悪魔の妹は下僕が欲しい【更新停止】   作:はるかなた

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第十話

「どうも! 紅魔館の門番、紅美鈴です!」

「あ、はい、朧月矢夜です」

 

 ナイフを掴んだまま、彼女は朗らかに笑顔を浮かべて言った。

 眼前に繰り広げられる明らかに異様でちぐはぐな光景に思考すらまともに働かなくなった僕は、反射的に名乗り返すのが精一杯だった。

 

「うん、君が例の使い魔君だね、一先ずは元気そうで何より。……それで、咲夜さん、とりあえず状況を教えて貰える?」

 

 美鈴が、ナイフを握り締めていた手を開く。

 いつの間にか咲夜からも放されていたらしいナイフは、支えを失い、そのまま重力に引かれるように地面に落ちて。そして、如何なる魔法によるものか。それは、誰が触れたわけでもないのに、瞬きをした僅かな間のうちにその場から忽然と掻き消えて、まるで手品のように咲夜の手の中へと戻っていた。

 

「話の流れに合わせた、ちょっとしたデモンストレーション、ってところかしらね。それに、美鈴さんなら必ず気付いて、ここまで飛んでくるだろうと思ったから。そうすれば移動の手間も省けるでしょう?」

「そりゃ、その分私が動いてるからね……」

 

 咲夜の答えに、美鈴はややげっそりとした表情を浮かべた。

 やり取りだけを聞いていれば、気心の知れた者同士が繰り広げる少しだけ皮肉めいた応酬。

 

 けれど、その場にいる僕が肌で感じ取ったのは、そんな親しみのあるものではなくて。

 どこかお互いの腹を探り合っているような、互いに牽制し合うような。

 とても穏やかとは言い難い雰囲気であった。

 

 そしてそれは、次の瞬間に、より明確な形を成して現れた。

 

「けれど、私が間に合わなかったら――――そもそも来なかったら、どうするつもりだったの? デモンストレーションにしては、中々に真に迫った殺気だったけれど」

「さあ、どうだったかしら。深く考えていたわけではないもの。それに、起こりもしなかった可能性なんて考えるのは無駄じゃないかしら」

「……へぇ、そう」

 

 腹の探り合いだの、牽制だなんて生温いものじゃない。

 それは、最早抉り合いというに等しいモノと化していた。

 

 刺すように、より鋭く細められた美鈴の視線。

 それを差し向けられた咲夜は、しかし物ともせずにその無表情を崩さない。

 

 時間にして数秒。

 されど、体感としてはもっとずっと長い沈黙。

 実に険悪なその空気を切って捨てたのは、美鈴からであった。「まぁ、いいわ」と呟いてからふっと目を閉じ、その睨め付けるような視線を咲夜から解くと、その表情を朗らかな笑みに戻す。

 

「それで、私に聞きたいことって?」

 

 あまりの切り替えの早さにについて行けず、一瞬、呆けてしまった僕は。

 考えがまとまらないまま、慌てて口を開いた。

 

「えっと、僕、妖怪になってしまったばかりで。まだよく分からないというか、実感もないというか。その、生き死にだとか、……殺し殺され、とか」

 

 誰も殺したくない。

 そうとはっきり言うことができず、紡がれたのは酷くしどろもどろな言葉の羅列。

 

 けれど美鈴は、そこから僕の真意を汲み取ってくれたらしく、小さく「そっか」と呟いた。

 

「怖いんだね」

 

 口を噤んで、数秒の間を置いた後に。

 こくりと頷いた。

 

 そうだ。

 僕は、怖い。

 この手を血に染めることが。

 自分の都合で誰かから何かを奪うことが。

 ……そうして、その結果として誰かから憎悪を向けられることが。

 

 咲夜が言ったように、これまでだって命を奪って、それを糧として生きてきた事実は変わらないというのに。

 

「ならば、強く在ればいい」

 

 そんな、俯いて丸まった僕の情けない背中を、美鈴はぱんっと叩いた。

 じわりと仄かな痛みが走り抜けて、それから、遅れて燃え上がるように熱が広がっていく。彼女から何かが、その掌を通して伝わってくるように。

 

「私は、咲夜さんみたいに理屈だとか成り立ちについては明るくない。難しいことは、正直よく分からないよ。でも、妖怪としてそれなりに長く生きてきたことは事実だ。その経験に基づいて、断言できることはある」

「それは……?」

「それは、妖怪が、必ずしも誰かの命を奪わなければいけないってわけでもないってことだよ」

 

 諭すような口調。

 それはパチュリーから、咲夜から聞かされた言葉を真っ向から否定する言葉だった。

 

「人々からの信仰を、何らかの恩恵として返す、神サマってのがいるでしょ? アレってさ、結局のところ、私達と同じなんだ」

「妖怪は、人に仇なす存在なのに?」

「そう。妖怪は人に仇をなす。人を傷付けることで、それに見合うだけの『畏れ』を抱かれる。正か負か、ちょっとした方向の違いはあるけれど、その因果の関係性はとても似通っているとは思わない?」

