直撃した砲弾が装甲を突き破り中枢で炸裂し、内部を破壊された人型の深海棲艦がその艤装の大部分を海へと撒き散らした。しかし、それでもそいつは前に進む事を止めなかった。艦隊最後の生き残り。ここで仮に引いたとて生き延びれようはずもなし、ならばその腕に最後に残った人ならざる膂力でもって、目の前の艦娘に一矢だけでも報いてやろうと。そんなつもりであったのだろう。
向かう先には明らかに練度の低い駆逐艦。二本の脚で水面を蹴って迫る予想外の脅威に対し、咄嗟の反応をし損なっている。深海棲艦は筋力の関係かかなり足が速い個体が居るとは知らなかったようだ。
獲れる。そんな確信の笑みを深海棲艦、重巡ネ級は浮かべた。
その頭蓋に。暁は正確な一撃を叩き込んだ。
沈み逝く重巡ネ級を見送りながら、暁は周囲への警戒を緩めなかった。報告にあった敵性体はこれで全てだったが、水平線の向こうから海の底から空の上から敵の増援が現れた例などは枚挙に暇がない。存在の判明している相手を片付けたからといって戦いが終わるとは限らないのだ。
と、何度も教わっている筈なのだけれど。本日暁に連れられ海に出た新人達は未だその辺りの実感が薄いのか、どこか安心した様な弛緩した様子で少し油断をし始めている。経験不足だから仕方ないところはあるのだが、周囲の警戒や索敵の維持は砲雷撃戦以上の重要性を持つ基本中の基本なのだ。深海棲艦がかつて程の頻度で現れないとは言っても、嫌がらせのような戦法が大好きな奴等を相手取るのにこの有様は致命的だろう。
しかし、多少浮ついてしまうのも今日に限っては致し方のない事かもしれなかった。昨今自分達を取り巻く環境ときたら暁だって愚痴の一つも溢したくなる程であったし、それが今にもさらなる動きを見せるかもしれないとなれば、だれだって落ち着いてはいられないだろう。
特に養成学校を出たばかりのこの娘達であれば猶更だ。三年間の課程を終えようやく配属となったというのに収入の安定すら見込めるか分からないとなれば、習ってきた物事を十全に発揮できる程度の心の落ち着きを持てなどというのは無理難題である。何しろ暁を除けば全員、ようやくアダルトコンテンツの閲覧が自由になったかどうか程度の年齢なのだから。
こっそりと溜息を吐きながら暁は新人達を纏め上げ、隊列を組み直させると索敵の指示を出し直した。留年してないだけマシ程度の連中という触れ込みであったが、その手際は実際には、例年ギリギリで卒業してくる娘達よりは多少良い。ほぼ留年も同然な再教育用の艦隊に送られた下限でこれなら、エリート艦隊に配属された上澄みなどはかなり期待できるだろう。どうやら今年の卒業生は余程平均が高かったらしい。こんなご時勢でなければ真っ当に評価されただろうに。少し勿体ない。
そんな感想を抱きながら帰路につく。目指す鎮守府があるのはかなり田舎で、のんびりとした空気の漂う穏やかで過ごしやすい土地柄だ。代わりに娯楽施設なんかはあんまり無い。深海棲艦の現れる頻度もかなり控えめで、つまるところ、担当範囲の守護役を全うしながら他にやれる事がないので訓練にも集中できる、鍛え直すには最適な場所と言えた。
ここで三年の任期を過ごし、鍛え直されて各地へと出荷されて行くのが本来であるが、只今の状況でそうなる事はないだろうなと暁は確信していた。その証拠に、帰り付いた港では大戦以来の付き合いになる電が、焦った様子でわたわたおどおどと挙動不審になりながら少し涙目で艦隊の帰りを待ちわびていた。
「大変なのです! 大変なのです!! 暁! 通っちゃったのです!! 法案が通っちゃったのです!!」
うわぁとかあちゃあとかそんな声を帰港した新人達やサポートに付いていたその先輩らが漏らす。暁もまったく同じ気持であったが、とりあえず。自分自身でなく教え子たちの今後を想って泣きそうになっている妹艦を慰める事を暁は優先した。
十代どころか子供そのものな、もちもちした電の頬をむにむにと伸ばしてあやしつつ、暁は先日受け取った書類へサインする事を決意していた。海上での教導中に突然飛来したタシュケントが比喩抜きの超音速ですれ違いざまに押し付けて行った代物だったが、現状では非常に有り難い代物である。短慮に走る娘が出る前にそれについて皆に周知させ、差出人と詳細を詰めねばならない。暁は久々に三徹くらいにはなりそうだと某文月特製スタミナドリンクの封を解く決意を固めた。
数年後。暁は宇宙まで伸びる霊造建築の超高層ビルを見上げながら艦娘の制服の襟を正していた。艦娘の服装は正装としても扱われるという風潮はこんな時に便利だ。何せ暁の体格ではスーツなどは確実に特注になってしまう。冠婚葬祭これ一つで良いというのは素直に有り難かった。一部の際どい格好の連中のもそう扱われるのはどうかと思う事もあったが。
目指す先は実体部分の最上階の一つ下、超巨大企業を纏める女傑の居城、即ち社長室である。決意を固めてエントランスへと踏み込めば、何故か受付から握手を求められ、あっという間に目的の階へ通されて、暁はかなり面食らった。
レトロ調なエレベーターを降り、小柄な暁と比すればとっても大きく見える扉の前に立つと、何かをスキャンされるような気配がする。なんらかの認証と凶器等の不携帯の確認でもしているのだろう。そんな当たりを付けている間に扉はあっさり開かれて、百人は余裕で入れそうな広すぎる空間が目の前に姿を現した。
辺りを眺望できる一面ガラス張りの壁面と、その手前に鎮座する大きなデスク。中央にはゆったりとした応接用のソファと背の低いテーブル、端ではゲーム盤の置かれた台に小さな背もたれの付いた丸椅子が二脚向かい合っている。そこはまさにイメージ通りの支配的企業の長の部屋というべき分かり易い室内だった。
その窓際に、こちらに背を向け後ろ手を組んだ一人の女性が佇んでいる。それすらもおそらくは意識的にそれっぽくしているのだろう。そういうお約束を好むタイプだというのは前々から知っている。一応は百年以上前からの付き合いになるのだから当然ではあるが。
「失礼します」
声を掛ければその女性はまるで今気づきましたとでもいうように暁の方へと振り向いて、あらあらまあまあとわざとらしい声を出しながら入り口の方へと歩み寄ってきた。ビルの入り口、どころかこの棲艦島の港に辿り着いた時点で存在を把握していたに違いないのに。相変わらず妙な所に拘るひとだと暁は感心した。
「いらっしゃいまし! お久しぶりですわね!! さあ、お掛けになって! 今お茶をお入れいたしますわー!!」
さあさあどうぞどうぞと背を押さんばかりの勢いで女性は暁を部屋の中へと招き入れた。そして返事もそこそこに座らされた暁に一瞬背を向けると、デスクに置かれた全自動のサイフォンからたった今抽出が終わったばかりであろう珈琲を二つ取り出した。やはり完璧に計られたタイミングでの来訪だったらしい。満面の笑みで出されたそのカップからはかつて感じた事がない程の上品な香りがした。
「この度は私共の要望をお聞き入れくださいまして、本当にありがとうございました」
「礼は不要ですわよー! わたくしと貴女の仲ではありませんの、待遇に関して不満があればガンガン意見なさってくださいましね!!」
なんでこの人こんなに好意的なの????? 昔からそうであったが、対面に掛けるこの女傑――ヨークタウンを筆頭とするリンカーネーション社の構成員、特に幹部と目される連中は暁に対して過剰な程に甘い。今回の件にしても普通なら叶えられるはずのない程の巨額の資金が動かされている筈である。暁は本来、これから献身的に奉仕せねばならない立場のはずなのだ。だというのに、契約時に提示された条件は暁側が大きく有利であった……どころか、なんか家まで建てるみたいな話になってたので流石に辞退申し上げた。何が悲しくて自分から契約金を引き下げねばならないのかと少し思ったが、それよりは恐怖が勝った結果である。
「貴女は今回の件、借りか何かになったと思っているようですが、むしろ逆ですわー! 今回借りを作ったのはわたくしどもの方。だってそうでしょう? 貴女の教え子、千人以上の優秀な艦娘へ渡りをつけて頂いたのですから!!」
取りこぼし0! 現役全員確保成功ですわー!! と喜色満面にヨークタウンは高笑いを上げた。
正直に言えば百年を余裕で越える教導人生の中で世界に散らばっていった教え子達の行方をそのレベルで把握しているのが非常に恐ろしいのだが、そこを突っ込むのは憚られる。自分の仕事がその結末まで延々と記録され続けているなどという噂を肯定されそうで怖いからだ。
「しかし、未だ私の手を離れていない娘達もというのは……」
「わたくし青田は土地ごと買ってなみなみと肥料を注ぐ性分ですの! 管理はお任せいたしますので腐らないよう完璧に仕上げてくださいませー!!」
おーっほっほっほ!
