元々、この政宗という名は自分の名ではなかった。
この名は自分が仕えていた主の名前で、誰よりも自分が崇拝していた人物だった。
母に殺されかけ、父は自分の目の前で殺された。それは身を引き裂くほどの辛い出来事だった筈だろう。だが、彼はそんな感情を部下には見せず、ただ只管に戦乱の世を駆け抜けた。
私は、そんな主に仕えることに何の迷いもなく、ただ彼の為だけに私は剣を振るった。それは只々幸福な出来事で、これが主従関係なのだろうと思った。
臣下を束縛する主も中には居たと思う。だが、自分と主の関係は互いに信頼できるほどの篤いものだっただろう。そして、この関係はきっと美しい、そう思った。
だが、ある時主からいつも通り、職を言い渡される。それは海外へ渡る今までにない大きな仕事であった。多少の不安はあるが、そこに何の迷いも抱かず、私はその職を受け入れた。
だが、いざその職を終え、帰ってくると、いつもは「おかえり」という温かい言葉が帰って来るはずなのだが、何もない。それどころか冷たい視線が向けられる。
何故こうなった―――?
あれほど優しさに包まれた眼差しがこうも豹変するものなのだろうか、と思わず疑ってしまった。その後、主に自分の任務を終え、その報告を告げるが、返ってきた言葉はこうだった。
―――何故、帰ってきた―――?
氷河のように冷え切った言葉だった。
自分が国を離れる前とは何もかもが違っていた。何もかもが氷河のような冷たさを放っていた。私はただ、「おかえり」という一言が欲しいだけなのに。ただただ称賛の言葉が欲しいだけなのに。
もう昔のような主従の信頼関係は消えてしまったのか―――?
そう思うと心の中がグチャグチャになるような感情が込み上げてくる。極めて憎悪に近い感情だったと思う。
その感情は私を人間には留めてくれなかった。それは私の狂気へ踏み出す第一歩とも言えただろう。私は今もその狂気に突き進んでいる。ただただ、その道を歩いていく。それは自ら求めた道であり、自らに課した宿命だ。死ぬまで私はこの道を歩み続ける。
***
「『炎を身に宿す堕天使』(イフリータ)」
突如、黒い炎が政宗の体を襲う。政宗はそれを容易く躱し、ニヤリと笑みを浮かべた。
この攻撃は知っている。以前、王都フミヅキに来た際に出会った、又とない強敵の一撃。来たのだ、彼が。
「待ちくたびれたよ、我がライバル」
政宗は待ちくたびれたかのように腕を広げる。それを見た明久は政宗を睨む。
「吉井君―――。その剣…。」
優子はその柄から刀身までもが漆黒に染まったその刀を見つめた。ゾクッとするほどの怨念が込められているのではないかと多少疑いたくもあった。
「木下さん、此処からは僕が闘う。君は下がってて。」
「ちょ…何馬鹿なことを…っ!」
第三国家騎士である優子が苦戦した相手である。それを明久一人に任せられる筈がない。
しかし、明久の目は真剣だった。その瞳は必ず勝利すると誓ったような瞳だった。それに気圧され、優子は無言で後退する。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!また君とこうして再戦できるとは嬉しい限りだよ、明久君!」
「僕はそうは思わない。君の異様なまでの戦闘の欲求は狂気そのものだ。君は狂戦士(バーサーカ)という二つ名がとても似合うよ」
明久は正直な感想を述べた。
月光院政宗は狂っている。常人、いや、戦士であったとしても闘いとは何かその先に目的があるから、それを果たすために我々は闘う。
だが、彼はそうではない。戦いとは求めるためのものであり、そこに快感を見出すこと、それが彼の闘いだ。
それは普通の人間の感性からかけ離れている。彼は狂っているのだ。
「悪いが、僕は君とは違う。」
そこで明久の剣からゴゥッと黒い炎が燃え出す。まるで彼のその在り方を否定するかのように燃え上がる。
「僕は君を殺す」
