朝、いつものルーティンをこなした清雅がトーストにマーガリンを塗っていると、彼の母が牛乳を冷蔵庫から取り出しながら言った。
「清雅、制服、どうする?」
「うーん」
それをカップに注ぎながら、清雅は首をひねった。
その問題は、性別が変わってから最も身近なものであった。
精神が男であるのだから男子の制服を着るべきか、体が女であるのだから女子の制服を着るべきか。
もちろん、清雅自身が自ら進んで女子の制服を着るというはずがない、だが、後々を考えれば今のうちに女子の服に慣れていたほうが世間の目を気にせずに済むのは間違いない。
いっそのこと、学校が決めてくれればよかったのに、と清雅と母親は思っていた。だが、学校側はどちらかを強制するということはなかった、無理もないことだ、あまりにも突然の前例のない出来事に完璧に対応できるはずもない。
「姉ちゃんのがあるんでしょ?」
奇しくも、清雅の姉も丁洲高校の出身であった。体格は清雅よりも一回り小さいが、それでもなんとかお古の制服を着ることは出来るだろう。
「あるわよ。お姉ちゃんも全然大丈夫って言ってるし」
清雅の状況を、姉はすでに知っていた。そして、今は下着を借りている。
「うーん」と、やはり清雅は考える。
そしてパンを一口かじって牛乳で流し込んでから続けた。
「もうちょっと、考えてみる」
返答を先延ばしにする答えだったが、母はそれを咎めなかった。
地元駅ホーム階段下。『魔法使いが住んでた所』に彼らはやはり集合した。
「おはようさん」
そう言った清雅は、やはり学生カバンを胸に抱えている。それだけでも随分と珍しい光景ではあるのだが、やはり男子高校生には過ぎたものである体型を晒していたほうが周りからの視線が多かった。
それぞれが挨拶を交わした後、少ししてから「あのさ」と、清雅が二人に問うように言った。
「俺、女子の制服着るべきなのかなあ」
二人は、その問いにすぐに答えることは出来なかった。
その問いの意味はわかる。今彼が男子の制服を着ることによって世間から浴びている視線は、女子の制服を着れば完全に無くなると言っていいだろう。理屈で考えてしまえば、女子であるのに男子の制服を着ていることのほうが異常であるのだ。
だが、清雅にとってそれが難しい選択であることを、彼らは理解していた。たしかに体は女かもしれないが、精神は男である。理屈で正しいからとそれを簡単に受け入れることが出来るほど、人間というものは合理的には出来ていない。
「私は」と、その沈黙を最初に破ったのは伊武の方であった。
「女子の制服を着たほうが良いと思う」
清雅はその言葉になんとも言えない表情をしてかばんを抱える力を強くしたが、彼女はそれを知りつつも続ける。
「私は、セイちゃんがおどおどしたり周りからジロジロ見られるくらいなら、女の子の服を着てほしい」
女になってからの清雅をよく見た意見であった。胸を隠そうとカバンを抱えても、やはり残る違和感から、清雅は訳を知らぬ人間から注目されている。それは電車の中でも、学校の中でもだ。
幼馴染であり、普通以上の感情を持つ清雅がそのような状況にあることは、彼女にとっては心苦しかった。
「僕も、伊武さんと同じ意見だ」
山上もそれに同調した。
「もちろんセイちゃんの気持ちが一番だけどさ、僕もセイちゃんがジロジロ見られるのは嫌だな……服を変えても、少なくとも僕たちとの関係は変わらないよ、それは絶対」
力強く、心強い言葉であった。思わずそれを聞いた清雅が少し顔を赤くしてしまうほどの。
「そこまで深刻な話じゃないんだが」と、思わず清雅は言ってしまった。もちろんそこには、それなりの照れ隠しもあっただろうが。
電車の到着を知らせる音楽が鳴った。それ以降学校につくまで、彼らはその話題を忘れてしまったかのように蒸し返さなかった。
「あのさ」
運動部である伊武と山上を待ってその帰り道、今度は伊武が切り出した。
「もし良かったら、バスケ部の練習に付き合ってくれない?」
唐突な提案であった。思わず山上と清雅が同時に首をひねる。
「いや、その、別に入ってくれってわけじゃないの」
彼女は手を振ってから続ける。
「ただ、うちの女バスって人数少ないから紅白戦もままならないし、セイちゃんは女子の中ではおっきい方だから、その練習にもなるかなって」
「バスケかあ」と、清雅は呟いた。
「女子の中にまじるのはなあ」
やはり、まだそれには抵抗があった。
だが、山上が伊武の提案を後押しする。
「いいじゃん、別に他校と試合するわけじゃないし、練習相手になってあげなよ。そのほうが僕たちと一緒に帰る日も増えるし」
他意はなさそうな言葉だった、山上のことだからきっと本心からそう思っているのだろうと清雅は思う。
そして、考えてみれば悪い話ではないのかもしれなかった。
「それ、女バスの連中にはもう通ってるのか?」
「うん、一応話してる。みんな喜んでくれると思うよ」
話が早いんだな、と清雅は思った。
だが、それが悪いことだとは思わない。伊武も伊武なりに自分を気遣っているだろうということは、彼にだって分かる。
「気が向いたらな」と、清雅は答えた。