一番最初に知り合った頃からまったく変わらない高笑いに安心感と不安感を同時に覚え、暁はなんだか笑えてきた。仕事としては規模が大きくなるだけで今までとさして変わらない。各国から来るだろう事を考えるとAI主導で開発されたとかいう共通語にもっと慣れておく必要はあるかもしれないが、変わらず何事も全力で取り組むのみである。
「教導課に関しては一応事務作業員なんかは置かせていただきますが、かねてからの契約通り実務のトップは貴女に務めて頂く事になりますわ! よろしくお願い致しますわね! 教官長!!」
「あ、その渾名継続なんですね……」
教官長、暁。過去の大戦から今に至るまで多数の優秀な艦娘を育て上げ、本人の実力も最高水準であるために当時からずっと同じ渾名で呼ばれ続けている、ちいさな怪物である。艦名である暁の名で呼ぶ者すらごく少数であり本名などはここ数十年おそらく一度も呼ばれていない事を、実は少し寂しく思っているのは秘密である。
人員リストをお渡ししておきますわー! と何も無い所から展開されたデータの束が暁の下へと宙を飛ばされてやって来る。AR技術の応用かなにかなのだろうが、暁の側に準備がないというのにそれは視認どころか実体として触れる事すら可能だった。そんな未来的なものを島外で見た覚えは一切ない。技術の最先端をひた走る超巨大企業の本社ならなんでもありかと暁はさっさと理解を諦めた。
ざっと渡されたそれに目を通せば、そこには知らない名前もあればよく見知った名前もある。暁としては自分の姉妹――かつて最初期の時代に存在した第三訓練所やその前の収集部隊時代からの付き合いになる電と響の二人が名を連ねていたのが非常に頼もしい。日本人以外の名前の方が圧倒的に多いため、知り合い、というか姉妹が居るというのは安心感が違う。そこだけで固まる訳にはいかないけれども。
教官名簿の後には最初に教導する新人と能力の伸びしろがあると判断された人員のリストが続いている。今まで一度に抱えた事のある百倍以上の人数を誇る長すぎてスクロールの終わらないそれの詳細を後で脳内に叩き込まなければいけない事に絶望しつつ、暁は一旦その情報媒体をテーブルに置いた。そいつはぽむんと可愛らしい音を立てて貼り付くと、自分から邪魔にならない位置に収まっていく。便利な奴である。
そんな超技術を尻目に暁は事ここに至るまでに抱いていた疑念を深くしていた。リストには明らかに、各地で有望株とされていたエース候補の名前があったのだ。どれだけ周到に手を回したのか、暁には予想もできなかった。
「……今回の件、どこまで貴女の手の中だったのです?」
言ってしまってから、すぐに暁は後悔した。ずっと気になってはいたのだ。目の前のヨークタウンは信頼に値する人物であるが、それはそれとして、今の状況はリンカネ社に対して有利に働き過ぎている。だから、教え子たちのためにも事の真相を探るのは必要な事だった。だけれども、流石にこれは直接的過ぎであろう。
ヨークタウンは信頼に値するが、彼女のためにお金は何でもする。彼女がお金のためにするのではない。お金が彼女のためにあらゆる事を行うのである。そう言ってしまえるほどに、ヨークタウンは金に愛されていた。それは暁が不利益を与える動きをすれば一瞬で圧し潰されるのではないかと思えてしまう程に、露骨な力として働いていた。
ヨークタウンは一瞬だけ、虚を突かれたような顔になった。そしてそのまま、普段通りのとっつきやすい似非お嬢様な雰囲気のまま、凄まじいドヤ顔で高笑いをし始めた。
「知りたい? 知りたいですわよね? そう! 良かった!! 折角回答も用意しておいたのに、皆さま遠慮してぜんっぜんそういう質問してくださいませんでしたのよー!!」
用意された回答聞かされるだけだから聞かれなかったんじゃないかなぁ。暁はちょっと別の後悔をし始めていた。
「ええと、それじゃあ、お聞きしてもよろしいんですか?」
「もっちろんですわー!!!」
おーっほっほっほ!
嬉し気な高笑いが鳴り響いた。そんなに言いたかったのだろうか。もしかしなくても自慢に思ってて嘘つく気とか一切ないんじゃあ? そう思えるほどヨークタウンは上機嫌になっていた。
肺の中身を出し切るまでひとしきり声を上げると、一旦ヨークタウンは荒れた呼吸を整える。そうしてから暁に真剣な表情で向き直り、ゆっくりと、言いたくて仕方がなかった事を言葉にした。
「実は今回の件…………わたくしどもは、一切可決に係わってはございませんわー!!!!」
おーっほっほっほ!
高笑いがフロアを埋め尽くす。そんな中、暁は本当だとしたら意外過ぎるその言葉に目を瞬かせた。
「わたくしたちは政治には直接的には不干渉ですの! そりゃあ? できますわよ? やろうと思えば? 統一政府を本当に統一してしまうくらいは?」
「滅茶苦茶大きく出ますね!?」
えっへんとご立派なお胸を張るヨークタウンに、暁はツッコミを抑えられなかった。
「まあ実際、やろうと思えばできてしまいますのよ。我々が頂点に立ち世界を牽引するなんて事は」
「ええ……?」
流石に多少胡乱な眼になりつつ暁は困惑した。できそうな気もしたし、無理そうな気もしたからだ。そんな暁の様子を見て、ヨークタウンは今までと少し違う、薄く微笑むような表情を見せた。
「教官長、貴女の目から見て、わたくし共は世界の支配者足り得るように見えます? それとも、そんな器は無いように見えます?」
改めて問われ、暁は少し答えに窮した。正直に答えていいのか分からなかったのだ。ただ、ヨークタウンの雰囲気からは、お世辞などを求めている様子は感じられなかった。
「能力的には、十分かと」
言外に言う。それ以外は懐疑的であると。
それは別に、ヨークタウンだけの話ではない。他の幹部級と言われる知り合い、超異能者たちの多くについても暁は同じように思っていた。
「流石教官長、人を見る目は確かですわね」
わーわーぱちぱちと周囲から盛大に祝う音がした。ARの有効活用である。暁は突然すぎてちょっとビビった。
「そう、貴女の見立て通り、わたくしたちは皆、精神的には凡人ですのよ。能力だけが肥大化した、一般市民ですの。ですので、世界を獲ったとすれば……まあ、百年もせずに我々は腐りきるでしょうね」
既にそうなっているのではないかと疑ったのでしょう? つまりはそういう事だろうとヨークタウンは暁に澄んだ目を向けた。
「だから、我々はこの世界を主導しない。皆で決めましたのよ。できない事を無理にするくらいなら、できる範囲の事を適当にやって行きましょうとね」
重すぎる責務に押しつぶされるなんてごめん被りますわーと女傑は何故か自慢げに胸を張った。やれる事はしっかりとやっていると自認しているが故だろう。おそらくは、満足できるハードル自体が低い……というよりは、一般的なそれと大差がないのだ。そういった所を含めて凡人という自己評価なのか。暁は少し腑に落ちた気がした。
「そもそも延々生きて好き勝手してるだけのわたくしたちには最新の価値観を理解する事すらままならないのですわよね。ですから、政はその手の事に関してしっかり学んでいらっしゃる皆様がするべきだと、少なくともわたくしは考えておりますわ」
つまり。と、ヨークタウンは一旦言葉を切った。
「全世界的な艦娘組織の完全民営化なんて暴挙がまかり通ったのは、単にそういうお馬鹿さん達が台頭しちゃった結果ですのよー!!」
おーっほっほっほ!
ヤケクソ気味にヨークタウンは高笑いを上げた。実の所、これに関しては超異能者――転生者達も介入するかどうかは悩みに悩んだのである。最終的にはそれが人々の選んだ道なら自分達は弱い人々を救う事にだけ注力しようという事で見解の一致を見た訳だが、政治機構の貴族化に関しては非常に頭が痛かった。
「まあ? それはそれとして? 自分達の私設部隊に有名艦娘コレクションした~いみたいな野望持っておクソ遊ばされた方々にはちょっと痛い目見て頂きますけれどね!!!」
「私の教え子の教え子まで雇っていただけたのそんな理由だったんですか!?」
「この日のために艦娘事業からは撤退したと三十年以上見せかけておりましたのよ!! っていうかわたくしども、主導はしなくとも警告はしておりましたので! それでも敢行なされたらもう横っ面を札束でぶっ叩いてやるのに一切の躊躇はございません事よー!!」
おーっほっほっほ!
高笑いするヨークタウンは知っていた。混乱する情勢を利用して不利な契約を一方的に結ばせようとした権力者が多数居た事を。そうでない、自分達の住む地域のためにまともな運用をしようという者もちゃんと居たという事も。今回の件は、リンカネ社が支援する政治家を選別する良い機会でもあったのだ。
「深海棲艦の被害から市民の皆様を守護れる体制を構築する。艦娘の皆の権利も保障する。ついでに気に入らない連中の顔に泥を塗る。全部やってやりましたわー!!!」
「最後の必要ですかね!?」
もしかしなくても思いっきり吐き出したかっただけだこの人! 暁はようやく心の底からヨークタウンを信用できた。
支配者として君臨したりする気はないのに気に入らない事があると口出しはしてくるだいぶ厄介な人物になっているヨークタウンと訓練に使う艤装の事や今後の展望について話し合っていると、あっという間に時間が過ぎ去って行く。この社長ときたら案外暇であるらしく、暁の疑問にはしっかりと解説も交えながら楽し気に答えを返していた。忙しく細かい指示なんかを飛ばすような役職ではないとは本人談であったが、そもそもお喋り好きだというのが根本にあるのは間違いないだろう。
「そういえば、タシュケントにもお礼を言いたいのですが……」
「あら、そういえば連絡係はレ……タシュケントさんでしたわね」
最初に書類を押し付けられて以来、暁はタシュケントと何度も海上での接触を重ねている。ただ、おそらくは監視対策か何かだったのだと思われるのだが、その逢瀬は本当に一瞬で、超高速で水平線からかっとんで来た彼女に封筒を受け渡し代わりに次のを受け取るという、そんな作業みたいなやり方だったのだ。当然連絡先を交換する機会などは全く無かった。
「今朝姿を見たのでまだ社内にいらっしゃるかもしれませんわね。セバスチャン!」
ヨークタウンがパチンと優雅に指を鳴らす。その刹那、今まで何の気配もなかった空間に、突然人の姿が浮かび上がった。それはソファに対面で座る二人に恭しく一礼すると、立派なおもちを軽く震わしながら、作り物めいた端正な顔を露わにする。短めのスカートが翻り危うく内部が見えそうになったが、完璧に計算され尽くしているのか、布地はギリギリのところで重力を味方につけた。
「ご用件はなんでしょうか、お嬢様」
