IS 灰色の向こうに   作:ズーキー

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本編はどこに行った



-52-

これは、二学期明け直後の休日の話である。

少年が初の一人部屋になって少し経った。

朝の鍛錬を終え、シャワーも浴び出掛ける準備も終える。

私服に着替え、部屋を出ようと扉を開けた途端───少年は思わず眉を潜めた。

 

 

「ここを通りたければ私を倒していきなさい…!」

 

 

少年の目の前に現れたのは妹狂愛者(シスコン)であった。

 

「……何事?」

 

「あら?聞こえなかったのかしら。ここを通りたくば私を倒していく事ね!」

 

何処かのドラマや漫画で有りそうな台詞を告げる楯無。

彼女の背に燃える炎を幻視してしまうのは仕方が無い事だろう。

ビシッと閉じた扇子を突き付け、彼女は流星の前に立ちはだかる。

 

「いや、簪との約束があるから退いてくれ。用件なら後で聞いてやるから」

 

「──用件はそれよ。簪ちゃんとのデートなんて私の目が黒い内は許さないわ」

 

黒い炎を纏いながら楯無は流星を睨み付ける。

対して流星は半ば理由を察して居たらしく、心底面倒臭そうに肩を落とした。

 

「それは、ちょっと…………。流石に引くわー……」

 

「私同伴なら許さなくも無いわ」

 

「同級生との遊びに約束してない姉が同伴か。…今度こそ嫌われても知らないからな」

 

「ぐっ……そ、それは───」

 

胸元を抑える楯無。

以前の台詞がトラウマと化しているのか、顔も真っ青。

今にも血を吐いて倒れそうだ。

 

擁護するなら、すれ違っていた頃の反動が押し寄せているのであろう。

隠れて心配していたのが、オープンに心配するようになり更には──といった調子だ。

 

流星は半目で彼女を見る。

 

「それで、生徒会の仕事の方はどうしたんだ?俺の分は粗方片付いたけど、お前のまだだろ」

 

「ふふ、妹への愛の前にそんな物は障害にすらならないわ。それにね?私には優秀な相棒がいるもの」

 

楯無は得意げに胸を張る。

要約するなら『こっちを優先して、仕事を布仏虚に押し付けてきた』という事だ。

 

端末を背に隠した状態で操作し、虚へ通報(メッセージ)

慣れているわけでもないのに、画面を見ず文字を打てるのはひとえに彼が器用だからだ。

 

 

「──見付けましたよ!お嬢様」

 

「う、虚!?」

 

流星のメッセージを見た虚は直ぐに現場に駆け付けた。

楯無を探して、同室の一夏に尋ねるべく寮へ来ていた事が幸いした様子。

 

虚は楯無の前に立ち塞がるように割り込む。

 

「何してるんですか。戻りますよ」

 

「どきなさい!私はお姉ちゃんよ!」

 

「お 嬢 様?」

 

怒り心頭な虚は問答無用で楯無の襟を掴む。

逃げ出そうと動き始めた楯無の初動はそれにより抑えられた。

 

「協力ありがとう流星君、楽しんで来て下さい。──さぁいきますよ」

 

「いやー、もう仕事はいーやーなーのー」

 

 

「忙しいやつだな…」

 

ズルズルと引き摺られていく楯無を眺めつつ、流星は呟く。

 

「──あ」

 

時計を見直し、彼の表情が固まる。

直後、廊下を駆け足で行く少年の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

私──更識簪は、1人ボーっと空を眺めていた。

背後には噴水。

時間はまだ午前という事もあり、ここら辺はまだ涼しかった。

コーディネートはグレーのシャツにスカイブルーのサマーカーディガン。

レースの入ったカーディガンである為、少し派手目。

色は薄いから主張は少ないけど……きっと似合ってない。

 

『かんちゃん似合ってるよー。ねー?かなりん?』

 

『うん!似合ってるよ。簪さん!』

 

…やっぱり二人を信じよう。疑うのは良くない。

けど、やっぱりこういう時お姉ちゃんがとても羨ましくなる。

 

胸が大きいのは勿論だけど、何よりスタイルが完璧だと思う。

こう、理想的な体型を挙げるなら間違いなくお姉ちゃんを出すくらいには凄い。

 

