短いよ
エルフとは、どの様にしてエルフ足り得るか。
それは長寿であるとか、麗しい容姿であるとか、そんな事ではない。
いや、人や魔から我々、エルフを定義するのであればそれは根幹を成す事なのかもしれないが。
我々自身は我々の事をどう定義しているか。それ即ち、エルフとは自然との共存者。声を聴くもの。心を通わせる者。
そう考えると、私はエルフでも無ければ人でも魔でもない。半端者である。
なにせ、どういうわけだか、私は自然の力、精霊術を半端にしか使えないのだから。
上から覗く木漏れ日は殆どその姿を現さなくなり、鬱蒼と茂る木々と蔦はいよいよもって彼の行くべき道を困難にしていた。
騎士の家に生まれ落ちながら、剣術の才を持たぬ次男坊。
いくら努力をしても上の兄へと追い縋ることも出来ず、寧ろ弟にはせっつかれる一方。
今朝、遂に剣術歴一年の弟にあっさりと敗北を喫したばかり。そんな彼、グジャ=トクは最早頼れるのは謎に包まれたエルフの術のみと、剣すら放り捨て、噂のみを頼りに森までやってきた。
いや、剣すら捨てた彼は自暴自棄であったと言った方が正しいのかもしれない。
弟に剣を弾き飛ばされ、流れるように喉元に剣を突きつけられた瞬間の、失望一色に染まった父の目。
それは、彼を館から飛び出させるのに十分な動機であった。館から離れて暫く、漸く彼は荒れ狂う嵐のような恥をなんとか鎮火させ、代わりにエルフの力を借りると無理やり自身に言い聞かせてここにきたのだ。
家に戻る決断、つまり己の欠ける所をそうとして受け止めることも出来ずに、単なる言い訳に過ぎない理由を垂れ流す。かといって、何も得ずに不貞腐れて歩き廻るのは騎士家の子としてのなけなしの矜持が許さない。故の暴走とも言える行動であった。
今現在、グジャの裡を覗くとするのなら、其処には歪な情動の揺れが見て取れるだろう。
足で踏みならされた白と茶を足したような地面は、その身を奥に行くにつれ更に狭めていた。
無理に木々の隙間を通ろうとして身をよじる地とそれさえも覆い隠してしまいそうな草木の様は、彼に根源的な恐怖を与えていた。自然に対する恐れ。
しかしそれは同時に彼に希望を与えるものでもあった。
なにせ、このように人の手の跡が搔き消え始めた空間こそが、エルフと人間の領域、彼我を区切る境界であると伝え聞いているからだ。
彼はエルフと遭遇を果たした後の事は考えていない。
騎士としての矜持と、恥を雪ぐという意思、それらがもたらした焦りはエルフとの邂逅をこそ終着点としてしまっていた。
エルフに会えば、後は己をなんとかしてくれる。精霊の術は己を強くしてくれる。最早そうした超常的な助けをしんじなくば、彼を騎士足らしめている、根幹とも言うべき部分がぐずぐずと崩壊してしまうことは想像に難くなかった。
彼は努力を怠らなかった。たとえ幾ら血豆が出来ようとも剣を握らなかった日はなかったし、熱病にうなされようと、嘔吐を繰り返そうと走り込みを欠かさなかった。しかしその努力はこれまで一切肯定される事はなく、終ぞその肯定を超常へと任せてしまう程に彼は壊れてしまったのだ。
そうして、幸いなことに、エルフはいた。人の痕跡の掻き消えが見られる地。グジャから見て正面に20歩ほど進んだ所にある木の太枝に脚を絡めて、じっとりと彼を睨んでいた。
「これ以上近づけば、おまえの身体には無数の矢創ができると思え」
それは、虫すらも音を立てない静謐な境界に突如響き渡った。
瞬間、グジャの足元に矢がささる。思わず後ずさりしてしまいそうになるが、彼はそれを押しとどめるように背筋をのばし大きく息を吸う。
矢飾りから辿り奥の方を睨むように見ると、終ぞエルフらしきものの姿が見えた。新緑色をした服を着て、こちら側を伺っている。
その時、グジャは瞬間的にではあるが騎士としての誇りやそこから成る劣等感などを全て忘れていた。それは、エルフを初めて見たことによる驚きか、その種が纏う素朴でありながら決して貴さを失わぬような雰囲気の所為なのかは彼にも分からないところではあったが。
そして我に帰ると、吸った息を全て吐き出すように、頭を下げながら、一言グシャは言った。