可愛らしい声が暁の耳に響く。その使用人らしき存在は急な事に驚く暁にも笑顔を振りまくと、長い青色の髪を揺らしながら主人の指示を待つ。ヘッドセットが陽を受けて白く輝いた。
「セバスチャン、タシュケントさんが敷地内にいらっしゃるなら現在地を暁さんに教えて差し上げて」
「申し訳ありません。ただいま、個人情報や人権の保護の観点から。緊急時や不審者以外に対するリアルタイムでの追跡は行っておりません。また、監視カメラなどの足跡を表示する事は可能ですが、現在タシュケントの適性者様は敷地内に四名いらっしゃいます。指定がなければ全員のログを表示いたしますが、よろしいでしょうか」
よろしくないですわー! とヨークタウンが叫べば、では社員番号の指定をとその人物は返す。それに覚えてませんわと答えれば、では本名でお願いしますとか言いだした。融通が利かないというよりは、表情的に少しからかっているように見える。ただ暁はそんな会話内容よりももっと気になる部分があって仕方がなかった。白と黒を基調にしたミニスカートの仕事服。その子は明らかに、齢十五かそこらの若々しいメイドさんだったのである。
「セバスチャン……?」
いや別に、そういう名前の女の子という可能性が無い訳でもない。世界は広いし、割と流行には取り残されがちな暁だから知らないだけで最近はセバスちゃんだとかは普通なのかもしれなかったが、それはそれとして。可愛らしい女の子がセバスチャンと呼ばれている様は違和感が物凄く強かった。
「ああ、紹介いたしますわね。わたくしの執事のセバスチャンですわ。何か雑事があれば気軽に言いつけてやってくださいな」
「よろしくお願い致します、暁様。汚れ仕事等ございましたら遠慮なくお申し付けください」
ARボディなら再構築すればすぐに落ちますので。とその明らかにナイスバディな青髪ロングミニスカメイドはにこやかに笑った。
「執事……?」
「はい。私は執事としてお嬢様に雇われております。学習型AIのセバスチャンと申します。名前につきましては様式美であるとお嬢様に伺っております」
「そりゃあもう、太古の昔より執事と言えばセバスチャンと決まっておりましてよー!!」
雇う、というからには人権持ちのAIだろう。ARボディというのはよく分からないが、おそらくさっき貰った資料と同じ、触れられる3D映像という解釈で大丈夫なはずだ。だから、問題はそこではない。
「あの、差別的だったら申し訳ないですけど、どちらかというと男性名のように聞こえるのですが……?」
「はい。歴史的に正しい認識であると肯定させていただきます」
セバスチャンの言葉にヨークタウンが軽いため息を吐いた。本気ではなく、冗談めかしたわざとらしいものだ。
「この子、雛型は男性型のモデルだったんですわよ……」
「お嬢様、雛型は、ではございません。私は現在も男性型モデルを下地として学習を行った立派な男の娘です」
なんか『こ』の字がおかしかった気がする。暁は宮里艦隊時代にオタク連中とそんな話をした覚えがあって、ちょっと遠い目になった。
「一晩目を離した隙にこうなってましたのよねぇ。学習教材が偏り過ぎていたのかなんなのか」
「棲艦島のサブカルチャーアーカイブへのアクセスが許可されていましたので、こうなるのは必然だったかと存じます」
確か、過去の漫画やゲームやアニメが収録されたデータ群だったか。そんなもの人格の構築時点で取り込んで大丈夫なんだろうか。暁は詳しくなかったが、駄目そうな気がする。倫理的に。
「えっと……その、女の子の格好をしてる男の人、という認識であってる…………のかしら……?」
「不正確ですが、その認識で問題が起きる事はまずないと回答させていただきます」
「性自認『男の娘』って一般的には分かり辛いですわよね!」
「産まれ持った肉体のある人間ですら十以上の性別があるのですから、我々AIの多様性など推して知るべし、でございますよ。お嬢様」
確認されているだけでも千を超えるとセバスチャンは嘯いた。理解できない方が悪いと最近の法律ではそうなっている。生き辛い。平成生まれの暁はちょっとそう思った。
「抽出完了。暁様、タシュケント様の移動ログを可視化致しましたので、どうぞお受け取り下さい」
ぽーんと音がなって、テーブルに貼り付いていた教員や生徒の名簿が再び暁の前へと浮上した。焦点を合わせてみれば、それには新たに赤い点で印をつけられた地図のようなものが表示されている。どうやら会話の裏で作業を進めてくれていたらしかった。
「その子は暁様専用の未学習AIになります。法規制により学習可能容量はほんの気持ち程度ですが、よろしければお使いください。お手持ちの端末のものと統合して頂いても結構です。人権はまだございませんので」
「凄くやり辛い言い方!!」
セバスチャンはふふっと笑うと冗談ですと口にした。実際のところ、人権が発生するような高度AIとはあまりにも性質が違い過ぎるため育ててもそこまで成長する事はないという。ただのAIジョークである。
「ではお嬢様、他にご用が無いようでしたら、不定期に吹雪様の耳元でスワヒリ語を囁く作業に戻らせていただきますが、よろしいでしょうか?」
「よろしくてよ~!」
よろしいんだ……?
暁はこの企業が大丈夫なのかだいぶ不安になった。
ヨークタウンと別れエレベーターへと向かえば、それは丁度このフロアに到着する所だった。セバスチャンが気を利かせて向かわせてくれたのだろうかと一瞬思ったが、どうやらそうではないらしい。中からは開く前から高い声が聞こえていた。
軽い音を立てて開いてゆくエレベーターの扉から、小さな影が飛び出してくる。少し避けてやれば、それは暁と大差のない体格をした女児だった。身長はむしろ暁の方が低いくらいなのに輪をかけて子供っぽく見えるのは表情のあどけなさのせいだろう。
その娘は満面の笑みで暁の隣を通過すると、ふとその存在に気が付いて、くるりと暁の方へと振り返った。顔を近づけまじまじ見つめ、たっぷり十秒ほど考え込み、やがて脳の検索エンジンにその存在が引っ掛かったらしい。わぁっと声を発すると登場時以上の喜びに満ち溢れた笑顔を炸裂させた。
「教官長おねえちゃん!!」
そうだけどそうじゃない。お久しぶりですって、と独特の日本語で手を取ってくる少女に両腕をぶんぶん振り回されながら、暁は少し苦笑いを浮かべた。それを全く意に介せず、改二以降に到達した人間特有の凄い力で娘は暁ごとぐるぐると回り始め、あははと楽し気に笑い出す。そのまま後ろからやって来たもう一人にべちんと額を叩かれて、あうーとその場にしゃがみ込んだ。
「あー……教官長、久しぶりでち」
「ああうん。久しぶり、ゴーヤ」
呂500と伊58。一般的にはろーちゃんとゴーヤと呼ばれる二人だった。片や召集された当時小学生、片や元自衛隊員というコンビだが、今となっては実年齢差は誤差である。精神年齢差は多少埋まったようだが、それはむしろ高かった方がちょっと下がった結果だった。
「このところ初詣にも来れてなかったから、えっと……三年ぶり?」
「それぐらいでち。話は聞いてるよ、教官長の教え子達は初詣も来てたから、そっちから」
「ろーちゃんいっぱいご祈祷しましたって!」
しゃがんでいた呂500がぱっと立ち上がり、幣を持ったようなポーズで左右に体を振り始めた。暁はその行為にご利益があるのかについて百年以上ずっと疑い続けている。何せかつて藤提督の担当していた艦娘がそのまま巫女さんをやってるだけなのだ、霊験も何もあったものではない。彼女達、棲艦島の巫女の祈祷や巫女神楽なんかは毎年予約でいっぱいになる人気コンテンツなのでその辺りは実際どうでもいい事なのかもしれなかったが。
「ゴーヤは毎年こいつの存在はなんかの法に抵触しないのか不安になるでち」
「お触り厳禁ですって!」
一応下ネタも通じるらしい。そこは流石に大還暦をとっくに超えてるという事か。本当に理解してるのかは若干怪しい顔をしていたが。
「二人は今日は巫女服じゃないのね」
「いや、プライベートでは基本着てないからね……?」
「今日はヨッシーとマッキーとナトリおねえちゃんがお当番ですっ!」
構成員的に、おそらく清霜と巻雲と名取だろう。それと関係なく山風が藤提督に構ってもらっていたり五月雨が買い忘れた来客用の茶葉を補充に行ってたりするらしい。藤艦隊は今日も通常営業のようだった。
「藤艦隊はみんなここに入社したのよね?」
「ゴーヤたちは元々あっちの上層部と折り合い悪かったし、立地もあって即断即決だったでち」
「てーとくだけ怖がってました!!」
相変わらず超異能者達に怯えていると呂500は暁の耳元にささやいた。一応内緒の話らしく小声だったが、態度があからさますぎるので割とみんな知っている。伊58も苦笑いだった。
「教官長おねえちゃんも会社でご一緒ですか?」
「ええ、私もこの島が仕事場になるから……まあ、貴女達みたいな歴戦の艦娘にはあんまり関係ない仕事だけど」
何せかつて強制的に召集されていた時代から戦い続けている人員が多数存在する、未だにその頃の形を保ち続けている唯一の艦隊である。宮里艦隊も名前的には残っていたが、増員や入れ替わりで原型があるとは言い難かった。現に暁が最後に居たのもまったく関係ない艦隊であったし。
暁の言葉を聞いて、呂500の明るかった表情はさらにその輝きを増し、単独で虹でも顕現させそうな程に煌めいた。
「教官長おねえちゃん! おねえちゃんもいっしょにあそびましょ?」
暁の手を取り、にっこにこの笑顔でさあいきましょーと呂500は社長室の方へと歩き出した。当然、止めんかいと伊58に軽くはたかれた。
「明らかに帰るとこだった人を出てきたとこに連れ戻そうとするんじゃないでちよ」
「あはは、まあ、今日は人を探さないとだからまた今度ね」
むぅーと呂500は少しむくれた声を出したが、そこは百年以上生きた少女、引き際くらいは弁えている。仕方ないねと少し名残惜し気に教官長の手を離し、お暇になったら来てくださいってと社長室の扉の前へ歩み寄った。
「……遊ぶって、社長室で遊ぶの?」
「今日は社長さんと一緒に遊びますっ! 収録もしますって!」
「あの人、動画にするの全然断らないんだよ。おかげでろーがノリノリなんでち」
長く生きた艦娘は割といろんなことをやり始める奴が多い。呂500、提 ローザの場合それは動画の配信だった。親戚のおねえちゃんに影響されたという噂である。再生数はかなりのものであるが、視聴者層はなんか色々危ないので危ない。完全に合法なのが厄介な所であった。
「あ、途中からでも飛び入りは本当に大歓迎でちよ……撮れ高的に」
なお編集担当はでっちこと伊58である。巻き込まれどころか完全な共犯者だったりするし、実は再生数とかを気にしているのはこっちの方である事を、この時の暁はよく分かっていなかった。
