悪魔の妹は下僕が欲しい【更新停止】   作:はるかなた

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第七話

 気が付いた時には、僕は既に朝を迎えていた。

 

 咲夜との会話中にちらりと過ったこともあって、最後にフランの顔を見に行こうか、などとも考えていたのだけれど、どうやら思っていた以上に疲労が溜まっていたらしい。

 少しだけ。そのつもりでベッドに身を委ねた僕は、そのままスコンと眠りに落ちてしまったのだ。

 

 しかもその眠りは中々に深いものであったらしく。

 青筋を立てて、「起こすの、これでもう三回目ですけれど」と言った咲夜の顔は二度と思い出したくもないのに、暫くは忘れることができなさそうだ。

 

「まずはここね。パチュリー様が貴方に会いたいと言っていたから、先に紹介するわ」

 

 ともあれ、レミリアが僕の為に用意したという紺色の制服――とは名ばかりの、どういうわけか単なる単色の和服――に身を包んだ僕は、咲夜に連れられて紅魔館の中でも一際大きな扉の前に来ていた。

 

 位置としては地下に当たり、潜った時の体感で言えばフランの部屋よりは浅いくらいだろうか。

 

「その、パチュリー様ってのは、どちら様? レミリアのもう一人の姉妹、とか?」

 

 そう言いながらも、僕は恐らく違うだろうな、と考えていた。

 

 何せ、本人の前ではないとは言え、主を『アイツ』呼ばわりしたり、その妹を罵った咲夜のことだ。仮にもう一人姉妹がいたとしても、『様』付けで呼ぶことなんてないだろうと思ってのことである。

 

 そんな僕の予想は、偶然にも当たっていたけれど、

 

「いいえ。パチュリー様はお嬢様のご友人よ。この扉の先、紅魔館の大図書館を実質管理されているの」

 

 しかし、致命的な箇所を間違えていた。

 

 咲夜の声に淀みはない。

 それは、抵抗も嫌悪も一切抱くことなく、レミリアに敬意を払ってそう呼んだということであり。僕は今、彼女を見縊っていたことを初めて悟った。

 

 咲夜とレミリア、その間に何らかの因縁が存在していことは、最早疑いようもないことだ。一方が人間、そして一方が妖怪である以上、それは決して、在り得ない話ではなくて。

 しかし彼女は、そんな私情を殺して職務に忠実であろうとしている。

 

 もっと言ってしまえば、きっと、昨日のようなことの方がずっと異例なのだろう。あまりにも自然な彼女の態度は、それが常日頃から維持されているものだということは簡単に察することができた。波風を立てず、感情を逆立てず、ただ一介の従者に徹する。それこそが彼女の処世術であり、そうすることで、彼女はこの悪魔の館を生き抜いてきた。

 

 昨日の彼女との差を問い質すことは容易である。

 けれど、そうすべきではない、と。僕は心からそう思った。

 

 それは、まともに始まってすらいない彼女との関係を壊すようなことはしたくない、という。目が覚めてから何度も繰り返してきた保身という側面も、間違いなくあっただろう。

 けれどそれ以上に、職務に対して真摯に向き合おうとする彼女の決意に、水を差したくはないという思いがあったからだ。

 

 それに、

 

「……大図書館。それに魔女、ね」

 

 或いは、次の問題の火種とも言える、眼前に迫るそれへの対応を考えることの方がずっと優先度が高い、ということもまた確かであった。

 

 昨晩のフランの話を思い出す。

 

 彼女に魔導書を貸し与えたという、知り合いの魔女。

 恐らくは、この扉の向こうにいる魔女こそが、正しくその人物なのだろう。

 

 ――――魔女。

 それは、きっと、今更驚くほどのものじゃない。寧ろ、吸血鬼だの食屍鬼だのといった化物染みたモノが実在する中では、魔女なんて、よっぽど現実に即した存在であると言える。何せ魔女と言えば、その真偽は兎も角として、歴史上にも姿を見せた程度の存在なのだから。

 

 それが緊張せず、恐怖せずに乗り切れる為に十分な理由になるかと言われると、正直、首を縦には振れないのだけれど。

 

 ことの由来を考えれば、あくまでイメージや誹謗中傷のレベルの話なのだろうとは思ってはいるものの、それでも魔女と言えば、悪として裁かれるモノとして語られる姿が目立つ。

 図書館という以上は、きっと、大きな鍋でぐつぐつあれこれ煮込むタイプの魔女ではないのだろうけれど。仮に美味しそうな林檎を渡されたとしても、うっかり口にすることのないよう気を引き締めねば。

 

「パチュリー様! 例の者を連れて参りました!」

 

 やたら大きい声で中に呼び掛け、返事も待たずに開け放つ。

 その理由を、僕は、視界に飛び込んできた『図書館』を見た瞬間に、即座に理解した。

 

「うおっ」

 

 ――――そこに広がっていたのは、どこまでも高く聳え立ち、只管に視界の全てを埋め尽くす、本の世界だった。

 

 僕は思わず声を漏らす。

 

 鼻先を擽る、古びた紙とインクの匂い。

 薄暗いにも関わらず見て取れるほどに宙を舞う埃の群れ。

 僕の背丈より何倍も高い本棚は、天井に触れるか否かというところにまで至り。

 そして、その全てに、一切の隙間なく詰まっている数多の本。

 

