各々での仕事が始まり、以前のように毎日レッスンで顔を合わせる日が少なくなった。
それでもレッスンや打ち合わせで集まった時には、仕事であったことや上手くいかなかったことなんかを話したりもしていた。
今日もそんな日になる『はず』だった。
「なに……これ……」
そんな穏やかな日常をぶち壊す様な、目の前の信じられない惨状に思わず言葉が漏れた。
*
「白雪さん、少しお時間よろしいですか?」
着替えを終えて、みんなといつもの部屋に向かう途中で合田さんに声をかけられた。
「はい。大丈夫です……けど?」
(はて? 何かしたっけなぁ?)
みんなの背中を見送りつつも、合田さんに呼び止められた理由を考える。
(自主トレは……最近は他の子のを見ながら指摘するだけにしてるし……あ、でもこないだ1時間やったっけ)
どうしても気になるところがあったから1時間延長をお願いしたのだった。
(あの時はトレーナーさんに見てもらったはずなんだけど……)
ちなみに『指摘』というよりも『監視』の意味合いの方が強いのだけれど、本人は知らない。
「あの……何か粗相を?」
「いえ、スケジュールの件が予定どおりにいきそうだということをお伝えしたかったのですが」
「あー……」
そういえばそんな話をしていたっけ。すっかり忘れてた。
「じゃあ、そのように伝えておきますね」
「よろしくお願いします」
そう言って合田さんは仕事に戻っていった。
*
(んーと……今日はこの後モールでのイベントがあって……)
エレベーターに乗り込み、『部屋』に着くまでにスケジュールを確認する。
(桜が教育番組、みゃーこがラジオ、麗華の雑誌の取材もだっけ?)
全員でのイベントライブの後に各々の仕事もあるハードスケジュールに乾いた笑いしか出ない。
(明日は……カラオケでも行くかなぁ)
間近に迫った『熱唱王』と『帰れナイン』の収録のために調整に余念がない。
……もっとも、『帰れナイン』の方に重きを置いているのは私くらいなものだろうけど……
チーン
(おっと)
そうこうしている間に、エレベーターが到着を告げたので、思考の海から浮上する。
ドアが開き、エレベーターと『部屋』との明るさの違いに目が眩みつつーー
「なにこれ?」
こうして冒頭に戻る。
それからの私は、パニックでしがみつくジュンを何とか宥めつつ、直ぐ様合田さんに連絡をとばした。
合田さんが来るまでの間、メンバーに楽な姿勢をとらせつつもジュンに聞き取りを行った。
こうして言うと、冷静な対応をとったように思われるけど、自分以上にジュンの方がパニックに陥っていたから冷静になれた。
「食中毒?」
「ええ。差し入れのコーヒーゼリーをジュンちゃんだけ食べなかったらしいです。苦いから嫌いらしくて……」
「あれはたしか壁の指令だったはず」
「現在注文した店に問い合わせています」
メンバーが運び出され、ようやく落ち着いた私はソファーに体を預けた。
先ほどまで取り乱していたジュンも、ようやく落ち着いてお手洗いに行った。
目の前で他のメンバーが倒れたのだから無理もない。
「皆さんの容態は?」
「しばらく安静にすれば元気になるだろうとお医者様が。幸い症状は軽いらしく全員回復に向かっています」
「そうですか……大事なくてよかった」
緊迫していた状況だったが、スタッフさんからメンバーの容態を聞き、合田さんもようやく安堵した。
「でも……困りましたね。今日スケジュールどうしましょう?」
とはいえ、今度はスケジュールの問題が浮上する。
特にモールでのイベント……
「戸田さんと白雪さんが無事なだけでも不幸中の幸い。みんなが戻るまでの穴はお二人に埋めてもらうしかないでしょう……」
負担は大きいとは思いますが……と合田さんは申し訳なさそうな顔をする。
「仕事に穴を開けるわけにもいきませんし、私は全然大丈夫です!」
「では、大急ぎで」
それに今回は私一人じゃなくてジュンもいるしーー
(あれ? それにしてもジュン遅いなぁ……)
かれこれ20分以上経過しようとしてるけど、戻ってくる気配がない。
(もしかしてジュンも!?)
