陣形を崩さずに航海するの辛い。
いや、気合入れて飛び出したのはいいんだけど、出発して一時間、私は交戦とかしていなかった。正確に言えば敵は来てたんだけど私たちの方までは来れなかった。なんでかって言えば、一度に現れる敵の数がごく少数だったのと、空母の皆さんが強かったからである。見敵必殺じゃないが敵の砲戦距離に入る……どころかこちらの位置を察知する前に殲滅してしまったらしい。敵に空母が居たらまた違ったのだろうが、駆逐艦と軽巡くらいしか居なかったから仕方ないね。
今も警戒は皆で続けているし、私だってチート感覚さん総動員で対潜警戒している。だけど私以外の一部の艦娘も拍子抜けしてしまったようで、ちゃんとやってはいるが集中し切れていない感じがする。もちろん夕雲さんとかは真剣そのものなので、本当に頭が下がる。
そんな中、私は低速艦に合わせて航行する歯がゆさを味わっていた。訓練所では一人で飛び回ってる事が多かったからあんまり気にしてなかったし、組むとしても皆駆逐艦だったから問題にならなかったんだが、私の最大航行速度より遥かに前進速度が遅いから気を抜くと前に出てしまいそうになるのだ。島風もこんな感覚を味わってたんだろうか。真面目にやってたんだなぁあの娘。
そんな事を考えていると、私のソナーに敵潜水艦らしき反応があった。おそらくこちらには気づいておらず、離れていくような動きをしている。長門さんへ報告すると、距離と数を求められた。
「数は2、距離は南東約50kmです」
今の海って生き物がまったく居ないから、障害物がない地形ならけっこう遠くまで聞こえる。なので50キロなら私の聴音機の索敵範囲内なのである。チート能力込みで。長門さんには微妙な顔で近づいて来なければ無視でいいと言われた。まぁそうなるな。私達がここまで移動してきた距離より遠いし。報告を疑うような事は言わない辺りいい人だと思う。
ちなみに私はレーダーよりもソナーの方が遥かに得意である。潜望鏡とかも見逃さないくらい視力もいいと思うので潜水艦は任せろー。
偵察に出ていた二式大艇ちゃんと接続した秋津洲さんから報告が入る。現在、目標の島では敵基地と思われる何かの建設が始まっており、陸上には複数の人型が見え、周辺にも複数の深海棲艦が見受けられるとの事だった。二式大艇ちゃんは当然のように発見されて追われたらしいが、飛行速度で並大抵の航空機に後れを取る訳もなく無事に離脱。こちらへ帰投中だ。
「基地か、そうなると恐らく姫級……もしくは鬼級が居るな」
長門さん曰く、深海棲艦が基地を作る場合大抵そこにリーダー格が陣取っており、個体によってはその基地と同期するような動きでこちらに対応してくると言う。たぶん艦これで基地型とか陸上型とか言われる連中だろう。ちなみに基地無しで動き回る場合もあるらしい……というか、この日本で最初に確認された陸上型って本州まで乗り込んできて艦載機投げまくってた北方棲姫と北方棲妹だったなそういえば。
さて、我々の取る作戦は単純明快。空母と補給艦と秋津洲さんとその護衛だけ残して他全員で突撃。以上である。作戦って言わねぇなこれ! というのも変色海域の性質上、囮だなんだとかやればやるほど不利になって行くからである。練度が高く完璧な連携をすぐに行える部隊ならいいのだろうが、即席チームの我々が何か難しい事をしようとすると時間のロスで艤装がどんどん傷ついてしまう。しかも通信が物凄い不安定で、妖精さん特製の通信機を使っても安定して話せず、離れれば離れるほど繋がり辛くなるという。この赤い海は性質が悪いったらないのだ。
突撃するのは長門さんに山城さん、青葉さん、天龍さん、長良さん、深雪、叢雲、曙、秋雲先生、それに私の十名。勿論空母の援護はあるので制空権どうのはお任せである。龍驤さん居て良かった。
突撃メンバーに選ばれた深雪は緊張した様子でぐっと目を瞑り、何度か唾液を嚥下していたが、見かねた叢雲に頭をはたかれてなんとか平常運転へ戻っていた。緊張してなさそうなのは天龍さんくらいで、私だって平常より心拍数が高い気がする。山城さんに至っては姉さまオーラが砲塔にまで及んでいた。なんらかの強化でもされるんだろうか。