未学習らしいAIくんの示してくれる最新のタシュケントの目撃箇所へ足を運べば、四階にあるその部屋の前には第十九作業室と書かれたプレートが備え付けられていた。ここから出たという記録がないため、通常の挙動をしているならば目標はこの内部に存在している筈である。
ノックをして、暁は中に向かって声を掛けた。明かりが灯っているのが見えるため誰かしらが居るのは間違いなさそうなのだが、返事はない。しばらく待って、もう一度声を掛け、またしばらく待ってから、意を決して軽い扉をゆっくり横に引き開けた。
中は雑然とした空間だった。複数の作業台と椅子、それの上に用途の分からない器具や今どき珍しい紙の本なんかが散らばっている。床には何かの包みや箱が適当に置かれ、端には一応ちゃんと纏められたゴミ袋と思しきものが寄せられていた。一見して誰かしらが使い続けているのだろうという事がすぐ分かる。それもおそらくは泊まり込みで。
そんな部屋の一番奥で、一人の女性が机に向かって突っ伏していた。茶色の髪をポニーテールに纏め、上下ともに楽そうなスウェットにふわふわした暖かそうなスリッパというコーデで全身の力を抜いている。規則正しい息遣いが暁の耳朶を打った。
有体に言って眠りこけているその気を抜きまくった格好の人物に、暁は心当たりがあった。起こさないようゆっくり近寄り横から覗き込んでみれば間違いない。それは結構長い事一緒の艦隊で働いた、元同僚で教え子でもある駆逐艦、秋雲だった。
あれえ? と思って暁は辺りを見渡した。だがこの部屋に居たのは秋雲一人で特に他の気配はない。隣に続く扉があるが、もしかしてそっちに居るのだろうか。そう思ったが、勝手に中を物色するのは気が咎めた。勝手に入っているので今更ではあるかもしれないが。
安らかな寝顔だったのでちょっと迷ったが、暁は秋雲を起こす事にした。久々に顔を見たので挨拶もしておきたかったのだ。通信機器でのやりとりくらいはする仲だったが、実際に対面するのはウン年ぶりである。正確にどれくらいかは覚えていなかったが。
「秋雲?」
声を掛け、軽く肩を叩いてみるが反応が無い。
「秋雲ー?」
もうちょっと大きな声で、軽く肩をゆすってみるがやはり反応はない。
「秋雲先生ー?」
さらに声の音量を上げてみても、秋雲はさっぱり反応を返さなかった。余程眠りが深いのだろうか。暁の見立てでは何らかの理由で気絶しているとか、そういう事ではなさそうなのだが。
似たような事が宮里艦隊時代にもあったなぁ。服の裾を引いてみても軽く椅子を揺らしてみても起きる気配のない漫画家さんを前に、暁は昔の事を思い出していた。その時起こしたのは暁ではなかったし、用があったのも電話の向こうの編集さんだったが、記憶が確かなら、そういう場合は、そう。こんな風に声を掛けていたはずだ。
「秋雲先生、進捗どうですか?」
がたん。
囁いた瞬間、秋雲は勢い良く立ち上がった。そして焦ったように周囲を見渡すと、背後の作業台に着地した暁と目が合って困惑した様子になった。
「お見苦しいところをお見せいたしました」
「こちらこそ、ごめんなさい。机に乗っちゃって」
急激な変化に反射的に飛び退いた結果だったのだが、暁はかなり恥ずかしかった。警戒しているつもりもなかったのだが、突然浮上してきたような動きに反応してしまったのだ。ちょっとだけ顔が熱くなるのを感じた。
「いやあ、教官長がリンカネに入るのは聞いてたけど、まさか訪ねて来てくれるとはね~」
「ここに来たのは偶然だったんだけどね。秋雲が本社で仕事してるなんて思ってなかったし」
秋雲の向かっていた机の上にはペンらしき器具と紙らしき物体が鎮座していた。周囲には操作用コンソールのようなものが浮かんでおり、見える限りではレイヤーとか結合とかそんな単語がそこかしこに並んでいる。素人の暁でも分かるくらい明らかに、そこはAR技術をフル活用して作られた、漫画を描くためのスペースだった。
「それがさぁ、夜逃げみたいに出て来たもんだから仕事道具全部置いてきちゃったんだよね~。回収する手筈は整えて来たけどさ、締め切りには間に合わなくって。それ言ったらすぐ用意させますわーって、十分で部屋ごと用意されて流石に笑ったよね」
あっけらかんと言っているが、内容はあんまり洒落になっていない。確かに秋雲は一番大変な事になった人物の一人ではあるだろうが、そこまでの事態に陥っていると暁は知らされていなかった。
「人によっては犯罪スレスレの勧誘もされたとは聞いたけど……」
「暴力沙汰にしないように済ますの結構大変だった……」
秋雲は高い適性値もあって身体能力はかなり高い。下手に振り払えばそれだけで死者が出かねないくらいには、筋力だって強いのだ。つまり、それくらい酷い絡まれ方をしたという事なのだが。
「確保競争ってのは分かるけど当の本人に迷惑かけてどうすんだって話だよね。艦隊の子らにも悪かったなぁ、一回二回じゃなかったし」
風刺漫画でも描いちゃろうかな、と秋雲は半笑いでぼやいた。連絡手段の少ないはずの暁ですらあまり性質の良くない勧誘はかなり来ていた覚えがある。プロの漫画家として固有の窓口を持っている秋雲だとそれは猶更の事だったろう。特に、今の彼女の持っている称号の事を考えれば。
「人間国宝はみんな欲しかったって事かしら」
「艦娘としての実力と全然関係ないんだけどね~」
AIを全く用いずに手描きの漫画を超高品質に産み出せる秋雲は、少し前に重要無形文化財に指定されていた。当人からしても青天の霹靂であり、それは実際の所秋雲の価値を上げたいという思惑が絡んでいたりもしたのだが、そんな事とは関係なく。当時秋雲自身が驚き過ぎて締め切りを落としたのは秘密の話である。
「私は持ってりゃ嬉しいただのコレクションかっての」
「失礼な話よね! 大体無理矢理契約迫るとか、ちゃんとした良い関係を作る気全然無いって事だし」
暁はぷんぷんと分かり易い表情で怒りを露わにした。親しい人達の前だと子供っぽく感情が出てしまう事が増えたのは改二に到達して以来のデメリットだったが、共感の得られた秋雲にとってはなんとなく小気味が良いくらいである。本人はちょっと気にしているのだが、そもそもが善良さから出るそれらは好意的に受け取られる事が多かった。
「まぁ、漫画のネタにはなったから収支はそんなに悪くなかったんだけども」
「見習いたいくらい強かね!?」
現在も時折更新されているあきぐもにっきは常にネタに困らせられ続けている。百年以上も不定期連載しているのが原因だが、今回のような嫌な事件も昇華して思い出に換えられるためライフハックとしてはかなり有用だった。何もないと年単位で更新が滞るのが玉に瑕である。
「でも、描いてる暇ってあるの?」
色々あった後、秋雲は連載を増やしていた。いろんな称号や賞を贈られたというのもあるが、全体的に今の海は平和で秋雲の出番はそこまで回って来なかったというのが大きな原因となっている。現在海は安定期なのだ。
「平和ボケできるくらい敵も居ないからねえ。今の原稿終わらせたら大丈……そういや今何時です?」
部屋の窓は完全にブラインドで覆われて、時間はよく分からなくなっている。少しだけ隅から入り込んだ陽光が夜でない事を主張していた。
秋雲は机上のコンソールを弄ると小さな時計を空中に表示させた。そうしないと見えないようにしているのは現実逃避なのか単に集中力を削がれるからなのかは暁には判断しかねる。ただ、少なくとも秋雲の顔色は少し悪くなった気がした。
「大丈夫?」
「うん。だいじょぶだいじょぶ。最近は輪転機が止まるとか止まらないとかそういうの無いから」
まだたすかるマダガスカル。まるで大丈夫ではなさそうな発言を漏らしつつ、秋雲はHAHAHAと力なく笑った。たぶん駄目なのだろうなと暁は直感した。
「実はタシュケントを探しに来たんだけど、見なかった?」
「あー、超速い方のタシュケントなら寝る前に来てたよ~」
邪魔したら悪いので用事だけ済ませて去ろうと質問すれば、やはり目標はこの場を訪れていたらしかった。あっちでわちゃついてたと指差されたのはやはり隣に続く扉で、なんでもそこは仮眠室なのだそうである。仮眠というか、半分くらいここで生活しているためほぼ寝室であるそうだが。
別れを告げたらさっそく原稿と格闘を始めた秋雲を背に、やたらベッドの質が良いせいか頻繁に昼寝に来る連中が居るというそこの扉をノックする。返事はない。何かが動いた気配は感じたが、それはかなり静かなもので、特に出てくる気配もない。仮眠室だし寝てるのだろうと当たりを付けて、暁は扉をゆっくり引き開けた。
そこは本当に寝るための部屋といった様相だった。開け放たれた小さめのワードローブに最低限の物が置ける棚、本当にちっちゃなギリギリ書き物ができそうな程度のテーブル。そこに幾つか秋雲の私物と思しきものが置かれている。作業場に比べると片付いているのは他者も使うからだろう。
一番奥には部屋の広さに不釣り合いな大きなベッド、それも天蓋付きの奴が鎮座ましましている。明らかに場所を取り過ぎていて狭苦しいくらいになっているのだが、本来長居するべき場所ではないはずなのできっとそれでいいのだろう。
そしてベッドの上には4人ほどが折り重なるように眠っていた。多くない? 暁はここが結構な人気スポットであると理解した。
暁にとっての問題は、一見してそこにタシュケントが居なかった事だ。そこでおひるねに勤しんでいたのは、あまり暁と外見年齢の変わらない少女達だったのである。
一人目はマエストラーレ級三番艦、リベッチオ。リンカネ社の超異能者の一人で、艦娘としての攻撃力では最強を誇る美少女だ。他の事も色々できるが何ができるのか本人以外よく分からないため人によって評価がまちまちという変わった特徴を持っている。暁も指導した事があるが、元が強すぎるため役に立てたのかはよく分からなかった。
二人目はいなづま。暁型の電ではなく、むらさめ型護衛艦のいなづまだった。過去の大戦が終わって少し経ってから出現し始めた第二次大戦以降の艦の適性者で、暁からすると姉妹艦ではないけれど無関係とも言い切れない微妙な距離の相手である。リベッチオの太ももを枕にしてぐっすり眠っているようだった。
三人目は暁の見た事のない艦娘だ。おそらくはごく最近の艦の適性者だろう。どことなく特型に似た化学繊維特有の光沢のある素材で作られたセーラー服を纏っているため、ふぶき型星間輸送艦のどれかと思われる。まだ就航して十年も経っていないはずなため不正確だが他に候補が思いつかない。単にそういう改装を引いただけの子という可能性もあったが、少なくとも特型の姉妹ではないだろうと特型21番艦としての直感が囁いている。当の本人はいなづまに脇腹を蹴られるような態勢で少し苦しそうだった。