同じ姉妹なのに…と考えると、妬ましくもなる。

ちょっといいなって思う位は許して欲しい。…神様って不公平。

 

「はぁ」

 

駄目駄目。

緊張と不安のせいで思考が後ろめたくなっている。

中々寝付けなかった位には楽しみにしてたんだから、楽しまないと。

 

待ち合わせの時間よりかなり早めから来てしまっている。

 

1人頬を叩く。

せっかくの流星とのデート───それも───。

持っている鞄に意識がいく。

 

話の発端は──1学期まで遡る。

私は期末テストで1位を取った。

1位を、取った。

確かに全力で勉強したけど、こんな事なんて初めてで実感が湧かない。

嬉しいんだけど、それよりも驚きが勝っていた。

 

ともあれ──専用機持ち+本音の中での戦利品は無事私のものに。

流星を1日自由に出来る権利を手に入れた私は、最近出来たというウォーターワールドに彼を誘い今に至る。

 

無料ペアチケットを手に入れたからウォーターワールドになったというのもあるけど、改めて緊張してきた。

 

ちゃんと訓練はしてるし、前より太ったなんてことは無い。

大丈夫大丈夫だよ…ね?鈴よりは大きいし…。

 

…悪寒がする。

不意に思い浮かべた鈴は、目が真っ赤でツインテールを逆立てた状態だった。

……ごめんなさい。

 

 

 

「ねぇ、キミ1人?」

 

「可愛いね。さっきからずっとここにいるけど誰か待ってるの?」

 

「あっ、えっ……?」

 

色々と1人で考え込んでいると、不意に超えを掛けられた。

目の前にはいつの間にか男の人が2人。

頭の側面に刈り込みが入った人と、耳にピアスをした人。

 

「結構待ってるみたいだけど、こんなに待たせるなんてひどいね」

 

「良かったら俺達とお出かけしない?」

 

突然の事でどう返していいか分からない。

これって、もしかしてナンパ……?

わ、私を?

 

 

「ごめんなさい、そ、その。約束があるから」

 

「───大丈夫大丈夫。ちょっと待たせるくらいならおあいこだって!」

 

「あ…っ!」

 

キチンと断った直後、力強く手首を掴まれた。

湧き上がる不安──目の前の人は笑顔なのが余計にそれを煽る。

 

「い、いや…っ」

 

無理矢理手を振りほどく。

護身術は身に付けているけど、今はそこまで頭が回らない。

変な話だけど、ナイフを持った人が襲って来たら迎え撃とうと動く事は出来る。

けど、今は何か違った。

根本的にこの男達が私を見る目が何故か怖くて………。

 

 

「遠慮しなくていいのに───」

 

再び男の手が伸びる。

1歩引いてキュッと目を瞑る。

殴られる訳でも無いのに、肩を掴まれるのが怖くて縮こまることしか出来なかった。

 

 

ただ、男の手は私の肩に置かれることは無かった。

 

 

「諦めろ、先約だ」

 

 

そっと後ろに抱き寄せられて身体が後方へ傾く。

不意打ちなんだけど、あまりにも自然だったから反応が遅れた。

 

「ぇ?」

 

背後から聞こえた声と匂い。

見覚えのある手にトクンと心臓が高鳴る。

不安は融解して跡形もなくなる。

 

────というか、わ、私としては最早それどころじゃ無いというか……。

ち、近いどころじゃないよ!?

ってあれ?抱き寄せられてる?どういう状況?!

 

混乱が混乱をうんで目を回す。

そんな私を置いて、流星は2人の男と向き合っていた。

 

 

「その子は俺らと遊ぶって言ってたケド?」

 

「そうそう。恐喝してる訳でもねぇ。ちょっとお店見て回るだけだって。少し待っててくれるだけで良いからさぁ、なぁ?」

 

流星の肩に手を置くピアスの男。

一瞬流星の目がいつかの冷ややかな目になった気がした。

元からの冷たさが表に出る感覚。

 

それを見てハッと私は我に返る。

駄目、一般人に手を出すなんて駄目──────。

直ぐに流星の顔を見上げる。

 

──視線だけで私の言いたい事に気が付いたのか、彼は呆れたように溜息だけついた。

 

 

「断る。他所を当たってくれ。あと離れろ」

 

「おい、女の前だからって強がるなよ」

 