 

 少し、考え込む。

 

 咲夜の言ったことは紛れもない事実で、妖怪は畏れられることによってその存在を確かなものとする。

 けれど、彼らが知恵を付けることで、妖怪が打倒し得る程度のモノとなってしまえば、人々はそれに畏れを抱かなくなる。だから、妖怪は人を傷付け、殺す。そうすることで彼らの脅威であり続け、畏れを抱かせることで、自分達が単なる迷信になってしまわないようにしている。

 

 ならば、神は。

 人々から信仰を捧げられ、それに見合うだけの恩恵を授ける。そのカタチは確かに似ているけれど、因果の関係は妖怪のそれとは反対のようにも見える。

 

 ――――けれど、その前提が間違っていたならば。

 

 捧げられたから返すのではなくて。

 人々からの信仰を得る為に、彼らに恩恵を授けているのだとすれば。その信仰こそが、神が神として存在できる所以だとするのならば。それは確かに、畏れられる為に人を襲う、という妖怪の原理と一致するのではないか。

 

「私達は神じゃない。けれど、神も妖怪も、元を辿れば同じ『幻想』なんだ。神の中にだって、例えば祟り神のように、『畏れ』という信仰を捧げられることで存在を確立させるモノもいるのだから。妖怪にだって、違う道があっておかしくはない筈」

 

 顔を上げる。

 優しげに微笑んでいた彼女の顔が、何かを訴えかけるように真剣なものへと変わっていた。

 

「強くなりなさい。殺さずとも、奪わずとも畏れられるほどに。それは簡単なことではないけれど――――決して、不可能なことでもないのだから」

 

 やるべきことは変わらない。

 違うのは、ただ、辿り着こうとする結末だけ。

 だって、相手を殺さずに打ち負かすということは。少なくとも、その相手よりも自分が強くなければ、成立し得ないのだから。

 

 それは茨の道だ。

 長く果てしない、終わりのない道のりだ。

 最後まで貫けるかも分からないし、辿り着いたその先は理想とは異なっていて、この手が決して拭うことのできない誰かの血に赤く染まっているかもしれない。

 

 ――――あぁ、けれど。

 それでも、最初から誰かを殺める為だけに力を求めるよりかは、ずっといい。

 

「……ありがとうございます。少し、すっきりしました」

「大したことじゃないよ。……そうだ。私、朝に門前で簡単な鍛錬とかしてるからさ。気が向いたら、仕事の前にでもおいでよ」

 

 簡単な稽古くらいなら付けてあげる、と笑みを浮かべた美鈴に。

 僕は漸く、笑顔を返すことができたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、本題なのだけれど」

 

 先ほどの険悪ムードはどこへやら、何事もなかったように会話を続ける美鈴と咲夜を、僕は外側からぼんやりと眺めていた。 

 

 お互いがお互いに敬称を付けつつも敬語までは用いていない辺り、二人の立場はそれなりに近しいものなのだろう。

 又聞きの話ではあるが、咲夜が雇われたのがここ最近であるという話だし、美鈴が門を任されたのがつい最近、という感じもしない。それだけに、身長の差、およそ頭一つ分は高い位置から話す妖怪の美鈴に対して、怖気付いた様子もなく対等に渡り合っている咲夜の肝の座り具合がどれだけのものかが窺えた。

 

 ……案外、そう遠くない未来に紅魔館を実質掌握したりしていて。

 ふと、そんな考えが過ぎった。

 

「まぁ、大体は分かった。中庭についてはすぐにでも分担を始めるよ。……けれど門の方は、ちょっと考えた方がいいんじゃないかな」

 

 僕が考え事にすっかり気を取られているうちに、話はある程度の区切りを迎えていたらしい。

 美鈴は、少しだけ難しい顔を浮かべて受け答えしていた。

 

 ……いかん、何も聞いてなかった。

 まぁ、僕はあくまで顔合わせに来ただけの筈だし、あまり関係のない業務連絡とかだとは思うけど。

 

「稽古をつけてあげるのでしょう? なら、問題はないと思うけれど」

「いや、とは言っても、今の彼は食屍鬼なんだろ? 流石に昼は危険じゃないかなー……」

 

 バリバリ関係のある話をしていた。

 こちらへと視線が向けられて、思わず冷や汗が噴き出る。

 

 しかも、何やら危険が伴う話らしい。

 ……そもそも日中にお使いに行かされることさえ身体的な問題上危険が伴うくらいなのだから、今の僕にとっては日中の仕事の大半には、命の危険が伴う物だと言えるのだけれどね。

 その上で、けれどそれでも「危険」ということは、今任されようとしているのは相当危険なことなのでは? 命までは懸けたくないし、ちゃんと断った方がいいかもしれない。

 

