ただの通りすがりのサラリーマンさ!   作:日高昆布

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後編です。


後編

 街の数km手前で車を乗り捨て、夜を待ち、徒歩で向かった。

 兵士の歩哨を警戒したが、歩哨どころか監視カメラの類も発見できなかった。肩透かしを食らう程、易々と接近できた。とは言え腐っても、共和国最大都市であり、最大規模の軍事基地を抱えているのだ。出入り口はしっかりと固めてある。ライフルを持った兵士が3人に、サーチライト。だがどちらも練度の低さが見て取れた。必要時以外はトリガーに指を掛けないのは常識であるが、ここの兵士はトリガーどころかライフルそのものから手を離し、談笑に耽っている有様。サーチライトに至っては宙を照らし続けていた。空を警戒、と言うことは可能性としては低いだろう。

 衛星写真を取り出す。これはアメリカが撮ったものである。現時点では国連による介入しか行われていないが、アメリカも衛星による監視だけは行っていた。本来であれば他国の、それも諜報に深く関わる男が入手できる代物ではない。それを可能としているのは、男の伝手と信頼によるものだった。この男の特筆すべき点は伝説的とさえ言われる武力と、各国の要人との太いパイプである。在野のプロフェッショナルもいれば、衛星写真を持ち出せる幹部もいる。尤も、いざとなればそうした支援がなくとも成功させられる実力を持っているのだが。

 政権のお膝元だけあり、街自体は綺麗なものだった。倒壊している建物も、使えなくなっている道路もない。蓋を開けてみれば独裁による圧政、その立場に胡座をかいた軍人による暴力が市民を苦しめている地獄の一丁目である。

 写真で一際目立つ建造物は基地であり同時に官邸でもある。雪音クリスがここに連れ込まれた事は、写真を齎した人物からの報告で確認できている。

 そして同時に夫妻を含めた活動団体、使節団が全滅している事も確認できている。

「……」

 雪音クリスの心境とこれからの境遇を思うと、心が痛む。受けるべき寵愛を理不尽に奪われ、命に危機に晒されている。人が置かれて良い境遇ではない。ましてやそれが10歳にも満たない幼い子供ともなれば、今すぐにでも助け出さなければならない義憤に駆られる。

「ふうぅぅ」

 いつになく熱くなっている事を自覚し、深呼吸と共に熱を追い出す。

 男はこれまで自らの信念に従い幾多もの任務を完遂してきた。要人救出、破壊工作、暗殺。その中に子供が関わる事は一度もなかった。関わった事がないにも拘わらず、子供と言うだけでここまで心を乱してしまう事に多少の動揺があった。しかしそれを否定するつもりはなかった。

 

 

 

 

 時計を確認する。見張りの交代まで後3分。本来であれば交代人員が来てから引き上げるのだが、早めに引き上げ、遅めに就く事が常態化しているとの事であった。怠惰ここに極まれりと言った惨状。これで軍事力そのものは大きいと言うのだから始末が悪い。

 男の全身は黒に染まっている。静音性の高い生地で作られたスーツに、互いが干渉しないように装備された苦無、各種ツールを詰め込んだバッグ。

 口元を布で覆い隠し、黒いキャップを被れば、男は影となる。視認性だけではなく、存在そのものが自然に溶け込むように、そこにいるのにまるで存在感が皆無となった。

 僅かな足音も立てず、男は緩りと移動を始める。

 入口の左右に広がる高さ3m程の壁に張り付く。間もなく兵士達が早引きを始める。そっと顔を覗かせ、素早く視線を周囲に走らせる。情報通り交代要員は来ていない。ここへの接近は禁じられているのだろう。住民の姿なかった。

 あっさりと侵入に成功。影から影へと移動しながら、基地を目指す。侵入されるとは露とも思っていないのだろう、兵士の姿も全くなかった。

 耳を澄ませば、民家から粗暴な声が聞えて来る。貧困な生活を強いていながら、更にそれを搾取しているようであった。それがそこらかしこから聞えて来る始末。兵士としての練度が低ければ人としての練度も低いようだった。

 

 

 