「俺を強くしてくれ!頼む!」
「………はぁ?」
どれくらいの年月が経っただろうか。私はいつしか帰ることをやめていた。ここでの生活は不便であるが、里と大して変わりはない。
里の連中は、私とは違って自然との調和ができる。だからこそ自然の齎す不便をむしろ利としてみせた。
優れたものは自然へ命ずる事もできると言うのだから恐ろしい。私は弓を通してのみ、部分的に自然の力、精霊術を行使できるが、道具に頼っている私は半端者であるらしい。
両親のうちの片方は、人間がエルフに化けていたなんて噂は、子供の頃に散々に言われたものだった。とはいえ、実際は両親とも純血であり、それを聞かされたときは、喜びよりも何故か悲しみを覚えた。
つまるところ、私は血の定めからも外れた、突然湧いて出た変異なのだ。
理由もなく私は無能であるのだ。
そしてそれを聞いた夜、私は故郷を捨てた。
必ず精霊術を使えるようになる、これはそのための見聞を広げる旅だ。そう言い訳しながら私は逃げたのだ。
確かに研鑽は絶やさなかった。だがそれは謂わば逃避であり、何処かにあきらめがあった。
自分は決して万全な精霊術を使えない。確信じみた仄暗い思考は、いくら奥底に沈めようとも私について回った。
だから、何かを求めて私に追い縋った彼。逃げ出した彼。それが私と重なってしまった。
私が彼に師事される事を許した理由はそんなものだ。
そして、私は彼に執着してしまった。自覚はこれからおよそ3ヶ月後の事だ。
グジャがかのエルフ、名をレンカという、に師事して早くも一年が経とうとしていた。元々騎士家に生まれた以上、彼のプライドは途中で投げ出すという事を選ばなかった。最早森の外の世界で彼がどのように扱われているか、それは火を見るよりも明らかであった。今更戻ってしまった所で、この技能があるからなんだというのだ。結局は剣技や術を極めた所で、世の中の権力やそれに纏わるしがらみからは逃れることはできまい。この身一つで今更我が家に帰った所で、自身の元々あるようでなかった立場などとうに弟が埋めているだろうし、寧ろ厄介払いと思われている可能性が大きい。嫡男は、剣術を修めることはしても、決して争いには参加しない。致命的な怪我を負っては困るからだ。他家に教育の行き届いた様を見せる時、特に剣技などでは、次男がその役目を負う。その次男が一年前のあのざまでは、成る程その下の弟に役目を与えられるモノなら与えたいというのも肯ける。
そんな考えがひたひたと背筋を撫でながら、それから逃げるようにこの数ヶ月は修行をしていた。
正直、グシャはここでの生活で十分に満ち足りていた。しかし、それはあくまでグシャが本来受けるべき努力の成果や賞賛を得られたという側面だけであり、謂わば快楽的に満ち足りていたと言った方が正しいだろう。一方で、その裏に隠れて、元の自分の立場や、不安を抱えながら行う習慣化した修行で仮初に満たされている騎士としての矜持への疑問は、ふとした瞬間に襲いくる。そしてそれはまるで先程迄の明るさが嘘かのように彼を沈み込ませるのだ。
当然レンカはそれに気がついてはいた。しかし、長寿である彼女にとって、この期間は自身を尊重し、敬愛する存在ち執着をもつには十分ではあるが、決して満足などできる期間ではなかった。
つまるところレンカはグシャを騎士家に帰らせるつもりなど毛頭ないのだ。
一方で、彼女はグシャの顔に翳りを残すこともまた良しとしなかった。結果彼がとった行動は、完璧な嘘をつくことだった。『正式にグシャを預かる様に頼まれた』と。
そこからの行動は早かった。グシャの騎士家の蝋で封がされている書を、使者を襲って奪い取り、さも口利きして受け取ってきたかのように見せる。そして目の前で自分が読むとそれを燃やしてしまったのだ。
一人前にするまでは家族に未練を残さないようにするためだ、との言葉をグシャが疑うわけもなかった。元々家族に劣等感があり、得意ではないのだから、成る程これなら自身の立場も安泰で、騎士家にありながら修行もできると喜んだほどだ。
これはそんな少し阿呆な弟子と、少し執着深い女師匠の話である。