見覚えのある船に乗って真昼の海を進む。透明な海面を覗き込めばたくさんの誰かが底に沈み、空を見上げれば銃弾の雨が降り注ぐ。船体に穴が開き、水が流れ込む。それを掻き出す誰かの腕をぼんやりと見つめていると、船から小さな船が降り、それに乗った誰かが消えて行った。次いで船の後部で爆発が起こり、それに振り向けば船体が傾いているのが見え、気が付けば船は宇宙空間を漂っていた。
夢だ。
どう見ても夢だった。きらきらと明滅を繰り返す星の大海へ船は進み、熱風をまき散らす太陽の横を通り過ぎ、冷たく光る知らない恒星を突き抜ける。時間の間隔は不透明で、船の中にはもう誰も居ないのか物音一つしない。甲板に居る自身の存在だけがなんとなく浮いていた。
そうして進み続けてふと辺りを見回すと、周囲には何もなくなっていた。星も、空気も、時間も、空間もない。ただ船と自分だけはそのままそこにある。そんな場所だった。
船が止まる。先が存在しないので止まったというよりは進めなくなったと言うのが正しいかもしれない。後ろを振り返っても来た道も見えなかった。仕方がないので自分で歩こうと船から飛び降りると、地面はないのにふわりとそこに着地した。夢って奴は便利でいい。
船の足元からどっちへ行こうか見回せば、遠くの方にぽつんと何かが何もない空間に浮いているのが見えた。特に目指す指針も無かったので、それに向かって走り出す。歩くのはまどろっこしかった。
なんだか思った以上の勢いで脚は進み、すぐにそれの下へと辿り着いた。自分の立ってる所よりもそれは上の方に居て、宙に浮かんでいるご様子だ。ぷかぷかしているそれはとうにこちらに気付いていたのか手を振って、ふわふわゆっくりと降りて来た。
『こんばんは』
至極友好的にそれは話し掛けて来た。見た目には可愛らしい、小さな女の子に見える。異常に長い亜麻色の髪を足元で折り返し、頭の後ろで纏められたそれはもう一度かかとの近くまで伸びていた。目元はなんだか細められ、半眼と言っていい表情で口元には薄い笑みが浮かんでいる。しかし一番目についたのは髪でも表情でもなく耳だった。長い。なんだか異常に長い。生活に不便そうなくらいにはその子の耳は長かった。
女の子は歓迎してくれているようで、何もなかった所にテーブルと椅子を取り出すと、お茶をどうぞと紅茶みたいなものとケーキに見えるものを出してくれた。食べてみたらそれはとってもおいしくて、気が付けば皿は空になっていた。対面に座る女の子がにこにこしながらもう一皿出して来る。それを今度はゆっくり食べていると、その子は何か楽しそうに喋り出した。
『成程、どうしてここに貴女が来れたのかと思ったのですけれど、それのせいですわね』
女の子がびしっと指を差す。示した先は自分の指で、よく見てみたらそこには指輪が嵌っていた。そういえば昨夜は付けたまま寝たような気がする。
『没アイテムをチートコードで無理矢理出現させるような真似をしたせいで、想定外の挙動をしたんですわね……本来なら提督の力で艦娘と人間のラインを強固にするアイテムですのに』
提督の力でなく、チート能力に反応してしまった。と言うが、何を言っているのかは全く分からない、とりあえずケーキが美味しかった。
『それで私に繋がったという事は……まぁそれはいっか。ともかく、これは私の不手際ですわね、チートを仕様として実装するのには検証不足でしたわ』
女の子がぱちんと指を鳴らす。急に何だろうと思い紅茶を口に含みながら首を傾げてみせると、女の子はふふっと笑った。
『とりあえず修正しましたから、今後はここに来る事は無いでしょう。もちろん自分の才覚でもって到達するのは自由ですけれど』
相変わらずよく分からなかったけれど、もうこの夢は見ないという事だろう。美味しいお菓子があるのでちょっと残念だった。
『そうだ、折角ですし……』
女の子は何かを思いついた様子で懐を探ると、明らかにそこに入るはずの無い、一メートル四方ほどの大きな立方体をテーブルの上に取り出して、こちらと目を合わせにんまりと笑う。
『ダイスでも振って行きます?』
なんだかとても悪い予感がした。
「っていう夢を見たよ!」
起き抜けに島さんからそんな話をされた私は一気に目が覚めた。自分がいろんな意味でヤバい状況に居た事に気付いていないだろう呑気な表情が眼前に広がっている。
「夢の話されてもなぁ」
と、口では言ってみたんだけれど、マジで? お前あの子に会ったの? あの子たぶん創造主とかそういう類の奴なんだけど? 頭の中が?で埋め尽くされたんだけど??????????