流星のあしらう様な言い方に男達の表情が一変した。

彼の肩に置かれた手に力が入っていく。

2人の男は大柄、年齢からしてもう少し上かもしれない。

 

「どう捉えるかは自由だが──、直接言った方がいいか」

 

「あ?」

 

諦めたように呟く流星。

変わる声のトーンに男2人も険悪な空気になる。

 

と、とめないと…。

私が何か発しようとしたところで流星は私を抱えていた腕を離した。

 

 

「臭いから手を退けろって言ってるんだよ」

 

「てめ───な─っ!?」

 

男が殴ろうとする──しかし男は背中から地面に落ちていた。

流星が手首をとって捻りあげ、直後に足払いを素早く入れたからだと思う。

 

何が起きたか分からないと驚く2人目には目もくれず、彼は私の方へ戻ってきた。

触れられていた肩だけパッパと叩いて払うと、私の手を取る。

 

 

「〜〜〜!?」

 

余りの行動の速さに相手も呆気に取られていた。

流星はそのまま私を抱え、走り出す。

 

所謂お姫様抱っこ──、待って、周囲の視線が────凄い。

 

 

コケた相手に追撃もない。

至って平和的にその場から離れる事に成功していた。

 

 

───離れた大通り手前で降ろされる。

最初から想定外が重なり過ぎて、真っ赤になった顔が元に戻らない。

 

 

「ア、ありがとう…」

 

辛うじてお礼を言う。

まだ緊張して発音がおかしくなっている私を見て、流星がくつくつと笑った。

 

 

「くく、案外悪くないな。こういうのも」

 

 

本当に愉しそうに笑みを見せる彼を見て、私は頬を膨らませる。

恥ずかしかったのを笑われた不満と、彼が特に意識してないことへの不満。

 

睨んでいると流星は笑うのを堪えながら口を開いた。

 

「悪い。簪のそういう顔見られるのが嬉しくてさ」

 

「む、むぅ」

 

ど、どういう意味なんだろう。

そう言われたら怒る事も出来ない。

本音がよく口にする『ずるい』という言葉がよく分かる。

こちらの好意を理解しているかと錯覚しそうになる。

でも、嫌な気にならない程──私は深みに嵌ってしまっているのだろう。

 

 

「ん」

 

「?」

 

手を差し出し彼を見る。

一瞬キョトンとする彼に、私は意図を伝える。

 

「今日は、1日…私の言う通りだから…その…手を…」

 

消え入りそうな声なっちゃったけど彼はしっかり聞いてくれていた。

伸ばした手を少し大きな手が包む。

彼自身も少し照れ臭そうにしながら、私に笑いかけるのだった。

 

 

「じゃ、行こうか。簪」

 

「うん!」

 

私も笑顔でしっかりと握り返す。

 

 

…。

──服の趣味がお姉ちゃんのものな理由は……後で聞いておこう。

 

 

 

 

 

「ペア──チケット…?」

 

差し出されたチケットを前に、簪は目をぱちくりさせていた。

二学期が始まってすぐ。

流星とのデートの日が近くとなった辺りで、簪の前の席のクラスメイト──坂道綾(さかみちあや)が簪にそれを差し出してきたのだ。

 

ヘアピンで前髪を留めている少女は得意気に笑みを浮かべる。

 

「ふっふーん。どう?欲しい?」

「え、えっと。水着はあんまり得意じゃないかな…?」

「そうかなー?実は簪さんには素晴らしいアイテムだと思うんだけど」

 

ニヤニヤしながら綾はチケットをひらひらさせる。

 

「綾、それって…どういう?」

 

「───デート、するんでしょ?」

 

「!?」

 

耳打ちするようにして探りを入れる綾。

席が近い事もあり4組で簪に1番話し掛けるのが彼女である。

一学期の余裕のない時期でも彼女は気さくに簪に話し掛けていた。

流星達と関わるようになってからは、簪からもちょくちょく綾に声をかけるようになっている。

 

ともあれ、何故か知られている事実を前に簪は驚愕を露わにする。

デートという単語に改めて固まりそうになっている。

 

「相変わらず簪さんの反応は可愛いなぁ〜。っと本題に戻るよ。専用機持ち達の取り決めはちょっとした噂になってて、簪さん成績1位だったじゃん?だからそうするのかなーって思っただけ。その様子だとやっぱりまだなのね」

