周囲から迫る水流は恐らく木を圧搾した血鬼術だろう。雨の降っていない洞窟内故か、最初見た時のように瞬時に囲まれるということはない。
この隙さえあれば十分。
「———なんてね」
百太郎が袂から取り出したのは鞘に収まった状態の短刀。柄を利き手で握り、地面が抉れる勢いで鬼へ向けて踏み出していく。
壁も天井も足場にして、捉えにくい三次元的な動きで距離を詰める。
「なっ⁉︎こいつ…っ!」
鬼の表情が驚愕に染まる。武器を捨て、人質を取られた状態でここまで大胆な動きをする鬼狩りは今までいなかった。
その間にも迫る百太郎は、空中で短刀の鞘を口に咥え抜刀。刀身の色は———ごく普通の鈍色。日輪刀ではない。鎧通しと呼ばれる、厚い刀身が特徴的な刺突用のものだ。
しかし抜刀された瞬間、鬼は思わず鼻を抑えてしまった。藤の花の香りが洞窟内に充満しているのだ。匂いの発生源は百太郎が今抜いた鎧通し。
「桃の呼吸 肆の実———
「ガッ……」
鼻を抑える。たったそれだけの小さな動きが仇となり、鬼は百太郎の接近を許してしまった。うなじに鎧通しを突き立てられる。
「ガアァァァァァァァ‼︎」
刹那、得も言えぬ苦痛がうなじから全身に広がる。目、鼻、耳、口から血が溢れ出し、手足は痙攣を始めていた。
毒だ。鎧通しに塗り込まれた藤の花の毒を鎧通しに塗りたくり、それを突き立てることで相手の自由を奪う。これが桃の呼吸・肆の実———桃ノ折苦の術理。だが、これで終わりではない。
肩車されるように百太郎は鬼へと飛び乗り、右手を顎、左手を側頭部へとかけ———メキメキメキメギョ!!毒の効果でグズグズに腐った鬼の頸をまるで桃の収穫のように素手で
「ぎゃっ!?」
収穫した鬼の頭部を地面へ投げ捨てると間抜けな声が出た。それと同時に女性を拘束していた血鬼術が解け、水は染みとなって消える。
百太郎は鎧通しの刀身をしっとりと濡らす毒に指を這わせ、付着した毒を眺めながら今回の検証結果に満足気な笑みを浮かべる。
(さすが蟲柱さん特注の毒。今までとは比べ物にならない即効性だね)
桃の呼吸・肆の実———桃ノ折苦は既存の全ての呼吸の中で唯一日輪刀を使用しない攻撃用の型。本来は桃の呼吸の特性である『奇襲』と吉備乃の狂気が特に色濃く現れた技である。
元々吉備乃家は人助けよりも鬼を殺すことが目的であり幸福である一族。その在り方自体は今も変わらず、時には自身の命さえ礎にして鬼を狩る狂人の集まりだ。
本来は1人が武器を捨てて鬼を油断させ、毒を打ち込んで囮になり毒が回るまでの時間を稼ぐ。毒が回りきったら、隠れていたもう1人が日輪刀で鬼の頸を撥ねる。その間に囮となった者は大抵殺されるが、吉備乃であればお互いに一切気にすることはない。鬼を殺した者、礎となった者、どちらもが至上の幸福に体を震わせるだけに終わる。
それが今では毒の改良により、真正面からの奇襲という形に収まった。日輪刀を手離して油断させるという部分は変わらずとも、犠牲の数を抑えることに成功したのだ。
だがそれは逆に、鬼を即殺すことができないという欠点も生まれる結果となった。
捨てた日輪刀を拾うため高鳴る鼓動を必死に抑えながら背を向けて歩く百太郎を地面に転がる鬼は怨嗟の眼差しで睨みつける。
「な…なめるなよ……血鬼術
血鬼術の発動により、鬼の頸と胴体の千切られた断面から尖った血液が百太郎を貫くため殺到する。振り返った百太郎は納得したようにポンと手を叩いた。
「あぁ、水じゃなくて水分を操るんだ」
「死ねぇぇぇぇぇ!!」
汚らしい。こちらに迫る血槍に対する感想はそれだけだ。
飛び上がり、天井に足を着いて第一波を避ける。すぐさま軌道を変えてくるが、さすがに何度もこのような技を見せられれば対処は難しくない。天井から時計回りに壁、地面へと走り込み鎖鎌を拾う。鎌と分銅のちょうど中間地点を掴み、鎌は鬼へ、分銅は刀の柄へ、それぞれ遠心力を利用して投擲。
「ぎょえっ!」
鎌の先端が鬼の側頭部に刺さり、引っ掛かる。同時に分銅は刀の柄を捕らえた。
「桃の呼吸 捌の実———
そのまま飛び上がり、再度天井へと着地。呼吸の力で鎖を引く。
すると、百太郎を中心に鎌に引っ掛かる鬼の頸と分銅に絡まる日輪刀が迫る。迫る。迫る。
「クソックソックソォ!!」
「あははっ」
そうだ。この瞬間だ。この手で鬼の頸を撥ねるこの瞬間こそ、吉備乃がもっとも幸福を感じる時。
思わず洩れた嗤いが何故か鬼の叫びよりも洞窟に響き渡る。
「チクショオォォガァァァァ!!」
