コードギアスLOST COLORS 小話集 作:如月(ロスカラ)
「ここは……?」
目の前にある光景に、思わずそんな言葉が溢れた。
ミレイさんから、いろんな場所に行ってみることも、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないと言われ、その言葉に従ってなるべく出かけるようにはしてきた。
そんな折、ふと思い浮かんだのは、今までは学園の外に出かけるばかりで、存外に学園の中にもまだ行ったことのない場所があるということだった。思い立ったらじっとはしていられず、かといって、授業がある昼間にうろついて見て回るのも迷惑だろうと、放課後に出歩いてみることにした。
普段の授業では行くことのない旧校舎は、当然ながら知らない場所で、周囲を見渡して目に写るものは見慣れないものばかり。案外記憶を取り戻すためのいい刺激になるかもしれないと、そんなことを考えていると印象的に目につくものがあった。
足を止めて、そこに近づくと、古ぼけて傷んだ扉、頭上にはボロボロ看板がある。
「…音…楽…室」
その看板を見上げて、読みづらい文字をなぞるように口に出す。それによって、この部屋がどういった趣旨のものかは理解出来た。けれど、何故かすぐにその場を離れる気にはなれず、それどころか、ますます興味を惹かれる。
「………」
勝手に入ってはまずいだろうと思いながらも、好奇心に打ち勝てずにドアノブに手をかける。すると、鍵はかかっていなかったので、ドアノブを回して扉を引くだけで、扉は軋んだ音を立てることもなく簡単に入ることができた。
そこには、あらかたは片付けられたのだろうか、まばらに楽器が置いてあり、それが閑散とした音楽室の様子を引き立たせる。そんな中に、ひときわ目立つ大きな楽器が部屋の真ん中を陣取っていて、いやが応でも目につく。それに惹き付けられるように、後ろ手に扉を閉めて近づいていく。
「ピアノ、か」
黒く光沢のある大屋根に触れながら、その名称を呟く。相変わらず、自分以外のことは少し考えれば知識として知っていることが奇妙で、思わず顔をしかめてしまう。周りにある他の楽器に目を配ってみるが、どれの名前もひとつひとつ口に出来る。以前、ルルーシュに言われたようにちぐはぐな感じだ。
そんな思想を、考えても仕方ないと息を吐いて中断し、再びピアノへと意識を向ける。よくよく見ると、使われていないはずの旧校舎の音楽室にあるピアノにしては、手入れがされているようだ。埃をかぶっていることもなければ、ピアノ自体に欠損がある様子もない。
もしかしたら、普段から使用している生徒がいるのかもしれない。
練習や遊びでここにあるピアノを使ったとしても、誰も咎めることなどないだろう。
試すように鍵盤に触れると、淀みのない綺麗な音を奏でる。続いて違う音を弾いてみるが、同じく不具合などはないようだ。
そのことを確認してから、備え付けの椅子に座る。先ほどしたように人差し指で端から鍵盤をなぞると、ひどく粗雑な弾き方かもしれないが、それでもピアノは綺麗な音階を聴かせる。
そんなことを繰り返した後、一応真似事でもしてみようかと、両手を鍵盤の上に翳してみる。すると、なぜかその行為がとても馴染むように感じられて、それを不思議に思っていると、楽譜のような音符の羅列が頭に浮かんできた。
「……?」
わけがわからない現象に戸惑いと驚き、そして、疑問が生まれる。けれど、そんな混濁とした思考の中でも冷静に対処する自分がいて、同時に、頭に浮かぶものを理解出来ていることにも気がついた。
おそるおそる、理解出来た通りに両手を動かすと、単音とは違う複合的な音を奏でる。
それが、思った通りの音だったことに安堵して、浮んだ楽譜の続きをたどっていく。
「ふぅ……」
手を止めて一息つく。ピアノを演奏するという行為は思っていたよりも疲れるものだった。楽譜を見ないで弾くこと、つまりは暗譜は、さらに集中力を必要とするために、それに拍車をかける。
しかし、おかげでわかったことがある。自分がピアノを弾けるということ。さらには、それなりに経験があること。暗譜が出来るということは少なくとも演奏を始めて日が浅いということはない。
名前以外に自分自身のことが何一つわからない僕にとっては、そんな些細なことでも重要なことだ。自身のことはどんな情報でも知る必要がある。
ピアノが弾ける、ということは小さくとも価値のある情報だ。それを知ることが出来た。
だから、そのことに充足感で満たされているはずなのに、なぜだろう。