「え、それで、振ったのサイコロ」
「後にしてたら振る前に起きちゃった」
セーフかな……?
「それで、その子から吹雪に伝言があって」
「夢の伝言て」
いやちょっと面白かった上はっきり覚えてるからって冗談で言ってるだけなんだろうけども、内容が私の知ってるそれと一致してるから何一つ笑えない。偶然と言うにはちょっと無理があるし、たぶん本物だったんだろうと思われるんだが、そこから伝言と来た。私に直接言えばいいのに……っていうか、もしかして以前脳裏に見えた気がする笑顔のあの子は幻覚じゃなくて本物からの電波だったりとかするのだろうか。
「不具合のお詫びの品は艤装の中に入れておくから受け取ってください、だって」
ソシャゲか何かですか?
朝食前に大和から猫吊るしを引っ張り出して事情を説明すると、猫吊るしにも意味不明だったようで、とりあえず島風を診てくれる事になった。
部屋に戻って島風の頭の上に猫吊るしを乗っけると、見えていない島風が連装砲ちゃんと戯れている間にささっと診断を終え、私の方へ飛び移った。
「島風自体に問題は無さそうだ。ただ、言ってた通り指輪の機構が一部改変されてるな……修正パッチ当てられてるみたいな感じ」
本当にあった事だというのは確定か。幸い、島風自体には問題は無いらしいからそれは良かったわ。と言っても、そういうのの専門家という訳ではないから正確な事は言えないし、隠そうと思えばあの子ならいくらでも隠せるだろうという話だけども。なにせ私達にチート能力さんを付与した張本人だからなぁ、抜け道なんかは知り尽くしてるだろう。
「不具合修正って事なら何もされてないんじゃないか? ダイスも振らなかったって言うし」
振ってたらどうなってたかは……考えるだけ無駄か。貰えたとも限らないし。
「ああ、でもたぶん話すように思考誘導とかはされてるんじゃね、夢の話とか普通しないし」
伝わらなかったら困るもんね。艤装の中から正体不明の物が出て来る事になっちゃう。
もう一度工廠まで行って、伝言が本当なのかどうか確かめるため吹雪の艤装の前に立つ。表と裏をつぶさに観察し、中を猫吊るしに検めてもらうがしかし、特に何も見つからない。私への伝言というからてっきり吹雪の中かと思ったのだけど、もしかして島風の方だろうかとそちらを捜索しても、やはり何も見つからなかった。
暫く艤装をひっくり返し、まさか他の艤装かと隣の艤装に目を付けだした頃、猫吊るしがふと気付いたように声を上げた。
「中って、もしかして集合無意識の中の事なんじゃないか?」
成程と思って吹雪の中へ飛び込むと、どうやら正解のようで、入り込んだ吹雪の甲板には赤いリボンの掛けられたプレゼントボックスが鎮座ましましていたのだった。なお吹雪さんは不在である。不法侵入されて受け渡し場所にされてるけどいいんだろうか。
まさか罠だとかそういう事は無いと思うけど、なんとなく慎重な気持ちになりながら結び目を解いて、蓋になっている上面をゆっくりと持ち上げる。特に何も起きないのを確認してから、思い切って中を覗き込んだ。
中にあったのは、一枚の横長の紙のようなもの。お札のような短冊のような形で、持ち上げるとひらひらしている。やっぱ紙だこれ。よく見るとミシン目のようなものが付いており、簡単に切り取れるようになっていた。
裏側には注意事項のようなものが書いてあって、どうやら一枚につき使えるのは一人だけ、でも一回使えばその人はフリーパスになるらしい。
表には改二確定チケットと書いてあった。
「それで、こちらが実物になります」
「うん、話はね、分かったんだが…………うん。何それ」
目の前で楠木提督が頭痛が痛そうな表情をしている。ついでに口調から微妙に素が出ている気がする。楠木提督も困惑とかするんだなぁ。
楠木提督は今、宮里艦隊の居る鎮守府に滞在している。というのも、もう淡路島の避難が終わったらすぐに四国へ攻め入る関係でこちらの方が色々と融通が利いて便利だからだ。なので今回の件もすぐ相談に行けて助かった。