 

「綾。このことは───」

 

「大丈夫。言いふらさないよ。それでさ、私もチケットを貰ったのは良いけど特別行きたいワケじゃないし………後ね、また大きくなってきたから水着買い替えないとなのよねー」

 

「…まだ育ってるの──?」

 

綾の言葉を聞いて簪の視線が彼女の胸部へ。

訝しむような視線を前に綾は頷く。

その視線に込められた羨望の念はスルーだ。

 

「そりゃ勿論、育ち盛りだから。──で?で?どうよ?欲しい?」

 

「……えっと…」

 

「『プールデート』…凄い魅力的な言葉だと思わない?」

 

「────」

 

『プールデート』という単語を聞き、目を見開く簪。

その時の彼女の瞳の奥はキラキラしていたと後の綾は語る。

 

簪の中にあったプールへの抵抗は、いとも容易く砕け散っていた。

 

 

 

 

 

 

───更識簪は、美少女である。

 

自己を低く評価する事が多い彼女だが、美人が多い学園で周りと比較しても尚──彼女が埋もれる様な事は無い。

1部の有識者()によるとむしろ抜きん出ている、との事。

 

今更な話である。

しかし、改めてそうなのだと少年は1人納得していた。

 

 

更衣室手前で別れ、プールサイドで合流した2人。

モジモジと自信なさげにだが、少女の視線は少年の方へ。

海の時とは少し色の違う水着。

今度は青みがかった黒──ではなく完全な黒色の水着。

以前と同じようにフリルこそついてはいるが、ワンポイントとなっていた白い線もない。

 

また、普段は付けないであろう縁の赤い伊達眼鏡。

 

───全てが彼女の白く柔らかな肌を強調していた。

 

 

「ど、どう…かな?」

 

「────」

 

以前よりも遥かに大人びた見た目と仕草とのミスマッチ。

 

思わずこれには、流星も言葉が一瞬出なかった。

その後に反射的に零れ落ちる言葉。

流星としても別の言葉を選ぼうとしたのだが、あっさりそれは漏れ出てしまった。

 

「綺麗、だな」

 

「───え?」

 

「さ、行こうか」

 

「ちょ、ちょっと…流星?」

 

手を取られ入口付近から砂浜付きの流れるプールへ手前に移る。

表情に変化はなく、照れ隠しだと簪は夢にも思わない。

いつもならば微かな雰囲気の差で理解出来るのだが、彼女も余裕は無かった。

まさか、そんな直球の感想───とは信じられずにいる。

 

以前の感想の一部分──ではあるのだが、ニュアンスが違う。

前が本心でなかった訳では無い。

ただ、はっきりとした意識の違いがそこにはあった。

 

軽くストレッチだけすると、そのままプールへ入っていく。

ストレッチの際、手を離した。

 

「…………ぁ…」

 

簪はもの惜しそうに手を伸ばす。

ストレッチする上で自然に解けるように離された手を数秒見詰める。

 

 

『あげてもいいけど、条件があるよ。簪さん───攻めないと許さないからね?』

 

これからやるべき事を理解し、深呼吸。

こんな機会中々ないのだ、ないのだと自身に言い聞かせ身体を震わせながら1歩進む。

そうして───

 

 

「!────っ、えいっ」

 

 

意を決したように後ろから流星の腕に抱き着いた。

 

 

「!」

 

普段の彼女には見られない積極的な行動。

彼女を良く知るものほど想像しないそれは、流星からも想定外だったらしい。

勢いよく右腕に抱き着かれ、意外そうな顔をする流星。

 

「あ…」

 

今日で完全に意識させる──そんな彼女の決意は行動に勢いを持たせ過ぎた。

 

 

半身が浸かる程まで波のプールに入っていた流星。

そして、その右腕に勢い良く抱き着いた彼女は勢い余って前方へ身を乗り出す。

転けそうになるも、流星の右腕を掴んでいた。

反転して彼の方へ向き直りながら、プールへ。

 

 

結果、彼を引き摺り込む形で2人ともプールに倒れ込んだ。

大きく水飛沫が上がる。

 

ピーッと監視員の笛の音。

傍からは飛び込んだようにも見えたらしい。

 

 

「ぷはっ、ビックリした。怪我はないか簪」

 