羅針盤の妖精さんに方向を確認した長門さんの号令で加賀さんと瑞鶴さんが競い合うように矢を撃ち出し、龍驤さんと隼鷹さんが紙人形を発艦させる。それらは空中で、あるいは甲板上で姿を変えると水平線に向かって飛び去った。速吸さんも少数ではあるが水上機を発進させ、私達もその後を追うように未だ視えぬ島へと走り出す。ちなみに秋津洲さんは二式大艇ちゃんを一機しか積んでおらず、後は泊地修理用の資材と索敵用の機材しか持っていないので応援していた。
出発してさほど経たずに空に航空機が躍っているのが見えた。恐らくはその直下に島があるはずで、そこへ向かって前進しつつ敵を倒せばいいわけだ。聴音機には遠くの敵と思われる駆動音がはっきりと聞こえ、近くの水面下からも僅かに気配を感じる。私は爆雷を放った。
「爆雷投射!」
やってから気付いて周りに警告する。投射機から放たれた複数の爆雷は弧を描き2kmほど先の敵直上へと着水した。水中から爆音が響く。
「敵……か?」
天龍さんが爆雷の飛んで行った方を見ながら呟いた。水中なのでよく分からなかったらしい。長門さんもよく分からなかったようで、位置の共有はしっかりやってくれと言われてしまった。
爆発で起きた音が静まると、敵と思われる反応は消えていた。撃破できたと思う旨を報告すると、なら良しと長門さんは頷いた。
日はだいぶ傾いてきたが未だ空は明るく、先の上空では味方と敵が入り乱れて撃ち合っている。そこへ向かって汽缶を回していると、ついに敵艦が見えてきた。島の周囲に配置されたそれらは、こちらに向かって前進しているようだった。
「よし、各自射程に捉え次第砲撃開始だ、ただし対潜警戒は怠るなよ!」
長門さんから許可が出たので、先陣を切って突っ込んでくる水平線上のイ級に向かって私は砲弾を発射した。
実際にやられると訳が分からない。長門は混乱と戦慄を同時に味わっていた。
自身が命令を飛ばしたと同時に吹雪が二発発砲、数秒後には敵先頭二体の駆逐イ級が失速し、動きを停止する。装填を終えた吹雪からさらに発砲音が響き、続くイ級と軽巡ホ級も数秒後には海中へ沈んだ。その次にもイ級二体、その次はイ級とロ級。数秒間隔でただの連装砲から撃ち出される普通の砲弾が、一発で敵兵船を仕留めていた。
吹雪の最大威力の砲弾は高速で直進し的を貫く、凡そ砲撃とは呼べないような代物であるとは長門も聞いていた。長門は宮里艦隊においては旗艦でありながら秘書艦のような役目も果たしており、そのため提督とは情報を共有していたし、精鋭部隊を率いていた立場上それ以上の情報も知り得ている。吹雪の情報は手に入る限りの全てを頭に叩き込んであり、当然、その書類上の優秀さも理解していた。
的を文字通り射貫く貫通力、並みの艦娘では視認不可能な弾速、視界内の相手なら撃ち込める精度、それら全てを吹雪は持ち合わせていると長門は知っている。だが、それら全てを苦も無く同時に発揮できると長門は理解していなかった。
視界内の相手に有効な攻撃が撃てますとされた報告書を見て、視界内の相手なら何の手間もなく撃ち殺せますという意味だとは思わないくらいには、長門は常識人だったのだ。
そもそも艦娘の有効射程は元となった軍艦に比べると短い。これは砲弾が届くとか届かないとかではなく、純粋に的が小さい事に由来する。本来ある程度近づかなければお互い当たらないのだ。ところがこの駆逐艦ときたら、まともに狙いを付けているようにも見えないのに、完璧な精度で敵艦に致命打を与え続けている。
当初、明らかに射程外に居る敵船に向けて発砲した吹雪を訝しむ目で見ていた青葉も、焦るなよと笑っていた天龍も、それが命中し敵を屠っているのだと気付いた時、明らかに狼狽した。吹雪の射程を知っていた長門ですら本当にこうなるとは信じていなかったのだから、知らなかった艦娘達なら事態に気づけただけでも優秀と言えるだろう。