あまり、嬉しくはない。
不思議とそう感じた。決して新たな自分を、というよりは本来の自分を知りたくないわけではない。ただ、もしかしたら僕は、ピアノを好きではなかったのかもしれない。
身に付けている技能は、無理矢理覚えさせられたものかもしれない。あるいは、無理矢理にでもピアノを習う必要があっただとか。
仮にそうだとしたら、僕はそれなりに裕福な家庭で育てられたのだろうか。ある程度の教養が必要な身分として育てられたのならば、ありえないことではない。けれど、
「これも、今考えても仕方のないことだな」
内心を表すような呟きが、意図せずに溢れる。次々と推測を立てて深読みしてしまうのは、癖なのだろうか。どんなに考えても可能性はほとんど無限であり、答えなんて出るはずがないのに。
それに、先ほどの感情を断定するにはまだ曖昧なところが多い。ピアノを弾けたことを嬉しいとは思わなかったが、だからといって、はっきり嫌だと感じたかというと、そうでもない。
そんなもやもやとした気分を晴らして、自分の感情を確かめるために、再びピアノと向かい合う。両手を鍵盤の上に置いて、曲をもう一度思い起こす。今度は一切の躊躇いもなく手を動かしていく。
二度目ということもあり、繰り返し同じ動作を行うだけなので、あっという間に曲は序盤、中盤を通り抜けて終盤に向かっていく。
そのことに、物事が順調に進むことに対するある種の達成感のようなものは感じるものの、それ以外に特別な想いを抱くようなことはなかった。
先ほどよりは、幾分か暇を持て余した思考が導き出したそんな感想に、少しがっかりしてしまう。
だからといって、途中で止める気にもならずに、結局想いの在処が定まらないまま演奏を終える。指先を離しても、まだ最後に奏でた音色が響き続け、それは、この部屋の音響設備も相まってか、その効果を増大させる。
もし、ピアノ又はこの曲に愛着があったのならば、この残響を心地よいと感じて陶酔していたのだろうか。けれど、僕はこの曲の名前も、意味も知らない。わからない。
当然、感慨に耽る気など起こるはずもない。それどころか、どこかピアノを弾き始める前よりも気分は一層沈んでしまったように思えた。
そして、再びため息が出そうになるが、不意にそれは中断された。
パチパチパチパチと突然発せられた音。明らかに自分が発しているものではないそれに驚き、音のする方に顔を向ける。
「わ~、すごいね」
すると、そこにあったのは、扉の付近で同じ生徒会の見知った少女が拍手をしている様子だった。
「シャーリー」
彼女の存在をはっきりと認めて、名前を呼ぶと、シャーリーは叩いていた手を止めてこちらに近づいてくる。
「ピアノ、弾けるんだね」
「えっ、……ああ」
明るく快活な笑顔で話しかける彼女だが、まだそのテンポについていけない。いつからここにいたのだろうか。先ほどまでは誰もいなかったはずだ。
「シャーリーは、どうしてここに?」
「あ、うん。部活の帰りだったんだ。ほら、寮に戻るにはこっちを通った方が近いでしょ?」
「……そうだな」
確かに、学園の構造を考えるとシャーリーの言う通りだ。また、夕焼けによく映える彼女の橙色の髪の毛の先がわずかに濡れていることから、少し前に水泳部の活動を終えたばかりなのだろうか。
「途中でピアノの音が聞こえたから、不思議に思ってこの部屋を覗いてみたんだ。そしたら、キミがいるからびっくりしちゃった」
楽しそうにそう話すシャーリーだけれど、彼女が言うには、部屋の外にも音が漏れてしまっていたのか。迷惑をかけたかもしれない。
「うるさかったかな?」
「ううん、そんなことないよ。とっても上手で素敵だった。なんていう曲なの?」
興味津々という風にシャーリーは尋ねる。それにまともな答えを返すことが出来ないのは、少し残念だ。
「それが……わからないんだ」
「わからない?」
そう言って、首を傾げてこちらを見る彼女に、僕は言葉を続ける。
「この曲の弾き方は自然と思い出せたんだけれど、曲の名前もわからない。それに、何か関連する記憶が戻ったわけでもないんだ。だから……」
「そっか……ごめんね、変なこと言って」
シャーリーは顔を伏せて、少しうつむいてしまう。気を遣わせてしまっただろうか。
「いや、シャーリーが謝るようなことはなにもない。自分の記憶に関しては、焦っても仕方のないことだから」
記憶は何よりも思い出したいと思うが、それにこだわって周囲の人に必要以上に気遣わせているとしたら、それは、僕の本意ではない。
「そうかな?」
