僕の後ろをトーカちゃんが着いてくるように歩いている。
携帯で海浜総合高校の場所は確認したし、学校の住所をマップに入れてルートは出ているから迷うことは無いはず。千葉県に来たことが全くないというわけではないけれど、住宅街を歩いたとかそういう訳ではなくて、ディスティニーランドに行ったから来たことがあるぐらい。それ以外で千葉県に訪れたことは無い。
そう考えると比企谷先輩の地元であるこの辺りを歩くのはとても新鮮で、不思議とワクワクした気持ちが込み上げてくる。
「アンタ……なんかソワソワしてる?」
「そう見えた? それなら、この辺に来るのが初めてだからワクワクしてるからかな」
「ふーん……」
トーカちゃんが話しかけてきたかと思えばすぐに興味無さそうに返事をして再び黙る。そしてまた僕とトーカちゃんの間に静寂が訪れる。先程からずっとこの繰り返し。
暫く歩いていると学校の校舎らしきものが見えてきて、校門が見えた。
建物は真新しくつい最近出来たというぐらいに綺麗で、一件大学に見えなくもない造りをしている。
「ここが海浜総合高校……」
「綺麗な学校。うちの学校とは大違い」
思わず言葉を洩らすと、後ろでトーカちゃんも校舎を見てその綺麗さに驚いているようだった。
「三つの学校が合併して出来た新設校らしいよ。ネットに書いてあったし間違いないと思う」
「なんつーか……綺麗すぎて落ち着かない。大学みたい」
「とりあえずこの辺歩いてみようか。比企谷先輩の知り合いがもしかしたらいるかもしれないし」
「アンタに言われなくてもそれくらい分かるっての」
僕がそう提案すると、トーカちゃんはさっさと店が立ち並ぶ方に歩いていってしまう。それを追いかけて僕も歩き出した。
それからまたしばらく歩いていくと、ららぽーとがあると分かってららぽーとの中に入っていくと、人がかなりの賑わいを見せていた。
「ねえ……この中から比企谷さん探すとか無理じゃないの?」
「なんか……僕もそう思えてきたよ……。ははは……」
ららぽーとの中はだいぶ広いらしくかなりの人がいるが、この中から比企谷先輩を探すのは困難と言える。トーカちゃんもそう思ったのか、困った様子で周囲を見渡していた。
「そこの貴方達、少しいいかしら」
若い女性の人に後ろから話しかけられたので振り返ってみれば、艶が良い長い黒髪に透き通る肌で周囲の視線を釘付けにするぐらい綺麗な人が立っていた。
その容姿に思わず見惚れていると、トーカちゃんが後ろから不満気に僕のふくらはぎをつま先で蹴りつける。痛みを我慢してトーカちゃんを見れば、そんな女にデレデレしやがってみたいな目で私怒っていますという態度だった。そんな僕らのやり取りを見てた目の前の女性の人が苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「さっき貴方達が口にしていた比企谷、という名前の人なんだけれど……」
「比企谷先輩ですか?」
「ええ。もしかして、その人の名前は比企谷八幡ではないかと思ってね」
比企谷先輩の名前が相手から出てきてトーカちゃんと一緒に目を見開いてしまう。
どんな偶然だろうとなんでもいい。この人が比企谷先輩のことを知っているのなら、今は少しでも比企谷先輩に繋がる情報が欲しい。
そう思って僕が話しかけようとすると、トーカちゃんが間髪入れずに割り込んで関係性を問い質していた。
「彼との関係性ね。彼と私は恋人関係を築かせて貰っているわ」
「比企谷さんの彼女……?」
「ええ。申し遅れたけれど、私の名前は雪ノ下雪乃。彼の同級生であり、彼と高校時代から仲良くさせてもらってるわ」
雪ノ下雪乃さんと比企谷先輩の関係性を聞いてとても驚く。
比企谷先輩は自分のことを全然話さない人で、大学やあんていくでし会わないから恋人がいるとは聞いたことがなかった。
「最も、高校を卒業してから彼とは一度も会っていないけれど」
「一度も……?」
「なんなら今通っている大学さえも知らないわ。彼、何処に通うかも教えてくれなかったから」
