追記
空いた時間に少しずつ書き進めているので、定期投稿は出来ないと思いますが、ご容赦ください。
第一話 再会
彼女は眠っていた。本来なら決して目覚める事のない、深く冷たい眠りの中を彼女は、長い時をかけて大切な記憶と思い出を深い眠りに溶け出させながら、ゆらゆらと漂っていた。
いつの間にか彼女の意識だったものは、何度か訪れたことのある不思議な所に流れ着いた。曇天の空港ターミナルの様な所。分厚い雲を割るようにこちらを覗く、途方もなく巨大な爬虫類の瞳。
しばらくそこで呆けていると、声が話しかけて来た。
『やぁ、君か。』
男にも女にも、人ですら無いなにかにも聞こえる、その声。
『君にこうして会うのは久方ぶりだ。』
『そうだな。』
『ここ最近、君は随分と境界を彷徨っていたようだな。』
『……そうだな。』
聞き手がいるのが嬉しいのか、声は話すのをやめない。正直言って鬱陶しいのだが、放っておいてもしばらくはべらべらと話し続けるのは知っていたので、満足したらそのうち黙るだろうと諦めて、半分聞き流しながら適当に相槌をうっておく。
『そして己が何者なのか、君はもう忘れてしまっているのだろう。』
『……あぁ。』
急にどうしたんだコイツ、と思いながらも、彼女は肯定の返事を返す。事実、彼女は忘れていた。長い眠りの中で彼女は記憶を、思い出を、その殆どを拡散させてしまっていた。
『しかし今は、名前さえ思い出せれば十分だ。』
『……名前?』
自分の、私の、僕の、俺の……?
『さあ、ここに長く留まってはいけない。』
『君は元より私の客人ではない。ここに存在してはならないのだ。』
あぁ、と、彼女は悟った。自分はどうやら、本来目覚めるはずのない長い眠りから、目覚めるようだ。声の様子がいつもと違ったのはそのせいらしい。見送りに来たようだ。
『彼女には君が必要だ。』
『……彼女?』
失われたはずの記憶が、その一欠片が蘇る。夜の廃都市。崩れ掛けたビルの屋上に立つ、大きすぎるサイズの青いコートを着たコータスの少女。
あれは……
『誰だ……?』
『12月23日。』
彼女の呟きに答える事なく、声は続ける。
『この日が君にとって何を意味するのか、今は思い出せないだろう。』
『しかしそのままでは、君自身を危うくしてしまう。』
『……。』
彼女は何も言わなくなっていた。自分の名前、少女の名前、12月23日の意味。どれも、何も思い出せない。もどかしい。
『だが……。』
声が再び話し始めたその時、彼女は高い所に登って行くのを感じた。ちょうどエレベーターに乗っているときのような上昇感だ。
『君は思い出さねばならないのだ。』
声がどんどん遠くなっていく。眠りと言う名の水面がどんどん近づいてくる。目覚める直前、僅かに聞こえた声は、無関心の裏に少しばかりの危惧を混ぜ合わせたような、不思議な響きをしていた。
『さぁ、行ってくると良い。彼女を救いに。』
***
白い壁と天井の四角い無菌室の中。詰めれるだけ詰め込んだ医療機器と、その間を縫うようにして足早に行き交う何人かの医者に囲まれるように、一人のヴァルポの女が手術台に寝かされていた。口元には無理矢理酸素を肺に送り込む為の人工呼吸器のマスク、左右の腕にはそれぞれ、輸血と何かの薬品を投与する為の点滴が静脈に繋がっていて、他にも心電図モニターの電極やら、人工心肺装置のチューブやらがごちゃごちゃと繋がっている。
「……意識レベル300……」
「……体外循環開始……心停止液の注入完了……」
肺と心臓の機能が、外部の人工心肺装置に委ねられる。手術が始まるようだ。
医者の一人が、ヴァルポの左胸、肋骨の間にメスを走らせ、心臓に向かって肉を切り開いて行く。
「……急げ、時間がないぞ……。」
誰かが呟いた。人為的に心停止を起こし、外の機械に心臓と肺の機能を代行させる心臓手術は生体への負担が大きく、元より長時間続けられるような手術ではないし、ただでさえこのヴァルポの体はボロボロで、生命維持装置無しだとものの数時間でコロっと死んでしまうような状態なのだ。そう長くは持たせられない。
「……っ!体温低下!」