 これと言った障害もなく、予想以上に早く基地に辿り着いた。3階建、面積は不明。

 流石に基地の警備を御座形にする程ではなく、比較的マシな兵士を選りすぐっているのか、4人の兵士が正面玄関と駐車場に続くゲートの見張りに専念している。

 侵入経路の候補は、正面玄関か、駐車場経由かのどちらかになる。が、正面玄関の状態が不明であるため駐車場経由での侵入となる。

 一見忠実に見えるが、やはり意識の根底には奢りがあるのだろう。積極的に見回る事はせず、それぞれの持ち場から動く様子はなかった。であるならば侵入は容易い。侵入経路候補として正面玄関、駐車場経由、屋上が挙げられる。正面玄関は侵入自体は可能だが、ドアの状態が不明なため却下。駐車場は車の出入りも人の出入りもほぼないのだが、監視カメラの有無がネックとなる。電子的なバックアップがないため発見される可能性が高いため却下となる。

 となれば屋上からの侵入となる。詳細は分かっていないが、少なくとも内部からもアクセス可能となっている事は確認できている。

 基地の側面へと回り込む。高さは15m程か。

 バックから先端に鉤爪の付いたワイヤーを取り出す。固定具合を確認すると、慣れた手つきで投擲し、縁に引っ掛ける。何度か引っ張り、外れない事を確認すると、壁面への着地(・・)の足音を立てないためにファスト・ロープ法と呼ばれる登り方でするりと登っていく。

 極短時間で登り切り、ロープを回収。

 屋上には屋内への出入り口が1つと、ガスや水道のパイプ、通風孔がある。

 男はまず通風孔の蓋を取り外しにかかった。人が入れるだけの広さはある。ある程度の厚みもあり、音や抜ける心配はなさそうであった。男はここから侵入する事を決めた。

 ワイヤーを垂らし、10mを一気に下る。まず目指すは警備室。雪音クリスの居場所と監視カメラの確認が目的である。

 

 

 

 

 ーーこれからどうなるんだろう

 飽きる程考えた事がまた頭を過ぎる。

 部屋の隅に1日中座り込み、空腹が限界になったら大人が持って来た食事を摂る。死ぬ事が怖いから摂っているが、味は酷いものだった。食べる事が苦痛に感じる程であった。クリスを囲う凡ゆる状況が、彼女を追い込んでいく。だが不幸かな。彼女が持つ元来の精神的な強さが、彼女を致命的な崩壊から守っていた。

 ここにいる大人達が何かを要求して来る事はない。だがそれも時間の問題だと分かっていた。これまで悪意に晒されていなかったからこそ分かる。一見して丁寧に扱っているが、その眼の底に込められた悪意がずっと自分を見ていると。それが隠されなくなった時、自分はどうすればいいのだろう。それを教えてくれる人はどこにもいない。

 ふっ、と突然電気が消えた。

 

 

 

 

 食堂で狂乱に耽っていた兵士達は、突然の停電で水が差された事に憤慨していた。

「誰だよ消したのは!」

 入り口近くにいた兵士がスイッチを押すが反応しなかった。

「停電?」

「あ?外の家の電気は付いてんぞ」

「何でここだけ消えてんだよ。誰かブレーカー見て来いよ」

「負けの込んでるお前が行けよ。返済期限を今日にしてやろうか?」

「ちっ」

 舌打ちを隠さず渋々と席を立つ。管理室は同じ階にあり距離もそこまではないが、良いように使われる事がひたすら気に食わなかった。携帯で廊下を照らしながら向かう。酒の飲み過ぎで若干千鳥足になっているが、間違う事はなく管理室に到着した。

 ノブを捻り開く。ピン、と言う音が聞こえ、カランと何かが落ちる音が聞こえた。胡乱な頭はそれが何かを理解できず、爆発に呑み込まれた。

 基地を揺らした。

「爆発?!」

「どこからだ?!」

「この階だ!」

 泡を食って食堂から飛び出した兵士が、管理室の方から炎に照らされた黒煙が見えた。

「ブレーカーが爆発でもしたってのか?!」

 消火器を持ち駆け寄ると、全身を破片でズタズタにされた兵士の骸があった。あまりの惨状に、既に死んでいると分かっていても揺すってしまった。

「おい!大丈夫か?!」

 ころん、と何かが転がり落ちた。

 2度目の爆発が起きた。

「違う、これは事故じゃない!攻撃だ!侵入されてるぞ!」

3人を巻き込んだその爆発で事態に気付いた兵士が叫ぶ。

「武器を取れ!仇を取るぞ!」

 万が一、と言う事態を兵士達は全く想定していなかった。外で攻撃される事はあっても、基地の中に侵入され、剰え攻撃される可能性など想定した事もなかった。だから誰も彼もが冷静な思考ができていなかった。その言葉を発したのが仲間でないと、誰も分からなかった。