冷静だったのは駆逐艦達で、吹雪が砲撃に集中していると見るや四人とも対空、対潜警戒へ意識を切り替えていた。一緒に訓練に参加していた彼女達の場合、吹雪ならやりかねないと思っていたのだ。吹雪がフルスペックを活用したらどうなるのか、という訓練所で流れた与太話が、そのまま現実だったという程度の話である。
艦隊が島を目指し前進する。順調に進行を続ける十人だったが、その道程は異様と言えた。
先頭を行く駆逐艦が敵を視界にとらえた瞬間、それは撃ち殺され物言わぬオブジェクトと化す。追いかける戦艦、巡洋艦は何もしていない――否、何もする事が無いのだ。時折こちらに向かおうとする航空機の編隊が現れるも、それすら砲弾で叩き落とされる。時たま爆雷が投擲機から放たれ海中へと沈んで行き、その下に潜む船を塵へ還していた。潜水艦の位置や数は一応報告されていたが、報告直後には存在が抹消されているために意味があるとは言い難かった。
島が見えた頃に、最初に撃たれた深海棲艦の横を通り過ぎる事になったのだが、軽く検分すればそれらの頭蓋と思われる部分には、抵抗も受けずに何かが通り抜けたような不自然な穴が空いていた。
ワンマンアーミー、いやネイビーかな。そんな呟きが青葉から漏れる。異常な威力と射程の連装砲、それを振るいながら潜水艦を探り出し的確に爆雷を投げ込む対潜性能、数キロ先の航空機を連装砲で撃ち抜ける対空性能。今は使っていないが、接近されても駆逐艦を拳で消し飛ばせる近接性能。周囲の駆逐艦や戦艦達も、ごく一部を除いた全員が一致した感想を持った。
――もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな。
島が見えて来たので報告すると、長門さんは再度警戒を強めるよう全員に勧告した。今のところ私の一撃で倒せているが、姫級だったらどうなるか分からないし当然か。
近づいていくと、島の周りにはそれなりの数の深海棲艦が回遊しており、そいつらは上空の戦闘機や爆撃機をどうにか落とそうとしているようだった。どうやらこちらの優勢であるらしい、空母の人達優秀だなぁ。そう思いながら高射砲らしきものを装備している奴から順に撃っていく。この世界の深海棲艦はどうも武装を変える事が出来るようで、高角砲だったり連装砲だったり単装砲だったりするので識別がちょっとややこしい。敵空母は見当たらないので島の中かこちらから見えない側なのか、ともかく離れているようだった。
前から迫るイ級を撃って、高射砲を撃とうとしているホ級を撃って、岩陰から出ようとしていたリ級を撃って、その奥の岩場から覗いていた北方棲姫みたいなのも撃って、たまに爆雷。魚雷さんの出番が行方不明なのはどうしたものか。それにしても一人で殲滅しちゃってるけど私の行動は正しいのだろうか。いや味方が傷ついてないから悪い事無いと思うけど、まぁ駄目だったら長門さんが止めてくれるだろう。っていうか、今さらっと姫級居たぞ、位置が悪くてちゃんと倒せたのか確認できなかったんだけど。周りに大したのが居ないと思ったら中は結構危ないのかなこの島。
少し進むと島の全形が見えた。視界に入る砂浜の少し奥、木々の茂る緑の手前に何か黒い、壁のようなものが一部だけ建設されている。どういう手順で建てているのかは分からないが、その手前からは海岸に向かって黒い滑走路のようなものが伸び、暗くなり始めた周囲を照らすように明かりが灯っていた。
飛行場っぽく見えるそれらを庇うかのように島の中から、滑走路のような手すりの付いた浮遊する椅子、という感じの艤装を身に着けた白い長髪の女性が姿を現した。右手側には口内に大口径の砲を覗かせた口部を模した生体パーツも繋がっている。頭部には二本の鈍角な角を生やし、紅い目で機嫌悪そうにこちらを睨んでいた。そいつは私の知識と照らし合わせるなら、飛行場姫と呼ばれる深海棲艦の姫だった。
