追記
自分でも気づいたところは(こっそり)直していますが、誤字、脱字等ありましたらご報告の方宜しくお願い致します。
***
昔のドクターは、無口で無表情で無感情な生粋の研究者だった。ケルシー先生もあまり感情を表に出す方ではなかったが、ドクターはさらにその上を行く無感情っぷりで、笑っているところは愚か楽しんでいるところも悲しんでいるところも怒っているところも見たことがなかった。
外出する時と実験を行う時以外はいつも、パソコンのキーボードに片手を置いてコーヒーを啜りながら(カフェインの取り過ぎだ、とケルシー先生にいつも怒られていた)長くてふわふわした尻尾をゆさゆさと振っていて、幼い頃の私はそんなドクターの尻尾にじゃれつくのが好きだった。
大きくなってからは流石に自重したが、どうしても泣くのが耐えられない時はドクターの部屋に行って泣かせてもらっていた。ドクターはそんな私に目もくれず、幼い頃と同じようにコートのポケットからキャンディを数個取り出すと何も言わずに渡してくれた。
今思えば早く泣き止んで出て行って欲しかっただけのような気もするが、私はそれがとても嬉しくて。
ドクターの意識が戻った時、色あせた数々の記憶に色彩が戻って行く気がした。
それと同時に、少し怖くなった。チェルノボーグの中枢部に囚われているドクターを見つけ出し、一緒に追手から逃れて脱出する。そんなに上手く行くものだろうか。もしかしたらこれは、ドクターを取り戻したいという私の心が見せている幻覚ではないのだろうか。今までの苦労も努力も全て夢で、目覚めたらドクターを失ったあの日に逆戻りしてしまうのではないか。
急にドクターが体を起こそうとしたので、私とソマリさんが慌ててストレッチャーに押し戻す。その時触れたドクターの体は折れてしまいそうな程に痩せ細っていて、でも確かに触れられて。あったかくて。
「ドクター……!」
ドクターに両手を伸ばす。せめてソマリさんの前では流すまいと我慢していた涙が溢れる。ドクターが目覚めた以上すぐにでもここから脱出しなければならないのだが、そんな事は頭の中から吹き飛んでいた。ドクターの着ている手術衣には当然渡してくれるキャンディもそれを入れるポケットも無いが、それでもいい。子供のように泣きじゃくる私の側に、ただ居てくれればそれでいい。
ただ、それだけだったのに。
あと少しで、あの頃のドクターを取り戻せたのに。
「お前は……」
久しぶりに聞くドクターの声は、口調こそ以前の敬語一辺倒とは違ったものの昔と変わらない綺麗なアルトで。
これ以上無い程残酷かつ明確に、私へ現実を突きつけた。
「誰だ……?」
一度失ったものを都合良く取り戻せる程、世界は甘く出来ていない。
***
起きたら、さっき俺の左手を握り締めていた見知らぬ少女がいた。初対面の筈なのに何故か見た事のある様な気がするその少女に取り敢えず名前を聞いてみたら、絶句された。まさか名前を聞いただけで涙を浮かべながら凝視されるとは思っていなかった俺も思わず黙ってしまい、重苦しい沈黙が部屋に降りる。
「えっ……、ドクター……、私、は……。」
よっぽど名前を聞かれたくなかったのだろうか。途切れ途切れに聞こえる少女の呟きで我に返った俺は、取り敢えず謝っとけ精神で口を開こうとするが、その前に少女が再び話し出した。
「……私は、アーミヤといいます。」
袖で涙を拭った少女が名乗った名前は、アーミヤ。なんか無理矢理言わせたみたいで罪悪感に駆られるが、同時に何か納得している自分がいた。この少女の名前は、アーミヤ。パズルの最後のピースの様に、俺の中でカポっと嵌っていった。
「あなたを助けに来ました。」
「俺を……?」
そう言って、ふと違和感に気付いた。
俺、俺、俺。……俺?俺って誰だ?自分の名前が……わからない?それどころか、こうして目覚める以前の記憶がほとんど無い。どういう事だ?
「……俺は……?」
「あなたは……。」
どうやら、アーミヤという名前の少女は俺の事を知っているようだ。でも何故だ?初めて会ったはずなのに。
「あなたは、私たち「ロドス」の一員です。」
ロドス?なんだそれ?