四人目はマエストラーレ級四番艦、シロッコ……というか、それっぽい義体で活動している猫土下座という妙な名で呼ばれる妖精さんだった。艤装を用いて本人が直接戦えるという世界に四人しか居ない非常に珍しい妖精さんの一人で、妖精さんとして働いてた方がマシ程度の実力しか持たない四人中最弱の武勇を誇っている。普段は艤装に引き篭もっているとかで滅多に会えないのだが、今日は何故だか義体のまま眠っているようで、リベッチオに抱き着かれて安らかな表情を浮かべていた。
折り重なるように眠っている四人は当然、探しているタシュケントではない。はて秋雲が眠っている間に出て行ってしまったのかと暁が狭い室内を見渡せば、不自然に内部を晒すワードローブが目に付いた。中には普通に秋雲のものらしき私服が仕舞われているが、注目すべきはそこではない。問題になるのは放たれ180度に開き切られたその扉。それの後ろからは、寝息を立てる四人以外の気配が感じられた。
暁は不審に思い、足音を殺してそこにこっそりと歩み寄った。反応はない。気付かれてはいないようだった。息を止め、慎重に扉の後ろを覗き込めば、ワードローブに体を擦りつけるようにして隠れている、一人の女性と目が合った。
「あら?」
暁はその人物に覚えがあった。二つに纏められた桃色の髪にどことなく茫洋とした灰色の瞳、艦種こそ暁とは違ったが、その女性はかつての教え子だったのだ。
「アトランタじゃない」
「え。あれ……教官長さん?」
なんだ、とその防空巡洋艦の適性者は息を吐いた。クローゼットの扉を閉めて周囲を慎重に確認して、他に変わった様子が無いと分かるとあからさまに安心した様子になり、物陰から出て暁に緩く敬礼を決めた。
「お久しぶりです、教官長さん。この度はお世話になりました」
「こちらこそ、七期生の皆に連絡を取ってもらえて助かったわ」
志願制になる前の、召集された人間としては最後になるのが彼女達だった。当然、残っている人員はとうに百を超える手練ればかりである。円滑に勧誘や保護が進み、秋雲のような被害者が殆ど出なかったのは僥倖と言えた。
「我々もまさかリンカネに就職できるとは思ってなかったし、就職活動もしなくて済んで助かったよ。完全にコネ入社なのが後々に響かないか不安だけど」
アトランタは軽く肩を竦め、皮肉気に少し笑って見せた。実績も実力もあると自負している娘だったし、実際に実務で結果を出しているのでただの冗談だろう。そもそも彼女が最初に配属されたのは宮里艦隊である。望めばどこでも歓迎された事は間違いない。
「教官長はどうしてここに? 仮眠? ベッド埋まってるけど……」
「人を探しに来たのよ。もう居なかったみたいだけどね」
ああ、とアトランタは何か納得した様子を見せた。
「タシュケント?」
「そう! やっぱりここに居たの?」
「ちょっと前までね」
アトランタは窓際近くまで移動して、閉じられた窓枠を親指で指した。その顔には苦笑のような物が浮かんでいる。
「さっきここから飛んでったよ」
「飛んじゃったかぁ……」
タシュケントは超の付く異能者である。きっと四階程度の高さから飛び降りてどうこうなったりはしないのだろう。水平線から吹っ飛んで来て大丈夫な以上、耐久力だってそこそこあるに違いないのだから。
「あの子らに用事があったみたいだけど……もう居ないね」
窓を開き、アトランタの見下ろした先を暁も背伸びで覗き込む。そこには三体の連装砲ちゃんとたくさんの連装砲くんに囲まれて、どことなく悔しそうな雰囲気を周りに振りまいている美少女のようなものが立っていた。ふるふると周囲の自立型兵器たちに一斉に首を振られ、ぐぬぬという文字を背景に浮かび上がらせている。ような気がした。
その近くに居たガンビア・ベイが何事かを発言すれば、それを聞いた連装砲たちはきゃあきゃあと喜びの声を上げ始める。何をやっているのか暁にはよく分からなかったが、とりあえず美少女っぽいものは今度はどんよりとした空気を纏いだした。
相変わらず変な分かり易さの娘だと思いつつ、暁は静かに窓を閉じた。声を掛けようかと少し迷ったのだが、大声で仮眠室内の娘達を起こしてしまう懸念があったためそれは一応止めておいた。
「ちょっと私、あの娘達にタシュケントの行方訊いてくるわね」
「はぁい。あたしはちょっと今ここから出れないから、また今度ゆっくり話そう……あ。そうだ、あたしがここに居るって事、人には言わないでもらえます?」
サボりか何かなんだろうか。暁は少し疑問になった。ベッドの方から茄子……と誰かの寝言が聞こえた。
「きゃっ!」
原稿と和解しようと試みている秋雲の背後を静かに通り、進捗どうですかーと入って来た巫女服姿の眼鏡っ娘と入れ違いに退出すると、黒髪の少女と衝突してしまいそうになった。互いにごめんなさいと謝って、改めてその娘の顔を見れば、それは教官長の暁と身長はほぼ同じで、ほとんど同じくらいの長さの同じような質感の髪を持ち、同じような黒い帽子に細部がちょっとだけ違うセーラー服を着た、非常に可愛らしい駆逐艦の女の子だった。
「教官長じゃない!」
喜色満面といった様子で、瞳を輝かせたその娘は大声を上げた。それに呼応して、廊下の向こうから教官長? 教官長だ。教官長なのです? とわらわらと二十を超える姉妹が集まってくる。全員が小さな子供の姿であるため、その場はまるで小学校の社会科見学の様相を呈していた。
「久しぶり! 聞いてるわ! 大活躍だったそうじゃない!」
誇らしくてたまらない様子でその少女、雪吹艦隊の暁は小さな小さな胸を張った。何故か教官長の暁は、このどういう訳か集合無意識内の暁と瓜二つな謎の暁にとっても気に入られている。無論その理由に見当が付かないほど察しは悪くなかったが、本人が隠したがっているようなので知らない事になっていた。
「久しぶり、雪吹艦隊もリンカネに?」
「ええ! 私達は私達でいいって言ってくれたからね!」
雪吹艦隊はかなり特殊な艦隊である。明らかにどこかで見た事のある少女ばかりで構成された彼女達は、名目上は政府の指揮下にありはしても、いつの時代も独自の目的を持った動きをする事が多かった。命令違反をする訳ではないのだが、上からしたらかなり扱い辛かったろう事は想像に難くない。人員も個性の塊のような連中だし。
「それでええと、これは何の騒ぎなの?」
辺りは暁の姉妹艦、暁型の四種ともう一種――即ち暁、響、雷、電、そしてヴェールヌイの適性者でいっぱいだった。雪吹艦隊の面々が揃っているのは当然として、元宮里艦隊の響や元賀藤艦隊の暁型四姉妹、それに超異能者のヴェールヌイまで混じっている。よくよく見れば、教官長として一緒に訓練所で働いた響と電までも輪の中に居て、暁は表情が胡乱気になるのを抑えられなかった。
「アトランタさんをみんなで探してるのよ!」
「かくれんぼだね、勝負中だよ」
「人海戦術よ!」
「迷惑にならないようにみんなで社内を回ってるのです」
「Хорошо。ここは珍しいものが多くて飽きないね」
わいわいと多数の姉妹達から返答が帰ってくる。成程、アトランタはこの幼児性の津波から逃げ隠れしていたのだろう。何故か無邪気な性質の駆逐艦などに異様に懐かれる、といつか溢していたのを覚えていた。
「この部屋には居なかった?」
出てきた扉を覗き込んで、正面の暁が尋ねてきた。誤魔化さねば。教官長の暁は教え子を売る趣味を持っていなかった。
「ああ、この部屋は秋雲先生の作業室で……」
『輪転機は止まらなくても編集さん達のお仕事は止まっちゃうでしょぉー!!!』
「……絶賛修羅場中だから邪魔しない方がいいと思うわ」
わざわざ巫女の仕事を抜けて様子を見に来たらしい巻雲の声が中から思いっきり漏れて来たので、暁はそれに乗っかる事にした。
「そっかー」
「残念」
「先生の仕事場見てみたかったわ」
「邪魔しちゃ駄目なのです」
「また今度来よう、色紙も持ってね」
なんだか秋雲の仕事が増えてしまった気がしたが、ともかくアトランタを守護る事には成功した。暁型の群れは五階に上がって見学と捜索を続けるそうで、最終的には社長室で呂500達と遭遇してしまうのではないかと思われたが、それはそれで動画的には美味しいだろう。きっと視聴者層にも合うだろうし。
エレベーターまでは一緒だからと輪の中に混ざり、教官長の暁と暁型御一行様は廊下をゆっくりと進んで行く。各員ばらばらに興味の対象が遷り変わるので中々前に進まないのだ。それだけ見られるものが多いという事で、各作業部屋の内部には教官長の暁でも惹きつけられるようなものもいくつか存在していた。
このまま付いて行ったら楽しいかも、なんて内なる子供の誘惑に抗いながら、エレベーター目前まで辿り着いた頃。亀の歩みで行進する一行の後ろから、どたばたと走る複数の足音が鳴り響いてきた。あまり重くない、子供がわざと立てるような騒がしくも軽いどこか可愛らしい足音。それにみんなで振り向けば、廊下の奥から小さな小さな、暁型よりさらに小さな女の子が、群れを成して勢いよくこちらに向かって突っ込んでくるところだった。
「いたぞー!」「教官長だー!」「囲め囲めー!」「貴様らは」「完全に」「包囲され」「ている」「!」「神妙にお縄につけい!!」「であえーいであえーい!」「お手向かい致しますぞ!」「頭が高ーい!」「我々が小さいだけだけどね」
何事。暁型が揃って目を白黒させている間に、そいつらは目標に向かって殺到した。一律同じようなセーラー服とスモックの合いの子のような服を着て、ゆったりとしたセーラー帽を被った少女たちが、通常人類を遥かに超えた速度で襲い掛かって来る。狙われた教官長の暁は、咄嗟に跳んでそれらの突撃を回避した。
壁を蹴り天井に手を突いて、誰も居ない群れの向こうへと着地する。上から見たが、相手の総数は軽く百を上回っていた。正体は同じ服を纏っている事からおそらく全員が同型の――髪の長さなどはそれぞれ違うため同一艦ではないと思われる――海防艦。それも数字で管理された、丁型海防艦だろう。こんなにたくさん一体どこから出て来たのか、暁は少し疑問に思った。
「消えたぞー!」「どこだー!」「さがせさがせー!」「これは違う暁?」「ペロッ」「これは青酸カリ!」「いいえ」「それは」「しょうゆです」「あーゆー教官長?」「いいえ私は変なおこさまです」「まあ実際は飛んでったの見えてた訳ですが」
一人が振り向いた瞬間、後ろから観察していた暁の四肢が、突如いびつな形で極められた。支えを失い勢いよく床に倒れ込むが、極めた張本人たちがクッションになって衝撃はあまり来なかった。代わりに、暁は久しぶりに意表を突かれた驚愕を味わっていた。
