千日手の小部屋   作:月島しいる

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5話

 翌日の先輩は元気がなかった。

 対局中もどこか上の空で、いつもより口数が少ない。

 後手の俺の方が終始優勢で、なにか考え事をしているようだった。

 

「先輩」

 

 声をかけると、角田先輩はぼんやりと顔をあげた。

 

「なにか悩み事ですか?」

 

 先輩は少し考えるように首を傾げて、薄い笑みを浮かべた。

 

「いいや。なんでもないよ」

「……でも、体調が悪そうです」

 

 言いながら、予め考えていた手を指す。

 先輩は盤面を見下ろして、小さく息をついた。

 

「勝っていると思っていたら、実はすでに負けていた。そういう事はないかな」

「……何度もあります。読み筋通りにならない事のほうが多いと思います」

「ただの悪手じゃない。見落としによる頓死(とんし)だ。こういう場合はどうしたら良いんだろうね」

「……経験を積んでいくしかないんじゃないでしょうか」

「そうだな。その経験が全くなかったんだ。はじめから勝ち目なんてなかったのかもしれない」

 

 先輩が自嘲するように笑う。

 何の話をしているのか見当がつかなかった。

 少なくとも将棋の話ではないのだろう。

 言葉を選びながら、慎重に口を開く。

 

「少し休憩をいれませんか?」

「ああ、そうしようか」

 

 椅子の横に置いていた鞄に手を伸ばし、中から小さなチョコを取り出す。

 

「先輩、チョコいりませんか?」

 

 糖分補給に一つ差し出すと、先輩は動きを止めた。

 その視線は俺ではなく、開いたままの鞄に向けられていた。

 

「先輩?」

「それは……」

 

 先輩が上ずった声をあげる。

 

「……そのクリアファイルを見せてくれないか?」

「……これですか?」

 

 開いた鞄から見えているクリアファイル。

 それを取り出すと、先輩は信じられないといった顔で俺を見た。

 

「……好きなのか、それ?」

「はい。祖父の家でよく観てました」

 

 昔の時代劇のクリアファイルだった。

 将軍である徳川吉宗が市民に紛れて悪を斬る、という分かりやすい勧善懲悪もの。

 一種の変身ヒーローのようで、子供だった俺でも祖父と一緒に楽しむ事ができた。

 

「祖父……そういえば祖父と将棋を指していたと言っていたな」

「はい。夏休みは昔から祖父の家に預けられる事になっていて、いつのまにか趣味が年寄りくさくなってしまいました」

 

 昔を思い出し、思わず苦笑する。

 周囲が戦隊ヒーローごっこをやっている時に、俺は将軍ごっこをやっていた。

 祖父が買い与えるものも変身ベルトではなく、チャンバラ用の剣だった。

 

「ほ、他の時代劇も見ていたりするのか?」

 

 先輩が前のめりになって訊いてくる。

 

「有名なシリーズものは大体観てます。先輩も好きなんですか?」

「ああ……大ファンなんだ。だが今まで時代劇ファンと出会った事がなくてね……」

「一番どれが好きなんですか?」

「わ、私は王道の勧善懲悪も好きなんだが、一番好きな作品をあげるとするならダークヒーローが一番好きだな……単純な正義の味方でないところに憧れて何回も見直したよ」

 

 主人公が殺し屋のシリーズだろう。

 子供心によく刺さった覚えがある。

 

「あ、それも好きです。あとは……銭投げを真似たりもよくしました。お金を投げてるところを祖父に見つかってこっぴどく怒られたのを覚えています」

「ああ! 私もやったぞ。金を粗末にするなって叱られたんだ」

 

 先輩が昔を懐かしむように笑う。

 

「初期の作品を観たことあるか? 投げた銭を後でちゃんと拾いに行くんだ。それを観せられて、ほら粗末にしちゃいけないんだ、って」

「子供が真似しないように配慮してたのかもしれませんね」

 

 一緒に笑い合う。

 いつの間にか、先輩はいつも通りの元気な姿に戻っていた。

 

「でも意外です。先輩が時代劇好きだったなんて」

「……私には両親がいないからな。祖父に育てられたから年寄り臭い生活になってしまった」

「結構からかわれたりしますよね。年寄りくさいって」

「ああ、そうなんだ。特に女子では時代劇を観ている子なんて全然いなくてね。誰とも趣味の話が出来なかったよ」

 

 だから、と先輩は嬉しそうに言った。

 

「竜也くんとこういう話が出来て良かった。クリアファイルを見た時は驚いたよ」

「これ、映画を見に行った時のやつなんです。祖父が買ってくれて」

「仲が良いんだな。将棋も祖父から習ったんだろう?」

「祖父の友人たちに無理やり仕込まれました。子供相手に本気で指してくるんですよ」

「年寄りはどこも似たようなものだな。私の祖父も手を抜いてくれなかったよ」

 

 先輩は笑いながら、机に置いていたチョコを手にとった。

 

「年寄りが用意するお菓子って独特じゃあないか? こういう子供が好きなものは出さないんだ」

「お煎餅とかですか?」

「ああ。コンビニで見かけない商品ばかり出してくるんだ。不思議なものだよ」

「お中元の余り物なのかなって疑ってました」

「ありうるな。近くの商店では流通してなさそうなのをよく手に入れてくるものだと逆に感心する」

「先輩は甘い方が好きなんですか?」

 

 問いかけると、先輩は不意に黙りこんで俺をじっと見た。

 

「竜也くん、その先輩って呼び方はやめないか」

「呼び方、ですか?」

「ついでに敬語もやめよう。どうせ二人きりなんだ。上下関係なんて作りたくない」

 

 先輩はそう言って、考えるように顎に手をのばした。

 そういう演技じみた仕草が、美形の先輩には良く似合う。

 

「そうだな。竜也くんと呼んでいるのだから、私のことも名前で呼んでほしい」

「あの、でも」

「私のことを先輩と呼ぶなら、私は竜也くんのことを部長と呼ぶぞ」

 

 思わず笑う。

 

「なんですか、その脅しは」

「そもそも将棋部においての先輩は竜也くんなんだ。竜也くんが私に気を遣うべきじゃないだろう?」

「……では、四季さんと呼びます」

 

 先輩に引く気はなさそうだったので、あっさりと降参する。

 すると先輩は──四季さんは満足そうに頷いた。

 

「今日は色々と知ることが出来たし良かったよ。そろそろ時間だな」

「続き、どうしますか? 明日に繰り越しますか?」

 

 放置されたままの将棋盤に目を向ける。

 四季さんはそれを一瞥すると、ゆっくり首を横に振った。

 

「私の負けだよ。あのままでは勝ち目はなかった」

「今日は随分とあっさりですね」

 

 先輩が笑う。

 どこか不敵な笑みだった。

 

「次勝てばいいだけだ。取られた駒は取り返せば良い」

「……明日も負けないです、四季さん」

「ああ。明日も楽しみにしてるよ」

 

 先輩はそう言って、いつものように鞄を手にとった。

 窓から差し込む夕日のせいか、その横顔が少し赤く染まって見えた。 

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