なので、頭と左胸に一発ずつ撃ち込んだら、何故か当たってない艤装が粉々に吹き飛んで女性体も動かなくなった。人間型の深海棲艦は艦娘と同じように艤装にダメージを肩代わりさせる能力を持っていると習った気がするのでそれだろうか。
長門さんに報告すると、そうかと短く呟いてからもう一度そうかと呟いた。
出来る限り周囲の敵を排除して、私達は島へと上陸した。陸だーと喜びの声を上げる深雪と天龍さんを背に辺りを見回すと、砂浜の先にはやはり飛行場を建設しようとしていたようで、全体的に黒い金属のような質感をした物質で舗装されていた。その中に推定飛行場姫だったものが倒れている。
警戒しながら顔面に大穴の開いた深海棲艦の死体に長門さんが近づいて行き、ちゃんと死んでいるか確認を取る。暫く検分し、確実に機能を停止していると確信してようやく長門さんは一息ついたようだった。額の汗を拭うと羅針盤を取り出し、妖精さんに変色海域の核の方向を尋ねる。羅針盤とその妖精さんはそういう物の方向がなんとなく分かるらしいのだ、精度はそれなりな上にデコイで誤魔化されたりもするそうだが。ヒヨコのようなものを頭に乗っけた妖精さんがあっち! と指さしたのは黒い壁、作りかけというか作り始めの基地の方だった。
周囲を警戒しながら壁の裏に回った私達が見たものは、赤くない、むしろ青黒いと言った方が近い光を静かに放つ、それ自体には色の無い結晶体だった。直径一メートルほどに乱雑なカットをされたそれは壁の裏に設置された黒い柱のようなものに埋め込まれており、本来はそれを中心に基地が作られるはずだったのだろうと察せられる。周囲の空間は淀んでいるというか、なんとなく息苦しい。それを前にして長門さんはこちらへ振り向いた。
「吹雪、これを出来る限り損傷させずに二つに割れるか?」
「二つにですか?」
理由はよく分からないが、言われたので検討するために前に出る。触っても大丈夫だと言うので指先で軽く突いてみると、それはなんだか生温かかった。ちょっと気味が悪いと思いつつも大丈夫そうなのでしっかりと触れてみたが、流石に強度は分からない。
「失敗しても問題はない……まぁ、出来たら少し嬉しい程度の話だ。気楽にやってくれ」
「そういう事でしたら……」
振りかぶって、手刀を柱に叩きつける。私が垂直に腕を振りぬくと、それほど大きくない音を立てて結晶が柱ごと二つに分かれ倒れて行った。黒い光が霧散し、辺りの空気が清浄に戻る。
「出来るんですね……!?」
後ろで見守っていた青葉さんが驚きの声を上げた。長門さんも手刀で柱ごと行ったのには少し驚いた様子だったが、両断され光を失いただの透明な結晶となったそれを見て頬を緩ませる。すっぱりと綺麗に絶たれた切断面を見て喜色を隠せないようだった。
「普通に破壊するんじゃ駄目だったんですか?」
疑問を口にしたのは曙だった。壊すだけなら砲弾でも撃ち込めば一撃だったと思うので、私も何故こっちに振ったのかは疑問に感じる。その質問に長門さんは分かれた結晶体を柱から抜き取りながら答えた。
「この結晶核は資源に変わるんだ、この大きさなら遠征五回分は堅い。普通に壊しても問題が起きる訳じゃあないんだが」
破片を回収し損ねると勿体ないからな、と言いつつ二つの結晶を回収した長門さんはそれらを艤装の中に仕舞い込む――艤装には見た目以上の弾薬や燃料が積み込めるが、それらと同じ扱いらしい。
「これで海も元に戻ったはずだ、龍驤達と合流しよう」
これで一段落付いたのかと壁の横から砂浜の方を覗き見ると、夕日に照らし出され先ほどまでとは違う茜色を見せる海の姿がそこにあった。
長門さんが通信機で龍驤さん達に連絡している間、私達は周囲に撃ち漏らしが居ないか確認する作業に出た。私はちょっと気になっていた岩場へ向かいその周囲を確認したが、北方棲姫と思われる死体は発見できなかった。レーダーで木々の生い茂る森の中を精査できたりはしないから、島の中に逃げ込まれてると不味いんだけど大丈夫かなぁ。
