丁洲高校。
昼休みも終盤に差し掛かり、生徒たちは次の授業の準備を初めていた。
昼休みと言っても、彼らが本当の意味で休めるほどの時間はない、例え二時間目の途中に昼食を済ませていたとしても、その一時間にも満たない休憩では、午後の授業で提出を求められる宿題をうつすだけで精一杯だ。
そういう意味では、その日の清雅達のクラスは平和であった。午後に課題の提出を求められる授業はなかったし、何より五時間目は体育の時間だった。着替えの時間さえ確保できていればいい。
だが、だからこそ、そのような話が巻き起こった。
「カワリュー」
ジャージ入れを持って教室を後にしようとした清雅に、巻坂が声をかけた。
「なんだよ」と、彼はちらりと時計をみやってから答える。まだ時間は十分にあった。
この体になって初めての体育だった。着替えの時間は多く取りたい。
「あんた、着替えはどうするつもりなん?」
巻坂のその言葉に、教室全体が少し緊張感を帯びた気がした。特に女子は、そのほとんど全員が清雅に視線を向けている。
「いや、トイレで着替えるつもりだけど」
「一人で?」
「そりゃ、そうだろ」
男たちは、別にそれを不思議だとも不平等だとも思わなかった。そりゃそうだ、当然だ。スケベな下心がほんの僅かな可能性を信じていないわけではないが、そんな希望は例えば「あー、突然携帯電話に催眠アプリがダウンロードされないかなあ」程度の現実味のないものであった。
それに、申し本当にその希望通りになったとしても、彼らはそれを拒否しただろう。例えば催眠アプリが突然手に入ったとしても、それを悪用するだけの勇気と無秩序さと不遠慮さは彼らにはないからだ。
巻坂は一旦振り返ってクラスメイトの女子達を見た。彼女らは巻坂に視線を返したが、誰もそれに首を振りはしなかった。
「私ら、昨日話し合ったんだ」
清雅と目を合わせながら続ける。
「あんた、ウチらと着替えていいよ」
その言葉に、教室は大きくざわめいた。主に男子が。
女子達はまだあまり騒いではいなかった、おそらく、いま男子が思っていることの殆どを彼女らはすでに昨日の時点で考え、そして、それを良しとしているからこのような決断をしたのだろう。
事実、今このクラスにそれを不満に思っている『元から女子』は誰一人としていなかった。もちろん、最初はそれを不安に思うものもいただろうが『ある理由』から、それは解消されていたのだ。
男子からすれば夢のような話であった。ある意味で、それはほんとうの意味で夢にまで見た状況であったかもしれない。
だが、清雅はそれに首を振った。
「いや、いいよ」
「は?」と、その困惑の声は男子から上がった。
片や女子はそれも織り込み済みのようであった。むしろ、清雅が生臭い笑顔とともに「へへ、それならお言葉に甘えて」と言ったほうがむしろ困惑していただろう。
「おいおいおいおい、カワリュー、何言ってんだお前」
「まてまてまてまて、それよりも巻坂どうした。おかしいぞオイ」
確かに、混乱呪文がかかったかのような状況だった。
だが、巻坂は続ける。
「なんで嫌?」
「そりゃあさ、駄目だろ、俺が女子更衣室に行くのは」
うんうん、と、男たちはそれに頷く。男からすれば、それは当然の摂理であった。
だが、巻坂はそれに返し刃を用意している。
「あんたさ、自分の裸だってもう見ただろ?」
その言葉に、男子たちは一斉に沈黙した。
全くの盲点だった。
確かに考えてみればそうだ。もはや今になれば、清雅にとって女の肌というものは、これと言って特別なものではない。
それを突かれてしまったら、清雅は頷かざるを得ない。
「……見たけど」
とどめを刺すように巻坂が続ける。
「乳だって揉んだろ?」
「……一応」
赤裸々な告白だったが、クラスメイトはそれに特に驚きはしない。
そりゃそうだろうな、という、ある意味当たり前の感覚があった。
「それなら、別に私らも恥ずかしがらない。男だったカワリューが女であることに慣れようとしているんだ。私らだって協力するさ。たとえお節介でもね」
強制するようであったが、それは巻坂等クラスメイトの女子達の優しさであった。
清雅の気持ちすべてを理解することが出来るわけではないが、それでも、精神的には異性の制服を着ることに抵抗がないはずがない。
それならば、自分達クラスメイトも、女である清雅を受け入れようとしていたのだ。
彼が肉体に迎合する限り、女子との集団生活は避けることが出来ない。むしろ今のうちに、女の肌というものに抵抗を付けなければならないはずだった。
清雅も、なんとなくではあるが巻坂のその提案が悪意ではないことになんとなく感づいてた。
だが、それでも彼は首を振る。
「いや、やめとくよ」
その時、クラスメイトの一人が全く純粋な気持ちで疑問の声を上げた。
「断る理由なくね?」
確かに、と、男たちは頷いた。精神が男であるならば垂涎モノの状況であるはずだった。
清雅はそれに口ごもった。
だが、どうもその理由を説明せねば開放されないような雰囲気を感じ、それを言った。別に本当に嫌ならばそれなりの拒否をすればよかったのだろうが、それほどのことではなかった。
「嫌なんだよ」
一旦うつむいてから続ける。一瞬のうちに、顔は真っ赤になっていた。
「見られるのが、嫌なんだよ」
その言葉に、教室内の雰囲気は真っ二つになった。
女の服で、女の髪型で、顔を真赤にして俯く清雅に、男達は、もしかして自分達は今なにかとんでもない質問をしているのではないかという気分になっていた。
だが、巻坂を中心とする女達は、それぞれが顔を見合わせ、思わずクスクスと笑っていた。
「そうかあ、そうか!」
巻坂は嬉しげに笑いながら清雅に歩み寄ると、その肩をポンポンと叩いた。
そして続ける。
「でもなあ、どっかでやらないといけないことだから今日やっちまおうや! 私らにもこんな頃あったわ~」
女子達はそれに頷いた。すでにかなり遠い記憶ではあるが、清雅のその感覚を知らないわけではない。
「まあ心配すんな! 意外と見られないもんだからさ! 恥ずかしがらずに行こうや!」
そのまま巻坂と数人の女子が、清雅の肩を抱きながら教室を後にする。
やはり真っ赤なまま俯き続けている清雅に、男子の一人が「ええんか?」と言ったが、それの良し悪しなど、男達に分かるはずもなかった。