悪魔の妹は下僕が欲しい【更新停止】   作:はるかなた

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第十二話

 早いもので、あれから――――紅魔館にやってきたあの日から、もう一ヶ月ほどが過ぎようとしていた。

 朝食を済ませて間もなく。僕は、仰向けに寝転び、ぼんやりと空を眺めている。

 

 見上げるソレは、雲一つない快晴の空模様で。

 それは即ち食屍鬼――――吸血鬼の幼体とでもいうべき妖になってしまった僕にとって、四方八方から迫る凶器に晒されている状況に他ならない。

 

 何せ、ほんの数秒でアウトなのだ。

 多くを語る気はない、というか語るほど大層なエピソードがあったわけでもないけれど、この体が如何に陽射しに弱いかということは既に身を以て体験している。沸騰したように泡立っていく皮膚の表面を、最早痛みにさえ到達せずに、ただ漠然と"命"が流れ落ちていく実感だけが満たしていく恐怖を、きっと僕は一生忘れることはできないだろう。

 

 ……じゃあ、そんな経験をしておいて、どうしてのうのうと地面に体を投げ出して空を眺めていられるのかと言うと。

 意外なことに、その対策自体はあっさりと為されてしまったからだ。それで恐怖自体が拭い去れたわけではないのだが、任されている仕事柄外に出ないというわけにもいかないので、こうして時々ちょっとしたリハビリも兼ねて日光浴に励んでいるのである。

 

 ちなみに、件の対策とは、これまた意外なことに日焼け止めである。

 ただの日焼け止めではなく、パチュリーが魔法を施した特注品だそうだけれど……とはいえ、妖怪の持つ弱点をそんな一般的なシロモノで対策できてしまってよいのだろうか?

 

「――――しかし、まさか朝方の仕事が門番になるとは……」

 

 いつぞやに美鈴と咲夜が交わしていた会話。

 了承を求められ、聞き返す度胸もなかった僕が頷いてしまったソレこそが、この門番の仕事である。

 

 なんでも、紅魔館には美鈴以外の門番がいない、ということらしく。

 妖精メイドでは肉壁にもならず、しかし咲夜が館を空けてしまえば中の仕事が回らずで、困っていたらしい。

 

「私は平気だって言ったんだよ?」

 

 門に背中を預けるようにして、すぐ近くで腰を下ろして目を瞑っていた美鈴が、僕の言葉に反応して口を開く。

 

 これは最近になって聞いた話なのだが。

 彼女には、『気を使う』という少々変わった能力があるのだそうだ。気、というモノを捉えることのできない僕にはイマイチ実感の伴わない話なのだけれど、それはいわゆる生命エネルギー的なものらしく。瞑想といった行為を通じてソレを練り上げることで、彼女は休息や栄養補給を必要とせずに長時間活動し続けることができるのだとか。

 

 中庭にいた筈の彼女が、離れたところにいた咲夜の殺気に反応することができたのもその能力の一旦であるらしい。

 他にも、戦闘時に自分を強化したり、どこぞの漫画キャラよろしく圧縮した気を放出して遠距離攻撃をしたりと、結構便利な能力みたいだ。

 

「とはいっても、流石に休みなしってのは良くないですよ」

 

 納得していない、という表情の美鈴を諫める。

 

 門番に昼も夜も関係はない。

 危険はいつ何時、守るべき館を襲うかは分からないのだ。

 

 その為、美鈴にとっては、仕事と休息は表裏一体の関係にある。

 幸いにも……否、不幸にも、彼女はそれを成し得る為の能力に恵まれてしまっていた。実に器用なことに、彼女は気を操って張り巡らせ、レーダーのように周囲の状況を把握しながら、同時に睡眠を取ることができるのだ。

 

 比較的頻繁に見られるその姿はサボりそのものであり、実際、妖精メイドから「サボり魔」だなどと度々揶揄われていたりもする。

 

「仕事が個人に依存し切ってしまうのも良くないです」

「うーん、そんなもんかなぁ」

 

 曰く、彼女はかつて、世界各地を転々と放浪していたのだそうだ。それも、それなりに長期間の間を放浪していたらしく、先ほど挙げた眠りながらの気配察知というのも、旅の途中で自然と身に付いたものなのだとか。

 

 そして、その最中に出会ったレミリアと戦い、敗北し。

 レミリアが戯れ半分に提案した契約を、これまた戯れ半分に美鈴が了承したことで、今の関係が成り立っているのだ、と。

 それはつまり、突然この関係が終わってしまってもおかしくはない、ということだ。少なくとも今の時点では、そんなことは微塵も考えていないと言っていたものの、それが永劫続くとは限らない。

 

 ――――門番不在、という未来の可能性。

 それを無関係と言い張るには、僕は少しばかり、この館の住民と関わり過ぎてしまったみたいだ。本来守るべき主を筆頭とした、自分よりもずっと強いヒト達はさて置くにしても、喧しくも賑やかで愛らしい同僚達を守ってやりたい、と思ってしまう程度には。

 

 ……それに。

 

「やっぱり、美鈴さんにもちゃんと休む為だけの時間はあるべきだと思うから」

 

