千日手の小部屋   作:月島しいる

6 / 13
6話

「真剣勝負をしないか?」

 

 金曜日の放課後。

 四季さんは対面に腰を下ろすと、開口一番にそう言った。

 

「勝負、ですか?」

「そうだ。負けた方は一つだけ何でも言うことを聞く、というのはどうだ?」

 

 少しだけ逡巡する。

 四季さんなら無茶な事は言わないだろう。

 真剣勝負のスパイスとしては面白いように思えた。

 

「なんでも、ですか?」

「可能な限りなら何でも、だ」

「一局だけですか?」

「一局だけだ。あとから三本勝負とかは言わないよ」

 

 頷いて、駒袋をひっくり返す。

 じゃらじゃらと駒が盤面に広がった。

 

「わかりました。受けて立ちます」

 

 駒を並べようとすると、四季さんが五枚の『歩』を手にとった。

 

「振るよ」

「あ、はい」

 

 四季さんが五枚の『歩』を転がす。

 振り駒。

 普段はジャンケンで適当に先手後手を決めるのに、四季さんは敢えてそれを選択した。

 いつもの遊びではない、という事なのだろう。

 

「四季さんの先手ですね」

「ああ」

 

 転がされた五枚中、四枚が表だった。

 表が多い場合、振り手が先手を取る事になる。

 四季さんは残った駒を並べると、ゆっくりと息を吐き出した。

 

「じゃあ始めようか」

「はい。よろしくお願いします」

 

 昨日の様子が嘘のようだった。

 指し始めた四季さんは盤面を油断なく睨み、何とも言えない気迫があった。

 しん、とした部室に着手の音だけが響く。

 久しく感じたことのない緊張感があった。

 こういう緊張感は、霧香と指している時には微塵も感じたことがなかった。

 対等な相手だからこそ味わえる特別な空気。

 

 肺腑の中の空気をゆっくりと吐き出し、意識を集中させていく。

 このために将棋部を創設したのだと、初心を思い出した。

 誰かと競い合って、互いの知力を振り絞る。

 そういう事が、多分したかったのだと思う。

 ずっと忘れていた。

 なんとなく将棋を指す毎日に埋没していた。

 だから、この一瞬を提供してくれた四季さんには感謝しないといけない。

 

「……むぅ……」

 

 四季さんの口から、小さな呻き声が漏れた。

 将棋は基本的に先手が有利と言われている。

 しかし、まだ押し切られていない。四季さんは攻めあぐねているようだった。

 

 ゆっくりと視線をあげ、四季さんの表情を見る。

 思考の海に沈む四季さんは、俺の視線に気づかない。

 いつもより真剣な表情が気になった。

 四季さんは勝てば何を命令する気なのだろう。

 購買で昼食をおごって欲しいとか、宴会芸のような何かをさせるとか。

 そういうありきたりな事ではないように思えた。

 まだ一ヶ月ほどしか一緒に過ごしていないが、人に何かを命令したがる人ではないはず。

 勝った時は恐らく、お願いのような形で望みを言うのだろう。

 そこまで考えた時、ふいに四季さんが顔をあげた。

 

 視線が合う。

 

 吸い込まれるような大きくて黒い瞳。

 時間が止まったような気がした。

 目を逸らす暇もなく、互いの視線が正面から絡み合ったまま停止する。

 四季さんは何も言わず、俺のことを見ていた。

 何か言おうとするも言葉が出てこない。

 沈黙が場を支配していた。

 反射的に盤面に視線を落とす。

 同時に四季さんの右手が動き、着手する音が響いた。

 

「待たせて悪かったね。竜也くんの番だ」

「え? あ……はい」

 

 頭の中が真っ白になっていた。

 考えていた読み筋がどこかに飛んで、思考がまとまらない。

 小さく息をつき、盤面から視線をあげる。

 四季さんはまだ俺のことを見ていた。

 視線が一瞬重なって、そのまま絡み合う前に視線を盤面に戻す。

 春の涼しい時期なのに、手に汗が滲んでいた。

 心臓の鼓動が早くなっているのが自分でもわかった。

 

「今日はよく目が合うね」

 

 四季さんが小さく笑いながら言う。

 

「そう、ですね」

 

 考えがまとまりそうになく、直感に従って着手する。

 四季さんはそれを確認すると、一拍置いてからすぐに次の手を指した。

 焦りが生まれるのを自覚しながらも、それを抑える術が俺にはなかった。

 

 部室に駒を指す音だけが響く。

 対局中、ずっと四季さんが俺を見ているのが分かった。

 恐らく、意識してのものではないのだろう。

 時折こっちから視線を向けると、四季さんは不思議そうに首を傾げた。

 それが余計に思考を狂わせた。

 いつもより真剣な四季さんと、いつもより思考が乱れた俺。

 結果は目に見えていた。

 

「……ありません」

 

 投了を告げる。

 中盤からは終始劣勢だった。

 ずっと主導権を握っていた四季さんは満足そうに一度頷くと、背伸びしながら大きく息を吐いた。

 

「今日は調子が悪いんじゃないのか?」

「……完敗です」

 

 弁解の言葉も思いつかない。

 

「それに敬語はナシだと言っただろう、部長」

「……もしかして、それが命令ですか?」

 

 盤面の駒を片付けながら問いかける。

 四季さんなら、そういう命令もありそうだった。

 しかし、四季さんは首を横に振った。

 

「いや……命令というかお願いになるんだが……」

 

 珍しく歯切れが悪い。

 口に出すことを躊躇するように、四季さんの目が左右に泳ぐ。

 

「……明後日の日曜日に、飛山さんと遊ぶんだろう?」

「はい。その予定です」

「……じゃあ土曜日は予定がないのか?」

「何もないです」

 

 じゃあ、と四季さんの声が大きくなる。

 

「ど、土曜日にどこか遊びにいかないか?」

「遊びに、ですか?」

 

 意外な申し出だった。

 きっと女子一人では行きづらい所なのだろう。

 

「どこか行きたいところがあるんですか?」

「い、いや、そういうわけではないんだが……竜也くんはどこか行きたい所はないのか?」

「えっと……ごめんなさい。すぐには思いつかないです」

「そ、そうか……いや、場所はどうでもいいんだ。土曜日は私と遊びに出かけて欲しい」

 

 想像していた中では、ずっとソフトな命令だった。

 

「それくらいなら大丈夫です。命令はそれだけで良いんですか?」

「ああ……命令と言っても嫌なら別にいいんだ。無理して付き合わなくても……」

「大丈夫ですよ。嫌なんかじゃありません」

 

 それで、と言葉を続ける。

 

「場所はどうしましょうか。明日出かけるなら今日中に決めておきたいです」

「そ、そうだな……ちょっと待ってくれ」

 

 先輩がスマホを取り出し、調べ物を始める。

 

「……雨の予報になっているな……」

「屋内だとカラオケとかボウリングでしょうか?」

 

 問いかけると、先輩は少しだけ黙り込んだ。

 それから、意を決したように俺の方へ視線を向けた。

 

「いや……どうせなら私の家にしよう」

 

 対局中に感じた、どこか粘り気のある視線だった。 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。