その少女の醸し出す色香は駆逐艦のそれを越えていた。短めに、緩やかにまとめた髪、憂いを帯びた穏やかな瞳、誘うような首筋の小さなほくろ。夕雲型駆逐艦九番艦・玉波、彼女を前にすると歴戦の提督といえども緊張感を覚えるのを抑えられないのであった。
「以上で、演習報告を終わります」
「ご苦労、玉波」
否、緊張する理由は他にある。彼女のことを憎からず想っていることが、余計に提督の緊張をいや増す。平静を装い報告を受け、提督は話を打ち切りに入る。
「後はゆっくり休んでくれ」
「他に、何かご用はございませんでしょうか?」
「特にない」
簡潔で愛想に少々欠ける提督の言葉、それが玉波には不満である。せっかく提督の側にいられるこの時間、それを少しでも引き伸ばしたいのに提督の態度といったらあっさりしすぎである。秘書艦もいないふたりきりのこのタイミング、お茶でも誘ってくれたらいいのに……と叶わぬ願望抱きながら玉波はそれでも顔にはそんな不満など浮かべず、綺麗な敬礼ひとつ捧げて提督執務室を後にするのだった。
演習も終わり座学などもなく、自由時間となったその時間を玉波は本館中庭のベンチに座って過ごす。姿勢よく両手を膝の上に置き、目線を空に向けながら玉波は先ほどの短い提督との時間を思う。
提督との時間、なんて色気のあるものじゃない。仕事上の報告を必要十分に済ませただけだ。もっとお話したいことはいろいろあるのに、もっと多くの時間を共に過ごしたいのに、提督からはどうしても壁を感じてしまう。その壁の向こうに行ってもっといろいろ知りたいのに。
ふう、とため息をついて目線を下げるとこちらに近づいてくる小柄な艦娘の姿が目に映る。鵜来型海防艦一番艦・鵜来、その小さな身体に玉波は声を向ける。
「鵜来さん、こんにちは」
「あ、玉波さんこんにちは。となり、いいですか?」
「ええ、どうぞ」
ちょこんと鵜来はその身を玉波の隣に収める。座ると同時に目を手でこする鵜来に玉波は穏やかな声かける。
「なんだか眠そうね」
「はい、昨夜夜戦演習だったんですけれどその後うまく眠れなくて……今になって眠くなっちゃって」
「生活リズムが狂うと、大変よね」
こんな幼い娘にも負担を強いる現状に玉波は心痛める。つい、と鵜来に身を寄せて玉波は鵜来に囁く。
「少し、お昼寝なさい。お膝を貸してあげる」
「え、でも……」
「遠慮するものじゃないわよ」
それでも逡巡があるらしく少しの間鵜来は身をもじもじと揺すっていたが、眠気には抗えなかったのだろう。コテンと玉波のお膝に頭を乗せるとやがてすうすうと寝息を立て始めた。
修理工廠での仕事を終え、提督は本館中庭を通りがかる。目にしたのはベンチの上で膝に小さな海防艦娘を乗せる駆逐艦娘の姿。
「玉波」
「しっ」
微笑み浮かべながら玉波は立てた人差し指唇に当てて提督の言葉を封じる。提督が口を閉ざすと玉波は再び鵜来の髪を撫でながら子守歌の旋律口ずさむ。
それは、慈しみに溢れた光景だった。提督はその光景を前に心洗われる気持ちがすると同時に、やはり玉波のことをどこか遠くに感じるのだった。
陽炎型駆逐艦ネームシップが立ち去りざまにこちらに顔だけを向けてひらひらと手を振る。
「じゃあね、約束だよ提督さん!」
「おう、あまり羽目を外しすぎるなよ」
笑顔で遠ざかる陽炎の背中を見送る。陽炎とは反対側に身体を向け、本館廊下を歩き出そうとしたときその駆逐艦娘と出くわした。
「玉波」
「提督、今のは?」
「ああ、陽炎に夕雲型の呑み会に誘われてな。なにも上官なんぞに声をかけなくてもいいと思うんだが」
鳳翔さんの居酒屋でやるらしくてな、との提督の説明に素敵な考えが浮かぶ。
「提督、第十一水雷戦隊も呑み会をやるんです。そちらにも是非ご出席いただけませんか?」
パン、と手を打ち合わせて満面の笑みで玉波は提督にたった今思いついたばかりの提督と距離を詰める会への参加をねだる。しかし陽炎相手ほどには玉波に気安い感情を抱けない提督は一瞬逡巡する。
「そうだな、その時は時間があったら……」
「今、返事に間がありましたね?」
玉波の顔が不機嫌そうになる。「いやそんなことは……」と内心ひやひやしながら誤魔化そうとする提督の目の前で玉波の顔がうりゅっと歪む。
「……ひ、っく……ぐす、っ……ぐすぐす……」
「た、玉波!?」
「だって……陽炎さんとはあんなに仲良さげなのに……玉波とは……」
ぐしぐしと両手で涙を拭いながら震え声で駄々をこねる玉波の姿に提督は思い知る。
駆逐艦なのだ。
まだ幼さ残す少女なのだ。
多感な時期のその少女を、自分の弱さから遠ざけた。知らず少女との間に壁を作り、少女に寂しい思いをさせた。
自分の罪深さ思い知り、提督はおろおろと手を彷徨させながら正直になることに決める。
「玉波、そうじゃないんだ、聞いてくれ」
「ぐすっ、……ぐす……」
「玉波と距離を作っていたのは事実だ。だが、それには訳があるんだ」
姿勢を正し言い辛そうに玉波から目を逸らし、一度躊躇ってから提督はもう一度ぐずり続ける玉波を見つめながら言い放つ。
「玉波が好きだから……どう接していいかわからなかったんだ。この気持ちがばれるのが怖かったんだ」
玉波の手の動きが止まる。ほけっと玉波が涙に濡れた瞳で提督を見上げる。提督と視線を合わせ、その真剣な表情に今のが嘘でも冗談でもないとわかると玉波はくしゃっと顔の筋肉を崩す。
「うわあああああああああああああん!」
「え!?号泣するほど嫌!?」
「違う、違うの!嬉しくて……嬉しくて!だって、だって玉波も、提督が、好き、だったから……!」
大声で泣きながら玉波は必死に顔を両手で拭う。それでも後から後から溢れる涙は玉波の頬を伝い床を濡らす。その光景をどうしていいかわからず提督はおろおろと見守っていたが、やがてその腕を玉波に伸ばす。
その薄い肩を抱き、ゆっくりと己の胸に誘う。玉波の小さな肢体が、提督の広い胸に収まる。
まだ震える少女の細い身体を抱きしめ提督は思う。これからは、この少女に寂しい思いはさせまいと。玉波の一番近くで、彼女の笑顔を守っていこう、と。
了