この後のお話が一番面倒な説明回なのですが
重い足を駆け足気味に動かしながら、ぽつぽつと少しばかり雨の降る歩道を進む。空を見上げてみれば、そこにはうっすらと雲がかかっているだけの青空が広がっていた。ほんのわずかとはいえ、雨が降っているのが不思議なくらいのいい天気だ。
自分としては雨という天気はさほど好きではないので、こういった雨は少しうっとうしく感じる。先ほどから常備している折り畳み傘を差そうとするたびに雨がやむのだ。おそらくこれも、この雨をうっとうしく感じさせる原因だろう。しかし、こういった雨を何と言ったか……。ふとそんなことが気になってしまったので、スマートフォンの液晶画面を操作して検索エンジンを開き、”雨 種類”のワードで検索を行う。
現在の状況に該当した雨はいくつかあったが、この説明が最もふさわしいように感じた。素人の見方なので、正式にはきっと違っているのだろうが。
”さほど強いわけでもないが降ったり止んだりする雨。特に晩秋から初冬にかけて、晴れているかと思えば降ってきて、傘を差す間もなく青空が戻ってくるような通り雨を差す”
その説明文が書いてある雨の名称の部分に目を移したところで、現在地を確認しようと顔を上げた。目的地を通り越してしまっては困るのだ。そしてあたりを見渡して気づく。正面には肌色というか、白色というか、なんと表せばいいのかよくわからないが、なんだか落ち着きを感じさせる色をした大きな建物。そして正面玄関の横の壁に掘り込まれた”佐世保複合病院”の文字。気づけば目的地にまで到着してしまっていた。
海で助けた名も知らない少女が目を覚ましたと連絡を受けてから早一週間。ここに看護師として勤める母から、少女がお礼を言いたいと言っていると聞いたのが昨晩のこと。少女はここしばらく、身体の調子の様子を見るべく安静を義務付けられているらしい。そこで暇を持て余したのか、はたまた少女自身が非常に礼儀正しい人物であるのかはわからないが、自分にお礼を言いたいと言ってきた。病院側も、同じ場所に留まらせ続け、彼女に対して何の刺激も与えてあげられないことを気にしていたのか、彼女へのいい刺激になるだろうと判断したらしい。そういう事情もあってか面会の許可が下りたそうだ。
母の同僚である、知り合いの男性看護師が担当している受付で少女の面会に来たことを伝えれば、何やらにやりと意味深に笑われた。お前さんも隅には置けないな、なんて言われたが、あの少女とは今日が事実上の初対面である。何を邪推されたかは確信が持てないが、なんとなく察して愛想笑いを返しておく。あちらも愛想笑いであることには気づいているのだろうが、その程度のやり取りならここに来るたびに行っている。もうお互いに慣れたものだ。
また今度遊びに行こうと言葉を交わした後、彼に伝えられた道を進んでいく。彼によれば、少女の部屋は特別棟の三階にあるらしい。特別棟。つまりは、患者が一般的な設備では生活できなかったり、何かしらの事情や強い感染症にかかっている場合に使われる場所だ。おそらくどこからか流されてきたのであろう彼女は、何か後遺症を患ってしまったのだろうか。足を進めれば進めるほどにそういった不安はどんどん大きくなっていく。何かに急かされるようにして歩みが速まったせいなのか、ふと気が付けば、教えられた病室よりもかなり奥の方まで来てしまっていた。慌てて回れ右をして来た道を戻っていく。
彼女の病室を探すべく、入り口のある壁のほうを見ながら進んでいく。そうしているうちに、ふと違和感を覚えた。普通の病棟ならばあるはずの何かがない気がするのだ。何がないのかを考えても思いつくかは不明であり、その違和感のもとを理解しようとしたところでかなりの時間を要してしまうかもしれない。少女と面会に来ているのだから、今はそちらを優先すべきだろう。違和感については母に連絡を取れば教えてくれるかもしれない。そう考えながら進んでいくうちに、ようやく彼女の病室を見つけた。
ドアの取っ手に手をかけようとして、そこで手を止める。どんな顔をして入室すればいいんだろうか。いい印象を持たせるべく、笑顔で入るのはどうだろう。初対面の人物に笑顔で接するなんてことを過去に一度もしたことがなく、失敗する可能性が高いので却下。ではお見舞いも兼ねていることを強調すべく、少し影のある表情はどうだ。そんな器用な真似ができるほど、自分の表情筋は動いてくれない。却下。
一人自問自答をしながらうんうんと唸っていれば、がらり、と目の前の扉が開いた。驚いたせいか足が二歩ほど下がる。開かれた扉を見てみれば、そこにはナース服を着てあきれたような表情をしている我が母が立っていた。……ナース服という非日常的な格好の人を見ても何の感動も得られないのは自身の母であるせいなのか、それともナース服を見慣れてしまったせいなのか。どちらでもいいかとくだらない思考を放棄しつつ、母に促されて部屋に入る。
中は一面真っ白などというわけではなく、落ち着いたベージュ色の壁。あまり広いわけではない室内にはどこにでもありそうな茶色のクローゼットに、その横には同じく茶色の、収納を主な目的としたのであろう引き出しの多い机がある。机の上には患者の退屈さを紛らわせるためなのか、小型の液晶テレビ――現在は何も映されていない――もぽつんと一つ存在していた。
そしてその横には、患者が一日のほとんどをそこで過ごすことになるのだろうあまり足の高くないベッドがあった。ベッドには病衣姿の少女が一人腰かけていて、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ている。……とても綺麗な笑みだ。それこそ、こちらに不安を抱かせない、慈愛に満ちた表情と表現してもいいかもしれない。軽く左右に跳ねた前髪――左の方には赤い髪留めらしきものが見える――と、頭頂部付近から重力に逆らって伸び、緩やかな曲線を描いて垂れ下がる一房――俗にいうアホ毛だろうか。初めて見た――が見える黒髪。背中まであった後ろ髪は三つ編みにして肩口から前に流され、赤いリボンで止められている。そんな少女はその穏やかな笑みを消し去ることもなく、そのままの表情で、彼女は口を開いた。
「来てくれてありがとう。羽川
発された声は、彼女の背後の窓から見えたぽつぽつと降る時雨のせいか、どこか儚げな雰囲気をまとっているように感じた。