 熱狂状態になった兵士達は、我先にと武器庫へと走る。ドアを蹴破る姿は到底正規軍人のものには見えなかった。

ロッカーに手を掛け僅かな間も惜しいと言わんばかりに荒々しく開く。

 3度目の爆発が起きた。

 

 

 

 

 昼夜を問わない、遠方での散発的な爆発音を聞いていたクリスは、1度目の爆発がこの屋内で起きた事に気付いた。何が起きているのか、とドアに近付く。

 2度目。ドア越しでも俄かに騒がしくなり始めている事が分かった。何を言っているのかは分からないが、酷く慌てていた。

 そして3度目。それまでの爆発が肌を刺激する程度のものだとすれば、それは内臓を揺さぶる程の桁違いの衝撃であった。久しく動いていなかった感情を揺さぶられ、恐怖から尻餅をつく。

 尋常ではない事態だと言う事だけは分かった。偶発的な事故なのか。それとも人為的なものなのか。それらが自分に何を齎すのか、全く想像が及ばなかった。それが只管怖かった。

 爆発で死んでしまうのではないか。火に巻かれて死ぬのか。崩壊に巻き込まれて死んでしまうのではないか。人に殺されるのではないか。

 答えを与えてくれる人も、安寧を与えてくれる人もいない。

 立ち上がれぬままドアから離れ、部屋の隅で再び身を縮める。耳と目を塞ぎ、恐ろしい何かが過ぎ去っていく事を望む。

 

 

 

 

 

 ほんの十数分前まで、この基地は確かに司令官である男の国であった。生きるために誰もが自分に媚びへつらい、誰を殺しても何も咎められない。生も死も匙加減一つ。ここで自分は神だった。

 ーークソックソックソッ!

 それが今やどうだ。かつての威光を示すものは何一つない。全て破壊された。自分を神たらしめていた、武力も、水も、食料も。何もかもが一切合切破壊された。

 ーーそんな大部隊が、どうやって気付かれずに来たと言うのだ!

 質はともかく、数だけは膨大であった。攻める側は数倍の戦力を用意する必要がある。それだけの大部隊が動けば察知できない訳がない。だと言うのに、部下は未だ敵の戦力を把握できていなかった。その報告に幽霊が来たとでも言うつもりか、と怒鳴った。

 僅かに生き残った部下と連絡を取り、生き残るべく司令官は走っていた。これだけの戦力差を見せ付けられれば、正攻法で戦おうなどと言う気は微塵も湧かない。

 ーー扱いあぐねていた小娘がここで役立つとはな

 伊達で司令官に登り詰めた訳ではない。攻撃の仕方から基地の破壊が主目的ではなく、何かの確保だとすぐに気付いた。そしてその心当たりは1つしかない。

 ーー国際情勢を無視してまで救出に来るのだから、人質としての価値は高かろう

 部屋の前に辿り着く。4人の部下がいた。たったこれだけしかいないのかと、眩暈を感じた。

「鍵は見付かったのか!」

「はい!」

「すぐに開けろ!」

 これで助かる、と笑った。

 しかしそこは天国ではなく、地獄への扉だった。

 

 

 

 

 ドアの向こうから聞こえる荒々しい声。何を言っているのか分からなくとも、少なくとも自分を助けようとしているものでない事は分かる。ここに隠れられる場所などない。精々が部屋の隅で固まる事。耳と目を塞いでも、現実という恐怖がすり抜けて来る。

 ガチャン、と鍵の開く音が聞こえ扉が開かれた。

『だ、誰だ貴様は!』

 戸惑う声。何が、と思うよりも先に頭に暖かいものが触れた。

「もう大丈夫だ」

「え?」

 撫でられているのだと気付いた。冷たく固まった心と体を解す暖かさ。

「頭を上げず、そのままじっとしてなさい」

 手が離れた。堪らず顔を上げてしまう。既に背を向け、5人と対峙していた。数の不利はクリスにも分かる。しかしその背中を見ると、何故か負ける所が想像できなかった。

『貴様1人だと言うのか?!あれだけいた部下を、たった1人でやったと言うのか!』

『何、少々忍術を使ったまでさ』

『くっ、殺せ!』

 クリスの目にも、兵士達の目にも、男の動きは何一つ追えなかった。瞬きする間さえ与えず、その瞬間だけが抜け落ちているように、至近距離にまで接近していた。

 そこからは一方的、と言う言葉でさえ足りない、あまりに一方的な展開であった。全てが一連の動作であるかのように、一陣の風のように、絶え間なく、淀みなく一撃で全員を昏倒させた。