「落ち着け。ヘクサメタゾン20ccを静脈に注射。」
「はい!」
言った側からこれだ。一気に危険域まで下がりかけた体温を回復、維持させる為の薬品が注射される。どうにか体温が戻った所で、メスが心臓に届いた。
「鉗子を!」
数人の医者が協力して、刃の無い鋏のような道具で押さえたり挟んで引っ張ったりして切り開いた状態を維持する。
「状態安定してます。」
「よし、切除を開始する。バイタルの変動に注意。」
「了解。」
***
概ね順調に事が進んでいく手術室の前では、剣だの槍だのデカい盾だので武装した集団が、手術の結果を待ちながら辺りを警戒していた。
「……ごめんなさい……。」
閉ざされた手術室の扉の前で、誰かが言った。
「……また、苦しめる事になってしまって。」
深い罪悪感と悲しみに満ちた、まるで今にも割れてしまいそうな薄氷のような、その謝罪の声に答えるものはない。
「……ごめん、なさい……。」
床に光る何かが落ちて行き、小さな小さな水溜りを作った。
***
『……!』
誰かの声が聞こえる。初めて聞く、だが妙に懐かしく感じる誰かの声が、繰り返し何かを言っている。
『……クター!ドクター!』
どうやらドクターなる人物を呼んでいるらしい。「ドクターさん、呼んでますよー」とか何とか適当な事を言おうとするが、何故か口が動かない。
『……手を……!私……を……!』
手がどうとか聞こえると同時に、自分の左手(多分)を誰かが握った気がした。口と同じように、体全体が動こうとしない、つまり自分からさわりに行った訳では無いので、おそらくあちらから左手(多分)を握ったのだろう。あと、雰囲気的にどうやらドクターとは自分の事らしい(そんな名前だった覚えはないが)。
「私の手を握って!!」
一際大きな声と共に、左手を握る力がほんの少し強くなる。誰かさんは自分に手を握ってと言っているようだ。やれやれと思いながら、自分も左手に力を込める。何故か不思議な誰かさんの顔が無性に見たくて、それと同時に重い目蓋を意志の力でこじ開けつつ頭を少し持ち上げる。
何とか目蓋が薄目くらいに開いたその時、強烈な鈍痛が頭を襲った。
たまらず意識を手放す直前、自分の左手を握りしめる、今にも泣きそうな顔をしたコータスの少女が見えた気がした。
『緊急……。』
『……救……!』
『……った……!』
『……!』
***
「ドクター!ドクター!!」
薄暗い部屋の片隅で、一人のコータスの少女、アーミヤがストレッチャーに乗せられたヴァルポの女性に縋るように呼びかけている。だか反応はなく、返ってくるのは弱々しい息遣いと、心臓が動いている事を知らせる心電図モニターの電子音だけ。
呼ぶのをやめたアーミヤは代わりに、後ろで待機していた医療オペレーターの私、ソマリに問いかける。
「ソマリさん、ドクターは大丈夫なんですか?さっき、さっきドクターは……私の手を握ってくれたのに……。」
アーミヤの声が震える。溢れる寸前まで涙を湛えた瞳には、不安と焦燥の影が見える。
途方もない苦労と努力の果てに、ヴァルポの女性……、ドクターがここに収容されている事を突き止め、どうにかして施設に侵入し、やっとの思いで再会出来たと思ったら、当のドクターが(予想はしていたが)虫の息でベッドの住人と化していたのだ。手術は成功したものの、意識は以前として戻らない。そうなれば誰だって不安になる。
「どうして目を覚ましてくれないんですか……どうしたら……!」
「アーミヤさん!そんなに焦らないで、どうか冷静に!」
段々悲痛な叫びになっていくアーミヤの声を、何とか落ち着けようと遮る。
「あ……、ご、ごめんなさい……。」
「……もう!ドクターのことになると、まるで人が変わってしまうんですから……。」
私がアーミヤと知り合ったのはドクターが居なくなった後なのでドクターのことは良く知らない。アーミヤが時々水をこぼすようにぽつりぽつりと話してくれる思い出話と、作戦前のブリーフィングでしかドクターのことを知る機会は無かった。それでも、ドクターとの思い出を語る時の哀愁漂うアーミヤの表情と、ブリーフィング中にちらりと見えた固く握りしめられた拳から、アーミヤにとってドクターがどんな人だったのか、どんな思いで今回の作戦に臨んでいるのかは痛い程わかった。