実は本州で一度で一番多くの被害が出たのは海戦ではなく陸戦である。姫級が都市部に単騎で徒歩で来た事があり、ほとんどテロ同然に撃ちまくられたのだ。深海棲艦自体が陸地を嫌がる性質でも持っているのか発生件数は少ないが、とにかく被害が出るまで敵性体を見つけるのが難しいというのが大問題で、発生するたびに自衛隊が乗員を犠牲にして車やらなんやらで海まで追い返していた。ダメージは無くても押す事は可能だったらしい。艤装が発表されてからは聞かなくなったので、監視体制が既に確立したか該当個体が討伐されたんだと思われる。
ちなみに映像が残っており公開もされているが、映っていたのが推定防空埋護姫だったため迷子になって町中まで来ちゃったのではないかと私は勝手に思ってるんだがどうだろう。
閑話休題、深海棲艦に島内に逃げ込んだりされた場合確実に見つけ出す手段を私達は有していないのだ。勿論普通に目視は出来るし、激しく動いてれば音やら何やらで分かるだろうけども、伏して待たれたら超困る。島の内側を警戒しながら通信を終えた長門さんへと報告すると、艤装を外したりはせず油断もしないようにと改めて皆に通達された。
龍驤さん率いる空母四人と護衛六人と補給艦一人と秋津洲さんが島までやってきた。それまでには周囲の海に敵が残っていないか確認し終わり、後は島内だが、これはもう変色海域でもなくなっているし無理をする必要は無いという判断になった。というのも日がもうほとんど沈んでいて、これから探索するなら一晩明かすか探照灯で照らしながらでもないと不可能だからである。
一休みしたら鎮守府へ向けて帰艦と長門さんが宣言し、私達は速吸さんから補給を受ける事になった。私以外ほぼ弾薬を消費していないのを彼女はしきりに不思議がっていた。なんか悪い事した気分なのはなぜだろう。
一番に補給を受けたため、他の艦娘達の給油が終わるまで暇になり、私は島の中の警戒をしておく事にした。作りかけの黒壁の向こう側はちょっと木が無くなっており、そちらに向けて建物を造っていくつもりだったのだろうと分かる。私が破壊した柱の他にはまだ何もなく、伐採されたであろう木々すら残っていない。どこかへ運んだのか消滅したのか、その辺りは分からないが。
森の外と中の境辺りから中を覗き込み、敵が居たりしないかチート視力で観察していると、私の目の端に光る物が映った。何だと思いそちらを見ると、地面から何か金属質な尖った物が表出している。気になったので力任せに引きずり出してみると、思ったよりも遥かに大きく、人一人くらいは入りそうな四角いモノが地面から飛び出した。同時に被さっていた土が舞い上がり大きな音が響き渡った。
メタリックに黒光りする四角い物体、よく見るとそれには継ぎ目のようなものがあり、もしかして箱ではないかと思われた。妖精さん達に何か分かるか聞こうと思い艤装を見ると、彼女たちはやったーと喜んでいた。説明もおくれよ。
土煙と音に何かあったかと駆けて来た長門さんと龍驤さんにたぶん箱であろうそれを見せてみると、彼女達も喜色満面、手を取り合って大喜びした。だから何なんですかねこれ。
疑問顔の私に気づいた長門さんは一つ咳払いすると、これは深海棲艦が資材を運搬する時に使う箱だと説明してくれた。艤装と同じで見た目より霊的資源をかなり多く積む事が可能で、基地建設中のこの島のものなら中身はかなり期待出来るらしかった。あるだろうとは思っていたけど、日が落ち命には代えられないので諦めていた所に発見され、二人して喜んでしまったらしい。
ともかく箱自体は水に浮かばず艤装にも収納できないため、このままでは運べない。開けて中身を検める事になった。長門さんの妖精さんが箱に乗ったり叩いたり、溝を擦ったり土を払ったりしてしばらく経つと、妖精さんが私に話しかけてくる。さかさまだからひっくりかえして。中身が大丈夫か心配になった。
