艦種を跨いだ大規模改装は珍しく、それだけ時間もかかった。それでも無事改装を終えた千代田はほっとしながら鎮守府本館の廊下を歩く。艤装を外してしまえば特に前と変化のない自分の外見に逆に違和感感じながら歩を進めていると、向こうから近づいてくる姉妹艦の千歳と行き当たった。
「千代田、軽空母への改装おめでとう」
「ありがとう千歳お姉」
自分より一足早く軽空母への改装を終えた姉妹艦の祝福を千代田は素直に受け取る。そんな当たり障りのない会話をしていると、千代田は千歳の様子に気が付く。なにやら意味ありげな薄笑いを浮かべながらこちらの顔をうかがってくる千歳の姿に千代田はなんだか落ち着かなくなる。
「うっふっふ~」
「な、なによ千歳お姉……」
ちょっと千歳から身を引くと、一歩千歳が身を寄せてくる。そのまま千歳は千代田の耳元に唇を寄せて囁きかける。
「千代田が艦種換装改装を無事終えるの、提督とっても楽しみにしてたのよ~」
「ま、まあうちの鎮守府に軽空母がもっと欲しいとは言ってたし……」
「その枠を千代田が埋めてくれたのが感無量みたい。千代田は提督のお気に入りだものね~」
千歳のその言葉に千代田はちょっとだけ顔をしかめる。提督の気持ちには薄々気がついていないでもない。ちょっとした会話や仕草の端々に、自分を意識していると思われるニュアンスがあると感じるのは決して自惚れではないだろう。
でも、正直気が重い。提督のことはいい上官だとは思っているものの、それ以上の感情はないからだ。そんな千代田の葛藤には気づかないまま千歳は顔を千代田から離して千代田に真正面から笑顔向けると邪気のない声を千代田に向ける。
「千代田が空母になったのを機に、提督も千代田に告白するつもりかもね」
「困るよ……」
小さな声で放たれたその呟きは、幸か不幸か千歳には届かなかった。
提督執務室の重い扉をコンコンと軽くノックし、千代田は執務室の客となる。椅子から腰を上げこちらに近づいてくる提督にきれいな敬礼ひとつ向けると千代田は簡潔な報告を行う。
「軽空母千代田、無事に艦種換装を終えました。性能諸元などは後ほどこちらに届きます」
「ご苦労。あ~……」
珍しく何やら言いよどむ提督の姿に千代田は予感を覚える。果たして提督は少しの間だけ逡巡するように沈黙すると、唐突にも聞こえる台詞を口にする。
「千代田、お前に伝えたいことが前から……」
「…………」
「千代田、お前が好きだ」
千代田の唇から思わずため息ひとつ漏れる。いつかこんな時が来るだろうと思っていたが、実際来られるとやはり気持ちが重い。いい人だとは思うんだけど……と心の中でだけ呟きながら千代田は眉を寄せ提督にお返事差し出す。
「提督……お気持ちは嬉しいけれど、千代田はやっぱり千歳お姉が心配だから……」
そうか、と寂しげに微笑む提督の顔を千代田は正面から見ることができなかった。
提督の告白を断ってから何日かが過ぎた。「え!?断っちゃったの!?」と千歳には驚かれたが、自分の気持ちに嘘はつけない。晴れぬ気持ちを抱えながら鎮守府本館の廊下を歩いていると、今はあまり顔を見たくない相手と廊下の門で出くわした。
「千代田」
「……提督」
「すまなかったな、この間は」
「いえ……」
思わず顔を逸らし提督から目線を外す。「それじゃ」と言ってその場を離れようとしたときに、幼さと色香の混じりあった聞き覚えのある声が提督の背後から聞こえてきた。
「提督」
「荒潮か」
「お話があるの……いい?」
もちろん、とお返事して提督は荒潮の後をついていく。そのふたりの後ろ姿を見送りながら、なぜか千代田は心がざわつくのを感じた。
部屋に戻って畳の上にあおむけに寝っ転がりさっきの光景を反芻する。なにやら思いつめた様子の荒潮の姿は先日自分に告白してきたときの提督と同じ雰囲気を醸し出していた。提督に想いを寄せる艦娘がいてもおかしくない、それが荒潮でもおかしくはない。別に、自分には関係がない。
……なのに、なぜこんなに心が不安になるのだろう……
「千代田」
「千歳お姉」
「お行儀悪いわよ?そんなところに寝っ転がっていたら」
「うん……ごめん」
部屋に入ってくる千歳に素直にお返事して千代田は身体を起こす。そのまま千代田は少しだけ迷うようなそぶりをしていたが、思い切って千歳に問いかける。
「千歳お姉、男の人が失恋から立ち直るのにどのくらいの時間が必要?」
「え?なにそれ」
突拍子もない千代田の質問にさすがの千歳も面食らった顔を見せるが、千代田の傍らに腰を下ろすと指を一本顎に当て目線を天井に向け考えるような表情になると千代田に答える。
「そうねえ……人にもよると思うけど、長ければ年単位で引きずるかもね」
「短いと?」
「一日?」
その答えに千代田がわかりやすく驚いたような顔を見せる。そんな千代田のリアクションに千歳も思わずびっくりして身を引くが、思い当たることがあったか千代田に向かい問いかける。