 張り上げた咲夜の声も届かないだろうというほどに、それは、あまりにも広い。

 精々が洋館にある個人の書斎が実態であるだろうそれは、しかし、紛れもない『大図書館』として形を成していた。

 

 特に気にした様子もなく、迷いのない足取りで進んでいく咲夜の後を追いつつ、ぼんやりと本棚の中身を目でなぞっていく。

 何よりも恐ろしいのは、それらの中に、恐らくただの一つも同じ本はないだろうということだ。

 

 背表紙に刻まれる文字は読めないものが大半で、しかもそれは、どうやら一種類の言語のみではないらしい。あまりにも多種多様で、世界中に存在するあらゆる本を片っ端から全て詰め込んだような、本の宝石箱。それらは、言語よりもジャンルを優先して整理されているらしく、日本語の背表紙の塊もまた、あちらこちらに点在していた。

 

「てっきり魔導書ばかりだろうと思っていたけれど、絵本や小説まであるのか」

 

 興味を惹かれるタイトルの数々に時々目を奪われ足を止めながらも、誘惑を振り切るように頭を振って正面を見据える。

 

 いつの間にか随分と先行していた咲夜は、これまでに会ってきた者の中では最も大人びた――それでも僕よりは幼く見える――容姿の少女と話しているようだ。彼女が、件の魔女だろうか。

 

 ぼんやりと二人を眺めていると、咲夜が顔をこちらへと向け、それに倣うように魔女と思しき少女の視線もまた向けられた。

 

 それに急かされるように、けれど埃が舞い上げることを危惧した僕は、走らない程度のギリギリまで速度を上げて二人の元に向かう。

 

「ふうん、貴方が例の使い魔ね」

 

 声が届く程度まで距離が埋まると、少女の視線が僕をなぞる。

 ジロジロと観察するような、張り付くような、ややねっとりとしたその目線を受けて、思わず僅かに身動ぎした。

 

 大丈夫、大丈夫だ。走ってはいないから見苦しく着崩れてはいないし、些かシンプルに過ぎるとは言え、用意された制服は仕立ても良く、不快に思われるようなことなんて何もない筈だ。僅かに汗ばむ背中に不快感を覚えながらも、心の中でそう繰り返す。

 ……唯一の懸念である肌の青白さについて言えば、魔女本人を含めたこの館の住民達と大差ない程度である、と主張しておく。

 

 上から下まで、二度ほど往復を重ねた彼女は、

 

「なんだか、思っていたより普通ね」

 

 酷く辛辣な評価を投げ付けてきた。

 一つ安心すると共に、けれど何となくすっきりせず。僅かにむっとしてしまったらしい僕の顔を見た少女が、くすりと笑う。

 

「ごめんなさいね、悪い意味ではないのよ。ほら、紅魔館の住民は、良くも悪くも変わり種ばかりでしょう?」

 

 陽気というよりかは、陰気な印象を強く思わせる風貌の少女は。けれど、それが一層の冷静さと、彼女が備えているだろう高い知性を感じさせていた。彼女は紛れもなく魔女であると、対面しただけで納得してしまうほどに。

 

「朧月矢夜。フランの使い魔で、元普通の人間です」

「パチュリー・ノーレッジ。どちらかと言えば、割と平均的な方の魔法使いよ」

 

 遅れて自己紹介を交わす。

 少しだけ意外だったことと言えば、実は『魔女』という他称が気に入っていなかったのだろうか、自らを『魔法使い』と称したことくらいか。

 

 「割と平均的な方の」魔法使いなのかどうかについては、一旦保留しておくこととした。正直、魔法使いとやらにおける平均的が分からないということもあるけれど。あくまで、これは僕個人の感想になるが、正直、この量の蔵書は平均的というよりかは偏執的であると思う。

 尤も、僕の知らなかった世界に住む魔法使いにとっては、これくらいは普通なのかもしれない。つまりは、考えるだけ無駄なことである。

 

 何が普通かなんて、僕にはもう分からなくなっていた。

 ちなみに、僕の中の『普通』を揺らがせている原因の一人でもある咲夜をちらりと窺い見たところ、小首を傾げられてしまった。

 

 ……兎も角として、未知の存在たる魔女との邂逅は、それまでの出会いのどれよりもスムーズかつ健全に果たすことができたと言える。

 

「一先ず、腰を落ち着けて話しましょう。色々と訊きたいことがあるの」

 

 付いてきて、と言って踵を返したパチュリーに、僕は、是非を問うように咲夜を見た。既に話は付いていたのだろう、僕の視線を受けた咲夜は小さく頷いて見せる。

 

「お嬢様達の求めに応じて、お相手差し上げるのも仕事の一つよ。話が終わった頃くらいに、迎えに来るわ」

 

 出口へと向かっていく咲夜の背中を見送った僕は、「何をしているの?」と急かしてくるパチュリーの方へと向き直った。

 

 まぁ、僕としても、彼女から聞きたい話は幾つもあったし。危険度も高くはなさそうだから、丁度いい機会なのかもしれない。

 僕は自分の中でそう理由づけると、「今行きます」と声を上げてから歩き出した。

 

 別に、彼女の質問に答えたらちょっと魔法とか教えてくれるかな、なんて思っていたりするわけでは決してない。

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