「どこから……っ!?」
直前まで周囲には誰の何の気配もなかった。前も後ろも、上も下だって警戒していた。だというのに、今の一瞬で手足の一本一本に一人ずつが絡み付き、咄嗟に身を捩ったため中途半端にではあるが関節技を掛けられている。反応が遅れれば完全に極められていただろう。
心臓を大きく跳ねさせながら掛かり切っていないそれら全てを手早く外して行く。見た目以上に力が強く、改二以上に至っているのは間違いないだろうそいつらを、床へと軽く転がして行けば。その隙を狙ったかのように、今度は大量の海防艦が通路を埋め尽くすように何も無かった空間から降り注いだ。
「わっしょい! わっしょい!」「ソイヤ! ソイヤ!」「えんやこらーえんやこらー」「ラッセーラー! ラッセーラー!」「ふんぬらば!」「ふんにゃらひょお!」「はんみりせ!」
「わっ! ちょっ!! きゃあ!?」
避けようにも避ける隙間の無かった暁は、気が付けば十人くらいに抱き着かれた状態で、神輿のごとく寄って集って持ち上げられてしまっていた。数の膨れ上がった海防艦の大きな群れは、そのままわっせわっせと動き出し、暁型の集団とは逆方向に駆けて行く。暁型の面々はあまりの意味不明さに唖然としながらそれを見送るしかできなかった。
暁にとって問題だったのは、そいつらから悪意を全く感じなかった事だ。実の所、やろうと思えば拘束から逃れるくらいは可能だった。ただそうしたところで瞬間移動のようなものを使って来たと思しき連中から逃れられるとは思えなかったし、自分に怪我をさせないよう気遣いながら拘束していた幼子のような生き物を叩きのめすのも気が引けたのだ。
どこへ連れて行くつもりなのだろう。警戒は怠らないよう気を張りつつ進行方向へ顔を向ければ、その先にあったのは通路の突き当りの壁である。そこに向かって勢いを全く殺さずに、集団はかなりの速度で進撃して行った。
危ない。暁が叫んだ瞬間、先頭の少女達は壁に思い切りぶち当たり、その壁を突き破って奥に設置されたエレベーターへと転がり込んだ。
何その構造。暁はこの建物の見取り図を見てみたいような見たくないようなえもいわれぬ感情に襲われた。
暁と敷き詰められた海防艦を乗せて、エレベーターはビルを上へと昇って行く。途中、大丈夫ー? 痛くないー? 済まんねー。悪いが仕事なんでねー。やり方はただの趣味だけど。などと謝られてるのかすら微妙な声を掛けられて、暁の拘束は解除された。そして海防艦たちが詰まり過ぎていてかなり狭い床へと降ろされて、ちょっとだけ苦しい思いをする事になった。
そうしているうちにエレベーターは動きを止め、扉がゆっくり開いて行く。詰まっていた中身は弾けるように押し出され、暁もそこそこの勢いで見知らぬ階へと足を踏み入らせられた。
そこは今までいた4階とは様相がかなり異なっていた。エレベーターのすぐ前は下駄箱と靴置き場になっていて、その奥は木板のフローリングが張ってある。左右にある棚の上にはなんかよく分からない置物が佇み、不用心にも何らかの鍵が放置されていた。奥に進むまでの通路には未開封の梱包材が何個か置かれ、使って出しっぱなしに見えるドライヤーのような物が投げ出されたりもしている。
何この生活感。他の場所はオフィス然としていたのに、ここはなんだか民家っぽい。出る直前に一瞬見えた表示によればここは最上階の二つ前、社長室の真下である。宿直室か何かだろうかと暁は当たりを付けるしかなかった。
一人の海防艦がその空間へと上がりこむと、暁にこっちへおいでと手招いた。脱いで脱いでと言われるままに出されたスリッパに履き替えると、こちらへどうぞと奥の方へと案内される。細めの通路をゆっくり抜け、ここだよーと連れて行かれたその先は、大きなモニタやソファのしつらえられた、居心地の良さそうなリビングであった。
「よお」
ソファに寝そべり大昔の映画の流されるモニタを眺めていた人物が、上体を起こしながら暁に挨拶を掛けて来る。それは暁が探していた、リンカーネイション社のタシュケントその人だった。
「あー……半年ぶりくらいか? まともに話しちャいなかッたが」
「そうね、ちゃんと声を聴くのは五十年ぶりくらいじゃないかしら」
ンなになるか? と疑問気な声を上げるタシュケントは昔見た姿と何一つ変わっていない。可愛らしい長めのツインテールをした、かつてソ連と言われた国の駆逐艦娘。その外見が変装か擬態か何かそういった類のものである事を暁は勘付いていたが、特に気にしてはいなかった。
「今回の件、とってもお世話になったからお礼を……」
「アア、いや待て。そういうのは要らねェ。したかったとしても後にしてくれ」
言葉を遮られ、暁は少し面食らった。立ち上がったタシュケントは少し気が急いている様子で、一瞬備え付けられた鳩時計に目をやるのを暁は見逃さなかった。
「怪しいのは重々承知の上で何だが、付いて来てくれ。お前に用事のある奴が居る」
そう言って、タシュケントは返事も待たずに早足に歩き出した。リビングの奥を通過して、先の廊下の百近い数の扉をスルーして、何度か曲がって曲がって曲がった先の、広すぎる階層の一番奥の部屋の前まで、あっという間に進んで行く。背の低い暁は小走りにそれを追いかけた。
「ここだ」
そこは別段、途中の廊下にあった扉と変わった所は無いように思えた。なんの変哲もない、そこらの民家にいくらでもありそうな普通の開き戸だ。木製で窓などはないため中の様子は分からない。タシュケントがそれをノックしようと腕を掲げた。
「時間丁度だ。入ってくれたまえ」
手の甲が木戸を叩く直前、中からはっきりとよく通る、何処か聞き覚えのある調子の声が響いて来た。それに従いタシュケントが扉を引き開けて、道を譲るように入り口の横に移動する。暁が促されるままに中へと足を踏み入れると、背後の戸は軽い音を立てて閉ざされた。
内部は特に珍しい事もない、普通極まりない私室に見えた。テーブルにベッドにクローゼット、仕事机に化粧台、それらに乗った小物類。どれも質は良さそうだが、特に目を惹く要素はない。全体的にしっかりと片付けられており、部屋の主の性格が伝わってくるようだった。
そんな室内の一番奥、きっちりと引かれたカーテンの前に、一人の女性が佇んでいた。橙色の着物に緑の短めの袴を合わせ、頭には甲板をモチーフにした鉢巻を着け、切り揃えられた少し癖のある髪を纏めている。丁度振り返ったところだったのか、その人は半身のような態勢で後ろ手を組んで暁の事を見つめていた。
「こんにちは、よく来てくれたね暁くん。最後に会ったのは百年以上前になるかな。ああ、私は見ての通り飛龍の適性者だよ。君の教え子ではないし、艦娘の姿で会うのは初めてだから君が忘れているとかでもない。ははは、ボケて顔が一致しないとかでもないだろうね。そもそも君の脳は健康そのものだよ、うん、特に異常は無いように視えるかな。そう、単にこの顔で会うのは初めてというだけの話だね……いや、別に変装してるとか顔を見せられないような人間だったとかそういう事じゃあないんだ。ただちょっと……うむ、ちょっとどころではないんだが、顔や体形が変わってしまったというだけでね。そう、改二の影響だね。昔とはだいぶ雰囲気が違うから分からないと思うけれど、何度も会ってはいるし会話もしているよ。ああ、私も今はここの社員をしていてね。一応幹部という事になるのかな、君の直接の上司ではないし、君が不正をするとも思えないから仕事での接点はあまりないだろうけれどね。そう、監査役だよ。まあ、大それた事をする人間は殆ど居ないから真っ当な業務以外の事もしていたりはするが……そっちでは世話になるかもしれないなあ。いやいや、犯罪行為ではない……ああいや場合によってはバレると少し問われる場合もあるかな? まあ、人助けの範疇の事だからそこは安心してくれていいよ。余程の事以外は手を出さないように皆にも言われているから、頼むとしても十年に一回あれば多い方だと思うしね。まあその一回が近くあるがそれはその時になればすぐ分かるよ。ふふ、そうだね。その認識は正しい。私は所謂超能力者という奴だよ。タシュケント、彼女とはいろんな意味で同類という事になるね。はは、まあそう警戒しないでくれたまえ。私は本当に君の敵ではないよ。良かったら今度一杯付き合ってくれると嬉しいんだが、予定はどうだい? むう、そうか、暫くは余裕ができそうにないか……仕方ないね、私より仕事仲間と仲を深めた方が建設的なのは間違いないからねえ。ああ、ちなみにだけどテキサスくんはあれで下戸だから少し気を付けた方がいい。自分からは強がって言わないかもしれないけどね。味は嫌いでないみたいなんだが……ああ、この辺りの店についてはヴェールヌイくんに聞くといい。本人も会いたがってたから相手をしてあげてくれると助かる。ん? ああ既に会っているのか。ははあ、待ち切れずに会いに行ったのかな? 本当に懐かれているねえ」
滅茶苦茶喋るじゃん。
暁は浴びせかけられる言葉の洪水を前に、眼を瞬かせるしかできなかった。
「さて改めて、本当に久しぶりだね暁くん。そろそろ私が誰か見当は付いたかい?」
女性、空母飛龍の適性者らしいその美人さんは穏やかそうな笑みを浮かべながら暁に問いかけて来た。どうやら今度は返事を待ってくれるらしい。今までのはなんだったのかというくらい、ちゃんと話そうという姿勢が態度から見て取れた。
「ええと、一応……?」
実の所、第一声を聞いた時から印象が被る候補が一人だけ存在していた。声の調子、重心の取り方、目線の癖、笑みの形、並べる言葉の組み立て方。視れば視るほど被る部分は増えて行き、今ではほぼ確信にまで至っている。それでもそうだと言い切れなかったのは、その人物と目の前の女性は色々な部分が違っているからだった。
例えば背はもっと高かったはずだし、肩幅はもっと広かった。腕にはもっと筋肉が張っていたはずであるし、脚がこんなに柔らかそうではなかったように思う。腰は引き締まってはいたと思うが単純な太さはもっとあったし、胸囲に至ってはこんなにあったはずがないと断言できた。とかく、体付きがその候補とはまるで一致しないのだ。その差たるや、改二の影響がどうだとかそんなレベルの話じゃあまったくないくらいだったのである。
「間違っていたら大変申し訳ないのですが……楠木提督、なのでしょうか……?」
恐る恐ると訊いてみれば、女性は我が意を得たりと浮かべた笑みを深くした。
「うん。間違いないよ。私の名前は楠木 多聞丸。正真正銘本人だよ。尤も、今やこの名前を使う事は殆ど無いけれどね」
????????????????????