「げほっ…う、うん大丈夫──ありがとう。流星、左手!」

 

「あぁ、問題ない」

 

簪は後頭部(・・・)に添えられている左手に意識をやる。

咄嗟に彼は簪に抱き着く形で後頭部をカバーしていたのだ。

 

頬が紅潮していくのがわかる。

彼が誰彼構わずこういう事をする人間では無いのを知っている。

───ずるい、ズルい、ズルいズルい。流星ばっかり────。

 

 

1人ふくれる少女。

どうにかして意識させたい。

半ばヤケになった思考で何か無いかと考えている中、簪はあるものを見付けていた。

 

 

「流星、アレに行こ」

 

 

簪が指さした方向。

其方へ流星も視線を向ける。

 

そこにあったのはウォータースライダーであった。

 

 

 

 

先頭で待っていたのは、バイザーに小型のマイクを装備した係員の女性だった。

スラリとしていてスタイルも良く、活気溢れる声で客案内している。

お姉さん、という言葉が似合う女性であった。

 

「はい、次の方どうぞー。──ああ、カップルの方ですね?ご一緒に滑られる感じですかー?」

 

「あー、俺達は────」

 

「は、はい!そう、そうです…!」

 

「…はい?」

 

──思わず流星は反応が遅れた。

係員の言葉に対し、目の前にいた簪が有無を言わさない勢いで肯定した為だ。

並んでいる最中に見ていた光景を思い出し、思わず流星は顔を強ばらせる。

理由は簡単だ。

 

「じゃあ先に彼女さんの方から。そこに座って下さいねー」

 

案内に従い、スライダーの開始地点に簪は移動する。

恐る恐る浅瀬に。

ひんやりと冷たさが指先から足首へ広がる。

彼女はそのまま座り込む。

 

縮こまるように正面を向いていた。

小さく綺麗な背中を前に、流星は諦める事にする。

 

「じゃあ次は彼氏さん。後ろからぎゅう〜っと抱き締める感じで捕まって下さい」

 

こう、と係員にジェスチャーで示され流星もまた移動する。

簪は一切振り返ること無く、微動だにしなかった。

係員の言葉を聞いて身構えているようにも見える。

明らかに彼女は緊張していた。

 

緊張する位ならしなけりゃいいのに、と流星は胸中でぼやく。

 

簪のすぐ後ろで座り込む流星。

恐る恐る彼も両腕を簪の腹部に回す。

 

「ひゃっ!?」

 

──身体が触れる。

彼女の背中は水に濡れているものの、温かい。

流星は衣類を来ている為、簪からすれば冷たいのだろう。

素っ頓狂な声は冷たさによるものか、抱き着いたせいかは分からない。

 

「もっとピッタリくっ付いた方が安全ですよ〜」

 

2人にとって係員の声は、遥か遠くからのものに感じた。

内容を一瞬聞き逃しそうになりながらも、流星は指示に従い腕の力を少し入れる。

壊れ物を触るように慎重に。

 

如何に彼と言えど、年頃の男子である事に変わりない。

普段は意識しない彼女の『異性らしさ』を前には、完全に平静では居られなかった。

 

心臓の鼓動が聞こえる。

それは簪のものか、はたまた自身のものか。

柔らかな肌。

視界いっぱいの肌色───もとい、見下ろすと見えてしまう景色。

伝わる体温。

鼻腔をくすぐる彼女の匂い。

聞こえてくる緊張した彼女の息遣い。

 

 

 

────本当に、良くない。

 

 

そして、彼女の方もまたドギマギを隠せずにいる。

真横で流れている水の音も、彼女には聞こえてはいない。

五感は全て、背後で密着している彼の方へ向けられていた。

自身よりも大きな手。

硬い指先、胸板。

全身を包み込むような安心感。

振り返ることはままならないが、すぐ近くに彼の顔がある。

 

「〜〜〜〜〜っ!!」

 

明らかに伝わっているであろう心音も、更に彼女の緊張を加速させていた。

 

(近い近い近い近い近い〜〜〜っ!!)