私が集合無意識から自分の体に意識を戻すと、何故か私はチケットを現実に持ち込んでしまっていた。まぁ、正直それはそこまで驚くような事ではない。もうオカルトにも慣れてきたからこの程度じゃまだまだ驚くほどの刺激じゃあないのだ。
猫吊るしにもチケットを見せ、二人でどうすんべと相談したのだけど、モノがモノだけに処遇に困ってしまった。何しろ、裏側に『条件の達成状況に関わらず改二への改装、及び使用が可能になります』なんて書いてあるものだから。
たぶん使えば私は改二になれるし、チケットには対象の指定が無かったから、長門さんやもしかしたら大和――宮里提督に使える可能性もある。でも、私は昨日、吹雪さんに会えないから許可取る以前の問題ですとハッキリ言ってしまった。前々から提督たちに状況は報告しているのだが、改善の兆しは無いと言ってしまったのだ。それを今日、突然出来るようになりましたというのはどうだろう。
それに加えて、改二にはデメリットもある。場合によっては運用を変える必要が出てしまうし、燃費も悪化する可能性が高い。そうなると私の低コスト高性能という特徴が失われる訳で。
そもそも、一番大きな問題点として、チケットの事を信用してもらえるかという話である。突然こんなもん発生する世界だとか私達だって知らなかったというのに、転生がどうとかそういう前提を知らない人達に理解してもらえるだろうか。
そういう話を猫吊るしとした結果、丁度良い所に推定転生者である楠木提督がいらっしゃったので相談に乗っていただいたという訳である。これで転生者じゃなかったら色々アレだなとは思う。
一応転生の事は省いて説明して、猫吊るしから神様的な奴からの贈り物と補足を入れて貰ったため、転生者じゃなくても意味は通る話になってはいるはず。なってるといいな。なってなかったら完全に頭のおかしい人だからね!!
「とりあえず、預からせてもらってもいいかな?」
楠木提督は私と頭上の猫吊るし、それと手元のチケットを見比べて、悩んだ末にそう言った。返事をしてチケットを渡すと、楠木提督は受け取ったそれをじぃっと見つめ、眉間にしわを寄せ、裏の注意書きまでしっかり読んで、ファイルケースに挟みこみ、それをさらにクリアケースに収め、足元にあったらしい鞄の中へと厳重に仕舞い込んだ。
なんだかとてもご迷惑をかけた気がするんだけど、勝手に使うよりはいいと思うんだ、たぶん。
そんな事が朝にあって、その後は普通に出撃した。チケットの事は気になったが、それはそれとして任務を疎かにするわけには行かないし、私が考えるよりも有意義に使ってくれるはずだと全力で丸投げした事を正当化しておく。私の信用度とか信頼度とかがガクッと下がったりした可能性には目を瞑っておいた。
そんな頭にポップアップしてくるよしなしごとを隅の方へと片付けつつ、淡路島の向こう側をちょっと解放して帰りがけに大阪湾の方に襲来して来た敵を片付けていたら、本隊よりも帰りが遅くなってしまった。シャワーを浴びて食事を摂り、部屋へ戻るべと島風と歩いていたら、談話室の方からぞろぞろと揃って本隊の皆が退出して来た。どうやら今日の反省会を終えた所のようだ。
談話室にはまだ何人か居残っていて、通り掛かりに足を止めずに軽く中を覗いてみれば、視線を彷徨わせていた文月とばっちり目が合った。文月はぱっと立ち上がり、可愛らしい声でちょっといいですかと私達を呼び止める。私はそれにほいほい付いて行った。急ぎの用事とかは無かったし。
中に入ると文月以外にも新人の響さんや那智さん、それに秋雲先生と暁教官長、ついでにぐだっとなった初雪が残っていた。死んでる。ホワイトボードには消したり書いたりの跡があり、今は番号の振られたマグネットの船が規則正しく貼り付けられていた。陣形について話し合ったのだろう。
とりあえず席につき、何の用なのか聞いてみると、戦いについて私達第四艦隊の話も聞いてみたいという事だった。秋雲先生と教官長が微妙な笑みを浮かべている。うん、まぁ、参考になりませんよね……