「ああ、だから気にしないでくれ」
まだ少し申し訳なさそうなシャーリーの態度に、強く断言して返事をする。すると、暗くなっていた彼女の表情は晴れて、次第に笑顔が浮かぶ。
「ふふ、ありがとう」
「感謝されるようなことは……」
なにもしていない、と紡ごうとした言葉は先回りされて、形にならない。
「それでも、ありがとうね」
「? ……ああ」
なんだかよくわからないうちに礼を言われてしまっているが、素直に受け取っておこう。感謝されて悪い気はしない。
「ねえ、私もやってみていいかな」
「何を?」
先ほどまでの雰囲気を変えるように、シャーリーは問いかける。
「ピアノ、弾いてみてもいいかな」
「別に構わないが……弾けるのか?」
彼女の申し出は少し意外だった。そのため、意識せずに聞き返していたのだけれど、口に出た言葉が、受け取り様によっては失礼に当たるものだと気づいた時には、すでにシャーリーは頬を膨らませていた。
「確かに私は、会長やカレンみたいなお嬢様さまじゃないけど」
「い、いや、今のは」
「キミは、そんなふうに私のこと見てたんだ」
そう言いながらシャーリーは責めるように迫ってくる。
「その、シャーリーは水泳の印象があるから」
「ピアノなんか、弾けるようには見えない?」
怒り心頭という感じではないが、矢継ぎ早に問いかける彼女はむすっとしたままだ。こんなときは、どうすればいいのだろう。全然わからない。
「そうじゃなくて、えっと……」
考えれば考えるほど、気のきいた言葉なんて思いつかない。次第に頭の中が真っ白になっていく。それでも、何か言わなければと口を開こうとした矢先に異変が起こる。
「ふふっ」
微かな笑い声が聴こえる。そして、今までの会話の流れにふさわしくないそれを漏らしたであろうシャーリーは、口元を手で押さえている。
「シャーリー?」
突然の彼女の態度の変化に、理解が追いつかない。怒っていたはずなのに、なぜ笑っているんだ。そんな疑問とともに名前を呼ぶと、こらえきれなくなったのか、彼女は笑い声を抑えることをやめた。
「ライったら、おかしい」
「……?」
「そんなに慌てるなんて、思わなかった」
途端に力が抜ける感じがした。椅子に深く腰掛け、一度目を閉じて気持ちを落ち着かせる。まさかと思うが
「……からかったのか、シャーリー」
「ふふ、ごめんね」
言葉の上では謝りながらも、シャーリーは悪戯っぽく笑う。その笑顔に毒気を抜かれて、僕は、ただ苦笑いをすることしか出来なくなってしまう。彼女に誤解を与えるようなことを言ってしまったのは事実だから、仕方ない。
「別にいいよ。それよりも、ほら」
椅子から立ち上がり、シャーリーにその場所譲る。
「弾きたいんだろう?」
「あ、うん」
僕があまり文句を言わなかったことが意外だったのか、シャーリーは少し反応が遅れていたけれど、それでも促されるままに椅子に腰掛ける。
そして、すうっと息を吐いて鍵盤に向き合った。こちらから見える横顔が、どことなく真剣だ。
思えば、彼女はどんな曲をどのように弾くのだろうか。
「あの、ライ」
不意に、シャーリーがこちらに顔を向けて、目が合う。
「どうした?」
「そんなにじっと見られてると、ちょっと……」
考え事をしながら、ほとんど無意識に見つめていた。彼女の瞳が困ったように揺れている。
「気が付かなくて、すまない」
「うん。恥ずかしいから、あんまり見ないでね」
返事を待たずに再び鍵盤に向かい合ったシャーリーに、僕は黙って頷く。そして、少しの間を置いてから、彼女の細い指が動き出す。
奏でられる旋律は激しいものではなく、穏やかで、それでいてどこか楽しげなもの。シャーリーの雰囲気によく似合っている。
「………」
なぜだろう。彼女の演奏はそれほど上手ではない。実際に、ところどころで音を少し外している。
それなのに、胸に響く。心を揺さぶられるように感じる。ただ聴いているだけで、高揚感を感じる。
ずっと聞いていたいと思ってしまう。
この感情がいったいなんなのかわからない。
ただ、どこかで……
「……っ!?」
思考に耽っていると、不意に、とあるヴィジョンが頭に浮かんだ。
どこかの庭園で、誰かが楽しそうにピアノを弾いている。
誰かは笑いながら、たどたどしい手つきで、鍵盤を押さえて音のずれた旋律を奏でる。
僕はそれを聞いていた。ずっと聞き続けたいと思っていた。
決して上手ではない、けれど必死に指を動かすその姿を見つめていた。
そのときの僕は、何をしている訳でもないのに本当に楽しそうで、笑っていたのだ。
どうしてだろう?
