」
「よければ、明日も来るといい。これくらいの時間に間に合うように、また作っておこう」
思いがけないその言葉にホノルルが大きな笑顔見せる。そのホノルルに提督が返す微笑は、穏やかなものだった。
というわけでココナッツアイスに釣られて、ホノルルの提督執務室通いが始まる。秘書艦の榛名がいる時もいない時もあるが、いつしかその時間はふたりの、榛名がいる時は三人の、ちょっとした休憩時間兼お喋りタイムになっていた。
「最近は、ニスイセンともそれなりに仲良くなってさ。ジンツウーも話してみれば、意外といいヤツだし」
「『意外と』ってのがアレだが……まあ、仲間は多い方がいいからな」
「なんか提督、ノーザみたいなこと言っているね」
この日は榛名がいなかったので、ホノルルは提督とふたりソファに向かい合って座りもう恒例となったココナッツアイスタイムを堪能する。日を重ねるにつれホノルルもまた、提督のことをいろいろと知るようになっていた。菓子は作れるが食事となると作るのはさっぱりなこと、海のない県で生まれ育ったこと、犬より猫派なこと―――
―――提督の人物像がホノルルの中で精緻になっていくほどに、提督の存在感もまたホノルルの中で大きくなっていった。
そしてその日も、ホノルルは提督執務室に現れる。しかしその日ホノルルを迎えたのはいつもの笑顔の提督ではなくて、どこか気まずそうな表情を机の向こうから見せる提督。
「あ~、ホノルル……すまん。うっかりココナッツミルクを切らしてしまってな。今日は、ココナッツアイスはなしだ」
「あ、いいよいいよ。別にココナッツアイスが目当てだったわけじゃ――」
言いかけて慌てて口をつぐむ。じゃあ何が目当てなのか、と問われれば答えられない。いつしか執務室に通う目的が変わっていたことをホノルルは自覚する。その自覚とともに頬が熱くなり、ホノルルは火照る頬もてあましながら小さく俯く。
ホノルルの表情の変化には気づけぬまま提督は椅子から腰を上げる。戸棚に向かいながら提督はホノルルに声を向ける。
「羊羹だったら置いてあるぞ。食うか?」
「……うん」
自分の気持ちと相対しながらホノルルは唇を噛む。自分の気持ちに、自信が持てない。否、自分の気持ちが伝わることに自信が持てない。だって提督の周りには―――
「榛名、ただ今戻りました。あら?提督、いいものをお持ちですね」
「おう、榛名、お帰り。お前も、羊羹食うか?」
―――提督の周りには、いくらでも素敵な女性がいる。今しがた扉を開けて戻ってきた榛名だってそうだ。
「お誘いは嬉しいのですけれど……まだちょっと事務局に用事があるので、後でいただきますね」
「そうか、ご苦労さん」
脇に抱えていたファイルを書類棚に戻し、新しいファイルを手にして榛名は執務室を後にする。その背中を見送ってから提督は改めて切り分けた羊羹の乗った小皿を執務机から持ち上げてホノルルに差し出す。
「ホノルル、ほら羊羹だ」
小さく「うん」と呟き小皿を受け取る。そのままの姿勢で羊羹には手を付けずホノルルは俯きながら呟く。
「……そろそろ、ここに通うのやめようかな」
その言葉は消え入りそうに小さかったが、提督の耳にはっきりと届いた。俯くホノルルを見つめながら提督は問いかける。
「どうした、急に?明日明後日にはまたココナッツアイスも用意できるぞ?」
その言葉にもホノルルは応えず、俯いたまま。ココナッツアイスよりはるかに欲しいものが目の前にあるのに、それに手を伸ばす勇気が出ない。そんなホノルルの心うちは分からぬまま提督は肩を竦めて一言だけ言う。
「残念、だな」
その言葉が今まで繋いできたふたりの微かな絆を断ち切ってしまったような気がしてホノルルは心臓が痛むのを感じる。羊羹の小皿を手にしたまま下を向き動かないホノルルに、提督は言葉続ける。
「ホノルルがここに顔を出してくれるようになって、ココナッツアイスを作った甲斐があったと思ってたんだけどな」
「え?」
「いや、最初からそううまくいくと思っていたわけではないが……」
その言葉にホノルルが顔を上げると、ホノルルから目線を逸らし鼻の下を指で擦る提督の姿が目に入る。ホノルルの方は見ないまま提督は独白のように続ける。
「最初は、その、ホノルルが故郷で食べていた味はどんなだろう、と思っただけなんだけどな。これなら俺でも作れそうだったし」
「…………」
「そうしたらホノルルが来てくれて、正直、こんなにうまくいくとはと思って……て、なんだか変なこと言ってるな俺」
言葉ひとつひとつがホノルルの中で形を作っていく。でも、最後のピースが埋まらない。欠けたひとかけらのピースを埋めるため、ホノルルは息をひとつ大きく吸って提督に問う。
「あたしを想って、ココナッツアイスを作ったっていうの?」
「まあ、そういうことだ、うん」
眉を寄せてホノルルの言葉を認め、提督はホノルルを見つめ直して一言告げる。
「前からお前が好きだったんだよ、ホノルル」
言葉がさあっと胸の中で広がる。瞳を、熱い水滴が濡らす。しゃくりあげる声で、ホノルルは提督の想いに応えようとする。
「あ、あたしも、あたしも―――」
それ以上は、言葉にならない。言葉が詰まって、喉から離れてくれない。羊羹の小皿を持ったまま、言葉ではなく心を伝えようと、ホノルルは提督に身を寄せる。
ホノルルの温かな身体が提督の胸に収まる。提督が、腕をホノルルに回す。提督に抱きしめられながらホノルルは想いの通じた幸せを嚙みしめる。この場所にいてもいいんだ、と。
了