新人三人組も今日は出撃メンバーに入っていて変色海域まで行かされたのだけど、どうやらあまり芳しい成果は挙げられなかったようだ。数か月最前線で戦い続けて来た戦闘部隊に混ざって無事に帰って来ただけでもかなり凄いんじゃないかと思うけど、それはそれとして早く追いつきたいという気持ちがあるらしい。
とはいえ私が何か役に立つアドバイスを出来るかと言えば、そんなもんは無理なのである。だって未だに感覚的にやってるだけだからね。チート能力さんのおかげだからね、探して狙って撃って場合によっては殴ってるだけだからね本当に。そう考えると殆ど成長してない気がするな私。気が付けば格闘能力は上がってるし、精度とかも向上してるような気はするんだけど、元々外さないからよく分からない。
一応、頼まれたので今日あった出来事を話してみる事にした。けど、本隊の狙うそれとは離れた場所にある変色海域の核を壊すために、通常航行の範囲で出せる最高速で突撃して、全部撃ち殺して核を叩き割って来ただけだからなぁ。あと攻めてきた奴の迎撃もしたか。
私達は少数だから陣形とかはあんまり気にしていない――一応、連装砲ちゃん達は島風に指揮されて並びを変えたりする事はあるけど。索敵に関しては対潜は私、対空は島風が得意としていて、攻撃自体も射程と精度と速度がぶっ壊れているため相手の攻撃範囲に入る前に大体殲滅しちゃっている。なので撃たれる事自体が少ない。マジで言える事が無いんだよなぁ。
そういうわけでちゃんと話はしたけれども、内容は理解の範疇ではなかったようだ。うんまぁ、そうだよね。島風の連装砲ちゃん指揮講座の方が役に立ったまである。
ぐでーんととろけた初雪を担いで部屋へと戻る。今の鎮守府だと別の部屋の住人なんだけど、何故か私が上半身、島風が足を持って運んだ結果私達の部屋へと搬入された。何やってるんだろうこの人たちって視線のまま連装砲ちゃん達を引率してくれた文月も一緒である。
やらないならやらないで何とかなるらしいけどやった方が後が楽みたいなので初雪の足をもみほぐしていると、室内を見回していた文月が本棚の方に目を留めた。そこには主に島風に贈ったヒロアカ単行本と、時勢のせいで売りに出されたそこそこ珍しい昔の漫画が一緒くたに置かれている。後者は私がちょっと読んでみたかったのと、出品者が割と切実な文章書いてて気になったため購入に至ったものだ。なお面白かったし過去の相場見たらそれより安かった、買い叩いたみたいでちょっと気が引けてたりする。父も読みたがっていたので今度送り付ける予定だ。
文月はヒロアカを見てやっぱりあるんだぁと楽し気なかわいい声を出すと、読んでもいいですかとこちらに許可を取ってページをめくった。古書の方の。そっちかーいと思ってマッサージを続行しながら見ていると、思ったよりも真剣に読んでいるようだった。
「文月は漫画とか……あふぅ……読む方なの……?」
初雪が刺激に耐えられずに声をあげながら問う。それにそうですねーと笑いながら返しつつ、文月は頁を進める。
「漫画も読むし、アニメもラノベも好きですよ。勉強する時はラジオとかもよく聞いてたなぁ……終わっちゃったのも多いけど」
思ったよりガチ方面だったでござる。ヒロアカより昔の漫画に興味惹かれたのはもう読んだ事あったからだろうか。私と初雪は同胞の登場を喜んだ。まぁ趣味が合うとは限らんわけだけども。
ちなみに文月は中学一年生らしく、私達の一個下。そのため現在この鎮守府で最年少となっている。そのせいか私にもさん付けである。ちなみに誕生日的に二番目に幼いのは私だ。あんまり自覚無いけどね。
「吹雪さんは、アスリートになるの?」
漫画を読みながらたまにこちらの様子を窺っていた文月から、そんな質問が飛んで来た。もしかしてこの子もファンだった的なあれこれだったりするんだろうかと内心恐々としてしまう。忘れたいのに過去の方が私を追いかけて来やがる。
「なる気はないかなー」
私の返答を聞いて、そっか、と文月は短く嘆息を漏らし、物憂げに本を閉じると丁寧に棚へ戻した。はみ出ない様にしっかり漫画と漫画の間に収めると、緩慢な動作でゆらりとこちらへ向かってきて、私の対面に座り込む。少しお悩み有り気な表情が視界に入って来た。
