こんなに読んでいただけると思っていなかったので嬉しいです
その日、清雅は遅くまで学校に残っていた。
ボードゲームに勤しんでいたわけではない。ただ、少しばかり厄介な宿題が出されたものだから、図書室に残ってそれを片付けていた。家に帰って一人でやるよりも、そのほうがより効率的だ、わからないことがあれば誰かに聞けばいいし、暇を持て余せば本でも読めばいい。
いつも馬鹿話をしながら下校する友人たちもすでにいなかった。仕方がないから一人で帰るかと、彼は終わった宿題をまとめながら思った。
「セイちゃん!」
下駄箱で靴を履き替えようとしていた彼に声をかけたのは、幼馴染の伊武だった。
制服を着込んだ彼とは違い、彼女はジャージにエナメルバッグという出で立ちで、如何にも部活終わりといった風だ。
「一緒に帰ろ」
「おう」
帰りは同じ方向だ、同じ駅で降りるし、同じ三丁目に家がある。よほどひどい喧嘩をしていなければ、それを断る理由はないだろう。
尤も、登校と違って下校を共にすることはめっきり少なくなっていた。仕方のないことだ、清雅は週に一度しか活動しないボードゲーム愛好会であったし、彼女は女子バスケットボール部、下校時間は噛み合わない。
それに、お互いに学校での付き合いというものもある、彼には彼の友人がいたし、彼女には彼女の友人があった。
アスファルトで固められた地面に、統一性のない家々が連続し、道を照らす外灯だけは嫌に明るい。
マイホームを買うには丁度いいかもしれないが、決してそこから流行は始まらない、彼らの町というのは『田舎』と言われてイメージされる田園風景とはまた別の『田舎』であった。
徒歩の清雅に、伊武は自転車を押していた。このような田舎町で心痛む事件は聞いたことがなかったが、それでも、日が暮れるまで部活に勤しむ女学生に徒歩は不安だというのが親心だ。
だが、彼女にとって清雅は当然警戒すべき男ではなかったし、もう少し歩幅を合わせて歩きたい人間であった。
「セイちゃんはさ」
『丁洲』駅から駅三つ。あまり人の降りないその駅からの帰路を歩きながら、不意に伊武が言った。
「もうバスケやらないの?」
その質問は、彼女が清雅の幼馴染であるからこその質問であった。
彼女は、中学校で熱心にバスケットに勤しんでいた彼を知っている。それに、彼らのチームは地区でも強かったほうで、県大会でも上位に進出したのだ。そのチームのレギュラーメンバーであった彼が高校でそれを続けていないのは、彼女からすれば不思議であった。
尤も、その質問はこのときが最初では無かった。その疑問は一年目に彼がバスケットボール部に現れなかったときからずっと思っていたことだし、そのような問いかけもやんわりとだが何度もしてきた。ただ、そのたびに清雅がはっきりとした解答をしなかっただけ。
だが、この話題についてこれほどにまで直接的に問うたのは初めてのことだった。
「やらないかな」と、彼は答える。
「なんで? セイちゃんうまかったじゃん」
「そうでもねーよ。別にチームで一番上手かったわけじゃねえし、推薦の話だって無かったしな」
彼のチームからは、数人がスポーツ強豪から推薦選手として誘われていた。
「それに」と、言って続ける。
「もう相手を見上げてばかりになるのは疲れたんだよ」
それは技術ではどうにもならないことであった。
百七十センチと少しである彼は、極端に背の低い方ではない。だが、バスケットというスポーツでもそうかと言われれば決してそうではない。彼らのチームが強豪になればなるほど、彼は相手を見上げることが多くなっていった。
「そっか」と、伊武は少し俯きながらそれに返した。
推薦で選ばれた二人も、清雅よりも身長が高かった事を思いだす。どうしようもないことなのだ、そればかりは。
「別にそれで凹んだりしてるわけじゃねえよ」
彼は手を振りながら続ける。
「バスケが嫌いになったわけでもねえし、ただ、気分にならなかったってだけで」
「それなら良いけどさあ。私としては、セイちゃんがバスケやってるところもう少し見たかったかなあ」
そんな事を話しながら、彼らはもう少し歩いた。
小さな神社を、彼らは左に曲がった。
清雅の家とは反対方向だ、だが、彼にも女を一人で歩かせるのはマズイという常識はあった。
「今度の日曜さ」と、伊武が切り出す。
「一緒に映画見に行かない?」
唐突な提案であったし、清雅はそれが意外でもあった。伊武は映画館に足繁く通うというタイプではなかったから。
「映画?」
「うん、見たいのがあるんだけど、一人で行くのはちょっと寂しくて」
「へえ」
相槌の後に彼女が言ったその映画のタイトルに、彼はピンとこなかった。知らない映画だ、尤も、彼も映画館に足繁く通うタイプではないのでわからないで当然なのだが。
清雅はその言葉について深く考えはしなかった。
例えばバスケ部の連中といかないのはなんで? とか、そういう疑問点をあげようとすれば出来る質問であった。
だが、彼はそこまで考えなかった。そうしてまで彼女を警戒する理由が、彼には何一つ存在はしていなかったから。
「いいよ」と、彼は答えた。
「ほんと! やった!」
小さく叫んで喜ぶ彼女を彼は不思議に思った。断られると思っていたのだろうか、そんなことはないのに。
「それじゃあ、また連絡するね!」
ちょうどついた彼女の家の前で、彼らは解散した。