悪魔の妹は下僕が欲しい【更新停止】   作:はるかなた

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第六話

 レミリアを残し、執務室から出た僕達の間には、暫しの無言が訪れていた。

 

 先導する小さな背中は、どこか他人が近付くことを嫌っているかのような、強い拒絶の色が感じられて。けれど、どうにもじっとしていられず、そろそろこちらから話題を振るべきか、などと考え始めたその矢先に。

 突然足を止めた咲夜が、口を開いた。

 

「あの『悪魔の妹』の使い魔だなんて、貴方も災難ね」

 

 顔だけが、半分ほどこちらへと向けられる。

 

 染めたものとはとても思えない、穢れの類とは縁もないように感じられる綺麗な銀髪。

 どちらかと言えば日本人のそれに近い、けれどのっぺりとした印象を感じさせない、はっきりと整った顔立ち。

 そして、氷のように冷たい光を宿した、青い瞳。

 

 レミリアやフランのように、人間離れしたものではないけれど。

 彼女は、それらとは別種の、しかし確かに優れた容姿を持つ少女だった。

 

 きっと、ほんの少し微笑むだけでも、ずっと魅力的に見えるのだろうと思う。けれど、それを彼女自身が拒む何かが、彼女の中にはあるのだろうな。

 無理やり張り付けたようにも見えるその無表情に、僕はふと、そんなことを思った。

 

「悪魔の、って。もしかしてフランのこと?」

「ええ、勿論」

 

 疑問形の僕の言葉を、彼女は肯定する。

 

「姉の方も大概だけれど、妹はその比じゃないわ。何せ『悪魔』ですもの」

 

 酷く刺々しい物言いに、僕は眉を顰める。

 

 レミリアを引き合いにした、フランを貶めるような発言。

 その声は相変わらず冷たく、淡々としたもので。却ってそれが、その言葉が偽らざる本心であることを、強く痛感させられた。

 

「君は、レミリアの従者なんだよね」

 

 思わず零れた、会話の流れを外れたような問いに、咲夜は僅かに一瞬だけ表情を苦々しげに歪めると。

 

「――――そうね。でも、それだけ」

 

 短く、ただ吐き捨てた。

 

「ただ生きる為に、食い繋ぐ為だけに働いているだけ。感謝も、忠誠心も、一度も感じたことなんかない。寧ろ私は――――」

 

 捲し立てるように言葉を吐いた咲夜は、そこまで言い掛けてからはっとした表情を浮かべると、口を噤んだ。

 

 ほんの一瞬。

 ほんの僅かな、静寂。

 

 口元を固く引き結んで俯いていた彼女は、強く握り締められて小刻みに震えていた拳を、しかしゆっくりと解くと。

 

「気を許さないことね。どれだけまともに見えたとしても、あの妹は、何かを壊さずにはいられないのだから」

 

 予言のような、呪いのような言葉を紡いだ。

 

 初めて彼女が見せた、無以外の表情。

 しかしその、酷く歪んだ笑みは、決して好意的なものではなくて。押し込めようとして、けれど隠し切れない。そんな、強い悪意を感じさせるもので。

 

 同時に、今にも泣き出してしまいそうな。

 あまりにも悲痛な笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、僕が使うことになる部屋までの道中、僕達の間に会話はなかった。

 

 重苦しく沈んだ空気の所為、というだけでもなく。

 終わりの見えない、異様なまでに長い廊下を歩いている内に、すっかり気力を失ってしまっていたのだ。

 

 紅魔館という名称から、僕はすっかり、ここは洋館なのだろうと考えていたけれど。レミリアが「私の城」という表現も、そう誇張されたものではなかったらしい。

 『主な業務:清掃』と書かれていた先の契約書を思い出して、サインしたのは迂闊だったかと深く息を吐いた。

 

 そうして、地下の廊下を何往復もするほどの、設計を間違えたんじゃないかと思うほどの距離を歩き続けて。廊下の端にまで到達したところで、咲夜は漸く足を止めた。

 

「ここを使って頂戴。一先ず、暫くは楽にしていて構わないわ」

 

 咲夜から鍵を受け取った僕は、早速扉を開ける。

 最低限の家具が置かれ、小さく纏まっている、という印象の部屋。前の利用者はいない、ということだったけれど、埃っぽい印象もなく洒落たホテルの一室みたいだ。

 

「朝、あいつが寝入ったら改めて来るから。館内の説明は、その時に」

「朝……」

 

 言われて、僕はそこで初めて気が付く。

 

 吸血鬼と言えば、夜。

 つまり、陽が昇っている間は寝て過ごすのは当然のことだ。一応は、フランに血を吸われて蘇生した僕も、その一人なわけで。

 

 と、すると。

 僕は朝、起きていて大丈夫なのか? というか、起きていられるものなのか?