 

彼女の心はあらゆる感情によりオーバーヒート。

頭が真っ白になり、時間感覚もあやふやだ。

 

 

(これは、流石に…)

 

 

流星は非常に自然に、かつ理性的に簪と身体を密着させた。

 

 

「じゃあ、いってらっしゃーい」

 

 

係員が笑顔で頷く。

押される流星の背中。

身体にかかる慣性。

水の流れと共に二人の身体はスライダーへ呑まれていく。

 

身体を強ばらせたままの簪を危惧し、流星は腕の力を強めて抱き寄せた。

 

 

「────へ?」

 

 

───そこでやっと、簪は現実に引き戻される。

真っ赤だった顔の色が引いていく。

狭い空間の中、風を感じた。

 

流れていく筒の中の景色。

絶え間なく視界は揺れている。

飛び散る水しぶきもなんのその。

 

 

ポカンとした表情も一瞬。

滑っている中、冷静に視線は彼の腕へ。

───ある事に気がついた彼女の顔は、サーっと一度青くなった後。

───再度、爆発するように真っ赤になった。

 

 

「りゅ、流星!お腹は、だっ、駄目────っ!!」

 

 

目をぐるぐると回しながら声すら出し切れない簪。

突然混乱し始め彼女を前に、流星も困惑せざるを得なかった。

乙女な理由を察せないのも仕方がない。

 

 

「おい、暴れると危な───────」

 

じたばたと暴れる簪を抑えつけようと試みる。

水で滑りやすくなっていたり、簪が腹部の腕を振りほどこうとしているのもあって上手くいかない。

あと少しの辛抱。

あと少しでスライダーも終わる────。

 

そう彼が考えている最中だった。

 

 

「─────」

 

むにゅり、と。

彼の腕と手に先までとは違った感触が伝わる。

柔らかい何かに指が沈む。

 

 

「──────んっ…」

 

 

目の前の少女から漏れる艶めかしい声。

ピタリと動きも止まる。

暴れていた力も抜け、呼吸すら忘れてしまう。

 

彼女は視線を腕に戻しながら、消え入るような声で弱々しく呟くしか出来なかった。

 

「───そこ、も…駄目…っ」

 

理解が追いついていないのか、抵抗もない。

 

 

対して少年は苦々しい表情。

───不味い、なんて冷静な思考。

この状況下でも冷静で居られるのは彼だからこそだろう。

 

順応性が高過ぎるのも問題か。

 

 

 

先が明るく、開けていた。

10数秒にも満たないウォータースライダーも終わりが近い。

腕を組み替える時間もなく、ただ流星は申し訳なさそうに視線を逸らした。

 

 

「………悪い」

 

 

程なくして、二人はプールにその身を放り出される。

 

 

───大きな水しぶきがあがった。

 

 

 

 

 

 

「落ち着いたか?」

 

「うん…」

 

ウォーターワールドの飲食店が並ぶ一角。

白い椅子に座る簪を前に、彼は手に持っていた物をテーブルに置く。

 

彼の両手にあったのは、すぐ目の前の店で購入した焼きそばとたこ焼き。

プラスチックの容器に盛られたそれらから湯気が立ち上っており、鰹節はひとりでに揺れている。

 

簪は両手で包むようにジュースを持ったまま、視線だけで鰹節を追っていた。

───対面に座る彼と目が合わせられない。

 

昼時ということもあり、周囲は人で賑わっている。

プールから少し離れた簡易のテラス席──とは言っても室内である。

 

広大なウォーターワールド。

そのエリア端などにはチラホラ2階があり、飲食や休憩を取る空間となっていた。

気分的なものかパーソナルスペースとやらの為か、テーブルの中央からは派手なパラソルが生えている。

 

「冷めない内に食べよう。たこ焼きであってたよな?」

 

「うん。ありがとう、取ってきて貰っちゃって」

 

「どういたしまして。代わりに座席取っててくれてありがとうな」

 

「えっ、そ、そんな別に」

 

 

──なるべく周囲に視線を逸らしつつ、簪はそう返す。

フラッシュバックする先の出来事。

悶えそうになるのを何とか堪える。

 

言葉もなく食べ物を口に含む。

普段なら気になるたこ焼きの熱さも今はさして気にならない。

 

 

このまま先の出来事に触れないで居るのも落ち着かなかった。

どう切り出そう、と少女は考えようとする。

 

言い出そうと決め、顔を上げるも挫折。

 

 

 

「ごめん、簪。浅慮だった。もう少しやりようがあったかもしれない」

 