「あたしね、声優目指してるんだぁ……」
『おお……』
私と初雪の感嘆の声がシンクロした。すごく良い声だからね、仕方ないね。なったら推すよーと二人して笑顔で伝えてみたが、文月の表情は微妙な物だった。
「でもね、それっていいのかなって最近思ってて」
「えっ、何か悪い事ある?」
私は話が見えなかった。連装砲ちゃんと戯れていた島風からもオウッ? と疑問の声が上がった。初雪も不審気だ。
「あたし、産まれた時からずっとこの声してるんだよ」
聞けば、文月はかなり昔から声優になりたかったらしい。物心付いた時には声の仕事に憧れを持ち、発声練習とかは小さいころからやっていて、今以上に声に磨きをかけようとしていたんだそうな。でも、生まれ持ったそれ以上にはどうやってもならなかったという。
普通に考えたら知らない間に練習の成果出てるだけじゃないだろうかと思ったのだけれど、録音を聞いたりしてもほとんど変化がみられないらしい。
「でも、声だけでなれるって訳じゃないし……声が完璧なら、演技力も鍛えたら……?」
ちょっとやってみて、と初雪が無茶振りをする。確かに、何に悩んでいるのかよく分からないが、声が最初からステカンスト状態なせいで満足できないなら、演技力や表現力を鍛えて満足するしかない。とりあえず、その辺りにあった漫画を手渡してみた。
結果、こいつはちょっと洒落にならん天賦の才持ちなんじゃあないのかという事だけが分かった。
声が良いのは分かってた事なんだけど、この子、初見で別キャラの演じ分けまでやりやがったのだ。それはもう、目を瞑ってたら分からないレベルのやつを。
助けを求める弱者の声、駆けつけたヒーローの勇ましい声、送られる声援、焦る悪役の声、ニュースキャスターの原稿を読み上げる声、それを見て憧れを募らせる子供の声。少女特有の高さだけは誤魔化せていなかったけれど、どれもまるで別人のように聞こえた。ナチュラルに男が排除された世界みたいになってたけどそこはしょうがない。
「最初からね、これくらい出来るの。どう思う……?」
いやどうって。どうしようもねぇよって事しか分からんのですが。だってこれ、自分の声が相手にどう聞こえてるかまで完璧に把握出来てて、いきなり言われてもちゃんと出来てたって自信持ってるって事でしょ? もうこのままオーディション受けたら方向性間違えない限り即デビュー出来ると思うんだけど。天才中学生声優として話題性までバッチリだと思うんだけど。容姿も、なんか金剛さんとか島風たちと同じように美少女だし。たぶん本名に文と月が入ってると思うんですけど(名推理)
ああでも、何に悩んでるのかは分かった気がする。
「つまり、文月は才能があり過ぎて、それに乗っかる事に罪悪感があると」
うん。と文月は首肯した。天才ゆえの苦悩とでもいうのだろうか、他の人なら才能があると言われる人間でも努力しないと手に入らない領域の能力を産まれた時から持っているから、悪い事はしていないのにズルをしている気分になるのだろう。真面目に考えるとドツボに入りそうな問題である。特に自分の好きな事に関してならなおさら。
「完全に私見になっちゃうけど、気にしなくていいと思うな」
私がそう言うと、何故か島風がオッっと鳴いた。
「才能の差って誰にでもあるものだし、それが飛び抜けて高いからってやりたい事をやっちゃ駄目なんて事は無いと思うよ。そんなの言いだしたら、極論だけど、最低の才能無し以外は何もやっちゃいけない事になっちゃうし」
どうしても納得いかないなら、それでも努力し続けるしかないと思う。天与のものなんて自分でどうこう出来るものでなし、持ってないのを嘆くのは仕方ないとしても、持ってる事を厭うのは各方面に失礼だよね。
みたいな事を三人で話していて、気が付いたら島風が連装砲ちゃんを抱きしめながら、私の事を半眼で見つめていた。
「伊吹がそれ言うんだ……」
私のはチートだから……なんか違うじゃん?