普段よりも低い声で告げる。
その声音には誰もがブルリと肩を震わせるものがあった。
「フフフ。明久君。確かに君は強敵だ。だが、いくら君でも、この世で最も硬い金剛石を斬ることは不可能だよ。」
政宗の体は金剛石によって硬化している。それはつまりこの世で最も硬い体を彼は所有していることになる。
「関係ない。ただ、斬るだけだ!」
明久は前へ一歩踏み出す。大して政宗の方は動かない。明久の剣がどんなに優れたものでも自分の体が斬られることはないという確信があった。
「オオオオオオオオォオオオオオオオオォッ」
「無駄だよ…」
政宗はその刃を受け止めるために腕を前に出す。それで全てを防げる、そう思った。
だが、刃が政宗の体に触れた瞬間―――。
「ッ―――!?」
身を引きちぎるような痛みが政宗を襲った。
痛みが発する部分に目を向けると、右腕が消失していた。消失した金剛石の右腕は破片となって逝く。
「馬鹿な…金剛石を斬るなど…」
政宗は信じられないと、思わず首を振った。こんなことは有り得ない。いや、あってはならないのだ。この世で最も硬い鉱石を斬れる者は存在するはずがない。どんな優秀な戦士であったとしてもだ。
「一つ君にこの剣の能力を伝えていなかったけど…。『炎を身に宿す堕天使』(イフリータ)は触れたものを塵となるまで焼きつくす破壊の剣だ。それはこの世で最も硬い物も例外なく燃やし、斬る。」
「…クソが…!」
政宗は初めて焦燥に駆られる。もしかしたら死ぬかもしれないという焦り。
今まで戦闘に快楽を満たすことが出来たのは自分が確実に生きることを前提としたものだから得ることが出来る者だった。
だが、死んでしまっては快楽を得られるどころか、不快になるだけだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ」
左手に全身全霊の力を籠め、前へ踏み出す。
しかし―――。
「だから、無駄だと言っている―――!」
明久は政宗の左腕を斬りおとす。
「が………」
政宗は呆けたような声を出す。
嫌だ嫌だ嫌だ。このままでは死んでしまう。それだけは―――。
だが、そんな政宗の願いを聞き入れる間もなく明久は政宗の胸を剣で貫く。
「…ぐ……あ」
口から鮮血が零れる。自分の死を目前にするのを自分の意識とは裏腹に体が受け入れようとしている。
「い…やだ」
政宗はそれでも死を拒む。
生きて認めて欲しい。また主の称賛の言葉をこの耳で聞きたい。叶わない願いではあっても、死ぬことだけは―――。
吸血鬼の首都シュベルツェ―――。
そこで王女は紅い月を見ながら微笑んだ。妖艶のような笑みだった。
「良いだろう、月光院政宗。お前に力の解放を許そう。その力で我が誇り高き戦士であることを証明せよ―――。」
「『死解』(デス・リリース)」
政宗の口が微かだが動く。
「デス…何だ?」
明久は困惑したような表情を浮かべた。政宗は両腕を斬りおとされ、明久は、あと一振り刃を振るうことで政宗の命を奪う自信があった。
だが、何故か妙な胸騒ぎがする。この胸騒ぎは一体何なのだろう―――?
その時、優子が後ろから、
「吉井君!離れて!そいつは死の間際に力を解放させようとしているの!」
「力の解放?」
「高位の吸血鬼には死の間際に奥に秘めた力を解放させるの!それを解放すれば、そいつは強大な力を得ると共に絶対に死ぬ。でも、自分も死ぬ代わりに相手も道連れにする、それが『死解』(デス・リリース)よ」
明久は改めて政宗の体を見る。そこで優子の言いたいことを初めて理解する。
政宗の体は再生を始め、そしてさらに強大な力を身に纏う。そのせいか、体が巨大化している。
「ァアアアアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアッッ」
政宗の咆哮が明久達のいる場だけでなく、空港全体を振動して響き渡る。