暑い。
突然周囲の海が真っ赤に染まり仲間が遠くへ飛ばされた後、残された長門がその空間に対して抱いた印象は、意外にそんなものだった。
普通の変色海域では日光は何かに遮られているかのようにその輝きを曇らせ、浴びる波の飛沫は冷たく、吹く風は容赦なく体温を奪って行く。そこは夏の、それも昼間であっても寒いと感じてしまう事すらあるような場所なのである。
だが今ここはどうだろう。太陽の光は身を刺すほどに強く照り、風は誰かの吐息のような熱を宿している。赤い海水だけはやはり冷たいが、それが触れた個所には焼け付くような幻痛が走り、実際よりも遥かに高い温度に感じられた。
頭の上からは猫吊るしと呼ばれる妖精さんが急な事に困惑しながらも辺りを警戒している様子が伝わってくる。長門も周囲を見渡すが、敵の姿は見当たらない。現在艤装本体はほぼ損傷無し、砲弾を受けたバルジに歪みは出ているが、元よりそういう構造になっているため内部にダメージは通っていない。
撤退するべきだろう。この特殊な変色海域に取り込まれた場合は速やかに避難するようにと基本的には命令している。長門はその命令を出す側に近かったが、本人もそれに則りこの場を去るべきであると判断した。
『ワシハミテイタ』
長門が足を止めたのは、遠くからくぐもった様な声が聞こえて来たからだ。耳に聞こえる音なのか脳に直接響く念なのか判然としないそれは、日の昇る方から聞こえて来るように感じられた。
『ズットミテイタンダヨ。コンナトコロマデクルマエカラネェ……』
振り向けば眩しい程の太陽の光。その中に、長門は確かに何者かの影を見た。何時から居たのかは分からない。それは猫吊るしですら気付けぬ間にそこに存在していた。
『リソウテキナカンタイダッタ。ツヨイ、ツヨイカンムスタチダ。ホカモミテキタガ、ココイジョウニカガヤイテイルヤツラハ……モウイッカショクライダッタ』
そいつは明らかに長門に向かって語り掛けて来ていた。深海棲艦が日本語を使い意思疎通をしている事は一般的にも知られている。だが、会話が成立したという例は実はかなり少ない。それっぽい煽りをしてくる事はままあるのだが。
『ヤハリアアデナクテハネェ……タタカウキノナイレンチュウハマダシモ、センジョウニタトウッテンダカラサ』
無視して逃げるべきだったかもしれないが、長門は動かなかった。おそらくは、この声の主は各地で艦娘を襲撃し、現在進行形で脅威として恐れられているモノと同一個体だろう。それが何かを自分から伝えようとして来ているのである。もしかしたら、何か回避や打倒するための情報を漏らすかもしれないとそう思ったのだ。
『ソリャアナカニハイマイチナノモイルケドネェ、マ、キュウユカンニシチャアガンバッテルホウサ』
どちらかと言えば優しい口調である。給油艦、おそらくは速吸の事か。馬鹿にしているようだが評価もしているようで、長門には真意は分からない。ただ、深海棲艦にそれ程の情緒があったらしいという事に驚かされた。
『ウエノホウハテンジョウシラズ、オソレオオイクライサネ。ヨクモマア、コレダケノメンツヲアツメタトカンシンスルヨ』
声はだんだんと近づいてくる。同時にその影も輪郭をはっきりとさせて行く。幾つもの牙の生えた左右二つの口部から多数の砲塔が突き出た、異形の艤装。背にも大型の砲台が積まれ、その前には羊のような角を生やし夜会服のような物を身に着けた人型が座している。逆光で顔形はよく分からないが、その中にあっても不気味に光る二つの赤い瞳だけは強く浮かび上がって見えた。
『ダガ、ココハサァ、シキカンガヨクナインダ……!』
急に、その語気が鋭さを増した。一対の目は燃え上がるように輝きを増し、砲台が音を立てて屹立する。
『オマエノコトダヨ、ナガトォ!!』
爆音が轟いた。一斉に、その大きな砲口が火を噴いたのだ。狙いを付けていない、威嚇目的の砲撃。当てる気すらなかったのかもしれない。絶対に命中しないと軌道を見切った長門の周囲に幾つもの水柱が上がった。
『オマエガ、オマエダケガ、ヨワイ――!!』
