かりんちゃんと僕   作:モキュキュ

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第一話

 大学生活とはもっと楽しいものだと思っていた。それが実際のところはどうだろう。

 よもやアパートと大学、バイト先のスーパーの三ヶ所をただぐるぐると行き来するだけの日々になろうとは。

 

 講義の終了を告げるチャイムが鳴った。

 教室内はにわかに騒がしくなり、めいめいが仲のいい者同士で集まって、楽しげに談笑をしつつ教室を後にしていく。

 僕が教室を出るのは決まって一番最後だ。僕の周りには誰もいない。

 遠くから喧騒が聞こえる。けれど辺りはシーンと静かで、まるで僕の周りだけが世界と隔絶されているのではないかと思えてくる。

 大学に来て、勉強して、帰る。その間、誰かとお喋りをしたり、笑いあったりすることはない。

 こんな日常がもう二ヶ月ほど続いている。

 別に今の生活が寂しいとは思わない。子どもの時からずっとそうだったのだから。

 ふと何気なく窓の外へ目を投げる。中庭のベンチでカップルがイチャイチャしている。

 別に彼らを羨ましいとは思わない。――いや、思いたくないのだ。

 本当にこのままでいいのか?

 子どもの頃から何度も繰り返した自問。その答えが出せないまま、ずるずるとここまできてしまった。

 

 思い返せば、小学生の頃から友達を作ることが苦手だった。それはもう、通信簿に『もっと人と関わるようにしましょう』などと先生に書かれるほどには。

 そんな自分が地元を離れ、わざわざ神浜市内の大学へ進学したのは、こんな自分を変えたいからだった。

 まったく知らない人だらけのまったく知らない場所でなら、自分を変えることができるかもしれない。そう考えたのだ。

 けれど、それは甘い考えだった。人間はそんな簡単に変われるものじゃない。

 僕だって本当は友達がほしいし彼女だってほしい。けれど、そのために行動するだけの勇気が僕にはないのだ。

 自分とはなんてダメな人間なのだろう。気持ちが鬱々としてくる。

 校舎を出ると、外はすでに薄暗い。スマホで時間を見ると18時を過ぎている。そろそろバイト先に向かわなければならない時間だ。

 

 バイト先のスーパーは神浜市内の栄区と呼ばれる地区にある、大手スーパーのチェーン店だ。

 業務内容は青果の品出し。時間は19時~22時までの仕事となる。

 勤務時間中はただ黙々と仕事をこなす。

 もちろん、ここにだって仲がいい人と呼んで差し支えないような存在はいない。会話なんて、時折パートのおばちゃんや担当チーフと事務的なやり取りをするくらいのものだ。

 業務を終え、着替えて店を出る。その際に他のバイトの人に挨拶をしてみるが結果はスルー。自分には挨拶をする価値もないのかと気分が滅入る。

 

 ――とっとと帰って、ご飯食べて寝よう。

 

 店の外へ出た途端、刺すような空気がまとわりついてくる。もうすぐ6月だというのに、夜の空気はやけに冷たい。

 日中暖かくなってきたことで薄手のものしか着ていなかったことを後悔する。肌寒いを通り越してかなり寒い。

 休憩時間中に確保した半額弁当の入ったビニール袋を手に提げて、アパートまでの徒歩10分ほどの距離を歩き出す。

 ……ポツリ。

 少し歩いたところで頬が濡れた。見上げれば、ポツポツと雨粒が落ちてきている。

 天気予報では雨が降るとは言っていなかったと記憶している。天気予報を信用している僕は、傘など持ってきていない。

 

「最悪……」

 

 次第に雨足が強まる中を走り抜ける。

 手にぶら下がった弁当入りビニール袋が飛び跳ねる。

 アパートに帰り着くまでに弁当容器の中身がどんな惨状になってしまうかを思うと気が重いが、10分近くも雨に打たれて風邪を引くようなことになるよりはマシだ。

 とにかく早く家に帰りつきたい。眠って嫌なことを忘れたい。

 そんな感情に心が占められる。

 車一台分程度の幅の道が交差する、小さな交差点に差しかかる。ここは滅多に車の通らない通りだ。

 ふと、幼い頃に親から「道路に飛び出したら危険だよ」などと言われたことを思い出す。思い出したはずなのに、僕は道路へ飛び出していた。

 

 右側から強烈な光の刺激を感じる。

 反射的にそちらを向くと、真っ暗な視界に二つの白い丸だけが浮かんでいた。そして、「雨音で気付かなかった」なんて言い訳など通りそうもないようなエンジンのうなり声が猛然と迫ってくる。

 足が止まる。

 白い丸が視界を塗りつぶしていく。

 ようやく、自分が自動車の前に飛び出したことを理解する。

 死ぬときって案外あっけないものだな、なんて達観めいた思考が脳裏をよぎる。

 瞼に力がこもり、視界に暗幕が下ろされる。

 

 エンジン音がドップラー効果を及ぼしつつ遠ざかっていく。

 痛みはない。

 恐る恐る目を開けると、目線の先に一軒家の屋根があった。視界が鮮明になると同時に、体を包んでいる浮遊感に気が付く。加えて、左手に感じる、柔らかさと温もり。

 誰かが僕の左手を掴んでいる。

 左手をたどっていった視線の先に、とても奇妙な光景が映った。それは、とんがり帽子をかぶりマントをはためかせた――女の子?

 間違いない。女の子が、僕の手を引っ張って空を飛んでいる。

 とんがり帽子の下からわずかに覗いた幼さの残った横顔。女の子は今にも泣き出しそうな表情で、けれど、何かをやり遂げようとする意思の光が目に宿っていた。

 女の子と目があった。僕はその紫色の瞳に釘付けになる。

 どれだけ見つめていただろうか。突然、眼前が真っ黒になり、体中に鋭い痛みが走った。

 

「いっ!」

 

 思わず声が出た。

 体中がジンジンと痺れるように痛む。

 腕に力を入れて体を起こすと、僕はどうやらアスファルトの上に這いつくばっているようだった。アスファルトを叩く雨音が耳に響く。

 

 ━━そうだ、あの女の子は?

 

 パッと顔を上げると、女の子は心配そうな顔でこちらを覗きこんでいた。前髪の先から水滴がポタリと落ちる。

 それにしても――。

 女の子の姿は先ほど見たものとはまるで違っていた。

 とんがり帽子も被ってなければマントも着けていない。サロペット姿のあどけない少女だ。見たところ、小学生高学年くらいだろうか。

 ぼんやりと考えていると、少女が口を開いた

 

「飛び出すのはとってもとっても危ないの!」

 

 それだけ言うと、少女はきびすを返す。

 僕はポカンと口を開けたまま、小さくなっていく背中を見送った。


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