????????????????????
????????????????????
声には出さなかったが、暁は脳内に大量の疑問符を展開した。己で言っておいて、その肯定を暁はまったく信じられなかったのだ。感覚的には目の前の女性がかつて自分のかなり上の方の上司だった楠木提督である事は間違いない気がしている。しかし理性の方は全く追いついて来なかった。再現AIとかいうのであればまだ筋も通ったのだろうが。
「あの、不仕付けで申し訳ないのですが、元々女性だったりされました……?」
言うまでもない話であるが、暁の知る楠木 多聞丸は男性である。だが目の前のそう名乗る彼女は、どこからどう見たってなかなか立派なおもちをお持ちの愛らしい女性の姿をしていたのだ。
「ふうむ、微妙なところだね。体の方は間違いなく立派な日本男児そのものだったけれど」
あ、そういう感じなんだ……? 初めて知る事実を前に、暁の冷静な部分は脳内の人物評に素早く補足を書き加えた。
「……ご葬儀に参列させていただいた記憶があるのですが……」
「あれは生前葬だね」
ややこしい! っていうか絶対カモフラージュよねそれ!! 完全に死んだと見せかけて裏に潜ってたんじゃない!!! 暁の冷静でない部分は脳内で突っ込みを止められなかった。
「ふふ……まあ、私が隠れて生き延びていた理由は分かるだろう?」
さっきから完全に心読んでますよね? 異能者であったと隠す気すらないような物言いに、暁は少し胡乱気な目になった。
「肉体的に男性だった人間の不老化は現在でも例が無いから、でしょうか」
無いという事になってただけみたいだけれど。ここも読まれているのだろうとは思ったが、一応口には出さないでおいた。
「って、そうですよ、少なくとも佐橋式では元男性が艦娘になるのは不可能だったはずでは?」
集合無意識などの影響で肉体に変化が出る事が公然となった時点で、それを利用した性転換技術が開発されるのは時間の問題でしかなかった。薬も併用する必要があるが、ほとんど後遺症すら出ないそれは今や結構気軽に行えてしまう医療行為の一つである。単純に切った貼ったをするよりは安全性も高かった。黎明期には幾つも方法が考え出されたが、最終的に主流になった安定性や確実性の最も優れたその術式は開発主任の名を取って佐橋式と呼ばれていた。
ただこの技術、艦娘との相性ははっきり言って悪いのだ。改二以降の艦娘達には魂の中の集合無意識の欠片が干渉して施術自体が効果を現さなかったし、性転換を行っても元男性に艦娘の適性が生えてくる事は無かったのである。これに関しては本人の性自認等は一切関係が無く、産まれ持った『体の性別』のみが適性を持っているかに影響するか、逆に、適性を持っていればそもそも女性の体で生まれてくるかのどちらかだろうと結論付けられていた。
「そう、それが今回ここに君を呼んだ理由に関係するんだ」
改まった真剣な顔で楠木はそう告げた。暁にはまったく関係が見えてこなかったが、突然変わった空気を前に、何かとても重大な理由があるのだろうと固唾をのんだ。
「君は二十一世紀前半のサブカルチャーの知識はあるかね?」
「はい?」
まったく予期していない質問だった。一応、宮里艦隊にその手の物を嗜む人間は結構居たし、姉妹として付き合っている電が好むために多少の知識は持っていたが、詳しいかと言われるとそうではない。そういえばなんでかやたらと文月達に薦められた時期があった覚えがあるが、ついぞ自分から手を出す事は無かったように思う。
「ふむ、まあ……十分な知識はありそうかな。単語の意味が分かればとりあえず問題ないよ」
「それくらいでしたら、ある程度は」
そんなところまで読めるのかと戦慄するが、かつての功績を思えばむしろ納得できるくらいであろう。姿形こそ違えど、目の前の人物は大英雄と呼ばれる偉人の一人らしいのだから。
「私が艦娘になれたのはね、私が神様転生した転生者でチート能力と一緒に艦娘の適性も神様に持たされてこの世界に産まれて来たからだよ」
その偉人がなんともトンチキな事を言い出したので、暁は意味を飲み込むまでに、三秒くらいかける羽目になった。
「あの……ええと、それと私をここに呼んだのとどう関係が……?」
「君もこの世界で死んだらそんな感じの事をする羽目になるから、先に知らせておこうと思ってね」
暁が意味を飲み込むまでには、やっぱり三秒ほどを要した。
「それはつまりその……記憶や意識を引き継いで生まれ変わらせられると、そういう……?」
「うむ。どうもそれをやらかす張本人が悪戯好きというか、まあ困った方でね。君の場合下手をすると何の説明もなく別の世界に放り出される可能性が高いみたいなんだよ」
私の扱い酷くない? むしろ気に入られているが故の蛮行なのだが、暁には当然その辺りは分からない。ただ、もし本当にそうなったとしたら、先に言われていたかで混乱の度合いが段違いであろうことだけは理解できた。
「あ、あと君の場合チート能力も貰えないらしくてだね」
「私その神様に嫌われてたりします?」
別に強い力が欲しい訳ではないのだが、それはそれとして不公平感があってちょっと悲しい。あったらあったで余計な苦労を背負い込まされそうな気はするため、逆に良いのかもしれないが。
「そうだ、能力。その能力というのは……」
「人によって違うが、私で言うなら君の心を読んでいるこれの事だね。まあやたらと見える、眼の能力だと思ってくれればいいよ。ちなみに透視とかもできるね」
なるほどずるい。チートと自分で言うだけある。そういうのを駆使して出世して、日本や世界を護ったのだろう。有難すぎる。悪用などいくらでもできたろうに、やり遂げた事は類稀なる善行だ。いや一般的に悪行とされる事もやってはいるのだろうけれども。
「それに加えて特別な適性も持たされたと……」
「いやあ、年を取ってから性転換して改二を目指したものだから結構大変だったよ。集合無意識の方に予め話を通せる子が居たから飛龍くんの欠片を貰えるようになるまでは早かったんだが、体の方が追いつかなくてね」
実は百年以上眠ってた。そんな事を言いながら懐かしむ様に笑うので、暁はどう反応していいのか正直困らされた。驚きの情報ではあるのだが、そもそも生きていたという事実の前に感覚がマヒしてしまっていたのだ。
聞けば事情を知るリンカネ社の人々に保護してもらっており、病室から今使っている戸籍や何やらまで用意してもらったようで、余程仲がよろしいのだろうなと察させられた。というか。
「事情を知っている、というのもやはり?」
「そう、転生者だね。まあ大体察している通りだよ」
「あー、つまりその、超異能者というのは……」
「全員転生者だね」
成程。納得である。確かにあの連中は神様に派遣されて来たと言われた方が腑に落ちる存在だった。物理法則に真正面から喧嘩を売れるのが一人や二人ではないのはそのせいだったのだろう。
「ヨークタウン社長が集めていたのは」
「彼女も転生者だからだね」
ならば彼女もチート能力というのを持っているのだろうか。どんなものかは知らないが、きっと金稼ぎに利用できるものに違いない。寄り集まるにも丁度良い旗印だったろう。超美人のお金持ちだもん。っていうかもしや美人なのも神様のおかげなのだろうか。暁は少し転生に関して関心が出た。
「ああ、もしかして彼女達の自己評価があまり高くないのって」
「チート能力で成功してもそれを自己評価に含めるのは、なかなかに難しいんだよ。自分の力として振るってはいてもね」
能力が肥大化しただけの凡人、というのはそういう意味なのか。それにしたって善良すぎる気はしたが、神様に直接送られて来たともなれば、悪用を考えない者をしっかり選出したからだったと、そう考えればおかしくない。あれ、そうすると一部の宗教家の人達正しい事言ってた事に……? そう思った瞬間楠木提督が苦笑いを浮かべたので、暁はその思考を打ち切った。きっと本人達的には全く嬉しくないのだろう。
「その転生者に、私もなると……?」
「将来的にね。まあ、流石にまだだいぶ先の事だよ」
そりゃあまあ死ぬ予定はありませんけれども。暁だって仕事を貰ったばっかりであるし、ここで退場というのはごめん被りたい所だった。
というか戦って結果殺される覚悟はしっかりできているけれど、なんでそれがだいぶ先だと分かるのか。本当に凄まじい力なのだと暁は改めて理解した。
「あの、もしや未来も見える力だったりするのでしょうか」
「うむ。その通りだよ。未来も見えるし、宇宙の向こうも見える。遠視、透視、読心、過去視、未来視、解析……凡そ見る事に関しては万能と思ってくれていいよ」
楠木がゆっくりと空を見上げ、何かを見つめるような顔になった。暁も首を反らしたが、見えるのは木板の天井ばかりである。
「例えばそうだな、今、遠くの宇宙でアゼスイック銀河人とティルフォーン銀河人が文明の趨勢を決める一大決戦の火蓋を切ろうとしているのが見えたりするね」
「宇宙人実在する感じなんですね?」
「ちなみに勝つのは近くを戦場にされて怒ったリムネア銀河人だね」
「そのまま地球に攻めて来ませんよね??」
「天の川銀河人の初遭遇する地球外知的生命体にはなるけれど、1000年以上後の話だねえ」
「そんな先まで見えるんですか???」
バタフライエフェクト起き過ぎて当たらないんじゃないかなあ、と楠木は笑ったが、暁は圧倒的に文明の進んだ相手が存在すると聞かされて、流石にちょっと笑えなかった。
「まあ、君自身の事や私達の事はおいおい納得してもらえればいいよ。自分もそうなると言われてすぐ納得はできないだろうからね」