その深海棲艦――地中海弩級水姫の赤い双眸が長門を射貫く。そこからは何故か、明確な怒りを感じ取る事ができた。
「そうだな」
対する長門は、その言葉にしっかりと頷いた。
「全く以って同意見だ」
長門にとって、それは自覚のある事だったのだ。実の所、長門の砲撃は威力で見ると一部の駆逐艦にすら劣る。適性値の差がどうだと言ってしまえばそれまでだが、燃料効率の問題もあり、褒められた状態では全くないと本人は思っていた。無論前線指揮官としては優秀であるし、多聞丸やゴトランドなどの未来を知る人間から言わせれば、彼女でなければとうに複数の死人を出し戦線を瓦解させてしまっているのは間違いないくらいの絶対になくてはならない人材であるのだが。
ともあれ、それは長門にとって今は重要な事ではない。結局の所、組織立った運用を目指す以上長門個人の能力の多寡はそれ程問題にならない。吹雪程突き抜けていたら別問題かもしれないが。しかし、そんな事よりも看過できない可能性に、長門は地中海弩級水姫の言葉から行きついたのだ。
「私が弱いから私をここに残した、そうなんだな」
長門の言葉が不思議な程に辺りに響き渡る。声の届いた水鬼が怒れる眼のまま、その問いに明確に答えを返した。
『オマエタチノヨウナヨワイヤツガ、カンムスヲナノッテウミニイルノガ、ワシハマッタクキニイラナイノサァ!!』
言って、大砲の狙いを長門に定める。長門の方はその言葉を聞いて、一つの説が正しかったと確信に至った。
「お前、お前は、弱い艦娘を狙って引き金を引いていたのか……!」
自衛隊も特殊変色海域に隔離された艦娘の共通点を調べなかった訳ではない。ただ、ケースによっては周りにもっと弱い、戦闘部隊でない艦娘が居たために確定はできなかったのだ。だが、そもそも相手が戦闘部隊とそれ以外を分けて考えていたという、その前提を加えれば。答えには容易に辿り着く事が出来た。
長門は改二改装にあたって精神を落ち着けるよう心がけ、実際にかなりの冷静さを取り戻していた。だが、それは動揺が消えて無くなったという事ではない。吹雪による精神攻撃は確実に平常心を削っていて、そこから休息無しに今ここに居る長門は、初めから薄氷の上で平静さを保っていたに過ぎなかった。
『チョウヤトンボヲトリトハイワン……! オマエタチナドカンムスデハナイワ!!』
何言ってんだコイツ。長門の頭上で猫吊るしが呟いた。何故その結論になったのかまるで分らなかったのだ。逆に長門はある程度の理解はできた。要はこいつは何か、艦娘に対する理想があって、それに満たない奴を殺しに来ていたのだ。そうすれば邪魔者が消えて、全体が理想に近づくから。そんなくだらない理由で人の命を奪いに来たのだと理解できた。
「そんな理由で人を撃つのか! 巫山戯るなよ貴様ァ!!」
長門の全砲門が一斉にその発射口を正面に向けた。狙いは既に定まっている。殺意が交錯した。
瞬間、海を二つの衝撃が震わせた。宙で砲弾と砲弾がぶつかり合い、互いに砕け、赤い波間に沈んで消える。長門は己の上げる砲煙の間から、地中海弩級水姫が顔に浮かべた悪意を笑みとして張り付けるのを見た。
『ムダナテイコウヲスルンジャアナイ……! ウレシイダロウ? キョウトイウヒニ、オマエハセイキョウナルカンムスタチノイシズエニナレルンダ……!!』
「そうだな。今日、また一つこの海から脅威を取り除けるんだ、嬉しいに決まっている。それを積み重ねれば、平和の礎だって築けるはずだ!」
だから、と声が重なった。
『オマエハココデ――』
「お前はここで――」
砲撃と共に、互いに怒りをぶつけ合う。
『シズメ!!』
「倒す!!」
海上でまたも砲弾が正面から激突し、塵となって消えて行く。頭上では猫吊るしもやあってやるぜと仁王立ちを決めていた。
地中海弩級水姫と長門の戦いは、意外なほどに地味な立ち上がりを見せた。地中海弩級水姫は航空戦艦である。故に当然、航空機の運用が可能なはずだった。しかし、この個体は自身の能力の代償としてそれらを装備していなかったのだ。集合無意識内を渡り歩く事ができる能力を、自分以外に使う事ができなかったのである。
