目を瞑ると今でもあの少女を思い出す。
暖かな日の光のような髪の色に白い肌、そして淡いブルーの瞳。まるで春に咲く花を連想させる少女だ。
あの時彼女は自分に優しく微笑みかけてくれた。ずっと傍に居てくれた。そして、こんな日々がずっと続くと思っていた。
純粋な子供ならばずっとどころか永遠に…とも思えたかもしれない。
だが、人生とは虚しいもので、そんな幸福を簡単に引き裂いてしまうのだ。ずっとこのままでいて欲しいという些細な願いをこうも容易く潰してしまうのだ。
だから、少年は決めたのだ。もうこんな悲しい思いをせず、泣かなくて済む、誰もが幸福である世界を手に入れると。
果てしなく遠い理想なのかもしれない。子供が言う馬鹿げた夢なのかもしれない。誰にも理解されないかもしれない。だが、それでも良い。誰にも自分の邪魔はさせない。
それこそが少女と交わした約束だから――――――。
*****
「起きろォーーーーーーーッッ!!吉井ーーーーーッッ!!」
「ぐはァアアアアアアアアアアッッ」
英語の教科担当である西村の拳を受けて明久は目を覚ます。
「…全然寝れなかったな……」
「馬鹿者、此処は寝る場所じゃない。てか、授業中だボケ」
明久は眠そうに目を擦りながら、何とか視線を黒板へと写す。
すると、隣の席から、
「おい、明久。」
「ああ、おはよう。雄二」
と、雄二がうんざりした表情でこちらを見ていた。明久は何か悪いことでもしたのかな…と首を傾げた。
「お前、鉄人の授業だけでも真面目に受けろ。お前が寝てるせいで鉄人の殺気がオレにまで来ている。」
雄二はとても迷惑そうに言う。
つまりはこういうことらしい。明久が寝ているだけでその周辺の席も西村の視線に当たる。雄二はそんな窮屈な思いを二度や三度だけでなく百、二百を超えるほど経験している。明久の問題児っ振りには大抵何回か経験すれば、次第に慣れていき何の問題はないのだが、西村が関わると話は別になる。
「雄二、それは愛されているんだよ。良かったね」
「明久、お前まだ寝ぼけているだろ?」
雄二はもういい、と嘆息しながら言った。そもそも明久には何度注意したところで何か改善された点は一つもないのだ。これ以上の注意は無意味になるだろう、そう思ったのだ。
そしてその時、授業終了のチャイムが鳴り響く。
「よーし、じゃあ次のページを予習しとくように。以上、解散。」
そして生徒達は次の授業の準備をする。
「アレ?次の授業って何だっけ?秀吉」
明久はすぐ近くに居た秀吉に訊く。
「ウム。次は実戦練習でなかったか?」
実戦練習。これがこの王都の学校にしか存在しない特殊なカリキュラムだ。要は騎士としての力を磨き上げるためには普通の学校のようにただ、学力をつけ、体力をつけるじゃ足りないのだ。騎士として大切な戦術を学ぶ必要があるのだ。実戦練習は実際に闘ってそれを経験値として身に付ける戦闘の実践だ。
「うわ、面倒くさっ」
明久は気怠そうな表情を浮かべる。明久は他の教科も成績が悪いが、この実戦練習の成績も酷く悪かった。実際に相手に勝てたことが一度もないからである。
「まぁ、ワシも実戦はあまり得意ではではないが…」
秀吉が可愛らしく苦笑した。
しかし、そこで雄二が口を割って、
「秀吉、ムッツリーニは召喚武器が戦闘向きじゃないから仕方ないとして、コイツは武器が戦闘に適しているにも拘らずあの様だからなァ」
と、毒づいたように言う。
「ム、雄二だって大したことないくせに。」
「フン、悪いな。オレは一回だけ勝ったことはある」
雄二は自慢げに誇示するように言う。明久はたった一回くらいの差じゃないか…と悔しそうに呟く。
