スラリと背の高いその少女は、目深にかぶったキャップを更に手で抑えて小さくなろうと努力しながら街中の隅を歩いていた。
せめて目立たぬようにと思っているのだろうが、その行動がより人目を引きつけていることに彼女は気づいていないだろう。背が高く帽子を目深に被り、それを押さえる手の隙間から見える肌は白い。訝しさを感じるなという方が無理な話だ。
彼女を先導するのは彼女に比べれば背の低い美人であった。目鼻立ちがはっきりし、少し茶色がかった長髪は、彼女を先導するためにほとんど小走りのようになっている動きに揺れる。
更にその後から一人の女性がついてくる。一人は若い、もうひとりは中年、年代的に彼女らの母親だと考えるのが自然だろう。
彼女らは繁華街の表通りから消え、狭い路地に入って行った。それを目で追う男が何人かいたが、彼女らはそれを求めていなかっただろう。
「あらあ、清美ちゃんいらっしゃあい」
清雅達を出迎えたのは、スキンヘッドで細身の男だった。
清雅達の住む街から最も近い繁華街。そこから少しそれたところに、姉の清美が行きつけであるというヘアサロンはあった。
それに向かうのにどんどんと狭くなっていく路地の広さに引き連れられた清雅、母親、伊武は若干の不安を覚えていたが、落ち着いていながらもところどころに主張のある内装にホッと一安心していた。
一安心していたところにこの店主である。
「どうもお、あたくし、清美ちゃんの髪を担当させてもらってるジャスミンでえす」
想像以上に深々と頭を下げたジャスミンに、母親は「いえいえコチラこそ、いつも娘がお世話になっております」と、それに圧倒されること無く同じくらい深く頭を下げた。
「まあ、お母さんも清美ちゃんと同じで美人ねえ。いつでもいらしてくださいね、家族サービスしちゃう」
「あら、それはいいことを聞きましたね。今度利用させていただこうかしら」
「何なら今から予約入れちゃいましょうよお、あたしこう見えても結構スケジュールパンパンだからあ……二週間後ならちょっと空いてますよお」
あらあらうふふとその話が長くなりそうになったのを察知したのだろう、清美は少し強めの声でそれを遮った。
「本当に感謝してよね、ジャスミンさん本当は今日はオフだったのに無理言って店開けてもらったんだから」
「あら、そうなんですか。本当にうちの子達がすみません」
真っ先にその言葉に反応して頭を下げた母親につられて、清雅と伊武も頭を下げる。
「いいのよ気にしないでえ、元々用事は午後からだしい、ちゃんとお金だって貰うわけだしね。つまみが一品増えると思えばいい仕事よ……それに、困った時はお互い様、人助けが出来るならあたしなんだってするわ」
「ジャスミンさんにはもう清雅のことは伝えてあるから」
清雅は一瞬それに複雑そうな表情をしたが、姉はすぐに続ける。
「大丈夫安心して、この人、いい人だし口は堅い」
「そうよお、お客様の秘密は第一、これこの業界の常識」
ジャスミンはハサミをシャキシャキと鳴らしてから続ける。
「それじゃあ、お姫様のお顔を拝見しようかしらあ」
「清雅」
お姫様、と称されたことには特に引っかからなかった、というより、ジャスミンのキャラクターならばそのくらいは言いそうだと思う。
清雅はキャップを脱ぎ、顔を上げた。
ジャスミンは目を見開いて声を高める。
「あらあ! ちょっと良いじゃない! 流石お母様と清美ちゃんの遺伝子継いでるだけのことはあるわあ。ほんと、いいわあ」
「パーツパーツはいいと思うんですけど、やっぱ髪型が男だからなんとも言えないんですよねえ」
「そうね、たしかに髪型がボーイッシュすぎるわね……仕方のないことだけど」
「あまり複雑なものじゃなくて、ある程度手入れが簡単な方がいいと思うんですよね」
「そうね、これからは髪を伸ばしていくでしょうから、それも考えて整えていきましょう」
「ところで」と、ジャスミンは伊武の方を見て言う。
「貴女もカット希望なのかしら?」
「あ、いえ、私は、その」
「この子は伊武、私達の幼馴染で、今日は清雅の服を選んでもらおうと」
突然の注目に慌てふためく伊武に、清美がフォローを入れた。
「ふうん、やたらレベルの高い地区ねえ」
しばし真顔でシャキシャキとハサミを動かしてから、ジャスミンはニッコリと笑った。
「イブちゃんもいつでもいらっしゃい。お友達サービスしてあげる。何なら今日でもいいわよ」
「いえ! 今日は、セイちゃんの服を選ばないといけないので……」
やけに強くそれを否定した彼女に、ジャスミンはうふふと声を漏らす。