故に、長門に対して主に砲撃と雷撃による攻撃を行うしかないのだが、この地中海弩級水姫、まず以って大きな間違いを犯している。それは、自分の存在を誇示した事である。
当然の話なのだが、砲弾や魚雷はその発射場所が特定されていない方が当たりやすい。多対多であるならばともかく、一対一である程度距離が空いているならばかなり直撃を避けられてしまうのだ。勿論普通の動体視力や反応速度であれば一つ見逃した物が直撃するなんて事もよくある話なのだが、今回の場合は残念な事に、長門の頭上に居るナマモノが大問題だった。
猫吊るしは絶対に攻撃を見逃さない。チート転生者と手を組むという、絶対的なアドバンテージが長門に大きな優位性を与えていたのである。
しかし長門の側もまた、猫吊るしの存在によって最初は慎重な戦いを選択させられていた。それというのも、猫吊るしが地中海弩級水姫が航空戦艦であると識っていたせいである。過去の遭遇報告には使ってきたという情報は無かったが、突然周囲に攻撃機や爆撃機を展開される事が有り得ないとは猫吊るしには言い切れなかった。そのためある程度の距離を保ち、発艦されても対処できるようにと警戒を怠れなかったのだ。
そして勿論、長門自身も地中海弩級水姫に完全に居場所を特定されている。地中海弩級水姫の艤装は大きく回避力はそれ程でもないが、反応速度そのものは水姫水準。直撃を取ることは困難であり、急所以外に当たったとしても深海棲艦特有の潤沢な装甲で致命打に至る事は無い。
直撃する軌道の物は躱し、どうしても避け切れないタイミングの物は出来得る限り盾のようなもので受け流す長門。それに対し、有り余る体力で消耗戦を押し付けてくる地中海弩級水姫。どちらも相手に引導を渡すには決め手に欠ける状態となったのだった。
「旗色は良くない……か」
現状は長門にとって不利と言ってよかった。攻撃は当たりはしているが致命傷に至りそうな気配は今の所無い。長門の側も艤装の装甲以外は未だ損傷していないが、盾として使われているバルジのように見えてちょっとバルジとは言い難い気のする追加装甲はじきに使いものにならなくなるだろう事は想像に難くなかった。一撃でも直撃を取れれば状況が変わる可能性もあるが、それは長門側も同じ事である。いや、それ以前の問題として。
「ですね、目視できる敵の損傷度合から推測するに、このままだと削り切る前に弾が先に尽きます」
頭上の猫吊るしが長門の呟きに同意する。艤装にはもうそれほど弾薬が残っていなかった。何しろ夜戦からそのまま強制決闘へと持ち込まれているのである。速攻で片を付けられるなら十分な程度には持っていたのだが、長く撃ち合いを続けるには不利な状態だったのだ。強さ的には一般的な姫級と大差はない、むしろ航空機などを積極的に使ってこない分楽に勝てそうな相手ではあったのだが。
「これでは川内の事をとやかくは言えないな……」
長門がぴたりと航行を止める。次の瞬間には進路上だった場所に複数の砲撃が着弾した。噴き上がる海水を浴びながら、長門は逆方向に急激に加速し次の攻撃に備えて体勢を立て直す。普段であればかなり難しい挙動だが、猫吊るしの存在によって艤装と長門の意志の間にタイムラグが殆ど無くなっているために実現が可能となっていた。
こうして避けている間に長門の頭は多少は冷静さを取り戻していた。普通に考えて、長門は撤退を選択するべきだった。今の長門は艤装は改二に改装したばかりであり安定しているとは言い難く、連戦で万全の状態でも全くない。それでも長門一人の問題であればまだ擁護のしようもあったのだが、現在長門は一番失ってはいけない妖精さんを連れて出撃している。連れ帰れなければ日本の安寧全てに影響してしまう可能性すらあった。
では絶対に逃げるべきだったかと言うとそうではない。地中海弩級水姫はその遭遇の仕様上、どうしても正面から相対さなければならない難敵である。そのため戦艦であり実力も高い長門が結界内に取り込まれた事はむしろ千載一遇のチャンスであると言っていい。長門は宮里艦隊の中では強い方ではない。だがそれは、艦娘の(吹雪を除く)平均的な強さが通常の鎮守府のエース級を超える宮里艦隊だからであって、一般的に見たら上澄みの中の一人なのである。一度で倒そうと考えるなら、他の機会など無いと言っていいだろう。