逆さまの箱を直してあげると妖精さん達はまた調べ始めた。他の艦娘達も何かあったかと集まってきてしまい、色々説明していると、突然箱の上部が開き中身が見えた。そして長門さんが中身を覗き込んだ、その瞬間に島の中から小さく物音が聞こえ、はっとして発生源に振り返れば、体の各所に砲塔を備えた黒い魚のようなものがこちらに照準を合わせ、それと臀部で繋がった少女がこちらを見て嗤っていた。
箱を囮にしての奇襲。蓋が開いて警戒が薄くなった一瞬、誰もそちらに気を向けていなかった。たぶん見つかる程度の場所に埋めたのもわざとで、全部計算尽くで近くに潜んでいたのだろう。動く音が聞こえないか微妙な、だが気付かれても回避は間に合わない距離。戦艦レ級、その主砲副砲の全てが間抜けな兵隊を撃ち殺さんと狙いを定めた。
レ級にとって不幸だったのは、私の耳がとても良い事と、私の動体視力や反射神経が異常な事。それと彼女の必殺距離は、私がただの一歩で到達できる間合いだった事だ。
右足に力を込めて空間を跳ぶ。一足で移動を終え、着地の勢いに任せて左手を振るい、異形部分を裏拳で殴りつける。砲塔や歯のようなものを持ったそれは弾け飛び、少女部分が勢いに飲まれ軽く宙へ浮き上がった。何事かとこちらを向いたレ級と目が合う。私は右腕で、目線ごとその顔面を叩き潰した。生き物味のない、まるで鉄塊でも殴りつけたような感触が全身を伝わる。首から上を失った猟奇死体が太い幹に叩きつけられ、大木はそこから軋みを上げて折れ、ゆっくりと倒れていった。
結局近接能力に頼ってしまう私です。妖精さん、お許しください。
異常に気づいた長門さん達に状況を説明すると、自衛隊の二人は厳しい顔になって周囲への警戒を強めるよう指示を出した。私の聴覚や視覚には他の深海棲艦は視えないのだが、流石に完全に動かない奴は分からないと今のでよく分かったし、油断は出来ない。今の一人だけだったらいいけど複数いたらマジでやベーイので、やっぱり結構入っていた箱の資材を速吸さんと秋津洲さんと二式大艇ちゃんに分けて積み込んでもらい、さっさと出発する事になった。
長門さんも首のないレ級の死体を見て流石に動揺していたが、それを繁みに隠すとよくやったと私に声をかけてくれた。飛行場姫よりも酷い状態だったから周りに見えないように配慮したんだろう。
出発直前、長門さんが砲撃で壁を、加賀さんが爆撃機で滑走路を破壊した。私達はそれに反応して敵が出てきたりしないか警戒していたが、別になんにも出てこなかった。あの一体が勝手にやっていただけだったのかもしれない。
鎮守府に向けて出発し、周囲を警戒しながら思う。初めて人型を素手でやっちまった。でも想像してたよりなんて事はないな。私ってこういう所すっごいドライだったんだなぁ。こういう時代なら悪くはないけどなぁって。
んなわけねーだろ糞が。これヤバいわ、何がヤバいって、人間の形したのを素手で殴り殺していささかも動揺が無いのがヤバい。前に飛鷹さん助けに出撃した時からちょっと思ってたけど、これ私精神にもなんかされてるわ。戦えるようにされてるわ。チート能力で体をなんかつよくしたついでに精神もなんかつよくされてる? いやなんかつよい結果ならいいんだけど、倫理観とか弄られてないよね? 今更ながら滅茶苦茶怖いんですけど! 本物の人間を殴って大丈夫な気はしないので、敵限定であると信じたい。いつの間にか殺戮マシーンでしたとかそういうのは勘弁してほしいわ本当に。相手から見たら今の時点でもうあんまり変わんないだろうというのは置いといて。
……まぁ、恐怖で戦えませんでした、とか言うよりかは全然マシなんだけどね、実際。
転生者、北方棲姫は泣いていた。半年ほど前から勝手に借りた、電気設備の死んでいない安全なお家の中で泣いていた。
吹雪の存在を知った転生北方棲姫は、絶対に転生者だと確信して、とにかく会って話をしたいと思い艦娘や深海棲艦の情報を集めに集めた。結果、訓練の終了時期は艦娘に選ばれた子供達の関係者の呟きから特定出来たが、それ以外の事は一切分からなかった。そりゃあネット上での素人の情報収集などそんなもんであるが、北方棲姫はどうしても吹雪に会いたかったので地団駄を踏んだ。
