千日手の小部屋   作:月島しいる

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10話

「随分と大きくなったわねぇ」

 

 日曜の昼前。

 飛山家のリビングで出迎えてくれたおばさんは、俺を見上げて懐かしそうに笑みを浮かべた。

 

「昔は霧香より小さかったのに、男の子の成長って早いのねぇ」

「……おばさんも、お変わりないようで何よりです」

「そこそこお変わりあるだろう。僕も妻も白髪が混じるようなったんだ」

 

 ソファに座ってテレビを見ていたおじさんが、苦笑するように口を開く。

 

「子供の成長を見ると、自分たちもそれだけ歳を取ったのかと驚くよ」

「もう年寄りくさいなぁ」

 

 霧香は鬱陶しそうな表情をおじさんに向けた後、それからころっと表情を変えて俺に向き直った。

 

「どう? 懐かしい?」

「ああ……変わってないなぁ」

 

 最後に霧香の家を訪れたのは確か、小学生の頃だった。

 恐らくは五、六年前。

 カーテンや家具はそのままで、当時と変わりなかった。

 

「二人がセミを取ってきた後、カゴの中は可哀そうだと言って家の中に放った事もあったなぁ」

「……ご迷惑をおかけしました」

 

 叔父さんが笑いながら手を振る。

 

「いや、いいんだ。懐かしいな、と思ってね」

「あ、座っててね。飲み物いれるから。炭酸でいい?」

「……ああ。ありがとう」

 

 霧香がキッチンへ向かう。

 それを見たおばさんがクスクスと笑い声をあげた。

 

「いつもそれくらい働いてくれたらいいのに」

「うるさいなぁ」

「昨日もね、竜也くんが来るからって掃除をはりきって――」

「もう、うるさいって」

 

 ペットボトルとコップを持った霧香がすぐに戻ってきた。

 

「竜也、もう部屋行こう。二人ともうるさいから」

「あ、ああ。わかった」

 

 不機嫌な様子の霧香に先導されて霧香の部屋に向かう。

 彼女の部屋も昔とあまり変わらなかった。

 昔と同じベッド、机の位置。

 違いは少しだけ小物が増えているくらいだった。

 俺が部屋を見渡している間に、扉を閉めた霧香が真ん中に置かれた丸テーブルにコップを置く。

 

「あ、適当に座って」

「……なんだか懐かしいな」

「低学年の時って、放課後は毎日どっちかの家で遊んでたよね」

 

 懐かしむような霧香の声に頷く。

 

「必ず門限まで粘っていたな。そうするのが義務みたいだった」

「うん。でも四年生くらいかな。それくらいから互いに別のグループで行動するようになって、あまり遊ばなくなったよね」

 

 明確なきっかけがあった訳ではない。

 ただ霧香は女子のグループと遊ぶようになり、俺は男子のグループと遊ぶようになった。

 

「……昔一緒に遊んだゲーム、今も残ってるよ。久しぶりにやる?」

「……いや、長くなりそうだしやめておくよ」

 

 長居する気はない。

 おばさん達への顔見せは終わった。あとは適当に雑談を済ませたら帰る気だった。

 霧香もそれを察したのか、そっか、と短く答えた。

 

「あ、電話でも言ったけど渡したいものあるんだ」

 

 霧香が立ち上がり、机に置いていたものを手に取る。

 帯がついたままの詰将棋の本だった。

 

「内容の良し悪しなんてよくわかんないから、つまらなかったらごめんね」

「いや、嬉しいよ。ありがとう。あまりこういう本は持ってないんだ」

 

 素直に感謝の言葉を口にすると、霧香は嬉しそうに笑った。

 

「たまたま見つけて適当に買っただけなんだけどね。それなら良かった」

 

 互いに次の言葉が見つからず沈黙が落ちた。

 沈黙は慣れている。部室で長いこと過ごしていれば沈黙で過ごす事のほうが多い。

 けれど、今は妙に居心地が悪かった。

 次の話題を探すか帰るか迷っている間に、ねえ、と霧香が小さい声で切り出した。

 

「昔、教えてくれたよね。飛車と角を大事にしすぎだって。そんなもの大事に抱えていても王を取られたら意味ないって」

「ああ……」

 