長門はその辺りは正確な認識を持っていた。おそらく、長門ですら逃げるしかなかったという話が蔓延すれば今以上に士気は落ちる。半端に強く、実力以上の知名度があるのがこの場合宜しくない。長門は元々一般人な召集された艦娘達にとっては、メディア戦略の甲斐あって、最前線で戦い続ける高潔な防人であると偶像的な認知をされているのである。
ところで、川内が独断専行で空母や敵旗艦の首を獲りに行って許され――てはいないが注意や叱責、始末書程度で済まされ厳罰に処されていないのには理由がある。それは非常に単純に、完全に人手不足で一人戦えなくなるだけで大問題が発生する最前線において、味方の被害を最小限に抑えられる完璧な成果を挙げ続けているからだ。良い事であるはずがないのだが、勝って来たという現実が批判意見を駆逐してしまっていた。そもそも単艦運用という規則的に命令できない事を勝手に実行しているだけの川内はむしろ周囲からの内心の評価は良かったりするくらいである。
同じように、天龍や叢雲もあまり褒められた戦い方をしない事が多い。得意とする距離が近接であるためある程度仕方がないのだが、明確に禁じていない場合、隙あらば突撃してしまうのだ。ただ相応の危険性はあるが、そのおかげで敵の隊列が乱れ、連携を阻止し、被害の軽減につながる事は少なくないため注意はされるが重大な違反とはされていない。
要するに、多少無茶で強引でも勝ってくれば割と許されるのが宮里艦隊という所だった。
地中海弩級水姫は長門に休む暇を与えないつもりであるかのような砲撃を行っているが、ただただ装填の終わった傍から撃ち続けているという訳ではなかった。砲撃と砲撃の合間の隙ができる限り無いように、それぞれの砲台の発射間隔はある程度守って戦っていたのである。
自身も動きつつ、意外な程に機動性の良い長門を追い詰めるように時には直接、時には進路を塞ぐように、一撃一撃が致命打になり得るはずの重い砲撃を撃ち放つ。直撃は避けられているが、砲撃は徐々に長門の装甲を削って行く。思いの外粘るが、時間を掛ければ己に軍配が上がるだろう。地中海弩級水姫はそう判断した。
だが、だがしかし、である。地中海弩級水姫からすると、それはまったく宜しくない。何故なら、この海域には居るのだ、結界を貫通して自分に会いに来ようとしてくれる艦娘が。彼女と対面してしまえば、自分はどうなってしまうか分からない。先ほど境界上で異常な力が侵入を試みているのを感知できたのもあり、内心では決着を急ぎたい気持ちが高まっていた。
長門は出来得る限り隙を晒さないよう常に動き、緩急を付け軌道も読み辛いよう滑走している。だがそれでも、幾つか癖のようなものはあった。反転癖とでも言えばいいのか、進路を塞がれると90度以上の旋回をして進路を変えるのだ。当然その瞬間はその速度は大幅に落ちている。故に、そこは大きな狙い目だった。
等間隔に撃っていた砲撃のリズムを崩し、長門が進もうとする位置へと多くを撃ちこむ。完全に軌道を見切った長門はそれを避ける為、ほぼ180度回転し、真後ろに向けて急加速を始める。
『ソコダ!!』
生まれた隙に、残った砲口の全てをつぎ込む。避けられまいし、防ぎきれまい。並の戦艦であれば必死の連撃である。視えた所でどうなるものか。
「ここだ!」
しかしそれは長門の狙い通りの行動でしかなかった。そもそも一戦で見切られるほどの明確な隙などは、生憎長門は持ち合わせていない。そう見えたのであればそれは虚実に惑わされた結果であろう。
深海棲艦の攻撃にも呼吸のようなものはある。艦を基にした存在であるために彼女達にも弾を込め、狙いを付ける時間が必要となるからだ。一つの意思が全ての武装を統括している都合上、むしろ本来の戦艦などよりよほど顕著に表れていると言っていい。