「提督のこと?」
「うん、まあ……」
「なにかあったの?」
「別に、何かあったわけじゃないんだけれどね……」
そう、別に何か特別なことがあったわけではない。ただ単に、自分がフッた提督がひとりの駆逐艦娘に声をかけられ何かお話をした、というだけのことだ。なのに、それだけのことがどうしてこんなに気になるのだろう。自分の気持ちがどこを指しているのかわからぬままに、千代田はそっと目を伏せた。
翌日、やはり晴れぬままの気持ちを抱えたまま千代田は鎮守府の中庭を歩く。心の晴れない理由が微妙に変わっていることを千代田は果たして自覚しているであろうか。建物の角を曲がったところで見慣れたふたりの姿が目に入り、千代田は思わず一歩下がって建物の陰に身を隠す。
そこにいたのは提督と荒潮。いつもの余裕感じさせる佇まいを忘れたかのような必死な表情で荒潮は両手を揉み絞るように合わせ、こちらに背中を向ける提督に向かい切羽詰まった声を向ける。
「好きなの……本気で、好きなの」
その言葉が錐となって千代田の心臓に刺さった。その後の展開を見守ることもせず、いや、できず、千代田は踵を返すとその場から駆け去った。
埠頭に膝を抱えて座り込む。さっき目にした光景が頭から離れない。提督に告白する荒潮、そのひたむきな表情。
提督が断る理由は、ない。多分、きっと、あのふたりはつきあうことになる。”千代田を好きな提督”はもういない。
「そんなのって……」
膝に顔を埋めて小さく呟く。ことここに至ってようやく気がつく。提督が自分のことを好きだということを当たり前に甘受していたことを。そのことに胡坐をかき、安心しきっていたことを。
「こんなのって……」
だから、自分の本当の気持ちに無自覚でいられた。自分から求めなくても提督のほうから求めていてくれたから、自分から手を伸ばすことをしなかった。提督の想いと真剣に向かい合うことをせず、自分の想いと真剣に向かい合うことをしなかった。
だから今さら気がついても手遅れだ――――自分も、提督のことを好きだなんて。
波音に千代田のすすり泣きの声が混じる。海風が、千代田を慰めるように撫でる。そのままどれくらいの時間がたっただろう、千代田の背後から彼女を見とがめる声がする。
「千代田?」
その声に弾かれたように顔を上げて振り向く。はたして、そこにいたのは提督その人。ずきり、と胸を刺す痛みに顔をしかめて千代田は波の方に再び顔を向ける。そんな千代田に近づきながら提督は今しがた見た光景を確かめるかのように千代田に問う。
「泣いていたのか?どうして?」
「……別に、なんでも」
埠頭の端に膝を抱えた格好ではその場から逃げ出す方角も無く、千代田はどうしようもなく提督が自分の方に歩いてくるにまかせる。自分の真後ろに提督が立ち止まるのを感じ取ると、千代田は顔を波に向けたまま提督に囁きかける。
「さっき、荒潮ちゃんに告白されていたでしょ?おめでとう」
「え?何の話だ?」
しらを切るような提督の言葉に思わずかっと頭に血が上る。勢いよく立ち上がり振り向いて、千代田は提督の真正面から提督に食ってかかる。
「とぼけないで!見たんだから、荒潮に『本気で好きだ』って告白されているのを……」
「ああ」
気が抜けても聞こえるそんな声で千代田に応えると、提督は肩をすくめて種明かしをする。
「誤解だ、俺が好きだと言われたわけじゃない。荒潮が作戦参謀のひとりにどうも本気で惚れてしまったらしくてな、その相談を受けていただけだ」
すとんと、千代田の肩の力が抜ける。ほけっと提督のことを見つめる。そんな千代田の姿に何を思うか、提督は寂しげな声千代田に向ける。
「しかし他の女生徒のことを『おめでとう』って言われるのも複雑だな……俺はまだ……」
「私だって提督が他の子と結ばれるところなんて見たくない!」
いきなり高い声を上げる千代田の姿に、提督が驚いた顔を見せる。そんな提督に向かい千代田は、心の底を割って噴き出る言葉を一気に向ける。
「提督には私のことだけ見ていてほしいの!私のことだけ好きでいてほしいの!勝手なこと言っているってわかっている、だけど私は……」
涙、瞳から溢れ出し頬を伝い濡らすのを感じながら千代田は告白する。
「私は、提督が好き!」
波風が、ふたりのことを撫でていく。波音が、ふたりのことを包み込む。どれだけの時間がたったか、いや、そんなにたっていないかもしれない、そんな時間の後提督が微笑んで千代田に問う。
「もう一度告白させてくれ……千代田、お前が好きだ」
「はい……私も、提督が好きです」
流れ出る涙を拭いもせず、それでも笑顔浮かべて千代田は提督にお返事する。心の奥底にあった想い、全て差し出して。自分のことを、全てさらけ出して。
波間に反射した陽光が、祝福するかのようにふたりのことを照らし出す――――
了