と、不意に沈黙が破られた。

申し訳無さそうに謝る流星。

まさかこうもしっかり謝られるとは思わなかったのか、簪は慌てて口を開く。

 

「あ、謝らないで!?悪いのは私なんだし……」

 

「事故であれなんであれ、悪いのは変わらないだろ。簪に嫌な思いさせちまったからさ」

 

「ち、違うよ!?嫌じゃ無かったし…!」

 

手をあたふたさせながら、簪はそう告げた。

簪の言葉に流星は一瞬困惑。

 

「…え?」

 

「や、その、違うから。変な意味じゃ…!無くて…!流星になら触られても平気ってだけ…!さっきのは、恥ずかしくてびっくりしただけだから……!!」

 

力強く弁明する簪に流星はキョトンとした顔。

暴走気味で何やら失言している様子。

真意は理解しかねるが、悪い気はしない。

 

彼もまた言葉が浮かんでこなかった。

手前にあった水に手を伸ばしながら数瞬考える。

 

今度は簪が恐る恐る彼の顔を覗き見ていた。

上気した頬、あらゆる感情が入り交じった赤い瞳。

髪も身体も乾ききっていおらず、目先に見える唇も艶やかだ。

 

思わず見入る流星を前に簪は不安そうに尋ねる。

 

 

「流星は…、本音やお姉ちゃんの方が良かった───?」

 

「何故そこで2人が出てくる」

 

「だ、だって2人ともその…大きいし…流星、平気そうだから…」

 

──と簪が視線を自身の胸に落とす。

別に簪は小さい訳ではない。

無いのだが、比較対象が悪かった。

 

──鈴が親の仇を見るような目で、本音の胸元を睨んでいたのを思い出す。

この類いの話はとてもデリケートである。

 

 

「そういうのは無いな。簪は女の子としても魅力的なんだから気にしなくて良いと思う」

 

「み、魅力的…?本当に?」

 

「……その、なんだ。ぶっちゃけると役得だったって思う位には」

 

少し照れ臭そうに視線逸らす流星。

簪もまた、串で刺したたこ焼きに思わず視線を逸らす。

 

「───っ」

 

再度沈黙が2人の間に訪れる。

先のような気まずさこそない。

2人は黙々と目前の食事を口に運んでいた。

 

 

 

「あれ、今宮くんだー」

 

「凄い偶然!一緒に居るのは4組の更識さん?」

 

2つの声に流星は視線をそちらへ。

簪はビクッと驚きつつも、振り返る。

そこに居たのは2人の少女。

片方はショートの髪にヘアピンを付けていた。

もう1人はおさげヘアーが特徴的であった。

鷹月静寐と谷本癒子───1組の人間である。

 

「えっと…──」

 

流星を迎えに度々1組に来る為、簪側も顔は知っている。

しかし、名前までは分からなかった。

代表候補生かつクラス代表、そして流星とよく居る事もあって有名人な簪を2人が知っているのは当然である。

また、簪が話した事すらない2人の名前を知らないのも当然であった。

流星は困った様子の簪に助け舟を出す。

 

「気付いてるみたいだけど、2人は俺のクラスメイトの鷹月さんに谷本さん。───で、2人も知ってる通り、此方は4組の更識簪さんだ」

 

「よろしくねー更識さん!」

「よろしく〜」

「よ、よろしく」

 

互いに挨拶を交わす少女達。

それが終わった瞬間に静寐は目を輝かせた。

意味深な笑みを浮かべながら簪に詰め寄る。

 

「それで、おふたりはデート?」

 

「で、ででデート!?」

 

「どうなの?2人できたってことはそういう事でしょー?」

 

「それは──っ〜〜〜 」

 

茹で上がったタコのように簪の顔が赤くなる。

見兼ねた癒子は静寐の肩に手を置いた。

 

「静寐ー、更識さんが困惑してるからあんまりぐいぐい行くとダメだって。でさー、結局どうなの?今宮くん」

 

「そりゃ、デート以外ないだろ」

 

「〜〜〜〜!」

 

簪を横目に流星は水を口に運ぶ。

彼女は真っ赤なまま口をパクパクさせていた。

ヒューっと茶化すように声を上げるクラスメイト2人。

 

