1 比企谷八幡という喰種
喰種。それは人と同じ外見をしていながら人を糧として生きる怪人。
彼らは人間と同じものは栄養にできず、口に入れれば酷く吐き気がする程の味がするという。
人間とは違う味覚を有する彼らが唯一口にして栄養に出来るのが人間と珈琲。
その他に彼らには専用の捕食器官である赫子と呼ばれるものが備わっており、それで人を襲い糧として人間社会に溶け込みながら生きていく。
そんな人を襲う喰種から対抗するため組織されたのが喰種専門の捜査官であるCCG。
喰種は並の兵器では傷付けられないため、喰種の赫包と呼ばれる臓器から作られた対喰種専用の武器を持って彼らに立ち向かっていく。
喰種とCCG捜査官の対立構造が複雑に絡み合った現代の東京で、自称ぼっちを貫いて他の喰種と行動もしない、かといってCCG捜査官を殺す訳でもない一人の喰種がいた。
*****
「あれ?比企谷先輩じゃないっすか! 何してるんですか?」
「あ? 永近か。見ての通り、珈琲を片手に読書してるだけだぞ」
本を閉じて顔を見上げる。
東京にある上井大学に通い始めて二年が経過した。
総武校をなんとか無事に卒業した俺はその後、上井大学では高校の頃の過ちを冒して喰種の疑いをかけられないようにするため、率先して人間関係を作ることは無かった。
高校を卒業して二年が経過した今でも雪ノ下との恋人関係は続いているが、卒業して以来会っていない。なので基本的には高校で奉仕部に入る前の時のようにぼっちを貫いてると言ってもいいかもしれない。
そんな俺に大学内で知り合った一つ下の後輩。それが永近英良だった。永近と知り合ってからは、俺がこうして大学の敷地内で珈琲を片手に読書していれば話しかけてくる。
そしてもう一人、俺が個人的に目にかける後輩が一人いる。その彼の紹介により永近と俺は知り合う事となった。
「ヒデ、比企谷先輩といたんだ」
「お? カネキか。お前今日もあんていくでバイトか?」
「うん、この後の夕方からだからもう行くね」
「おう、頑張れよ! んじゃ、俺行くわ」
一人、眼帯をつけた男子が永近にそう挨拶をすると、永近はゼミがあるからか軽快な足取りで去っていく。
眼帯をつけた彼の名前は金木研。永近と小学生の頃から友人付き合いを築いている彼は、とある一件によってリゼの臓器を移植されて人間から喰種になってしまった悲劇の人物。
俺があんていくに通い詰めてる時に金木研とは知り合った。その時に話を聞けばそういう事情があったらしく、大学も一緒と言うことなので何かと俺が世話を焼いていた。
「あー、カネキ。あんていくに行く前に、ちょっといいか」
「はい、なんですか?」
「大学内で話すことでもないし、歩きながらでいいから」
俺がそう声をかければ、カネキは後ろを歩いて付いてくる。
大学を出て、他愛もない話を交わしながら賑わいを見せる街中を歩いていく。歩きながらも周りに目を配り、白鳩が周りにいないことを確認してから人の目を気にしつつ俺は本題を切り出す。
「お前、あれから食事したか?」
「いえ、まだ…抵抗があるので……」
「……ま、気持ちは分からんでもないが、そろそろ腹決めて食え。じゃないとお前、永近に手をかけてもおかしくないからな」
「……はい」
詳細に話して人間に聞かれれば街中は騒ぎになるので、ある程度言葉を選んで話していく。
言葉を選んで話すのも中々面倒だが、喰種はそうして暮らしていかなければ人間社会に溶け込めない。だからこそ人間が羨ましいと思うのだろう。
手頃な他の喰種がいない事を匂いで確認してからわざと路地裏に入って、人の気配が消えたのを確認してから立ち止まる。
「ま、俺がこう言って腹決めて食えるんなら世話ないわな。それなら、一つだけ提案出来ることはまだある」
「でも、喰種は人と珈琲以外はダメなんじゃ……」
「そうだ。お前もなんとなく想像はついてんだろ? 共食いすればいい」
「共食いって……喰種を食べるってことですか?」
「そうだ。俺なんかは普段からしてる事だ。だから今すぐ食えって訳じゃないが、選択肢の一つとして考えておけ。まあ、喰種の肉は美味くないけど人を食うよりまだ罪悪感はマシだ」
「はい、ありがとうございます」
「話は終わりだ。お前これからバイトだろ? 頑張れよ」
これで食事に困ることなく過ごしてもらえれば良しだが、まだ喰種なりたての身では厳しいだろう。でもこの先、慣れていけばきっと彼ならその選択肢を取るだろう。言わなくても気付いたかもしれないが、念の為にという言葉もある。