概ね私と同意見だった初雪と、まず深海棲艦に勝たないとどうしようもないよねという結論に至った文月が部屋に戻ってから、島風と通販サイトやオークションを見て回る。昨日はこれっていうのが無かったから、今日中には決めてしまいたい。頑丈なのがいいと思うんだけど、あんまり無骨すぎるのは気に入らないらしいから難しい。
鎮守府の一室で三人の男女が密会を行っていた。一人は壮年の男性、楠木 多聞丸。それに向かい合う若い女性、ゴトランド。そして最後は白い肌を持つ女の子のような生物、戦艦レ級。顔を突き合わせてテーブルの上に置かれた物に対して、それぞれの思いを巡らせていた。
「コレ、計画ニハ?」
「あると思うかい?」
「ネーヨナ」
質問した方も分かっていたが、一応確認を取っただけである。ため息を吐くと、レ級はやれやれとかぶりを振った。
「一応確認させてほしいんだけど、多聞丸の能力だとあの子の動向までは計算に入れられないって事で良いんだよね?」
「うん、そうだね。私の未来視はあくまでこの世界の今の時間軸での出来事しか参照してくれない。だから、世界の外側からの干渉は全く予想が付かないんだ」
そのため、目の前のこれが湧いて出た時は嫌な汗が止まらなかった。これ自体はむしろ有用な物のはずではあるのだが。
「久しぶりに干渉して来たと思ったら、まさかこんなものを寄越すとはなぁ……」
あん? とレ級が呟く。言葉の端が引っかかったのだ。
「アイツ、他ニモナーンカヤラカシテルノカ?」
「ああ、まぁ……情勢がこちらの不利になる様な事ではなかったけどね」
多聞丸は言葉を濁し、あまり説明したくない事なのだろうと二人は察した。こういう場合、突っ込むのはきっと誰の得にもならない。必要な事なら言ってくれるだろうというくらいの信用は持っていた。
「それでこれ、使うの? というか、本当に使えるの?」
「それがなぁ……」
ゴトランドの問いに多聞丸は顔を顰めた。目の前にあるこの改二確定などと書かれた意味不明のチケット、どうやら存在そのものが理の外にあるようで、多聞丸のチート能力でも全容が窺い知れないのだ。齎す結果も見通す事が出来ず、複製も無理だろうと思われる。
「彼女の事だし、書いてあるそのままの物だとは思うんだけどねぇ」
わざわざ嘘を書いて辱めようだとかそういう目的ではないだろうと言う多聞丸に、確かにそういうタイプじゃなさそうだったと二人も同意した。どちらかと言えば、虚言を弄さずに嵌めて来そうな印象だったのだ。
「ゴトランドニデモ使ッテミルカ? 効率ハ一番イイダロ」
「あ、私はいいかな。もう自力でなれそうだから。それよりレ級やほっぽちゃんに使うとどうなるか気にならない?」
「好奇心デ変ナ事サセヨウトスンノヤメロ」
ゴトランドの艤装使用時間は長い。能力の関係上、圧倒的に他の艦娘達よりも密度が濃いのだ。適性値が上がっている事もあり、肉体への影響は既に出始めていた。
「あ、そうだ多聞丸。淡路島の皆宛てに手紙書くけど、私も艦娘として登用された事にしておいて大丈夫?」
「あの子たちの訓練が終わってからなら構わないよ」
「オイ話逸レテルゾ」
この二人、誰かが修正しないと延々横道を走り続ける傾向がある。そのくせちゃんと目的地には向かうのだが、一緒に話をしている人間にとってはたまったものではなかった。
「実際ノトコ、使ウトシタラヤッパ吹雪ニナルノカ?」
「そうだね、このまま行けば吹雪くんが改二になるのは当分先だし、早まって悪い事は特にないかな。それにこのチケットの所有権は本来吹雪くんのものだから……他に使った場合、あの子がへそを曲げる可能性が出て来そうだ」
「創造主みたいな子の機嫌は損ねたくないものね」
ただなぁ、と多聞丸はぼやいた。未来を見据え、可能性を探していく。その中にあるかなり先の鎮守府の風景には、改二となった吹雪の艤装の姿があった。
「正直、吹雪くんの改二は今の段階だとあんまり意味がなぁ……」
「……アイツノ強サ、艤装関係ネーシナ」
弱い訳じゃないんだけどね、と楠木はフォローを入れたが、燃費が悪化するのは避けられないためメリットとデメリットの釣り合いは微妙な所だろう。
「まあ、改二にした艤装は置いておいて予備の改装前の方をメインに使ってもらってもいい訳だから」