トーカちゃんと僕だけはその理由が分かってしまう。何故なら、比企谷先輩が喰種だと知っているから。半喰種も立派な喰種だから、比企谷先輩と恋人関係を築いている雪ノ下先輩は喰種対策法に引っかかってしまう。だからこそ誰よりも優しい比企谷先輩は恋人である雪ノ下先輩の前から姿を消したんだ。例え心配をかけることになろうとも恋人を巻き込みたくないから。
「ここで話すのも周囲の目が気になるし、何処かに移動しましょうか。貴方達、比企谷くんの後輩?」
「は、はい」
「それなら心配いらないわね。私の家に行きましょう」
そう言って雪ノ下先輩は僕とトーカちゃんを連れてららぽーとから出て歩き出す。
いくら比企谷先輩の後輩だからって初対面の相手を自分の家にあげるのは些か不用心ではないだろうか。僕とトーカちゃんがそうだが、この世界には喰種もいる。少し考えれば分かることのはずなのに雪ノ下先輩の決断に迷いはなかった。その決断だけで、この人がどれだけ比企谷先輩の事を信頼しているのかがこれだけで分かってしまう。
歩くこと数十分が経った頃。僕とトーカちゃんは雪ノ下先輩の案内で雪ノ下先輩の自宅である高級マンションに来ていた。雪ノ下先輩は比企谷先輩と同級生という事なので、親がお金持ちなのだろう。でなければ一介の学生がこんな高級マンションに住めるわけもなし。
オートロックに番号を打ち込んでドアを開けてエレベーターに乗り込む。目的の階層に着いてから少し歩くと、雪ノ下先輩は角の部屋の前で止まって、持っていた鍵でロックを開けて僕らを中に入れてくれた。
部屋の中はとても片付いていながらも、仄かに珈琲の匂いが部屋に立ち込めていた。
「雪ノ下先輩、珈琲飲むんですね」
「ええ、比企谷くんがよく珈琲を飲んでいたから。彼、あまり紅茶とか飲まなかったし必然的に私が出す飲み物も珈琲になっていて気付けば、って感じね。荷物を部屋に置いてくるからリビングで寛いでいて頂戴。すぐに行くわ」
そう促されたので僕とトーカちゃんはテーブルが置かれている傍のソファに座る。周囲を見渡してもあまり物は置かれていなくて、見た目や話し方から微かに感じるお嬢様という雰囲気そのままだった。
「なんか……落ち着かないね」
「そりゃあ初めて会った人の家なんだから当たり前でしょ。ていうかアンタ、もしかして女の部屋上がったことないの?」
「まあ……そういう縁もなかったしね……。あはは……」
僕が苦笑いを浮かべればトーカちゃんは溜め息をついてもっとシャキッとしろと僕に注意をする。
僕とトーカちゃんがそんなやり取りを繰り広げてすぐにリビングの扉が音を立てて開いて雪ノ下先輩が入ってきた。
「お待たせしてごめんなさい。すぐに飲み物淹れるわ。生憎と今日はお客さん用の紅茶を切らしているから珈琲でもいいかしら?」
「は、はい。大丈夫です。ね? トーカちゃん」
「まあ……はい。珈琲でお願いします」
僕とトーカちゃんはお互いに紅茶を出されなかったことに内心安堵する。僕らは喰種だから紅茶を出されても美味しく飲めないから。
雪ノ下先輩がキッチンで珈琲を淹れてくれているので、部屋の中には先程より珈琲の良い香りが立ち篭める。
珈琲を淹れ終わると雪ノ下先輩はお盆に自分の分を含めた三人分の珈琲をテーブルに持ってきて置いたので、僕とトーカちゃんはカップを受け取ってから一口飲んだ。
口の中に入った珈琲はとても香り高くて、その芳醇な味わいに思わず舌が唸る。
「さて、貴方達と私でそれぞれ比企谷くんについて聞きたい事があるでしょう。まずは、貴方達と比企谷くんの関係性について詳しく聞きましょうか」
「それなら僕が話します」
「その前に一つだけ……聞いてもいいかしら?」
「はい、なんですか?」
「貴方達、もしかしなくても喰種だったりするかしら?」
雪ノ下先輩から言い渡されたその言葉に僕とトーカちゃんは目を見開いて驚く。
一瞬トーカちゃんが雪ノ下先輩に噛み付こうとしていたけど、僕がなんとか宥めるとトーカちゃんは相手が比企谷先輩の恋人であることを思い出して踏みとどまった。
僕とトーカちゃんの様子を見て雪ノ下先輩は安心したのか一息ついてから話し出す。