「さて、名前を聞いてもいいかな」

 黒のキャップを外し、視線を合わせた男が尋ねた。

 真摯にこちらを思う目が、言葉が、仕草が涙を溢れさせた。

「……雪音、クリスです」

「雪音君だね。さあ、日本に帰ろう」

 抱きかかえられる。ずっと求め続けた温もりが、クリスの心を安寧で満たす。充足感が柔らかな眠りを誘う。何の疑いもなくその胸に体を預け、眠りに身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この悪夢が君をこれからも苦しめるかもしれない。だが君は決して1人ではない。必ずその苦しみを分かち合おうとする得難い存在が現れる。この事を忘れないでほしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた時、あたしは日本の病院にいた。色んな先生が入れ替わり立ち替わり来て、沢山の事を聞かれた。あの時は凄く忙しなく感じたけど、本当だったらもっと大騒ぎになっていてもおかしくなかったと思う。最近調べて分かった事だけど、何度か見舞いに来た知らないおっさんは当時の外務大臣て奴だった。たぶん、あのおっさんがマスコミが来ないようにとか、孤児院への申し込みとか全部やってくれてたんだと思う。何で断言しないのかって?何でか知らないけどおっさんが頑なに認めないからだよ。

 孤児院で過ごしている時も色々とあった。でも良い先生に会えたし、得難い友達ってのもできたし、やり遂げたい目標もできた。だから今までの辛い事も含めて、あたしは今幸せだって言える。

 でも文句のない日々の中でただ1つ、ずっと解消されない心残りがある。

 あたしをあの地獄から助けてくれたあの人にお礼が言えなかった事だ。

 

 

 

 

「師匠ー!」

「大声出すなよみっともねえ。小学生かよ」

 手をブンブンと振る響を小馬鹿にするクリス。

「すまんな4人(・・)とも。急に呼び出して。実はお前達に紹介したい人がいてな」

「紹介したい人?翼、何か知ってるか?」

「いえ。新しいオペレーターですか?」

 欠伸の痕を指で拭いながら言う()の問いに対し、全く心当たりのない翼はすぐに弦十郎に尋ねる。

 誰なのか、と言う問いを待っていたように鼻を鳴らし、誇らしげに衝撃的な事を告げる。

「お前達に戦闘訓練を付けてくれる人だ。俺よりも強いぞ」

「……嘘だろ」

「……嘘」

「……嘘だよな?」

「……嘘ですよね?」

「嘘なものか。未だに一勝もできてないぞ」

 トレーニングルームに似つかわしくない、スーツを着た男が背を向け立っていた。一見すればただのサラリーマン。だが戦いの場に身を置く装者にはその男が只者でない事、仮にシンフォギアを纏っても手も足も出ずやられる、とすぐに分かった。

 男が振り返る。

「弦十郎、あまりハードルを上げてくれるな」

「事実でしょうが。紹介しよう、この人は……おい雪音どうした?」

 弦十郎の慌てた言葉に3人が振り返る。

 溌剌とした普段のクリスはそこにいなかった。幼い迷い子が親をやっと見付けたような、嬉しさと寂しさを綯い交ぜした表情をしていた。

「あたしは昔、外国で誘拐された事があります。親も頼れる大人もいなくて、怖くて辛くて悲しくて……。誰にも助けてもらえないんだって、ずっとここにいるんだって、そう思ってて……。でもその人はたった1人であたしを助けてくれて。でもあた、しは、その、人に、何も言えな、くて」

肩を震わせてしゃくり上げるクリス。

「……私の存在が、君に辛い事を思い出させてしまうと思っていた」

 ーーやっと……

「杞憂どころか返って辛い思いをさせてしまったようだ」

 ーーやっと見付けた……!

「元気そうで何よりだ、雪音君」

 ーーやっと会えた!

 涙を拭いもせず走り出し、飛び込むように抱き着いた。

「ごめんなさい、あの時言えなくて!ずっと、ずっと会いたくて!ちゃんとお礼が言いたくて……!ありがとう、ございました!助けてくれて……!」

「君が得難い友人を作って、健やかに過ごしている事が何よりも勝るお礼だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「名前を、教えてくれますか?」

「高槻巌だ。今度、君の歌を聞かせて欲しい」

「喜んで!」




このクラスちゃんは猛烈なファザコンになってます。俺もクリスちゃんにパパって言われてえな
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