「あははははははははははははははははははっ!」
そして、千切られながらも僅かに残った鬼の頸が日輪刀に斬り離された。
これにて、鬼退治は完了した。狂喜の哄笑と共に。
「大丈夫ですか?」
鬼退治の高揚で頬を赤く染めながら、百太郎は囚われていた女性へと声をかけた。
水に包まれていた着物はびしょ濡れで、このままでは風邪を引いてしまうだろう。まぁ、どうせ洞窟を出ても雨が降っているので今気にしても仕方ないのだが。
「…………て……」
「あの、大丈夫ですか?」
「……して…?」
「はい?」
しかし、びしょ濡れは自分も同じだ。雨の中の攻防で濡れた隊服が体にベタベタと張り付いて気持ち悪い。さっさと脱いで冷えた体を風呂で温めたい。
そんな思考を巡らせる百太郎へ、女性が叫ぶ。
「どうしてお父ちゃんとお母ちゃんを助けてくれなかったの⁉︎」
すると、女性は這々の体で洞窟の奥へと向かう。その先には男女と思われる死体があった。この洞窟内の血臭はこの二体の死体から発せられたものらしい。血鬼術で溺死させられたのか、パンパンに膨らんだ頭部はもはや人相の判別ができない。内臓は食われたのか、頭部と下半身に対して上半身が異様に細くなっている。
そんな人としての尊厳を一切考慮せず殺された死体に女性は縋り付いて泣いていた。
「お父ちゃん…お母ちゃん……いやあぁぁぁぁぁ!!」
金切り声を上げてただただ叫ぶ女性にかける言葉を百太郎は思いつかない。いや、
「なんでよ!あなた強いんでしょ!どうして2人を守ってくれなかったのよ!!」
「僕がここに来た時には既にその状態だったでしょう?無茶言わないでください」
「うるさい!…なんでよ……どうしてよ……何も悪いことしてないのに……」
「心中お察しします。ですが、死んだ人は泣いても返ってきませんよ?それより貴女が…」
「うるさいうるさいうるさい!!」
まるでこちらの話を聞いてくれない。心の中で嘆息しながら、もう何を言っても無駄だろうと女性が落ち着くまで口を閉じることにした。
ただただ物言わぬ死体に泣きつく姿を眺めながら、今後の事を思考する。
さすがに女性をここに放置するわけにもいかない。本心としては鬼退治を完了した時点でこの場に用は無いので帰りたいが、鬼殺隊としてその行動はまずいだろう。最低限、家に送り届けるまではしなければならない。
その後の処遇については百太郎が考えることではない。両親を失った女性がこれからどうなるのかも興味はなかった。まぁ、自分と同年代であれば働き口もあるだろう。
「落ち着きましたか?」
「このっ!」
そろそろ帰らないと本格的に風邪を引きそうなので女性の肩に手を置くと、平手打ちが頬に向けて飛んできた。軽く避けると、すかさずこちらの胸倉に掴みかかってくる。
「ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!あんたがもっと早く来てればお父ちゃんもお母ちゃんも死ななかった!あんたのせいで…あんたのせいでぇ!!」
ひどい言いがかりだ。鬼殺隊にいれば助けた者からこのような言葉を投げつけられることもあるが、いつになっても慣れることはない。いつになってもこういった肉親への情というものが理解できない。
吉備乃家に生まれた弊害だろう。物心ついた時には親より鬼を求めるような異常者の一族だ。兄弟姉妹との稽古中に誤って殺してしまっても罪悪感など一切持たない一族だ。そんな自分に、両親から愛情をたっぷり注がれて育ったこの女性の気持ちなど理解できるはずがない。
そんな思考が常にある百太郎の目には、彼女の行動がどこまでも無為で無意味で無価値なものに映る。
「返してよ…返してよぉ……うぅ……」
怒ったり泣いたり忙しいな、と。どこまでも他人事な百太郎は女性をおぶり、家まで送り届けるのであった。
はい、いかがでしたか?鬼退治完了です(๑>◡<๑)
なんだかんだ、助けた人から感謝されるだけではないのが鬼殺隊なのかなっと考えています。実際、沼鬼の時に炭治郎くんも八つ当たりされていましたし。
大切な人を失ってやり場のない感情をぶつけられる百太郎。本来ならば気落ちするところですが、そもそも共感できないので「面倒だな」としか思っていません。
それでも、彼は吉備乃一族の中では人格者な方です。他の吉備乃一族があの状況になれば、普通に女性を置いて帰ります。
今後はそんな吉備乃家にも触れていきながら物語を書いていきます。
次回は蝶屋敷へ。やっと原作キャラが出せる…。