そして訓練終了日当日……と北方棲姫が判断したその日を、何の成果もなく迎えてしまった。結局行く当てがなく、白旗でも挙げて町中に繰り出そうかとも思ったのだが、それをするにはとにかくこの世界における深海棲艦の素行が悪すぎた。
まず日本で最初に撮られた姫級が艦載機飛ばしてる北方棲姫と北方棲妹――勿論転生者北方棲姫とは別人――であり、撮られた場所と大量に撃ち殺されーの爆破されーのした地域が驚きの一致で、彼女らがどれだけ被害を出したか結構はっきりしている。この時点でもうハードルがエベレストなのだが、さらに人の住処に一人で歩いて行って大暴れしてくれた姫級までこの世界には存在する。当然、人々からの深海棲艦に対する好感度はマイナスを突き抜けてアンダーフローを期待したくなる領域なわけで、まともな扱いを受けられる可能性を想像できないのである。つまり世間が怖くて表に出る勇気が湧いて来ない。
もうこれ適当に近海を回ってた方が逢える可能性あるんじゃないかと思い始めた午後、北方棲姫の下に避難情報が流れてきた。それは変色海域出現の知らせで、もし万が一近隣に残っている人は直ちに避難するようにというここ一年で何度も流れ見慣れた珍しくもないものだ。だが北方棲姫はこれを見ていいアイディアが浮かんでしまった。
――この新しい所で待ってたら艦娘が奪い返しに来ないかな?
避難情報を確認すると、ここに落ち着く前に通った場所であり、行こうと思えば今すぐにも行ける。艦娘が来たとして、吹雪が来る可能性はとても低いのは分かっているが、別の艦娘でもとりあえず後をつけて鎮守府の場所でも特定できれば何かしらの進展はあるかもしれない。それに何かピンチになってたら助けて恩でも売れれば儲けものだ。艦載機も弾薬も一切持っていないけど。そう思って北方棲姫は現地へ跳んだ。
転生者北方棲姫の艤装は出し入れ可能である。これが転生特典的な物なのかこの世界の深海棲艦がみんなそうなのかは知らないが、これがとても便利で重量まで無くなるから人間の家でも普通に生活が出来るのだ。また、砲弾も艦載機も持っていない北方棲姫にとってはこれを高速で出し入れしながらぶん殴るのが唯一の戦闘手段である。ただ生きていくだけなら問題なかったため燃料すら最初に持っていた分の残りしか無かったが、変色海域の核まで辿り着くのには問題無かった。
艦載機が自分の思い通り動くなら普通に戦えたんだけどなぁ、と島の岩場から飛行場姫たちが基地建設に勤しむのを見ながら一年前に想いを馳せる。
実を言えば、最初この姿でこの世界に現れた際には、艦載機は満載の状態だったのだ。実際見るとネコヤキはかなりおどろおどろしく、怖いなーと思いながら発艦させてみると、それは目の前の海岸へ勝手に向かい既に人気のない港を勝手に攻撃し始めた。焦って止まるよう呼び掛けてみても全然止まる気配が無かったので、北方棲姫はそいつを自身の手で打ち落す羽目になった。
その後、遠洋に出て制御できないのか試してみるも全く出来ず、飛び去ろうとするそれらを逃がす訳にも行かないので、結局全機自らの手で撃破する事になったのだった。砲弾なんかも考え無しに撃っていたらそのうち尽き、補給の当ても無かったのでそのままだ。
暫くそんな事を思い返しながら周囲の光景を眺めていると、飛行場姫が指を差し、空で何かが追い立てられた。もしや本当に来たのか、と驚きながら暫く待つと、遠くの空から飛行機がたくさんやって来て、島は戦場へと変わった。
慌てて岩場に身を隠し、周囲の海を見渡すが、艦娘らしき影は何も見えない。そりゃあ航空機の方が到達は早いよね、と思いながら水平線を眺めていると、音もなく、海上の艦が沈み始めた。
何が起きてるのかよくは理解できなかったが、ともかく艦娘が来たんじゃないかと思い切って顔を出し、そして見た。まだ米粒よりも小さかったが、北方棲姫の深海棲艦アイにはよく見える。前世でよく見た制服、動画で何度も見た整った顔立ち、背負った艤装、間違いない、あれは吹雪だ!