原因はコーヒーゼリーだったらしいけど、それ以外にも原因があったのでは!?
そんな考えを頭が過った時ーー
「よろしく~」
「……は?」
妙に明るい声が、先ほどまでの緊迫した空気を(悪い意味で)ぶち壊した。
「楽屋にカゴいっぱいのお菓子、あと麻布のカスタード柏餅もよろしく」
その元凶は2人のスタッフさんをSPの様に伴って、現れた。
ヒョウ柄のジャケット、大きめのサングラスという、空想上の芸能人か深夜のド◯キにたむろしてる超陽キャしか許されない様な服を身に纏っていた。
「戸田さん…その格好は……」
「あら合田ちゃんごきげんよう」
あまりに奇抜過ぎて、合田さんもどう扱っていいか迷っているご様子。
それを知ってか知らずかセレブのような振る舞い挨拶を返すズン。
「すぐ着替えてください。今日は忙しくなります……」
「あらいいのかな~?私のご機嫌損ねたら他に代わりはいないんじゃなくて?」
サングラスを外しつつ、調子にのっているズン。
……あぁ、もう限界だわ……
ゴンッ
「あいっ……たぁ~!!」
「おあいにくさま。私がいることをお忘れなく」
我慢できなくなって、天狗になっているズンに鉄槌(性格には鉄拳)を下す。
相当痛かったのだろうーー実際私の右手も痛さで熱と痺れがあるけれどーー頭を押さえてしゃがみこんだ。
「何すんのさ~!!」
「この非常事態にワガママ聞いてる暇はないの! 行くのか、お留守番か、3分間あげるから決めな!」
「そ、そんなの……」
「時間だ! 答えを聞こう!」
「うえぇ!? まだ1分も経ってないよ!!」
ぶーぶーとジュンが文句をたれるけど、そんな暇はない。
そもそも本家も3分なんて待っちゃいない。
「非常事態なの! 時間ないの! 40秒で支度しな!」
「お、横暴だぁ!!」
往生際の悪いジュンの背中を押しつつ、部屋を出る。
「……白雪さんが無事で本当によかった……」ハァー
後にはため息をつく合田さんと、ジュンの茶番に付き合わされたお二人を含めた数名が残った。
*
「お待たせしました」
「はいは~い! 任せてくださーい。私たちで見事に働いちゃうよ!!」ピュン
言うが早いか、ロケバスに向かってまっしぐらしていくジュン。
「あ、コラ! ……もう」
「ジュンちゃんの底抜けな明るさには助けられますね」
「確かに……元気がないところは見たことがない」
「その分、手綱握るのが大変ですけどね」
いつもなら麗華やあかねが上手く抑えたり、絢香が茶化しつつも誘導してくれるんだけどね。
「白雪さん、お願いしますね」
「えぇー……」
思ったよりも負担が大きそうだ。
まぁ、1人じゃないからそこまでスケジュールがカツカツというわけでもないけど。
「とりあえず、細かいスケジュールなどは現場に向かいながらということで」
「はーい」
「お気をつけて。凛子ちゃんもファイト!」
「さぁ今日も始まりましたFM73Hzナミナミエッグ。お相手はパーソナリティ吉阪と」
「みゃーこに代わってアシスタントを務める戸田ジュンでーす。よろしくお願いしまーす」
まず最初のお仕事はみゃーこがアシスタントを務めているラジオ番組の収録。
いやぁ、みゃーことラジオのゲストに呼ばれたのが懐かしいなぁ……
「みゃーこちゃん体調不良か……大丈夫なの?」
「平気ですー。なんか食あたりみたいでー」
ちなみにこの間私はーー
「それと……ブースの外には、白雪凛子ちゃんが来てくれてるね」
あ、吉阪さんがこっち見てる。とりあえず手を振っておこう。
「あ、手を振ってくれてるね。えっと……何か作業してるね。何してるのアレ?」
「サインです! お昼までに全部書かなきゃなので!」
ジュンの答えに笑顔で頷きながらサインを再開する。