改二の条件が揃っても、改二しか扱えなくなるという訳ではない。性能が大幅に変わる場合などはそういう選択肢も無い訳ではなかった。普通は改二の方が強力であるため選ばない道ではあるが。
「ジャアソレノ処遇ハソレデイイトシテ……ダ」
レ級の鋭い目線が多聞丸を貫く。腕と足が組まれ、睨みつけるような表情も相まって強い威圧感を放っている。
「多聞丸チャンヨー、オ前、吹雪ニ完全ニ転生者ッテ確信持タレテルジャネーカ」
「こんなの渡してくるくらいだもんねぇ」
妖精さんのとりなしがあったにせよ、普通にただの組織のトップな人だと思われていたら丸投げしてくる事は無いだろう。それくらいの理性はある人間だろうと吹雪は認識されていた。
「予定ジャ最後マデ明確ニシナイッテ話ダッタロ? ナーンデエラー娘ト合流シチャッテルンデスカネェ」
レ級がイギリスや北海道、アメリカや鉄底海峡で調整を行っている間に事は済んでしまった。気が付いた時にはもう二人でわちゃわちゃやっていたのだ。
「あー、その件に関しては誠に申し訳ないと思っている」
「やらかしたの? 修正が利かない案件なんだけど……」
検証の結果、ゴトランドの過去改変は転生者の記憶は改竄出来ない事が判明している。過去が変わるのに記憶は改変前のものも維持されるのだ。吹雪が既に認識している事柄に関しては、最早消し去る術が無い。
「いや、実は……別に吹雪くんに転生者の存在がバレても特に進行に影響は無いうぉっふ!」
レ級の足が超高速で多聞丸の鼻面に押し付けられた。睨むのを通り越して、レ級は半分笑い顔のような表情になっている。
「嘘ツイタ箇所全部吐ケ」
多聞丸なりに頑張った結果ではあるのだろうから、美少女に踏みにじられるのはちょっと可哀想にも思えたが、ゴトランドも本当の所を知りたかったので特に何も言わないでおいた。
「話ハ分カッタ」
「うーん、微妙に納得できないけど……いいか。話せるようになったら教えてね」
多聞丸の話を一言でまとめると、『吹雪に全部を話して引き入れた場合多聞丸がストレスで死ぬ』という事であった。
レ級は己の知っている事柄からどうしてそうなるのか理解出来たが、ゴトランドは微妙な所で、イマイチそれが想像出来ない。基本的に善良にだいぶ寄っている吹雪と猫吊るしの性格がこの件に関しては悪い目を引き続ける事になるらしいが、何故そうなるのかはよく分からなかった。おそらくはまだ知らない事情が関係するのだろうとゴトランドは判ずる。
「すまないね、全部が終わったらちゃんと皆に説明はするよ……もちろん吹雪くんと猫吊るしくんにもね」
「あ、結局猫吊るしにするんだ、呼び方」
「吹雪くんが確定したからね、それに倣う事にしたよ」
可能性としては色々あったのだが、結局、一番順当な物になった。意外性は無いが分かり易くていいだろう。艦これの初期を知らない人間にとっては完全に意味不明な呼び方ではあろうが。
「オイ、今ノ状態ナラ大丈夫ナンダナ?」
「ああ、確定じゃなくて確信なら大丈夫だよ。北方くんを会わせると不味かったのは、彼女の場合一人だけ仲間外れにされている知り合いを放っておけなくなるからというのが大きくてね」
いい子ばかりなのだが、相乗効果で多聞丸の胃は破壊される。そして多聞丸が入院などという話になると、死者が膨れ上がるのだ。隙あらば権力闘争をやり始めるのは何時の時代も変わらない。
「ガバラネーダロウナ……」
レ級にジト目で見つめられた多聞丸は乾いた笑いを上げるしかなかった。自信のほどは微妙である。
「あ、そういえば吹雪がケッコンしたのも想定より早くない?」
「いや、あれは君のおかげなんだが」
えっ、とゴトランドは豆鉄砲でも食らったような表情を見せた。心当たりが全く無かったのだ。
「これに関してはマイナス要素は無かったから、むしろ有難い……はずだったんだがなあ」
チケットをちらりと見て微妙な表情になったが、多聞丸は続ける。
「淡路島で行方不明になっただろう? それが吹雪くんに刺激を与えたようでね」
本来なら、島風を慮って、もう少し後。島風が改二になってしまってからになるはずだったのだ。実のところケッコンカッコカリについては吹雪も結構悩んでいて、人間を半分辞めさせる事になるかもしれないようなモノを渡すのは躊躇っていたのである。もっとも、渡さなくても島風は勝手に改二になっていた可能性が非常に高いのだが。