 霧香の言いたい事がわからず、曖昧な相槌が口から零れる。

 

「それと同じようにね、私は幼馴染って関係を大事にしすぎていたんだと思う」

 

 話が見えない。

 しかし、ただの雑談ではない事だけは分かった。

 霧香の言葉にじっと耳を傾ける。

 

「だから、ここで捨てようかなって」

 

 理解が追い付かない。

 俺は困惑したまま、何かを言おうとする霧香を見つめる事しかできなかった。

 

「ねえ、竜也」

 

 そう言って、霧香は微笑んだ。

 

 

 

「私、竜也のこと好きだよ」

 

 

 

 霧香の双眸がまっすぐと突き刺さる。

 恥じらう様子も、言葉を誤魔化す様子もなかった。

 ただ真正面から真意を伝えようとする強い意思だけが見えた。

 

「竜也はどうかな。私のこと、意識してくれた事はある?」

 

 意識。

 俺たちは多分、互いに意識していたのだろう。

 だから一時的に疎遠になった。避けるようになった。

 けれど、もうそんな事に意味はない。

 すべてが過去のことだった。

 

「霧香……俺は、先輩と付き合う事になって……」

「知ってるよ。でも私が知りたいのは、私のことを意識した事があるのかっていうこと。そこに先輩は関係ないでしょ」

 

 霧香は引き下がらない。

 まっすぐと自分の想いを伝えてくる。

 ならば、俺も正直に答えるべきなのだろう。

 嘘や誤魔化しの言葉を吐くべきではない。

 一瞬の逡巡の後、俺はゆっくりと口を開いた。

 

「……意識した事は、あるよ。もしかしたら初恋だったのかもしれない」

 

 当時、はっきりと自分の気持ちを掴む事は出来なかった。

 けれど、今なら分かる。

 疎遠の原因になったのは、幼い恋心だった。

 俺たちはまだまだ子供で、それを上手く扱えなかった。

 それは多分、今でもあまり変わらない。

 だから、こんな状況になってしまっている。

 

「そっか」

 

 霧香は呟くように言って、ゆっくりと視線を外した。

 諦めるような力ない笑みで、自嘲するように言葉を続ける。 

 

「もっと早く伝えてたら、私が竜也と付き合ってたのかな」

 

 そうかもしれない。

 俺がもう少し大人になれていたら、そういう未来もあったのかもしれない。

 けれど、それは口に出さなかった。

 多分それは、先輩への裏切りになってしまう。

 

「そっか、そっか」

 

 霧香は一人で呟き続ける。

 そして、自分自身に確かめるように言った。

 

「――じゃあ、別に引き下がる必要ないよね」

 

 言葉の意味を理解できなかった俺は、ただ霧香の事を見つめる事しかできなかった。

 霧香は先ほどまでと違って自信に満ちた微笑を取り戻していた。

 

「ただの順番の違いでしかなかったってことでしょ。だから、諦めるには早いかなって」

 

 それに、と霧香は笑う。

 どこか残酷な印象を受ける冷たい笑みだった。

 

「私はこれまで多分、無意味な駒を大事にしすぎていたんだと思う。大事な駒ほど切った時の効果が高いのに、それを理解してなかった。ずっと大事にしようと思っていた」

 

 ようやく分かったよ、と霧香は言った。

 

「どんな駒でも、捨てるタイミングがあるんだ。だから、順番に捨てていくよ。そうすれば変われる気がする」

 

 次の瞬間、霧香の身体がふわりと舞った。

 唇に柔らかいものが触れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 一瞬の出来事だった。

 身体を離した霧香が、どこか勝ち誇ったように頬を綻ばせる。

 

「順番の問題なら、これで私のほうが上かな?」

 

 呆気に取られていた俺は、動揺を隠すように一歩下がって抗議の言葉を口にした。

 

「……霧香、こういうのは互いの同意の上で手順を踏むべきで――」

「ごめんね」

 

 遮るように霧香が口を開く。

 

「ごめん。でも、これ以上後悔したくないから」

 

 だから、と霧香は悪びれる様子もなく宣言した。

 

「先に謝っておくよ。私はもっと酷い事をするかもしれないけど、それは多分必要な事だから」

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