次元オバケのカメラマン(または宇宙漂流していたらポケモンの惑星に辿り着いた話) 作:乃響じゅん。
腰に着けたホタチを手に取り、水流の力を込める。
自らの胴を三つ束ねたほどの太さもある木を見据え、水の刀身が自らの背丈ほどになるように制御する。ここまでは簡単だった。ただホタチを媒介にした水の刀の形を維持するだけならば、フタチマルという種族にはそれほど難しいことではない。最も大事なのは、この木を切り倒すにあたって、他の木をなるべく傷つけない角度を狙う必要がある、ということだ。今立っている斜面の下をもう一度見据える。この状態ならば、さほどは厳しくないだろう。
水の刀身を木の根元に斜めにあてがう。ここから先は、一気に行わなくてはならない。自重で狙いが狂い、倒れる方向を間違えるようなことがあっては、倒されようとするこの木も、まだ育っている他の木をも傷めることになる。それだけは避けなければならない。父に何度も教わってきたことだ。
ふぅ、と息を吐いた。それと同時に、刀身の水圧を一気に上げる。豪快な音と共に、自らの身も吹き飛ばされそうになるが、なんとか両足で踏み留まる。ゆっくり、ゆっくりと、水の刃を木の幹に入れていく。半分ほど進んだところで一度、水圧を緩める。金属の刃物とは違い、刀身の出し入れが簡単なのは利点だった。次は、先ほどよりも低い位置から、水平に切れ込みを入れていく。切れ込みと切れ込みが出会い、三角形の木くずが奥へ吹き飛んだところで、刃を止める。
ここまでで半分。費やした水の力と集中力で、既に全身が干上がりそうだった。まだまだ本調子じゃないな、と思いながら、呼吸を整える。反対側に周り、今度は別の角度から刃を入れていく。少しずつ、少しずつ、慎重に。あるところで、わずかに手応えが変わる瞬間が訪れる。その一瞬を見逃さず、ぴた、と水を止めた。
めきめき、と音を立てて、木が倒れる。葉が擦れはするものの、幹は他の何にもぶつかることなく、土の斜面にまで到達する。
「さすがだね。他の木に一切干渉していない。今回は君の狙い通りかい、ベベウ」
横からナガレさんの声が聞こえる。
「そんなことないよ。ちょっとズレた」
目を合わせずに、わたしは答える。本当はもう少し右に落とす筈だったのだが、その違いが分かる者は多くないだろう。それを見極めることができるのは、もう何年も彼女がこの仕事に従事しているからに他ならない。
「材木の切り出しか……小さいのに、大したものだよ」
しみじみとナガレさんは言う。
だが、それも仕方がないことだ。我々の一族は、大人になると陸上での活動が難しくなる。木材となる木が乱立するこの山を、自在に歩き回れるのは青年期のフタチマルであるうちだけなのだ。大人になり、ダイケンキの姿になれば、運び出しなどの力作業が主になる。子どもと大人が、それぞれの役割をしっかりと果たすことで、一家の生業は成立する。
「傷はどうだい」
優しげな声に、思わず肩をさする。
かつて貫かれた傷は塞がり、今ではまた木の切り出しの仕事に戻ることができた。だが、体力はまだ戻っていないことを実感している。
「あまり無理はするなよ」
「……うん。でも、もう大丈夫だから」
見抜かれている、と思った。だけど、あまり心配をかけたくなくて、つい強がってしまう。
「ナガレさんこそ、オルフェのとこの漁は手伝わなくて大丈夫なの?」
「まあね」
彼の姿を見やると、呆れたように空を仰いでいる。
「パネマ、あの子は優秀だよ。仕事を覚えるのが早いし、手際もいい。もう俺が手伝う必要もなさそうなくらいさ」
「だからって、毎日私のところに来なくてもいいのに」
「経過観察を頼まれてるんだ。メディさんに」
そう言って、にっこりと笑うナガレさん。メディさんも医者として、わたしのことを見過ごせないのだろう。応急処置に当たったナガレさんを寄越してくるのは、理にかなっている、と思う。ナガレさんはメディさんの代わりに様子を見に来ているのだから、あまり文句は言えない。そのうち直接挨拶にいかなきゃな、と思う。
「何か手伝おうか」
「ううん。平気」
今日はあと三、四本切り倒して、細かく切っていこう。そんなことを考えながら、次に切り倒す木を決めるために、山の斜面を登る。ナガレさんもあたりをきょろきょろと見回しながら、わたしの後をついて来る。
「おっと」
急にナガレさんが呟いた。何かにつまづいて転んだのだろうかと、私は振り返る。
「もう。足元が不安定なんだから、気をつけてよね」
「ごめんごめん」
訝って言うと、ナガレさんは申し訳無さそうに手を上げた。
ナガレさんの足元には、何か大きなものが横たわっているのが見えた。生き物の死骸だろうか。さっきからほんの少し、嫌なにおいがするとは思っていたが、あれが腐敗しかかっているせいかもしれないと思い至る。死体の折れ曲がり方から想像するに、上の方から転がり落ちてきて、木の幹に引っかかって止まったのだろう。
山で暮らす生き物が死んでいることは、稀ではあるが無いわけではない。放っておけばいずれ朽ちて土に還る。とりわけ気にすることも無いだろう。
「……ナガレさん?」
だが、彼はそれに心を奪われているらしい。死骸を見つめたまま、微動だにしない。名前を呼んでみたものの、応えてくれる様子はなかった。次第にじれったくなって、「上の方に行ってるからね」と声をかけて坂を登り、作業を再開する。
水の刀身を幹に入れていく。木がめきめきと音を立てて倒れる。この瞬間はいつも、胸の中が破裂しそうな思いをする。山も木も、大事にしなければならない。先祖代々、守ってきた山の木だ。いや、うちだけではない。ダイケンキの一族と、植林をやってくれているブリガロン一家。二つの一族が手塩にかけて育ててきた山だ。あまり直接会う機会は無いが、彼らとはこの山を通して繋がっている。彼らの思いを無駄にするか、活かし切るかは、わたしが入れた刃に懸かっているのだ。
――はあ、はあ。
いつの間にか、相当に消耗している体を自覚した。あまり無理はするなよ、というナガレさんの声が頭に響く。その場に腰を下ろして、目を閉じる。山を大切にしたければ、まず自分を大切にしなければ。ふう、と大きく息を吐く。水を飲みたい。水筒をナガレさんに預けたままであったことを思い出し、彼のところへ戻る。