話を切り上げてから路地裏を出てカネキをあんていくの前まで送った後、俺はそのままの足で20区を出た。
*******
「エト、話ってなんだ」
「来たね、比企谷くん。私からの話なんて、君は薄々分かっているんだろ?」
20区を出てから少し経った頃。話があると言われ廃墟の中に入れば、全身を包帯で巻いてローブに身を包んだ喰種が立っていた。
「またあの話か。俺じゃ有馬貴将は殺れないから諦めろって何度も言ってるはずだが」
「でも君、共食い始めてからもう結構経ってるんだし、いい線いけると思うんだけど」
「何度も言うようだが、俺は人殺しはしない。……例え白鳩であろうとな」
「こちらも薄々分かっていた返事だけど、こうも想定していた通りだと困ったものだね」
「隻眼の王の椅子、ねえ……」
「私としては君がその椅子に座ってくれるなら何も言うことはないんだけどね。同じ隻眼のよしみだろう? 頼むよ」
「はっ、馬鹿言ってんじゃねえよ。俺とお前がいつそんな仲になったよ」
エトと知り合ってから二年ぐらい経つが、俺とこいつは友人という訳では無い。
ただ同じ隻眼だから、というだけでそれ以上の付き合いはない。こうして話と言って呼び出されて付きまとわれることはあるけれども。
隻眼の王になれと会う度に言われては断っているのだが、中々折れない。そんなに計画とやらが大事なのだろうか。その大事な計画とやらの概要を知らないし、知りたくもないけど。
「それじゃあ、無理矢理にでも連れていくけど、構わないかな?」
「やれるもんならやってみろ。お前じゃ俺には勝てねえよ」
大見栄張ってから右目を赤黒く染めれば相手も右目を赤黒く染めて赫子を出す。
俺は六本の鱗赫だけだが、あちらは違うようだ。身体に赫子を張り巡らせて、図体が数倍の大きさにまで膨れ上がっていく。
「相変わらず趣味が悪いな、それ」
「ケタケタケタ、君に言われたくないね」
その図体からは想像がつかない速度で俺に詰め寄って右の羽赫で俺に切りかかってくる。
それを鱗赫四本で受け止めるものの、身体が押されて少し後退る。そのまま押し切られないようにするため、余った二本のうちの一本の触手で俺の後ろの床に刺して押し留める。
なんとか受け止める体勢を作れたので余った最後の一本の鱗赫でエトの右から叩きに行く。
しかし、それを分かっていたかのようにエトは後ろに飛び退いて躱す。
後ろに飛び退いた勢いでグッとタメを作って羽赫で棘を発射させて攻撃。溜めた力をそのまま解放してから俺に距離を詰めてくる。
「相変わらずその図体でよく動けるな、テメェは」
「あんよがじょーず、あんよがじょーず」
こいつの攻撃を止めるのも一苦労なので走って逃走を計るが、後ろをピッタリとついてきている。
「ストーカーかよ、めんどくせぇなこの野郎!」
「ほらほら、逃げるなよ。私に勝てるんだろ?」
勝てるのは間違いないのだが、それは俺も赫者化すればの話。しかし、俺の赫者化はまだ意識が安定しないので飲み込まれる可能性がある。だからこそ出来ればやりたくない一手だった。
そうなると選択肢はもう逃げに回るしかないのでこうして走っているが、突き放せる気配がない。
「っのやろ!」
完全なる赫者化は流石に意識が安定しないが、半赫者ならなんとかなると信じて赫子を更に出していく。顔が仮面に覆われたように付き、身体のあちこちに中途半端に赫子がまとわりついていく。
その中途半端な姿を見て、エトはケタケタと笑う。
「やっと少しは本気になったかい?」
「はぁ、はぁ、ちょっとだけだ。これ以上は俺がもたねえんだよ」
「理性の化け物がよく言うね」
右腕をこちらに振ってきたのでそれをしゃがんで交わしながら腰にある触手で横薙ぎをすると、ようやく一発だけエトに当たり、身体が少しだけ浮き上がる。
その浮き上がった隙に後ろを向いてから全力疾走をして俺は廃墟から逃走した。
「ちぇ、また逃げられちゃった」
「エト、比企谷はどうした」
「タタラさんか。見ての通り、私が一発貰った隙に逃げられちゃったよ。相変わらず逃げ足が早いね、彼は」
「あいつにはもっと強くなってもらう必要がある」
「そうだね、有馬貴将を殺せる喰種は彼しかいないだろうしね」
比企谷が去った後の戦いの後で半壊した廃墟の中でエトは不敵に笑う。
「さ、白鳩が来ないうちに撤退しよう。また会いに行くからね、比企谷くん」