「何もすぐに一人で立たせろ、という話ではないわ。放っておけば寝てしまう美鈴さんの監視役ってだけでも、充分だもの」

「ちょっとちょっと、別にサボってるってわけじゃ……」

「分かってる。アレで問題なく仕事が回っている辺り、貴方の『能力』には感心してるわ。けれど、貴方にとって問題はなくとも、外から見れば紛れもなく隙なのよ」

「むー……ちゃんと役割は果たしてるのだから、いいじゃない」

 

 先ほどの勇ましさはどこへやら。

 美鈴はすっかりと丸め込まれて、それでも納得がいかないと言うようにぶちぶちと異議を訴えている。

 

 イマイチ具体的な内容には理解が及ばないのだが、話はいつの間にか、彼女の普段の仕事ぶりに逸れつつあるようだった。

 寝てしまう、とか。サボる、とか。どう解釈しても好意的ではない評価の数々に、僕の中でひっそりと上がっていた美鈴の株が、ひっそり暴落しかけていた。

 

 しかし、能力って何のことだろうか。

 眠りながらオートで体が仕事をしてくれるとか、代わりに働いてくれるクローン的な何某を作れるとか、美鈴にもそういう魔法チックなことができるのかな。

 

「簡単に焼けてしまわないように対策も講じるつもりだし、とにかく、これはお嬢様の決定だから。矢夜も、いいわね?」

「あっ、……はい」

 

 有無を言わせぬ圧に、咄嗟に頷く。

 勿論何もよくない。せめて何の話だったかだけでも把握しなくては。

 

 ……とは言え、既に頷いてしまった以上、ここで咲夜に聞き返しても答えの代わりにナイフが返ってきそうな気がするので、後でこっそり美鈴に聞こうと思う。

 

「では、そろそろ行きましょう。本格的に仕事に入ってもらうから」

 

 そう言って踵を返した咲夜の後を、美鈴に軽く頭を下げてから追いかける。

 

 屋上の時計塔、イベントホール、厨房、食堂……主に仕事として関わっていくであろう紅魔館の各所を軽く説明を受けながら順繰りに巡ると。

 最後に、昨晩を過ごした自分の部屋も存在している、使用人らの部屋がまとめられた棟の端にやってきた。

 

 比較的目立たない、周りの壁と同色――とは言っても他も含めて大体赤なのだが――の扉を開けると、そこには所狭しと数々の清掃道具が押し込められていた。

 

 箒や塵取り、バケツに雑巾などなど、比較的馴染みのある道具類をひょいと取り上げてワゴンに積むと、咲夜はそれを僕に差し出してくる。

 どうやら、最初の仕事は清掃業務らしい。

 

「じゃあ、はい。今日は、ひとまずこちら側の棟をお願いするわ。今後の仕事量の参考にしたいから、無理のない程度のペースでできるところまでやって頂戴」

「了解」

「部屋の中は結構。貴方もだけれど、自分の部屋は自分で掃除するように。あとは、契約の通り、休憩のタイミングや長さは全て自己管理して頂戴」

 

 まぁ、サボるようなら少し考えるけれど、と。

 言いつつ、しかしどうやら、彼女は僕の仕事ぶりにはそこまで期待していないらしい。言葉の節々、そして態度からはそんな気配が見て取れた。

 

「妖精メイド達と同じとまでは思っていないけれど……まぁ、そこまで期待はしていないから、気楽にどうぞ」

 

 どころか、期待していないと明言されてしまった。

 うん、すぐ後ろに件の妖精達がいるから、これは陰口ではなくて悪口ですね。

 流石に気に障ったらしい妖精メイドらの抗議の視線が向き的に丁度見えてしまっている僕は、それを務めて無視し気が付いてないフリをした。

 

 ……まぁ、仕事として任されたのだから、期待されようがされまいが最低限の責任はしっかりと果たすけれども。

 それに、このまま年下の少女に言われっぱなしというのも、それはそれで癪だ。

 

 僕は、ワゴンに乗せられた最低限の清掃用具を一瞥して確認すると、視線を咲夜の背後に向ける。使い勝手のいい、小回りの利く道具は、探せば幾らでも出てきそうだ。

 

「倉庫にある道具類は、自由に使っても?」

「――――構わないわ。使用後、洗う必要があるものは一先ずは纏めておいて、それ以外は元に戻して頂戴」

 

 了承を得ると、僕は早速中に入って棚の物色を始める。

 

 ここまで見た限りでは、そこまで厄介な汚れなぞは恐らくないだろうというくらいには綺麗な館だが。……まぁ、油断はしない方がいいだろう。

 

「それじゃ、私も仕事が残っているから」

 

 また後で来るわ、とだけ言い残すと、咲夜は踵を返して去っていった。

 その後ろ姿が見えなくなるや否や早々に遊び始める妖精メイド達を見ながら、こりゃ苦労しているな、と密かにそう思った。

 

「……さて、いっちょやりますか」

 

 捲り上げた袖を縛って固定すると、僕は気を引き締めるようにぱん、と軽く頬を叩く。

 ――――イマイチ芳しくない上司からの印象。ここは一つ、頑張って覆してみせようじゃないか。

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