 まだ碌に仕事も回せない、僕のような未熟者に休憩をとる権利が与えられて、彼女にはそれがないというのは、不公平だと思う。

 

 これは単なるエゴだと。

 自分が納得したいが為だけに、その罪悪感に耐えられないが故に身勝手な考えを押し付けているだけに過ぎないと分かっていながらも、そう言う。

 

 そんな僕の真意に、気付いているのか否か。

 美鈴はちょっとだけ困ったように、小さく笑った。

 

「それじゃあ、早いところ一人で立てるようになって貰わないとね」

「……精進します」

「冗談だって。――――それじゃ、そろそろ始めようか」

 

 美鈴の言葉に、立ち上がる。

 ……食後の小休憩も、もう十分だろう。小さく顎を引いて頷くと、僕は立ち上がりながら、傍らに突き立てていた木刀を引き抜いた。

 

 使用人兼門番見習いに与えられた朝一番の仕事。

 それは、兎にも角にも――――鍛錬あるのみ、である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 視線が合うよりも早く、駆け出す。

 これはあくまで鍛錬であって、実戦ではない。だが、当然ながら想定するのは「実戦」であり、この場における実戦が何かと言えば、即ち命のやり取りに他ならない。

 

 故に、開始の合図など不要(いら)ず。

 奇襲の一撃が相手を仕留め得るモノであったならば、それもまた一つの答えである、と。それこそが、初日に、僕に構える暇も与えずに意識を刈り取った彼女から受けた、最初の教えであった。

 

 幾ら相手が人外といえど、見えていないモノの動きは正確には捉えられない。ならば、こちらの取るべき行動は一つ。ただ、相手に捉えられるよりも早くに、相手が捉えられるよりも速くに動くのみ――――!

 

「はぁ――――ッ!」

 

 全身に魔力を巡らせていく。

 パチュリーから魔法を学ぶ過程で身に付けた初歩の初歩、魔力の操作。活性化した魔力は、それ自体が、対象への負荷と代償として性能を大幅に向上させる。謂わば、諸刃の剣だ。能力自体が大幅に劣っている僕が、経験も才能も持ち合わせていない僕が美鈴に追いつく為の、条件付きの反則行為。

 

 より速く。

 より強く。

 筋繊維が千切れていく不快音ごと振り切るように、歯を食い縛って。

 

 軌道を描く木刀は、遂に音さえ追い抜いて。

 やがて転換される運動エネルギーは、或いは金属でさえも打ち砕くほどの域にまで達し。

 

 立ち上がったばかりの、碌に構えてもいない美鈴目掛けて、全力を以って木刀を薙いだ。

 

「――――遅い」

 

 しかし、彼女には届かない。

 

 未だ虚空を捉えていたその翠の瞳は。

 まるで初めから位置を把握していたかのように、その視線を最短距離で動かしこちらを捉えると、羽虫や煙でも払うような軽い動きで片腕を振るった。

 

 腕を捻り上げられたような痛み。

 全力を以って振り抜かんとした一閃は、一割にも満たない彼女のソレにあっさりと捻じ曲げられ、弾かれた。

 

 それと、同時。

 美鈴の姿が掻き消え、視界そのものが揺らぐほどの衝撃が、幾度も全身を駆け抜けた。

 

「ぐ――――あ……ッ」

 

 その動きの一端さえ、捉えられない。

 

 木刀を手放して差し込ませた両腕ごと、嵐のような連撃が叩き込まれる。

 一撃が意識を刈り取るように襲い掛かり、続く一撃が齎す痛みによって意識を手放すことさえ許されない。

 それでも、どうにか急所だけは守り続けていた崩壊寸前の防壁は、捻りと共に繰り出された回し蹴りによってあっさりと貫かれた。

 

「ぁ――――――――」

 

 ――――体が浮き上がる。

 視界は潰れ、霞み、美鈴の姿をその端に収めることさえままならない。

 指先の感覚がない。打撃を受け続けた前腕は、へし折れてしまったのか、半ばから先が自らの意思に反して揺れていて、それがどうにも気持ちが悪い。

 痛みも、熱も通り越して、いつの間にか吐き気が込み上げてきている。

 

 ……けれど、何よりも気持ちが悪いのは。

 こうまで叩きのめされたその直後からこの体が、ゆっくりと、けれど確実に回復を始めているということだった。

 

 視界に掛かった靄が晴れる。

 指先に血が通い、燃え上がるように熱を持つ。

 遅れて駆け巡る激痛が、強引に意識を引き摺り上げていく。

 それら全てが、どうしようもないくらい鮮烈に、生を実感させてくれた。

 

 地面スレスレで空中遊泳を続ける体を、無理やりに捻り回して地面に手を付くことで縫い付ける。

 

 運が良かったことと言えば、吹き飛ばされたその先、数メートルほど滑り続けて漸く止まった場所に、先ほど手放した木刀が転がっていたことか。

 

 空いたもう片方の手で柄を叩き付けるようにしてソレを浮かし、その手の中に収める。

 痛みに震える歯を食い縛って顔を上げれば、視線の先、美鈴は未だ攻撃後の体勢のままその場所に留まっていた。

 