そう思った矢先、感動する暇も無く何かが眼前まで飛んできた。北方棲姫は動体視力も良かったので理解する。砲弾。速……避……無理!! 受け止める無事で!? 出来る!?
否
死
次の瞬間、北方棲姫は今日まで過ごした家の中に居た。死の確信が全身を這い回り、床にへたり込む。指は震え、足はすくみ、目からは知らず涙が流れ出していた。
危なかった。一瞬でも発動が遅れていたら本当に死んでいた。
北方棲姫は転生者である。それも転生する際に自称魔法使いらしい神様っぽい何かからチート能力を貰った、チート転生者である。彼女から貰ったチート能力は『いつでも』『いける』。一度視界に入れた事のある場所にしか跳べない以外、一切の制限がない無限の瞬間移動能力。それが北方棲姫のチートだった。
それが故に、多少危ない目に遭っても逃げ出せる自信があったし、実際逃げ果せている。だがあんなぎりぎりになるなどとは思ってもみなかった。何処から飛んで来たんだあの砲弾、と思うがそんなの吹雪が撃ったに決まっている。あの娘、先頭で連装砲構えてたんだからまず間違いない。
イ級殴り殺せて砲撃まで強いってどんなチート持ってたらそうなるんだ。それじゃあそもそも近づけないじゃないか。床に転がりながら北方棲姫は泣いた。
体が恐怖から立ち直ってからも、北方棲姫は暫くぐずっていた。転生前ならいざ知らず、今の見た目は幼女だし、そもそも誰も見ていないのだから遠慮もない。うめき声を上げ、泣き声を上げ、かかとで床を叩いて音を鳴らしてとやりたい放題する。やがて疲れて、涙も乾き、気持ち悪いので顔を洗おうと立ち上がった瞬間。
ぴんぽーん。
鳴るはずのないチャイムが音を立てた。
北方棲姫は硬直する。この家はギリギリだが、避難地域に入っている。発見した時点で恐らく放棄されており、実際今まで誰も戻っては来なかった。
ぴんぽんぴんぽーん。
連続で二回鳴った。もしや家主が帰って来たのか、とも思ったが、それならチャイムを鳴らす必要は無いはずだ。
がちゃがちゃとノブを回そうとする音が聞こえる。鍵に阻まれドアは開かなかったが、北方棲姫は恐怖を感じた。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん。
滅茶苦茶に連打されたチャイムがけたたましい叫びを上げる。北方棲姫はひぃっと悲鳴を上げると思わず数歩後ずさり、足をもつれさせ尻もちをついた。さっき抜けた腰がまた脱力し、立ち上がれない。
出来るだけ物陰に寄り、玄関側から身を隠す。そうしている間に、チャイムの雨は止んでいた。
そのまま一分ほど震えていたが、外の何かからのアクションはない。動けない北方棲姫は怯えながら時が過ぎるのを待つしかなかった。
さらに数分が経ち、何も起きなかった事で、北方棲姫は少し余裕を取り戻した。もしかしたら外に居た存在はもうどこかへ行ってしまったのではないか、そんな気持ちで、だが音をたてないようにゆっくりと立ち上がり、もう今日は自室に籠ろうと歩き出す。
そして気が付いた。今日、思い付きで出掛けたから、ちゃんと戸締りしていない。
ゆっくりと窓の方へ振り返ると、オレンジ色の眼と目が合った。それは今、丁度、窓を開き入ってこようとする所だった。
真っ白い顔を歪めると、くぐもった様な独特の、しかし女性と分かる声で語りかけてくる。
『ホーッポチャアアアアアアン……アーソビーマショォォォォォ……』
北方棲姫は泣いた。
『エ、イヤ、泣クナヨ……!?』
そんなに怖くないだろ今の。北方棲姫を泣かせたへんたいふしんしゃさんは、恐怖に震える幼女を前に、あやせばいいのかなんなのか、ただただ困り果てた。
残酷な描写タグはこの程度の回収具合になります。