 

 突然黙り込んだ僕に、暫く訝しげな視線を寄こしていた咲夜は。あぁ、と小さく声を上げた後、何かを取り出すとこちらに突き付けてきた。

 

 丸く、光を反射するそれには、冴えない男の顔が写っている。

 

「なんだ鏡か。――――鏡?」

 

 一度視線から外したそれに、僕は再び目を向けた。

 

 そこにはやっぱり、冴えない顔をしたの男の顔。

 黒髪黒目も、平たい顔立ちも、紛れもない日本人のそれである。自分の顔として、驚くほどあっさりと受け入れられたことと同時に、別種の衝撃が走っていた。

 

 吸血鬼が持つ特徴の中に、確か、『鏡に写らない』というものがあった筈だ。

 フランに血を吸われたことで人の道を外れたのならば、吸血鬼になったのならば、当然、僕の姿が鏡に写る筈もないわけで。

 

「貴方は確かに、血を吸われて人間を辞めた。けれど、吸血鬼と呼ばれるには、貴方は力が弱すぎたみたいね」

「なんだよ、それ」

「冗談よ」

 

 本当に冗談だろうか。

 あまりにも、変わり映えのない無表情のまま言うものだから、とてもそうは思えないのだけれど……。

 

 それに、だ。

 吸血鬼に血を吸われて、人間辞めて、けれど吸血鬼ではない、とすれば。一体僕は何者になったというのか。ゾンビか何かか。それとも蝙蝠男だろうか。そもそも羽すら生えていないけども。

 

 恐らくはとんでもなくアホな顔を浮かべているだろう僕を暫く眺めて満足したのか、咲夜は再び口を開いた。

 

「今の貴方は、そうね――――食屍鬼(グール)、とでも言えばいいのかしら」

 

 食屍鬼……。

 イマイチしっくりとはこないのだけれど、やっぱりゾンビの類だろうか。

 

「別物だけれど、まぁ似たようなものかしら。血を吸われた直後の眷属は、大抵は欠損だらけの、見るに堪えない姿で目覚めるものなの。その欠損を補う為に血肉を求める。だから、食屍鬼」

 

 何ともないことを言うように、実に涼しげな顔で咲夜は語った。

 

 一方、その言葉を受けた僕は酷くぎょっとして、慌てて袖や裾を捲り上げると、全身くまなく見通すように何度も視線を這わせていた。

 けれど、僕の懸念とは裏腹に、どこかが腐り落ちているような様子もなければお腹の中身が顔を覗かせている、というわけでもないようだ。精々、妙に血色が悪く見えるくらいだろうか。

 

「貴方の場合、もう殆ど吸血鬼のようなものね。それだけ多くの血を、親から分け与えられたのでしょう」

 

 血を与えた。それも、少量ではなく相当量を。誰が、一体どうやって。

 ……そんなこと、考えるまでもない。

 

 僕は、その一切を語らずに笑っていた少女の姿が、ふと脳裏に思い浮かんだ。

 

「それなら、今の僕と吸血鬼の違いは?」

「勿論、力よ。人々の抱く信仰――――『畏れ』が、種の力を決定付ける。食屍鬼程度じゃあ、銀はおろか鉄の剣でも致命傷は避けられないもの」

 

 曰く。

 吸血鬼が持つ強大な力も、同様に抱える数々の弱点も、人々の『畏れ』が形を成したものである、と。そして同時に、力を持つことで『畏れ』の対象となることもまたあるのだ、と。

 

 人外について妙に詳しい彼女は、そう締め括った。

 

「つまり、僕が食屍鬼としての生を重ねて、相応の力を付けることで初めて吸血鬼に至る、と?」

 

 僕の言葉を、咲夜は頷いて肯定した。

 

「だから、元々貴方が夜型でもないのなら、朝については心配しなくていいわ。尤も、陽の光に弱いってところだけはしっかり受け継いでいるから、気を付けて」

 

 彼女の言葉は相変わらず淡々としたものだった。

 

 けれど、尋ねたわけでもないのに、僕の様子から察して、あれこれと説明してくれたのだ。しかも、単に事実を述べるだけじゃなく、僕が気付いていない僕自身のことまで詳しく、である。

 

 それだけで、と思われるかもしれないけれど。

 彼女の親切心に、気配りに、僕は少なからぬ好意を抱いていた。彼女は紛れもなく善人なのだと、そう思える程度には。

 

 だからこそ、レミリアやフランとも仲良くして欲しい、と。そう思ってしまうのは、僕が彼女達を――――吸血鬼という人間にとっての脅威とも言える存在を、正しく理解できていないから、なのだろうか。

 

「じゃあ、仕事に戻るから」

「……あっ、ちょっと待って!」

 

 踵を返して去ろうとしていた咲夜を、考え事をしていた僕は一拍遅れて呼び止める。

 怪訝な顔をした彼女は、けれど立ち去らずに足を止めて、再び視線を向けてくれた。

 

「僕は朧月矢夜。君は?」

「は?」

「名前。ほら、君にはちゃんと名乗っていなかったし、聞いていなかったからさ」

 

 すると咲夜は、一瞬、呆けたような顔を浮かべて。それから、遅れて僕の言葉を呑み込んだのか、

 

「――――変な人」

 

 小さく、そう呟いたように聞こえた。

 しかし、僕がその言葉に触れるよりも先に、浮かせかけていた足を地に下ろした彼女が、振り返る。

 

「咲夜。十六夜(いざよい)咲夜(さくや)よ」

「よろしくね、十六夜さん」

 

 咲夜に向かって手を差し出すと、彼女は、少し困ったような表情を見せつつも、握り返してくれた。

 

「咲夜で構わないわ。一応は上司だけれど、私よりも歳上だろうし」

「うん、じゃあ、咲夜さんで」

 

 上司なのは事実だしね。

 そう思って呼び直すと、今度ははっきりと聞こえる大きさで「変な人」と呟いた彼女は、呆れたように小さく笑みを零した。

 

 口に出したら、きっとすぐに隠してしまうだろうから、言わないけれど。

 

 ――――やっぱり、笑っている方がずっと可愛いじゃないか、と。

 僕は心の中で、密かにそう思うのだった。

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