「先程からそわそわしていたからというのもあるけれど、私が珈琲でいいか聞いた時に安堵していたように見えたものだから……。もしかしてと思って聞いたけれど当たっていたようね」
「もし……今ので自分が襲われたらどうするつもりだったの」
雪ノ下先輩の言葉にトーカちゃんが若干苛ついた言葉を投げかけると、雪ノ下先輩はすぐに切り返してきた。
「そこは少し怖かったけれど、あまり心配していないわ。だって、貴方達は比企谷くんの後輩なのでしょう? 彼がそんな教え方するとは思えないもの」
「それはつまり……雪ノ下先輩は比企谷先輩が……」
「ええ。彼は私に本当のことを話さなかったけれど、彼が喰種であることくらい知っているわ。でなければ、卒業と同時に姿を消したことの説明がつかないもの」
強い人だ。雪ノ下先輩に抱いた印象はそんな一言で表せるほどで、どれだけ比企谷先輩を信じているのかが分かる言葉だった。
高校を卒業してから一度も顔を見せに来ないと普通の人は捨てられたと思うだろう。でも雪ノ下先輩は比企谷先輩の事をずっとここで待っているんだ。いつかまた比企谷先輩がこの場所に帰ってくると信じて。
「とにかく、驚かせてしまったことについてはごめんなさい。以前、はっきりと言葉にしないで痛い思いをした事があったから……」
「いえ、いいんです。僕とトーカちゃんも驚いてしまっただけですから」
「それなら良かったわ。それで、私に聞きたい事があるのではなくて?」
「はい。実は……」
そして僕はトーカちゃんの代わりに雪ノ下先輩に話し出した。上井大学で僕と比企谷先輩は知り合ったことから始まり、僕とトーカちゃんがあんていくで働いていて比企谷先輩はそこの常連客であること。そして……比企谷先輩が行方不明になってしまったこと。比企谷先輩があんていくに初めて来た時に茶髪の女性の人と来たことがあるらしいこと。その茶髪の女性という手がかりだけを頼りに比企谷先輩の高校時代の知り合いに会おうと探していたこと。その時にあったのが、雪ノ下先輩だったということを。
僕が話すことにトーカちゃんが補足を交えながらも全てを話した。僕が話している間、雪ノ下先輩は黙って聞いていて口を開いたのは全てを話し終えてからだった。
「そう……。彼、行方不明になっているのね……。全く……本当に周囲の人を心配にさせるようなことばかり。高校時代からちっとも変わっていないわね」
「そうなんですか?」
「そうね。貴方達も分かると思うけれど、彼、捻くれ者だから。周りの人を巻き込まないようにいつも自分から遠ざかっていく。高校を卒業してからもそう。今もそう。そういう人なのよ、比企谷くんは」
高校時代の事を思い出しているのか、雪ノ下先輩の語りはとても懐かしそうに見えた。
「茶髪の女性に関しては特徴を聞いたから分かるわ。折本さんね。折本かおりさん」
「折本さん……? 比企谷先輩とはどういったご関係なんですか?」
「比企谷くんと折本さんは中学時代のクラスメイトで、比企谷くんの初恋の相手と記憶しているわ。高校二年生の頃に再会したようなのだけれど、蟠りも解けて今では友人関係を築いている。それが比企谷くんと折本さんの関係。折本さんの性格上、多分比企谷くんとたまたま会ってあんていくというお店に来たのだと思うわ」
比企谷先輩と折本さんの関係を話してから、それだけの推察を雪ノ下先輩は見せてくれた。
「その折本さんは今何をしてるかとかは……」
「そこまでは分からない。けれど、今回の一件と折本さんは無関係だと思うわ。それだけは分かる」
「どうしてそこまで言いきれるんですか?」
トーカちゃんが折本さんについて訊くと、雪ノ下先輩は珈琲を飲みながら折本さんは無関係だと語り、トーカちゃんがそれに突っかかる。
「折本さんとは面識もほとんどないけれど……。そうね……女の勘よ。霧嶋董香さんだったかしら? 貴女もそう思うのではなくて?」
それを聞いてトーカちゃんも黙ってしまった。女の勘って怖いな。
それに、と雪ノ下先輩はまだ続きを話すようにまた話を続けた。
「彼、リスクリターンの計算に関しては凄い人だから、本当に何かあったんだと思うわ。比企谷くんは喰種なのだから例えば……喰種捜査官に追い詰められて逃げれる隙がなく、重傷を負ってしまった……とか」