「そうですね、私が神様に気に入られるだとか、そんな事あるとは思えないですし……」
「素の能力が君より極まった転生者この世界に居ないんだけどね?」
完全に実力で気に入られているらしいとかそんな事を言われても、同艦隊に比べようもないのが最初から居た暁にとってはちょっと納得が行き辛い。自分が強い方だというのは勿論分かっているのだけれど、そういう問題ではない所にそいつが仁王立ちしていたのが何もかも悪かった。
「ともかく、だ。今日は概要だけ理解して貰えれば実感は無くとも問題ないよ。今日はこれからそれどころではなくなるしね」
それはどういう。暁が訳を聞こうとすると、楠木は指を一本口元に当て、静かにするよう身振りで示した。それに従い自然体で身構えれば、数秒の後に、全身を揺さぶる低い音が辺りに轟き渡り出した。それはすぐに振動へと変わり、建物全体を軋ませる。どうやら波は徐々に大きくなっていくようだった。
集中しなければ分からない程度のものから立っていても分かるくらいにまで強くなり、周囲の小物がカタカタ揺れて動き出す。しかしまるで落ちて来る気配はないそれらを見て、暁は全て観測済みなのだと理解した。未来予知の有効利用なのだろう、便利なものである。
「ふぅむ、ここより上の方が良さそうかな……付いて来てくれたまえ」
揺れが続く中、不意に楠木が動き出した。暁の横を通り過ぎて廊下に出ると、待っていたタシュケントとアイコンタクトだけを取り、すぐ横の壁を指で押す。押された部分は四角く凹み、そのすぐ横には金属の梯子が生えて来る。謎ギミックに暁は少し辟易とした。
素早く梯子を上がっていく楠木に続き、暁も一段飛ばしで登って行けば、その先ではヨークタウンと伊58と呂500が揃って窓の外を眺めていた。見回せば案の定そこはさっきまで居た社長室の端である。隠し通路で下階と繋がっているらしい。きっと各所にこういうものがあるのだろうが、今はそれを詮索している場合ではない。三人の下へと歩みを進める楠木を追って、暁も揺れるフロアを小走りに窓際へと走り寄った。
太陽の位置から察するにその窓は東を向いており、島の太平洋側が一望できるようになっていた。移植された緑溢れる計画都市の景観と、奥に見える豊かな青の輝く海。それと黒い光の柱が天まで立ち昇る色褪せた鳥居の社。異変の原因は明らかだった。
腹の底を揺さぶるような重い振動がいっそう強くなり、やがてそれは明確な音の波となって辺りに襲い掛かって来た。鳥居の根元に罅が入り、あっという間に砕け散る。瞬間、社が屋根ごと吹き飛ばされ、石畳と盛り土ごと辺り一面が立ち上がった。
怨
それはきっと、声だった。地の底から、金属質な棲艦島の表面を突き破り現れ出でた巨神の、恨みと怒りの篭められた言葉にならない剥き出しの感情。心の弱い者であれば聞いただけで卒倒するような、邪悪な念の害意ある咆哮。それを辺りに撒き散らしながら被された土砂を振り落とし、そいつは姿を顕わにした。
一見して、それは人のような形をしていた。一つの頭に一対づつの四肢、指の数は八つずつであるが、均整のとれたそれは違和感を感じさせることはない。ただその鍛え抜かれた肉体や鋭くつり上げられた眼球は黒一色に染まり、明らかに金属質に輝いている。性を感じさせないその面相は明らかな憎悪に取り付かれ、真っ黒な髪はまさに怒髪天を衝かんと空へと立ち昇っていた。
人とは似て非なる、明らかな超常の生物。それは全長の数倍はあろうという頭髪を除いても全高が500メートルに達する巨体でもって、棲艦島へと降臨した。
怨
それが再度咆哮を上げる。それと同時に、色合い以外は人間らしかった皮膚を突き破り、多数の金属質な軟体の触手のようなものが涌き出した。夥しい不快な粘液を撒き散らしながら、それらは周囲の自然を打ち据える。どろりと触れた部分が融解した。
聳えていた髪が落ちて来る。それもまた、意思を持つかのように絡み合い、複数の荒縄となって辺りのものを轢き潰す。気付けば巨体の周囲は均され、瓦礫すらない決闘場が産み出されていた。
「なにあれ」
暁はぽつりとつぶやいた。周囲には腰に手を当て不敵な笑みを浮かべるヨークタウンと表情の読めない楠木提督、目を輝かせている呂500と配信中と表示されたカメラを横に浮かべた伊58。みんなで揃って同じ化け物を見つめていた。
「あれはかつて宮里艦隊が封じた海神様だね。どうやら棲艦島の穢れを吸い尽くして祟り神のようなものになってしまったようなんだよ」
「おかげでこの島は完全浄化されましたわー! 流石神様と言われるだけあってキャパすっごいですわねー!!」
「そんな事言ってる場合なんでち!?」
成程、人間の悪意からなる連中を砕いて作られたこの島には相応の怨念が籠っていたのは間違いない。それを利用して復活したからあんな邪悪な姿をしているのだろう。人間に封印された怒りとはさぞかし相性が良かったに違いない。元々人間許すまじって攻めて来ていた訳なのだし。
「いやでも、あんなに大きくなかったですよね!?」
当時見た海神様も人類よりは巨体だったが、それでも暁の記憶の中のそいつは精々30メートルほどだった。そうでなければ流石に封印なんてできていない。特にあの時は最大戦力が敵軍の足止めに回って暴れていたのだから。
「あれは深海棲艦の、人間の悪意からの支援も受けているのだろうね。本神が望んでではないだろうが……」
「力を注がれて膨らんだって事でち?」
「なんだか風船みたいですって!」
呂500が突いたら割れますかと楠木――飛龍に質問するが、流石にそれは無いようでやんわり否定されていた。そんなやりとりをしている間に、闇落ち海神はその足を踏み出そうと緩慢に動き出していた。
「出ますか」
暁の鋭い声がその場の提督二人に飛ばされた。ちょっと相手がアレ過ぎて、少し呆気に取られていたが、どうやらこれも深海棲艦案件の一つ。艦娘の職務範囲内だ。艤装に関してはここに来る前に工廠の方で確認している。制服で来ていたこともあり、提督の支援さえあれば暁はすぐに動ける態勢だった。
「いいえ、それには及びませんわー!!」
それに答えたのはヨークタウンだった。いつも通りの高笑いを上げると、いつも見せるそれよりも、明らかに覇気ある声で喋り出す。
「あれは殺してしまう訳にはまいりませんの。本来海を治め、星を守護する尊いお方。暴走を止め、注がれた悪意のみを除かなくてはならないのです……セバスチャン!!」
「ここに」
何もなかった空間から、青髪のメイドが現れる。そして豊かな谷間から綺麗な小箱を取り出すと、開きながら恭しくヨークタウンへと差し出した。優雅な所作で取り上げられたその中身は、演説などに使われる、よくある普通のマイクに見えた。
『棲艦島の皆々様ー!! こーんにーちわー!! そう、わたくしは、ヨークタウン! リンカーネイション社の代表を務めさせていただいております、皆様のヨークタウンですわー!!』
おーっほっほっほ!
安心感のあるいつも通りの高笑いである。どうやらマイクを通し大音声で島中に拡声されているようで、響いたそれは少しだけ社長室まで返って来ていた。
同時、今までとは別の振動が、会社の真下から沸き起こった。
『皆々様! 突然の地震と怪物の出現に恐怖で震えていらっしゃるものと存じ上げます!!』
何かが地下から地表に向けて上がってくるように、それはだんだんと大きな音となって体の芯に響いてくる。
『圧倒的な巨体! 悍ましい破壊力! 名状し難い不快感を催す姿形! アレが暴れ始めれば、この島どころか世界中が大打撃を受ける事、想像に難くありませんわー!!』
ビルの真横、駐車スペースが謎のギミックで持ち上がり、横に向かってスライドする。そうして開いた空間には、機械的な機構の詰まった縦穴がぽっかりと口を開けていた。
『ですがご安心くださいませ!! こんな事もあろうかと、我々リンカーネイション社はバッチリ完璧な対策を講じてございます!!』
その穴から、一つの巨体が飛び出した。
『そう、我々が総力を挙げ作り上げた!』
それは金属の体を持つ巨獣だった。
『最大!』
それは銀の脚で棲艦島の大地へと降り立つと背中から熱い蒸気を吹き上げた。
『最強!!』
それは機械的な駆動部の見え隠れする腕を振り上げ奥の巨神を威嚇した。
『絶対!!!』
それはぶ厚い装甲に包まれながらも生物的な動きを実現していた。
『完璧!!!!』
それは二足で立つ機械の爬虫類が軍艦と融合したかのような姿だった。
『無敵!!!!!』
それはどういう訳か暁に一種の共感のようなものを感じさせた。
『な秘密兵器!!』
なぜか知っているような気のする排気塔。体の各所に装着されたどこか見覚えのある武装の数々。縮尺こそおかしかったが、それは暁からすればとてつもない既視感を覚える物体であった。っていうか、たぶん中身がよく知ってる奴なんじゃあないかと思われる。
『超超超超超超超超超超ド級駆逐艦!!』
そいつが対するほぼ同等の身長の神に向け、重厚な一歩を踏み出した。紅い眼に光が灯り、強く鋭く輝いた。
『その名も!!!』
大きな一歩が叩き付けられ、震脚のような一撃が世界を揺らす。そいつは明らかに、荒ぶる神を征するだけの力を備えていた。
『大械獣メカフブラですわー!!!』
「怒られますよ!?」
特に詳しくなくても一目で分かる有名怪獣をモチーフとしたそいつを前に、流石に暁はツッコミが抑えきれなかった。
やたらと聞き覚えのある声で、大械獣がぎゃおーんと啼いた。
なおこの械獣(改十)が無くても倒せる模様。