カリカリとペンの走る音が提督執務室に重なり響く。執務の手を止め、提督が首をニ、三度回したかと思うと眉を寄せながら目元を指で押さえる。提督の執務机より一回り小さい机を提督のそれに直角に配置して提督を手伝っていた秘書艦の由良は提督の横顔を心配そうに見つめながらおずおずと問いかける。
「提督さん、お疲れですか?」
「ああ、ちょっとな。最近忙しかったからな」
提督のここしばらくの激務は秘書艦の由良も知っている。それでも大型作戦を終え、しばらくは平穏な日々が続くはずだ。ここで提督には一度リフレッシュしてもらいたい。そう考えると由良はパン!と手を打ち合わせて提督に向かい笑顔で提案する。
「提督さん、ピクニックに行きましょう!ね?ねっ!」
「……ピクニック?」
指を目元から離して怪訝な顔を由良に向け、気が進まないように提督は答える。
「いやしかし、あまり鎮守府を遠く離れるのも……」
「遠出なんてしなくていいんですよ!ほら、あの岬、鎮守府の敷地の中に海を見下ろせる岬があるじゃないですか!」
一度口にしたらひっこめない見かけによらぬ強引さで由良は更に早口で提督に言葉継ぐ。
「今の季節ならお弁当持っていくときっと楽しいですよ!ね?ねっ!」
「うーん……」
「他の艦娘たちも呼びますから!みんなでピクニックしましょ?ね?ねっ!」
しぶしぶといった感じではあるが提督はようやく頷く。その様子を見て由良は笑顔更に広げるのであった。
天気快晴気温快適。海からそよぐ風が心地よい。草むらの上にレジャーシートを広げ明石は提督に重箱を差し出す。
「ほら提督、これ由良が作ったおにぎりですよ。おひとつどうぞ」
「ん?うん」
明石が提督とお弁当をつまむ光景を眺めながら夕張が傍らで紙コップを両手で抱え持つ由良にツッコむ。
「で?なんで私たちまで呼んだの?バカなの?」
「だってえ~……」
「せっかく由良が作ったお弁当なのになんで明石が提督に食べさせているの?バカなの?」
「そんなこと言ったってえ~・……」
メソメソと鼻を鳴らしながら由良は顔を伏せ夕張の追及に耐える。夕張の言いたいことはわかっている、どうせ誘うならふたりっきりになれるシチュエーションを作るべきではなかったのかと。
でも、そんなのハードルが高すぎる。秘書艦として毎日傍らにいるだけでもドキドキしているのに、それに慣れてもいないうちからふたりっきりのデートになんて誘えない。そう、ふたりっきりなんてデートではないか。そんな大それたこと自分にはできない。
くすん、と鼻を鳴らす由良を横目で見ながら夕張は「由良も強引なんだか遠慮がちなんだかわからないわね」と独り言を呟くが、やおら立ち上がると明石に向かって声をかける。
「明石!私、喉乾いちゃった!飲み物買いに行くのつきあってくれない?」
「え?冷たいお茶が水筒に入っているわよ?」
「今は缶コーヒーの気分なの!」
不思議そうな顔をしながらも明石は素直に立ち上がり夕張に付き添ってその場を離れる。離れざま、夕張がこちらを振り向いてウインクするのが見えた。
ふたりっきりで取り残されて、夕張は顔は夕張と明石のいなくなった方角に向けたまま間の抜けた声を提督に向ける。
「……いっちゃいましたね」
「ああ、ここから酒保なり自販機コーナーなりだと結構あるだろうに」
提督の声の響き方に、さっきまでにぎやかだった空間が急に静かになったことを感じ取る。ふたりっきり、その事実に由良の鼓動が跳ね上がる。執務室でもいつもふたりっきりじゃないと自分に言い聞かせるもののドキドキ早鐘を撃つ鼓動は静まってはくれない。
「あ、あの、提督……」
言葉が続かない。自分でも何を提督に言っていいのかわからない。いっそ仕事の話に逃げようか、と由良がロマンチックさの欠片もないことを考えたとき、提督がゴロンとレジャーシートに身を横たえた。
「なんだか、眠くなっちまったな」
言いながらおなかの上に手をのっけた仰向けの姿勢で提督は目を閉じる。
「風が、気持ちいい……」
その言葉を最後に、提督から規則正しい寝息が聞こえてくる。提督の寝つきの良さに驚きながら、それだけ疲れていたのだと由良は納得し提督の寝顔をただ見守る。
す、と由良の両手が提督の頭に伸ばされる。自分の位置を変えながら由良は提督を起こさないようにその頭を持ち上げ、自分の膝にそっと乗っける。
目を閉じ、微笑んで由良は提督を膝枕する。ゆっくりとそよ風に合わせるように提督の髪を撫ぜる。そよそよと樹々がそよぐのを聴きながら由良はひと時の安らぎの時間を味わう。
どれだけ時間が経っただろうか、提督が「ん……」と身じろぎする。はっとして由良は提督の頭を元に戻そうと手を添える。
……動けない。
足が痺れてしまって動けない。焦りが、由良の頭を支配する。早くバレないうちに提督の姿勢を元通りにしなきゃとうろたえればうろたえるほど、今どうすればいいのかわからなくなる。
やがてまもなく提督が、ゆっくりとその瞼を開く。
「……由良?」
自分はなぜ由良を見上げているのだろうと提督は一瞬混乱するが、頭を支える柔らかい感触に自分が膝枕されているのだと悟る。自分を見下ろす由良の顔が真っ赤に染まるのがわかる。ちょっと大儀そうに身を起こしながら提督はさてどうリアクションしたものかと悩む。
「あー、由良……」
「ごめんなさい!」
提督が何か言う前に由良が思い切り頭を下げる。頭の後ろを掻きながらなんと返事したものかと考える提督に向かい、由良は更に謝罪の言葉続ける。
「ごめんなさい、図々しく!これは、その、つまり……」
涙が瞳に浮かぶのをきゅっと目を閉じて耐えながら由良は身を起こそうとする。しかし痺れ切った脚はまだ回復してはおらず、由良は腰を半分浮かせたところでつんのめる。
「きゃ!」
「おっと、」
提督の胸板に倒れこむ。提督に、抱きとめられているような形になる。もう心臓が壊れそうなほどに脈打つのをどうしようもできないまま、熱く火照る頬をもてあましながら由良はまたまた謝りの言葉口にして提督から身を離そうとする。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ほんと、由良ってば……」
言いかけた言葉は最後まで続かなかった。いきなり、引き離そうとした身体を引っ張り寄せられた。提督に抱きすくめられ、由良の華奢な身体がすっぽりと提督の胸に収まる。
「離れるなよ」
自分を囲う提督の腕の感触、自分を覆う提督の身体の感触。その初めての感触に頭が真っ白になる由良の耳に提督の声が届く。
「このタイミングでこんなこと言うのは後だしジャンケンみたいかもしれないけれど……」
由良の細身の肢体を抱きしめなおし、提督は由良の耳元に囁く。
「好きだ、由良」
大きくひとつ跳ねる鼓動が、そのままドクドクと全身を揺らす激しい心臓の高鳴りが、今の言葉が夢幻じゃないと教えてくれる。じわりと再び涙が、先ほどとは違う涙が瞳に溢れるのを感じながら由良は提督に身を預ける。
由良の桜色の髪が海風になびく。その髪ごと、提督は由良を抱きすくめる。
温かな感触に、由良は身を任せる。
了