しかし私はわかった上で、聞いて欲しくは無いだろうと思った上で、友人としてではなく、一人の医療オペレーターと言う名の部下としてアーミヤに真面目な声でこう質問した。
「……アーミヤさん。」
「……はい?」
「もし……、もし、ドクターがこのままだったら、どうするつもりですか?」
もし、ドクターがこのまま目覚めなかった場合は、今までの苦労と努力を全て捨て、事前に決められた通りにドクターを置いてここから脱出する覚悟はあるか、と。アーミヤの立場は、昔とは違う。非情な決断を迫られる事もある。その一歩を踏み出す勇気はあるか、と。
「……心の準備は……、出来ています。もしそうなったとしても、決められた通りにするだけです。」
全然準備が出来ているようには見えなかった。返ってきた答えこそYESだったが、その表情は最悪の未来を想像してくしゃりと歪み、場合によっては現場の指揮権を他の小隊長に移譲して自分は残る、なんて言い出しそうにも見える。
もう、この人は。ドクターが関係するとすぐこれなんだから。
「……わかりました。では、その通りに。」
全くもうこの人は、と思いながらため息まじりにそう答えると、暗くなった雰囲気を払拭する為、アーミヤを元気付ける為にわざと明るい口調で話しかける。悔しいけど、今の私がしてあげられるのはこれくらいしかないから……。
「でもひとまずは安心です。手術は成功しましたし、容態も落ち着いていますから。」
「えぇ、そうですね……。」
「……念の為、もう一度再検査をしてみます。お任せください!」
「……はい、よろしくお願いします。」
気を遣われているのがわかったのだろう。無理に作った笑顔が痛々しくて見ていられず、逃げるように医療機器に視線を移した。
「……はい、呼吸はまだ微弱ですが、血圧は正常範囲内。筋肉量がかなり減ってしまっていますが、動けない程ではないはずです。あとは意識が戻るかどうか……」
私が言い終わる直前、後ろのストレッチャーからゲホゲホと咳き込む声がした。
一拍おいて、私と私の後ろからモニターを覗き込んでいたアーミヤが勢いよく振り向く。
ストレッチャーの上には、咳が落ち着いたのかゼェゼェ荒い息をするドクターの姿があった。
「……っ!」
「……目を……覚まし……た?」
「ドクター……?」
アーミヤがふら、と歩み寄りストレッチャーの少し手前で立ち止まる。まるで、近づいたらまた眠ってしまうのではないか、今度こそ本当に失ってしまうのではないかと恐れるように。
「アーミヤさん!成功です!ドクターが目覚めました!!」
「良かった……本当に良かった……ドクター……。」
「あっ、まだ動いちゃ……。」
ドクターが体を起こそうとするが、どこか痛いのか不意に顔をしかめて不安定な姿勢で動きを止める。私とアーミヤが慌てて駆け寄り、上体を支えてあげながらゆっくりと押し戻す。手術が終わったばかりの患者に、そうホイホイと動き回られては困るのだ(まぁ、これからドクターを連れてここから脱出しなければならないわけだが……)。
「安静にしていてください。まだ身体が完全に安定したわけではありません。」
「ドクター……!」
アーミヤがドクターの手を取ろうとする。瞳に溜まっていた涙がついに溢れる。
アーミヤが、私の雇い主であり友人でもあるアーミヤがずっとずっと待ち望んでいた再会なのだ。正直、そんな事をしている暇などないのだが少しくらい好きにさせてあげてもいいだろう。
そう思って、すっと後ろに下がろうとした私と子供のように泣き出す寸前のアーミヤをドクターの放った一言が凍りつかせた。
「お前は……」
私にとっては初めて、アーミヤにとっては久しぶりに聞くドクターの声は、少し落ち着いた綺麗なアルトで。
疑うでも、警戒するでもなく、ただ純粋な疑問を言葉にして発しているように聞こえた。
「誰だ……?」
俯いたアーミヤの表情は、私からは見えなかった。
***