「Dr.レーナ。あなたは私にとって一番大切な仲間なんです。」
レーナ。アーミヤが口にしたそれが、俺の名前らしい。聞いた覚えはなかったが、記憶の殆どを忘れてしまった(知らない、と言った方がしっくりくるが)今は、アーミヤの言葉しか情報源がない。取り敢えずレーナという事にしておこう。名前無いと不便そうだし。
「思い……出せませんか?」
「……。」
さっき名前を聞いた時、アーミヤが絶句した理由が何となくわかった。どうやら俺、もといレーナとアーミヤはかなり親しい仲、それこそ姉妹の様な仲で、何者かに捕まった(助けに来たって言ってたし)俺を助け出して今に至る、ということらしい。多分。
なる程、久しぶり(?)に会った親しい相手に開口一番「お前誰?」なんて聞かれたらそれはショックだろう。俺だって(居たかどうかも覚えていないが)親や姉妹にそんなこと言われたら数日寝込む自信がある。
「……あぁ。悪いが、君と会うのは今日が初めてだ。……そう、はじめましてだな、アーミヤ。」
「あ、は、はじめまして!」
律儀に頭まで下げるアーミヤが妙に可愛いらしく、思わずクスッと笑ってしまった。ウサ耳がぴょこんと揺れている所とか特に。
「……いえっ、違いま……、これはその……、ええと……。」
笑われたのが恥ずかしかったのか、顔を赤らめてあたふたとし始めてしまった。可愛い。
「……そうですよね。あれから、色々なものが変わってしまいましたから……。私自身も、今までとは違う……。」
少しして落ち着いたアーミヤが、先程とは違う沈んだ声で呟いた。今は何かドタバタしている様だから、落ち着いたら詳しく聞いてみようか。アーミヤのことや、ロドスのこと。過去のDr.レーナのこと。
「……と、とにかく!」
「はい?!」
「とにかく、私にとってドクターは一番大切な人なんです。何があっても、それだけは変わりません。」
アーミヤの声を聞きながら、俺は少し安心していた。初めて会った人にいきなりあなたを助けに来ました、なんて言われて警戒するなと言うのは無理な話だ。最初の方は、こいつ何考えてるんだ?俺をどうする気だ?と、疑いながら話していたが、どうやら杞憂だった様だ。最初から妙な既視感があったのもそうだが、何より……
「だから、私に少しだけ時間を下さい。少しだけで……いいですから……。」
俺の手を握ったまましくしくと泣き出してしまったこのウサ耳少女が、演技だの腹芸だのが出来るようにはどうしても見えなかったから。
思うように動かない身体をそれでも無理矢理動かして、握られていない方の手でアーミヤの頭をそっと撫でてみた。
***
アーミヤが泣いているところを見るのは、これが初めてだった。ドクターのことを話しているときに涙ぐむことは何度かあったが、その涙が瞳から溢れる事はこれまで一度もなかった。ロドスの代表という立場が、彼女が人前で泣く事を許さなかったのだ。
そんなアーミヤが肩を震わせて泣いていた。
やっとの思いでドクターを助け出して。目が覚めたと思ったら、過去のほぼ全てを忘れてしまっていて。アーミヤが嬉しくて泣いているのか悲しくて泣いているのか私には分からないし、恐らくアーミヤ自身にも分かっていない。ただ、何年もの間溜め込んでいた涙が溢れ出して止まらないのだろう、ということは分かった。
少しだけ、そっとしておいてあげようと思った。大丈夫、アーミヤは強い人だから、溜まっていた涙がある程度出てしまえばすぐに泣き止むだろう。
「……ごめんなさい、もう大丈夫です。」
2、3分程でアーミヤが泣き止んで立ち上がった。目元はまだ赤かったが、まあ大丈夫だろう。
「ドクターは、本当に……記憶を?」
「あぁ、全部吹っ飛んだらしいな。何にも覚えてねぇよ。」
ストレッチャーに寝転んだまま器用に肩をすくめてドクターがそう答えた。
「……大丈夫です。きっと時間が解決してくれます。」
「あー、……なぁアーミヤ、ここってどこなんだ?」
「ここは……」
アーミヤの声を遮るようにして轟音が鳴り響き、部屋を揺らした。
ここ2、3年ですっかり聴き慣れてしまった爆弾の炸裂音。高速で撒き散らされる無数の弾片と衝撃波に引き裂かれるシャッターの悲鳴。
戦闘の音だった。
***