「あら、顔を合わせたくない人が多かったからフェードアウトしただけだったんだけど、意外な効果ね」
ゴトランドは世界各所に偏在しているような状態である。そのため、同じ救助隊員や艦娘と別の場所で別の人間として出会ってしまう危険性を持っている。一度なら他人の空似で済むかもしれないが、三度四度と続いたらそういう訳にも行かなくなるだろう。説明すれば理解してくれるだろう吹雪にバレる方がまだマシと言える。
「ケッコンか……そうだ、私がケッコン出来る相手って居る?」
「それはどっちとしてだい?」
ゴトランドは提督適性も持っている。自分自身しか指揮下に入れていないため有効活用出来ているとは言い難いのだが、妖精さんを呼び寄せるのが得意分野であり、自分の能力との相性はかなり良い。
「両方」
「そうだね……今の段階だと、私から指輪を渡せるくらいだなあ」
「エッ」
「えっ」
レ級もゴトランドも驚いた。両者とも、そんなに信頼が篤いとは思っていなかったのだ。
「まぁ、驚く気持ちは分かるがね。私は未来視でいろんな可能性を見る関係上、元々相性のいい相手にはすぐ惚れてしまうのさ」
実の所、多聞丸から転生者への好感度は、ほぼ全員に対して指輪を渡せてしまうくらいに高かったりするのだ。
「ああ、私もそういう傾向があるから分かるかも」
対するゴトランドも大概である。過去に己の分身を送り込み過去を改変する能力なのだが、この分身の体験は本体が行ったものと全く同列の価値を持ってフィードバックされるのだ。つまり、彼女にとっては淡路島で皆で助け合ったのも、多聞丸の指示で各所へ遠征したのも、崩れ落ちるビルから子供を助け出して瓦礫に押しつぶされたのも、全て紛れもない現実であった。
あと普通に惚れっぽい。人が好きだから人からも好かれるタイプの人間である。
「ああ、勿論レ級くんにも私から渡せるくらいの絆はあるよ」
「ンナ事言ウ必要アッタカ?」
深海棲艦に渡してどうすんだ。意味ねーだろ。公開する意味もねーだろ。阿呆なのか、馬鹿なのか。レ級がそう罵倒している間に、多聞丸は置いてあった鞄を手に取ると、その奥から二つの小箱を取り出した。
「というわけで、どうぞ」
「わーい」
「ドウゾジャネェヨ!?」
素直に受け取ったゴトランドが箱を開ければ、中身は案の定指輪だった。今のゴトランドは本体ではないが、後で多聞丸を迎えに来る予定の北方棲姫に届けてもらえば同じ事である。指に嵌めてみればぴったりとフィットした。ふしぎなちからでサイズが可変なのかもしれない。
「イヤ、オレガ貰ッテモ資源ノ無駄ダロ……」
「ほんとぉ?」
ゴトランドが口角を吊り上げてレ級を細めた目で見つめる。指輪の効果なんていうのは、適性値云々だけで測れるようなものではないのだ。レ級は舌打ちして、その後顕現させた艤装に無言で指輪を放り込んだ。ゴトランドは笑った。
「ヨーシ、表ヘ出ロ、ドウセ分身ナンダ、オレカラモプレゼントヲクレテヤンヨ」
「それはバレるから止めてくれ……」
現在地は宮里艦隊の居る鎮守府である。ゴトランドはともかく、レ級が姿を見られるのは問題しかない。レ級も本気で怒っている訳ではないので、ごめんなさいねとゴトランドが謝る事で収束した。照れ隠しで撃たれるのは流石に御免なのである。
不貞腐れて長椅子へと寝転んだレ級を尻目に、ゴトランドは話題を無理矢理変える事にした。
「それにしても、この指輪って以前に作った物よね?」
「ああ、猫吊るしくんが開発した初期の物の一つだよ。と言っても島風くん用の物と何が変わるという訳でもないが」
ふむ、とゴトランドは指輪を見つめ、思い付いた事をそのまま口に出した。
「じゃあ、これ、バグ取りされてなかったりして」
「ハハハまさか」
「ネエダロ流石ニ」
「だよねー」
当然他のも修正してあるだろう。三人とも意見は一致した。
翌日、多聞丸とレ級とゴトランドの元に一枚ずつ詫びチケットが送られた。
軽い話じゃなくて馬鹿みたいな話になった気がします。
吹雪がドラマチックに改二になるとかは無いんだ、本当に申し訳ない。
だっていくら演出しても戦力的には大して変わらないんだもの……