「比企谷さんは並大抵の白鳩なんかに負けるような人じゃないですよ」
「それなら、相手がそれだけ強かったとかならどうかしら? 喰種としての彼を見たことがないから詳しい所までは分からないけれど、もし戦って重傷を負いながらも逃げ出せたとしましょうか。彼は傷を治そうとすると思うのよ。それでも行方不明になるということは……誰かに比企谷くんを連れ去られたとか? 結構いい線いってると思うのだけれど」
比企谷先輩はあんていくの珈琲が好きで毎日飲みに来るような人だ。そんな人がいきなりあんていくに顔を出さなくなるのははっきり言っておかしい。
比企谷先輩がリョーコさんを助けた次の日の話。比企谷先輩は店長に特等捜査官が来るかもしれないから気をつけるように言われていた。その次の日から比企谷先輩は顔を見せなくなった。これを雪ノ下先輩の推察と繋げると、比企谷先輩があんていくに訪れなくなった理由に説明がついてしまう。
それでも一つ気になることがあったので、僕は雪ノ下先輩に質問を投げかける。
「雪ノ下先輩はどうしてそんなに喰種に詳しいんですか? 雪ノ下先輩って喰種じゃないですよね?」
「それは……私の姉が喰種捜査官だからよ。私の姉が心配して喰種についてあれこれと私に教えてくれるものだから自然と……という感じね」
だからこんなに詳しいのかと納得した。けど、比企谷先輩がいなくなった理由はこれで分かった。不思議と納得出来るほどに辻褄が合っているからかもしれないけど、もしかしたら違うということも頭の片隅に入れておくことにした。
僕は比企谷先輩と雪ノ下先輩のお姉さんの関係も気になってそれについても問い質してみた。
「比企谷先輩と雪ノ下先輩のお姉さんの関係も聞いていいですか?」
「構わないわ。比企谷くんは姉さんのこと嫌いなようだけれど、姉さんはやけに比企谷くんを気に入っていたわね。比企谷くんがいなくなってからは私にばかりちょっかいを出しているけれどね」
「なるほど……お姉さん、雪ノ下先輩のこと好きなんですね」
「あの人に好かれても嬉しくないわ。こちらが疲れるだけだもの。自分も捜査官になって忙しいはずなのに週末はいつも家に来てからかって……それでも最近は忙しいのか来てないのよね」
「来てない……?」
「ええ。多分忙しくなっただけだと思うのだけれど、連絡も寄越さなくなってしまったのよ。全く何を考えているのやら……」
なんだかんだと言いながらも雪ノ下先輩もお姉さんの心配をしているあたりはちゃんと姉のことが好きなのだろう。
結構話し込んでしまっていたのか、気付けば三時前の時間。時計を見て雪ノ下先輩は何かを思い出したようで。
「随分と話し込んでしまってたのね。ごめんなさい、この後予定があるから話はこの辺でいいかしら?」
「は、はい! お話ありがとうございました!」
トーカちゃんが珈琲を飲み干してから立ち上がると玄関に向かうので僕も急いで珈琲を流し込んでから荷物を持って玄関に向かう。雪ノ下先輩はそんな慌ただしくしている僕らを見送ろうと玄関まで付き添ってくれる。靴を履いたところでメモを一枚取り出してそれを僕とトーカちゃんに渡してきた。
「これ、私の連絡先だから……また何かあったら連絡して頂戴。力になれるかは分からないけれど……」
「いえ、ありがとうございます。お邪魔しました」
「ええ。帰り気をつけて」
雪ノ下先輩の家を出てマンションのホールまで着くと、トーカちゃんが凝り固まった身体を解すように身体を伸ばしていた。
「なんか……私あの人苦手」
「トーカちゃんとは確かにソリが合わないかもね」
駅に向かう最中で僕は一つ気になったことを思い出した。それは雪ノ下先輩に聞いたお姉さんが急に来なくなった話。捜査官だからたまたまと言われてしまえばそれまでだけど、忙しくても週末になれば必ず帰ってくるような人が突然連絡もなしに帰らなくなるのだろうか。
何か引っかかるのに解けないモヤモヤとした気持ちを抱えながら僕はトーカちゃんの後ろを歩いて千葉を後にした。