長門はそれを読むのが非常に上手かった。長門が前線指揮官として最も優れている点の一つであり、艦隊を相手にする時ですら敵の一瞬の意識の間を見通す事を可能としている。まして敵が一体だけの今であれば、それは何も難しい事ではなかった。故に、自分の動きからそれを作り出す事すら可能だったのだ。
長門は、自分の加速に合わせ海面を蹴り、その進路をさらに無理矢理に歪めると、迫る砲弾を己の艤装に受け止めた。バルジで止め、逸らし、被害を最小限に抑え込む。しかし、仕留め切らんと多量に放たれた砲弾の全てを捌き切る事はできようもなかった。側面が爆ぜ、装甲が砕け散る。だがそれでも怯む事は無く、長門は己の定めた航路を、地中海弩級水姫へと向かう道を、一直線に驀進し始めた。
地中海弩級水姫への距離はそう遠くはない。撃てる大砲を撃ち尽くし、再装填へ取り掛かったばかりのそいつまで、阻む物は何も存在しなかった。苦し紛れに放たれた魚雷を左右に躱し、新調した汽缶の性能に任せて突き進む。
高速の矢となり迫る長門に対し、地中海弩級水姫が選択したのは近接攻撃による迎撃だった。艤装の巨大な咢でその身を食いちぎってくれようと、大口を開け自らも距離を詰める。二つある内右の口部を突き出すと、眼前の艦娘を喰らってしまえと叫びを上げた。人の腕ほどもある巨大な歯牙が、長門の体を貫かんと勢いよく振り抜かれた。
鉄を砕く音がした。
地中海弩級水姫はその瞬間、ただ呆ける事しかできなかった。その光景の理解を脳が拒んだのだ。人一人など原形も残さぬ肉塊に変えてしまえるはずの己の刃、左右ふたつの内その片割れの、その全てが。気付けば一つ残らず叩き折られていた。
例えばそれが、長門の艤装とぶつかり合いになった結果であれば驚きは少なかっただろう。だがしかし、眼前で起きた事は地中海弩級水姫の常識を遥かに超え、己の存在しない正気を疑わざるを得ない精神状態にまで突き落した。
それは唯一つの拳によって成された事である。左右から迫る上あごと下あごの、それぞれから生えた多数の歯牙。それらを睨みながら前進を止めなかった長門は、自分の体にその切っ先が突き立たんとしたその瞬間、急激にその速度を衰えさせた。目の前で攻撃対象を失った顎が海水だけを飲み込んで行く。それを確認した長門は、今度は逆に瞬間的に自分に加速を加えると、繋がり一並びとなった歯の集まるそこへ、全力の己の拳を叩き付けたのだ。
一か所に受けた衝撃が艤装の全てを貫いて行く。本体にまで届く威力のそれを受け、前歯も奥歯も纏めて砕かれた艤装の右頭は、たまらずその口蓋を露わにした。その開かれた喉の奥に、今度は長門の艤装の左半分が突き込まれた。
「この距離なら外さないな」
後退を、と地中海弩級水姫の頭に過った瞬間には、長門から40cmを超える砲弾が発射されていた。くぐもった爆音とともに、装甲の内側を死が蹂躙して行く。二発、三発、長門の砲撃は止まらない。左の側に存在する主砲副砲の全てが火を噴いた。
長門が歯も舌の代わりに生えていた砲台も無くなった大口から艤装を引き抜いた時には、地中海弩級水姫の艤装は右半分が完全にその機能を停止してしまっていた。それでもまだ人型部分は健在であり、内部で繋がっているために大きな被害は出ていたが、左半分も未だ動かせる状態である。
だが、最早大勢は決していた。砲塔は半分以上が使い物にならず速度も十全に出せないであろう己と、被弾こそあれ動く事に問題は出ていない様子の長門。どれだけ気楽な頭をしている者が見ても、その勝敗は既に明らかだった。
だから、それはただのかんしゃくのようなものだった。自分とぶつかり足の止まった長門に向かい、左側に残された大砲から、ようやく再装填の終わった砲弾をまともな狙いも付けることなく吐き出したのは。
その凶弾は果たして、長門に向かって一直線に向かって行った。近すぎる距離、大きな艤装を盾にするには間に合わないタイミング、絶妙に噛み合ったそれは、一瞬で長門の眼前まで到達した。
「破ぁ!!」