なんなんだ、これは?
この気持ちは、いったい……
ポーンとずれた音が鳴った。
その音とももに演奏は途切れて、ライの意識がもとに戻る。
今頭に浮んだものはなんだ? これは、僕の……?
「あれ? どうだったかな?」
そんな声とともに演奏が止まっていることを思い出して、ピアノに目を向ける。
シャーリーは、鍵盤の少し上に留めた手指を無意味に玩びながら、苦悩というよりも苦戦している様子だった。
「どうかしたのか?」
不思議に思って近づくと、眉間にしわ寄せて呻っていた彼女が困り顔を見せた。
「うん。あのね、どうしても途中が思い出せなくて……」
シャーリーは、瞑想するように目をつむって思い出そうとするが、結局わからないようで、、はあっと大きくため息をついて俯く。
「その後は完璧に覚えてるのに、どうしてもそこだけがわからないの」
「そうか……」
楽しそうに弾いていたシャーリーが項垂れている様子を見ていると不憫に思えて、その姿がかつての──と重なって、ライは自然と尋ねていた。
「どこ?」
「えっ……?」
「どこがわからないんだ?」
ライの問いに、しばらく呆けたような顔をしたシャーリーは、楽譜を再び思い浮かべて問題の箇所の数節前から演奏する。
二回目だからか、先ほどよりも淀みなく進むが、無理やり着地するように音律は途中で乱れて止まる。
「ここなんだけど……」
そう言って、ライを窺おうとシャーリーが顔を向けるよりも先に、ライは彼女に近づいた。
「ああ、そこは……」
「えっ……!?」
シャーリーの背後に回ったライは、椅子越しに、まるで抱きしめるようして彼女の手に自分の手を重ねた。
「こう……、こうするんだ」
ピタッと重なった手と指は、単発的に正しい音色を奏でる。シャーリーに教えるためにゆったりと鍵盤を押していくため、互いの指は一指ごとにしっかりと絡み合っている。
「あっ、あの!! ライ!?」
突然のことにされるがままになっていたシャーリーは、ようやく思い至ったのか、手を離して、赤くなった顔をライに向けた。その時、
「うん。どうした?」
「……!?」
あまりのことに、シャーリーは言葉が出なかった。振り向いて見たライは、今までに見たことがないような穏やかな微笑をたたえて、最愛の者を見守るような目で彼女を見つめていた。
「シャーリー?」
「なっ、なんでもない!!」
そんな表情で至近距離から見つめられていることに耐えられなくて、顔を再びピアノに向ける。熱があるのかと思えるほどに、顔中に火照りを感じる。
「そうか。じゃあ、今ので合っていると思うんだが、わかったかな」
「あっ、ええと……ごめん。ちゃんと聞いてなかった」
突然後ろから抱きつかれて、冷静に聞いていられるはずもないのだけど、そんな風にライを非難することは出来なかった。あんな慈しむような表情を見たら、下心がないのは明らかだったからだ。
「もう一度、教えようか?」
「……うん。お願い」
ライの厚意を無碍にできなくて、恥ずかしさを堪えるシャーリーの手に、再び背後から手が重なった。
「うん、上手だね」
シャーリーの演奏が終わると、彼女がしてくれたようにライも拍手で応えた。
「そうかな?」
「ああ、良かったよ」
自信がなさそうに尋ねるシャ-リーに、ライは返答する。最初にたどたどしかった彼女の演奏は、何度も繰り返す内に感覚を取り戻したのか、見違えるように改善した。
「……」
ただ、シャーリーは、ライの賛辞をそのまま素直に受け取ることは出来なかった。それは、単に自分の腕前に自信がないということだけではなくて、ライの彼女の見る表情に原因がある。
何故か、さっきからライは、シャーリーに対して普段は見せないような表情で、微笑みながら見つめてくるのだ。あまりにも稀なことで、というよりもライがそんな顔をするとは思わなかったので、突然のことに戸惑ってしまった。
(な、なんで、あんな表情してるんだろう。あんな顔で見つめられたら……)
火照りを収めようと、何度も同じ曲を練習している内に、ライはシャ-リーの傍を離れたが、そのおかげで、今度は会話をするためには向かい合わなくてはいけなくなった。
(どうしよう……!!)