「あらあ、いいわねえ。あたしまで照れちゃいそう」
「あんまりいじめないであげてくださいよ」
「うふふそうね、それじゃあ、また一時間後に集合ということにしましょうよ、それだけあればヘアカットもお話も十分できるわ」
「そうしますか、じゃあ清雅、私達はあんたが着る服選んでるから、くれぐれも失礼のないようにね」
ポンポンと肩を叩かれた清雅は、姉をひと目見てそれに答える。
「スカートはやめてよ」
「あんた何言ってんの。あんた無駄に足長くて背が高いんだからスカートのほうがいいでしょ」
「勘弁してよ……」
「んんう、あたしもスカートは辞めておいたほうがいいと思うなあ」
ジャスミンのその言葉に、清雅は思わず驚いて彼の方を見た。これまでの流れからして、彼は自分の敵だと思っていたのだ。
その視線に気づいたのか気づかないのかはわからないが、彼は続ける。
「不自然な髪型を整えるのは仕方ないけどお、いきなりスカートはやりすぎよ。それでこの子が服を着ること自体が嫌になったら元も子もないわ。今は女の子でもボーイッシュな格好できるんだから、そっちに合わせるべきよ、フェミニンは可愛いけど、強制するものじゃないわ」
清美はそれに一瞬だけ怪訝な表情を見せたが「まあ……ジャスミンさんがそういうなら」と、一応はそれに納得したようだった。
「はあ、うらやましいわあ」
器用にハサミを動かしながら、ジャスミンはため息を付いた。
「女になる前からこんなにサラサラの髪だったのかしら?」
「さあ……意識したことがないから」
借りてきた猫のようにじっと椅子に座る清雅は、首をひねることも出来ないのでそう答えた。
しばらく会話がなかったが、やはりジャスミンが口を開く。
「でも、本当に羨ましい……あんなにいいお姉さんがいるなんて」
「姉ちゃんがですか?」
思わず振り返りそうになり、ジャスミンのやたら力強い右腕にそれを阻害されながら清雅が言った。
「そうよお、あんなに家族思いのお姉ちゃん見たことがない」
ジャスミンは更に続ける。
「貴女のこと、本当に心配してたのよ」
「……でも、俺は女のカッコをしたいわけじゃない」
「仕方ないわよ、これから貴女が『男のような女』として生きるとしても『女』として生きるとしても、貴女のことを知らない人にとって、貴女は女なんだから……一々なんでもない奴らにジロジロ見られるのって、気分が良くないでしょ?」
清雅はそれに「そりゃあ、そうですけど」と同意した。男の制服を着ていた自分を不思議なものを見る目で見てきた人々の視線は、あまりいい気持ちのものではなかった。
「家族に一番似合うものを選んであげようとするのって素敵なことじゃない……髪をあたしに任せたのも正解ね」
清雅はそれには何も返さなかった
考えが頭の中を巡っている。
だいぶ慣れてきたと思っていたが、まだ自分はこの状況について客観的な判断はできていないようだった。
「どおかしら!?」
ぴったり一時間後、再び店を訪れた一同は、髪を整えられた清雅を見て驚きと喜びの声を上げた。
「あら! ちょっといいじゃない」
「セイちゃん可愛い」
「やっぱジャスミンさんに任せて正解だったわ」
それほど切ったわけじゃないのにな、と、清雅は彼女らの反応を見て思っていた。
たしかに、床に落ちた髪の毛の量で測れば大したことないだろう。だがそれでもジャスミンの技術は、野暮ったい男の髪型であったそれを、スポーティかつ女性的なベリーショートに変貌させていた。それがわからないのは、清雅が髪型というものに興味がないからだ。
「一応手入れが難しくないようにしたわ、でも、一ヶ月後にはまた来てほしいわね」
「了解です。また私が来た時に予約取ります」
「よろしく」
「まあ、本当に良くしてもらって……私も予約取ろうかしら」
「あらあ、お母さん見る目あるわあ。じゃあちょっと予定確認しますねえ」
そう言って二人で話し始めたジャスミンと母を横目に見ながら、清雅はぽうっと自分を眺める伊武に問うた。
「これそんなにいいの?」
「うん、すごく可愛い……ちょっと悔しいもん」
悔しさの理由はわからないが、伊武がそう言うならそうなんだろうと清雅はなんとなく納得した。
そして、隣でやはりしげしげと自分を眺める姉に言った。
「姉ちゃん、その、ありがとう」
随分と照れの入った礼に、姉は笑いながら答える。
「いいってことよ……可愛い弟が可愛い妹になっただけなんだから……これから何かあったら遠慮なく言いな」
力強いその言葉に、やはり清雅は照れながら「うん」と答えた。