と長門が叫んだ。同時にその拳が振るわれ、地中海弩級水姫の砲弾をぶん殴る。弾は遥か遠くまで飛ばされると、そのまま水面に柱を残して消えて行った。
『ナンジャソリャア!?』
ぎょっとしたのは地中海弩級水姫である。なまじ動体視力が良いがために、その凶行を完全に視界に捉えてしまったのだ。続けざまに装填の終わった砲台も長門に向けるが、それらは狙いを大きく外し、ただただ遠くの海へと消えて行ったのだった。
長門はその射撃に合わせて走り出した。砲塔の向きを見れば当たらないというのはすぐに分かる。撃ち出された弾を無視して地中海弩級水姫の懐にまで入り込むと、全力の踏み込みを以って、その腹に拳を叩き付けた。渾身の一撃。本体の受けたダメージを吸収し、辛うじて動いていた艤装は爆炎を上げ、その機能を完全に停止した。
機能を失った地中海弩級水姫の艤装が主の下を離れ、海へと没して行く。それを背に感じながら、最期に彼女が見た物は、まるで大きな剣のように振り上げられた長門の艤装が、自分に向かって振り下ろされるところだった。
海辺から真っ赤な変色海域へとどうにか侵入できないかと試みていた艦娘達の目の前で、変色海域は突然元の赤黒さを取り戻した。
それがどういう事なのか判断の付かなかった龍驤が、兎にも角にもと飛ばした偵察機はやがて一つの死体を担ぎ陸へと向かう長門の姿を発見する。その事に安堵のため息を吐いた龍驤だったが、直後、その背負っていた元姫級の深海棲艦の惨憺たる有様を見て、このまま陸に上がらせていい物か少し悩む羽目になるのだった。
「あの! 大丈夫ですか!?」
時は少し戻り、長門が交戦を始める少し前の事である。凡その予想通りに敵空母の尻に大穴を開けに向かっていた川内は、特殊変色海域の展開によって思いっきり陸地とは逆方向にぶっ飛ばされていた。
突然の事ではあったが運動能力に秀でた川内は飛ばされながらも体勢をしっかり整えていたのだが、近くを空母ヲ級が一緒に横に向かって落ちていたのが良くなかった。そいつにありったけの魚雷をぶつける作業が加わったため、いざ真っ赤な海の端に到達した時には姿勢が崩れ、川内は赤黒い海を四~五回転する羽目になったのだ。
別にダメージは無かったがなんとなく、いったいなーと呟きつつ、さっと立ち上がった川内に、声を掛けるものがあった。すわ何者だと誰何の声を上げた川内に、声の主は慌てながらも姿勢を正し敬礼を向ける。見た目には完全に人間で、年の頃は十代前半、どうやら敵ではないようだった。
同じく敬礼を返した川内がその娘の事を観察すれば、その顔に見覚えは無かったが、その格好にはよく見覚えがあった。その背後には空母や巡洋艦を含む複数の艦娘が隊を成していたが、やはり川内の知る者は居ない。
だがそれは、かなりおかしな話である。年恰好からして明らかに自衛隊員ではない目の前の少女は、どういう訳か、自分の仲間のものと色以外は全く同じ、白いセーラー服を身に着けていたのだ。身に着けた艤装の形もよく似ており、おそらくは同じ艦であろうと思われる。
しかし、川内はその艤装を扱う戦闘部隊の人間は全員顔を知っていた。そもそも二人しか居ないのだから忘れようもない。だが少女はそのどちらでもない、全く知らない顔だったのである。
「沖縄から参りました、
えっなにそれは。川内は目が点になった。
Q.傲慢って結局何だったの
A.解釈違い起こした艦娘に物理的に攻撃してくる厄介オタ
追記
なんか凄く分かり辛い表現になっているみたいで、かなり誤解を与えてしまっているようなのですが、吹雪の服装してる子は一人だけで、後の子は別の艦娘です。
分かり辛くて大変申し訳ありません。少し修正しましたが果たして。
前回色々書いたところ、紹介の許可が頂けました!
実は結構前に描いて頂いたもので、有難いと思いつつ勝手な紹介は控えていたのですが、最初に見つけた時は驚き過ぎてマガジンマークが飛び出た事をよく覚えています。
よろしかったら是非こちらからどうぞ。
個人的に、何か覚悟決めた風でもなく殺れそうだからってつい殴りに行ってる感じが出ていてとても好きです。
うみへび様この度は本当にありがとうございました!