「とは言っても2人が想像してるような関係性じゃ無い──事の発端も簪がペアチケット手に入れたからだしな」

 

「……」

 

「簪?」

 

微かに変わる簪の表情に流星は小首を傾げる。

2人も気付かなかった些細な変化には気付く癖に、肝心な所が抜けていた。

 

遅れて簪の様子を知った2人はヤレヤレと肩を竦める。

 

「相変わらずだね」

「更識さんでこれだから、清香も大変だろうね」

 

「相川さんがどうかしたのか?」

 

「「ううん!気にしないで!」」

 

尋ねる流星を前に2人は笑顔で否定する。

これは聞くなって事だな、と彼は理解しそれ以上は尋ねなかった。

 

ハッとなったように癒子はあるものを指さす。

 

 

「そういえば、2人はアレ出るの?」

 

「「?」」

 

アレ──と言われフロアの入口付近の看板を見る。

そこに書かれている事を流星と簪は読み上げるようにして飲み込む。

 

 

「水上ペアタッグ障害物レース?」

「優勝賞品は───ペアでの沖縄5泊6日の旅……!」

 

 

ただ、反応は正反対であった。

興味が無さそうな少年に反し、突然少女は目を輝かせ立ち上がる。

キョトンとする流星に対し、鼻息荒く簪は提案するのであった。

 

 

「流星!一緒に出よう───!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ!?プール?なんで(あたし)なのよ」

 

流星と簪のデートの日の朝。

IS学園寮内の食堂でツインテールの少女は不満そうに声を上げた。

朝練後朝食を食べ終え、これからどうしようかと考えていた所であった。

 

フッた相手をプールに誘う──皆で──という訳でもない。

どんな神経をしてるのかと言いたげな鈴だが、一夏も自覚はあったらしく困り顔だ。

 

「いや、相手は俺じゃないというか。セシリアだ」

 

「は?」

 

「白式のデータ取りだとかって急遽開発の人が来るらしい。それで──」

 

「あー、ちょっと待ちなさい。察したわよ」

 

左手で待ったを掛けながら鈴はこめかみを抑える。

 

「要するに、代わりに行けって事?」

 

「凄く雑に言うとそうだな。鈴が良ければ──だけど」

 

「なんで(あたし)なのよ。電話すればいいじゃない」

 

「鈴はセシリアと仲良いからさ。あと電話したんだけど出なくて…」

 

と、一夏はポケットからチケットを取り出す。

それを見て鈴は『あー』と間抜けな声を漏らした。

それはペアチケット。

以前セシリアが偶然手に入れたと鼻息荒く自慢していたのを思い出したからだ。

この真実を告げた時の彼女の心中は流石に想像したくない。

───というか、この役目自体普通に嫌だ。

 

「嫌。って言いたいけど、他の人だと状況ややこしくなりそうだし──仕方ないわね」

 

大きな溜息をつきつつ、鈴は手を差し出しチケットを受け取る。

この後の一夏のアテを考えるに、ややこしくなる未来しか見えない。

箒やシャルロット、ラウラなどに声を掛ければ彼女らは『一夏と2人』でと勘違いし舞い上がって現場に向かうだろう。

 

 

「ごめん鈴」

 

「っても連絡役(メッセンジャー)としてあんたが来ないこと伝えるだけだけどね。そこからはセシリアの決める事だし」

 

「いや、本当に助かる」

 

両手を合わせ感謝の意を示す一夏。

仕方のない事ではあるが、こういうので責任を取るのも男の甲斐性である。

 

「今度奢んなさいよ。食堂のデザート3日分。セシリアの分もね」

 

「お、おう」

 

@cruise(アットクルーズ)のパフェでも良かったかな、と鈴は少し考える。

ただ、それは後日あの少年と行けばいいかと考え直しつつ、彼女は立ち上がる。

 

手に取ったチケットを眺めながら、行先を彼女は呟くように口するのだった。

 

 

「ウォーターワールド、ねぇ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




1話におさまらなかった…。


※どうでもいい補足
坂道綾(さかみちあや)
恋バナ好きな一般生徒。世話焼きだがお調子者。成績は中の上。
ヘアピンで前髪を留めており、身長と相まってスタイルも良い。
実は隠れアイドルオタクであり、簪には見抜かれている。
最近の悩みは推しが増えそうな事、らしい。


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