「ん? 凛子ちゃん、自分以外のも書いてない!?」
ありゃ、オフレコにして欲しかったのにバレちゃった。
「ん? フリップ?『お昼からのイベント用なんです♪』いやいや、他のメンバーの書いちゃマズイでしょ!?」
「意外とバレないんで! こっちが私が書いたのでー、こっちがりんりんの!」
「えっ!?全く一緒なんだけど!」
2つのサインを見せられた吉阪さんはまちがいさがしの様に見比べる。
「え? このクオリティで全員分書けるの!?」
吉阪さんの問いにニッコリ笑いながら頷く。まぁ、
「すっご……じゃなくて! コレ生放送だから!!」
「「あ」」
ブース内のジュンと、私の声がハモった。
*
「ふー、終わった終わった」
「はい、お疲れ~」
ラジオが終わり、控え室に戻ってきたジュンを出迎える。
「りんりんもお疲れ~。サイン、どれくらい終わった??」
私はジュンの収録の様子を見ていたけど、途中からは控え室に籠ってサインを書いていた。
「ん~……みゃーこと桜、絢香のは終わったし……ジュンの分もこれがラスト……っと! 終った~!!」
全部書き終わってないメンバーもいたので、今回ばかりは代筆させてもらった。
次回からは絶対にやらせようと思う(鋼の意思)
「とにかく、終わったしご飯ーー」
ソファーに座ってテーブルの上に用意されたお弁当に手を伸ばしたジュンの反対側から手が伸びて、お弁当を没収された。
「え?」
「そろそろお時間です」
もちろん合田さんである。
「この後12時からお台場でミニライブ、14時から佐藤さんのファッション誌取材、16時から藤間さんの代打で英会話番組出演。
19時から番組ロケで遊園地へ!明日は早朝からスタジオ収録があります!」
と、スケジュールを述べつつ、ジュンを担ぎ上げる合田さん。
端から見たら人攫いのソレだけれど、しっかり『失礼します』と言ってるのは紳士だなぁ(現実逃避)
「わ、私のお弁当~! わ~ん!!」
(あ、これ人攫いと言うより、駄々こねてる子供を連れ帰るソレだわ)
週末のショッピングモールでよく見かける光景を思い出しつつ、そんなやり取りを繰り広げる2人を追走する。
(ってか、合田さんはっや!)
ただでさえ体格が違うため歩幅も違うのに加えて、よほど時間に余裕がないのだろう。
いつもならこちらを気遣う余裕があるのに、今日はスピードを緩めることもない。
「お、凛子ちゃん。お疲れ様」
「お疲れ様でした!!」
本来なら脚を止めなきゃいけないのだけれど、そうすると合田さんとの差が更に開いてしまうため、頭を下げながら2人を追う。
(というか、今回出たのはジュンなんだけどなぁー!)
2人の……というかジュンをお米様だっこしてる合田さんに呆気にとられて、その後普通に走ってる私に声をかけてるんだろうけど、今回に関してはサイン書いてただけだからね!?
いや、私が聞いてないだけで合田さんもあいさつしてるんだろうけどさ。
「凛子ちゃん、お疲れ様~」
「お疲れ様でした!」
「またよろしくね~」
「機会があればぜひ!」
「都ちゃんによろしくね~」
「今後も河野をよろしくお願いします!」
走っている上にあいさつしているものだから、なおのこと息があがる。
いつもランニングしてるんじゃないのかって? ランニングと声を出しながらの短距離走は違うからね!?
しかも急ぎつつも人を避けつつ、あいさつしつつだから精神的にも疲れる。
(あれ? この後ライブもあるんだけど!?)
なんとかロケバスにたどり着き、その事実に気づいた時にはすでに手遅れだった。
「お昼~!!」
とりあえずジュンには念のために作っておいたおにぎりを2個手渡して、私自身はなんとか体力回復に専念するのだった。