しかし、雄二は元国家騎士。自分の能力を隠している…というのが事実だった。これは雄二の思惑ではあるが、力を隠しているという点では明久も怪しいものではあった。
いや、悪魔でも予想ではある。ただ雄二にはどうも怪しまずにはいられなかった。というのも、実戦では何度も明久と当たったことのある雄二。雄二は当然下級騎士のレベルに合わせ、敵に攻撃していくのだが、ときどき意地悪で、相手が躱せないような一撃を入れていく。大抵の人間はその一撃に耐えられず、無様に倒れることが多い。
しかし、明久にもこの類の攻撃を仕掛けた時―――。彼は雄二がそういった攻撃をしてくるのを予想して、雄二の攻撃の軌道に合わせ、ギリギリのタイミングでそれを躱した。
明久は、ただの偶然、偶然と笑っていたが、雄二にはそれが偶然にしても出来すぎている…というのが本音だった。
そして授業開始のチャイムが鳴り、生徒はグラウンドへと移動する。
この実戦練習の教科担当は同じく西村宗一である。普段の学術系の授業同様に、この授業でも西村による鬼のような補習が行われていた。補習内容は授業よりも厳しいもので、西村の剛腕な拳の一撃を全て躱すというのが補習内容だ。しかし、それを正確に躱せたものは未だ存在しない。元国家騎士であった雄二ですら西村の攻撃は躱せない。
そんなわけで授業が始まるわけなのだが、皆、この授業になると一層緊張の色が強くなる。緊張のせいか無駄に肩に力が入ってしまう。それほどまでに西村の視線がまるで鬼のように鋭いものだったからだ。
「よし、今日も実戦練習を行うわけだが、今日はゲストが来ている」
西村の言葉に生徒全員が「ゲスト?」と聞き返すように呟く。だが、生徒たちの表情は余り良いものではなかった。西村の考えることだ、一際厳しい授業になるに違いないと、そう思ったからだ。
そんなことを考えていると、グラウンドに一人の少女が現れる。薄いブラウンの髪を揺らしながら、西村の隣まで歩き、そこで足をピタリと止める。
「良いか、今日の実戦練習は少しでも実力を強化させるためにわざわざ国家騎士を呼んできた。彼女は第三国家騎士の木下優子だ。」
西村に紹介された優子と呼ばれる少女は一歩前に出てペコリと行儀よくお辞宜をした。
「木下優子です。宜しくお願いします」
すると、男子達が一斉に「ォオオオオオオォッ」と野蛮に声を張り上げていた。それほどに彼女の容姿は可憐なものだった。
しかし、誰かに似てるな…と明久が思考したとき、隣で秀吉が、
「あ……姉上…?」
秀吉が震えた声でその優子と呼ばれる少女に向けて言った。
それを隣で見た明久が、え?姉?と困惑した表情を浮かべる。そして優子が秀吉の存在にどうやら気付いたようだが、特に気にもしない様子で無視する。
「あれ、知り合いなの?」
困惑した明久は耳元で秀吉に訊いた。
「ウム、ワシの姉じゃ。」
そう言われた明久は優子という少女と秀吉を見比べる。なるほど、確かに容姿もそっくりな上に、髪の色までそっくりだ。姉弟というのも頷ける。しかし…。
「秀吉はお姉さんと仲悪いの?」
それが明久が抱く疑問だった。秀吉が呼んでも優子という少女は振り向きもしなかった。
「いや、というより先週、メイドのバイト手伝いでワシが女装したことに対し姉上が酷く怒り、それ以来口を訊いてくれないのじゃ」
「ああ、まあプライド高そうだしね。」
明久は苦笑いした。
温厚な秀吉に対し、優子は雰囲気がピリピリしている。身内が少しでも妙なことをすれば、それが国家騎士である優子にも響くかもしれないことを恐れての行為なのだろうが…。
すると、隣からどんよりと暗い表情を浮かべながら美波が明久の隣にやって来た。どうやら既に木下優子と対戦したらしい。