 僕はその場で、両手で握り締めた木刀を地面に叩き付けた。

 衝撃を受けた石畳が捲れ上がり、彼女との間を遮る壁のように立ち上がる。けれど、こんなものでは、身を守る盾になど成り得はしない。投げ付けたところで当たる筈もない。――――けれど。

 

「砕けろ――――ッ!」

 

 それらが無数の弾丸として降り注いだならば、話は違う。

 強引に多量の魔力を流し込めば、その負荷に耐え切れなくなった石壁は自壊し始める。それが完全に砕け散るよりも早く、つい数秒前に唯一捉えることができたその動きを模倣するように、捻りを加えた蹴りを叩き込んだ。

 

 打ち出されたソレは、距離を半ばまで詰めた辺りで完全に崩れ、その向こう側で驚愕の表情を浮かべる美鈴の姿を透かし見せる。

 

「散弾……!? けれど、その程度!」

 

 彼女は一度腰を深く落とすと、息を吐き出した。

 瞬間、その身を七色の光――――気が包み込む。攻撃にも転用されるそれは、身に纏えばそれだけで鎧として機能する。言い放ったその言葉の通り、この程度のちっぽけな弾幕では彼女に擦り傷程度も与えられはしないだろう。

 

 それでいい。

 僅かに身構えさせたという、その為に僅かな隙が生まれたという事実だけあれば、十分だ。

 

 再び駆け出す。

 残魔力量としても、肉体的にも、長期戦は不可能。

 否、いずれにせよ、余力を残そうだなんて考えでは掠めることさえ叶わない。

 結局のところ、僕がやるべきことなんてのは――――。

 

「――――ど真ん中から、突っ込むッ」

 

 最初から、これ以外にはありはしないのだ。

 

 全霊を以って、魔力を注ぎ込む。

 負荷に表面はささくれ立ち、膨張し、耐えかねたように節々が裂け始め。それでも、尚。自壊する限界ギリギリまで、注ぎ続ける。

 

 ……そうして、次の一振りは文字通り、最後の一撃と化す。

 当たったとしても、外したとしても、負荷に耐え切れず自壊する。そんな一撃に頼った、あまりにも非効率的な、一か八かの大博打。それに全てを委ねなければいけないということを、その未熟さを悔しいと思いながらも。僕は木刀を大上段に構えて、弾幕の向こうの影を見据えた。

 

「ハァッ――――」

 

 膨れ上がる七色は極光と化し、その中心部に在る筈の美鈴の姿は、既に輪郭しか見えない。

 けれどその中から、一際強く輝く一対の翠が、確かにこちらを捉えていることだけは、理解できた。

 

 そうして視線が交わった、その瞬間。

 彼女の足元が、爆ぜた。

 

「来る……ッ」

 

 心拍数が上がる。

 脈が、呼吸が乱れ、答えを絞った筈の思考が崩れ落ちそうになる。

 竦んでしまいそうになる両足をそれでも叱咤し、恐怖に絡め取られてしまうよりも早く、前へ、前へと踏み出し続ける。

 

 僅か数メートル。

 木刀のリーチを以ってしても、尚届かない程度の微妙な距離において、僕は構えた木刀を振り下ろすようにして、

 

「こンの――――ッ!!」

 

 彼女の顔面目掛けて、ただ全力で、投げ付けた。

 

 美鈴の顔が、先ほどを上回るほどの驚愕に染まる。自らの得物、僅かな有利を投げ捨てるに等しい行為は予想の外であったらしい。

 しかし、既に動き出して加速した互いの体は、そう簡単には止まれない。岩弾のカーテンを彼女が潜り抜けたその直後、想定通りの完璧のタイミングで、木刀が彼女の眼前にまで迫る。

 

「何を、莫迦な――――」

 

 彼女の両手は、どちらもフリー。

 岩弾のカーテンを強引に潜り抜けたのだから、当然だ。故に、僕程度の、それも絞り滓程度の魔力で補強した木刀など、彼女の脅威とは成り得ない。

 

 ほんの一瞬、彼女の視界を覆い隠したソレは、しかし振るわれた拳に打ち払われて砕け散った。

 

「――――ッ!?」

 

 ――――それこそが、最大の狙い。

 身を低く屈めて視界の外から懐へと潜り込み、引き絞った拳を弾丸の如く打ち出す。

 

 二重のフェイク。文字通りの全身全霊による、最後のフェイント。続く第三手目、大本命を存在しないと誤認させ、その認識の外から強引に殴り倒す……――!

 

 一か八かの大博打。

 その最後の賭けには見事、勝利を修め、

 

「あぁ、中々に良い手だった。もう一手があれば私の詰みだったかもしれないね」

 

 しかし、突き出した拳は道半ばで美鈴に蹴り上げられて潰され。

 代わりとばかりに、伽藍洞になった胴体に吸い込まれていく彼女の拳をぼんやりと目で追いながら、「あぁ、今日も一撃さえ届かなかったな」と思い、それを最後に僕の意識は千切れ飛んだ。

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