ずっと目をそらし続けるのは不自然だ。それに、変なのはライだけじゃなくて、私も……
「シャ-リー」
「ひゃあ!! な、なに?」
ライの態度が気にかかって煩悶としている間に、会話の最中にも関わらずにシャーリーの意識は、完全に外界と遮断されいた。そのため、思わず素っ頓狂な声が出てしまったが、ライは一瞬目を丸くしただけで、気にする様子もなく話を続けた。
「いや、もしよければなんだが、もう一回弾いてくれないか?」
「もう一回って、同じ曲を?」
「ああ、もう一度聞きたいんだ」
不思議そうに返すシャ-リーに、ライは首肯して答えた。
「でも、この曲も知ってるみたいだから、ライの方が上手だと思うよ?」
ピアノを弾く前には自信満々な様子のシャーリーだったが、ブランクもあってか、ライの出来と比べると雲泥の差があった。それもあって、席を譲ろうと思い至った矢先、
「君が弾いている姿を見ていたいんだ」
信じられないような言葉を耳にした。
「な……な、何言ってるの!?」
いよいよ理解できなくなってきたライの言動に、シャーリーは息が詰まりそうになりながら
反駁した。からかっているのか、本気で言っているのか。普段は見せない微笑の裏で、ライが何を考えているのか、彼女には分からない。
「何って、言葉通りの意味だけど……駄目かな?」
しかし、意に介した様子もなく、ライは平然と問いかけ続ける。そんな姿に幾分と冷静になったシャーリーは、真っ赤になった表情を見られないように、俯き加減で応じる。
「言葉通りって、その……私に、もう一回やって欲しいってこと?」
「……無理なら構わないけど」
心底残念そうな声音で言うライに対して、
「た、ただ弾くだけだからね」
結局、彼女は断ることができなかった。
ああ、とっても気分が良い。
シャーリーがピアノを演奏している様を見ていると、なぜかそう感じられる。
真剣な顔つきの横顔を、懸命に手足を動かす様子を見ていると、その姿がとても愛くるしく思えてくる。
既知感のように感じるこの気持ちは、はっきりとしないものだけれど、確かに僕自身の感情だと自信を持って言える。
ピアノを好きじゃないと感じたこと自体は、間違いではない。現に、僕はわざわざ彼女の申し出を断ってまで、自分でやろうとは思わなかった。
僕は、こうして誰かの演奏を聴いていることが好きだったんだ。
ピアノを覚えたのも、先ほどシャーリーにしたように、誰かに教えるためだったのではないかと、根拠もなく思えてくる。
そんな風に考えていると、演奏は終盤に向かっていた。
この時間が終わってしまうのが残念だ。まだまだ、彼女の演奏を聴いていたい。
そう思うけれど、時間を引き延ばすことなんて不可能だ。
だから、僕は
「シャーリー」
演奏を終えた彼女に、拍手を送りながら
「すまない。出来れば……」
もう一度、と気が付けば再度頼み込んでいた。
「えーっ、またー?」
そんな子供のわがままのような僕の頼みを、シャーリーは呆れ顔になりながらも再び応えてくれた。