「アレ、美波?どしたの…?」
だが、美波は答えない。そして何故か胸を抑えている。
すると、雄二が明久の耳元に囁くように、
「あの木下優子の攻撃を島田はどうやら胸で受けたらしい」
そこで明久は雄二の言いたいことを理解する。これは恐らく美波の持つ考えなのだが、もう少し胸に脂肪がついていれば、胸の弾力により攻撃を弾けると考えたのだろう。その豊富な弾力に欠けていたからダメージを直に受けたと、そう考えたらしい。
「「プッ…クククククク……ッ」」
だが、明久と雄二はそれを腹を抱えながら笑う。確かに美波の考えることは非現実なことであり、他人からすれば可笑しなことでしかない。しかし、本人はそれを本気で気にしていた。
明久と雄二が何に対して笑っているのかを理解した美波は鬼のような形相で二人に拳を振るう。
「アンタ達ィーーーーッッ」
「ギャアアアアアァアアアアアアアアアア」
美波の暴力に二人は泣き叫ぶような声を出す。
そんな二人に気づいた西村は美波が拳を出すよりも早くゴリラのように太い拳を雄二と明久交互に振るう。
「全くお前達は少しは授業を真面目に受けようという意欲はないのか…!?」
すると、明久と雄二が口をそろえて、
「「趣味に対する意欲は人一倍あります」」
と、何故か勝ち誇ったように言う。それで成績が上がるわけでも何でもないのだが…。そんな二人を西村はまったくお前たちは…。と嘆息するように言う。
「まぁ良い。吉井。次はお前の番だ。前へ出ろ。」
と、西村が指示する。どうやら次は明久が国家騎士との実戦練習のようだ。明久は気怠そうに「へーい」と返事をして前へ出る。
そして明久が前に出た途端、目の前に居た優子が先程までの優雅そうな振る舞いが一気に消える。どうやら表情を固めた様子だった。
「あ…アンタは…この前の…」
優子は指先を震わせながら明久を指した。
「……ん?」
明久は何?と訳分からなさそうに首を傾げるが、次第に、あ!と心当たりがあるかのか、口を開いた。
そういえば以前、明久と雄二は商店街のど真ん中で素っ裸で自分がつけてるフンドシの取り合いの争奪戦をしていて、その二人の騒ぎを止めに入ったのが目の前の優子だ。
そんなこともあったなぁ…と懐かしむように思い出す明久に対して優子は、
「アナタだけは手加減しないわ。陛下もアナタの問題児ッ振りには相当頭を悩まされているようだし…。」
優子はピリピリとした視線を明久に向けて言う。明久は少しやる気のなさそうな表情で優子をぼんやり見つめる。
次第に優子が動き出す。これは悪魔で実戦練習なので優子は自分本来の武器は召喚せず、練習用の剣を召喚した。明久も木刀を召喚し、動き出す。
優子は瞬時に明久の背後に回り剣の刃を向けていく。明久にはどうやら手を抜かず、本気で刃を向けるらしい。
だが、そこで優子は息を飲む。
優子は明久が自分の剣を完全に予測できていない。予測できるはずがないと読んでいた。しかし、明久は顔を横向きにしているのでよく分からないが笑みを浮かべていた。
それは優子の攻撃に対する焦り、恐怖といったものは何一つない。
だが、優子は構わず明久に向けて一撃放つ。
「いったァアアアアアアアアァッッ」
明久は普段見せるような叫びを上げる。
勝者は優子…ということになった。いや、周りの人間にはこれはただの優子の勝利で終わったように見えただろう。
しかし、明久のあの笑みは優子の攻撃を、まるでその攻撃が来るのを分かっていた…というようなものだった。
気のせい…なのかもしれない。ただ、あの一瞬だけ優子は自分が劣っているように感じた。
そんなことを考えていた時、授業終了のチャイムが鳴った。