玄関でこの館の主に出迎えられたパルスィは、すでに疲れ、凍えていた。幸い、館のなかは暖かいようだ。暖気が、館の中からふわふわと出てくる。
*水橋パルスィ視点
ああ。外、寒かったわ。
「どのくらい寒かったのですか?」
話してもいないのに相手は話をしてくる。パルスィにはやはり慣れないものだった。
…慣れないわね。これ。
「すみませんね。…心を読めても、長話をしたい妖怪は身内以外にほとんどいなくてですね。あまり話の間合いを上手くとれないのですよ。」
「立ち話もなんですし…こちらへどうぞ。あ、靴は脱がなくて結構ですよ。」
玄関と言うには広い空間は、パルスィの家の常識を覆すには十分だった。
靴、脱がなくていいのかしら?
「構いませんよ。靴を脱がなくてもいいなんて、私も最初は驚きましたし。」
「…お体は大丈夫ですか?」
…なんとかね。お燐、強すぎるわ。妬ましいのよ、あの強さ。
「ふふ、お燐は、頑張りやさんですから。」
ぺたぺたと足音を立てるさとりの横を歩くパルスィ。
辺りを見渡すと周りには猫、犬、鳥。それも見たことない大きさの動物もいる。よく手入れされているようだ。いいにおいもする。
ふん、素敵な動物ね。妬ましい。
「そうでしょう?貴方もそう思うの?みんなとってもいいこなのよ。あの子とか―」
どうにもさとりの話したいことだったのか。ゆったりした丁寧な口調から急に早口になった。聞き取れない。
あの猫?大きいわね。
「あ、あの子は猫ではなくなってきているの。成長したのよ。昔はここら辺の群れの一番強いこだったの。この前とか―
毛並みがふさふさして綺麗な、二人の話す猫?は、悠々自適に欠伸をし、惰眠に入るようだ。
―なんて、凄いのよ。貴方もそう思うよね?」
猫?を眺めている内に、話はとんでいた。どうやら同意を求められているようだ。何も聞き取れなかったので、パルスィにはどうしようもない。
…ごめんなさい。聞き取れなかったわ。
「あっ!ごめんなさい。…そうですね。早口で話しすぎましたね。」
赤い顔を袖で隠すさとり。大きな猫?から目を離し、辺りをもう一度見渡す。歩いてくる動物は、全て毛がさらさらしていた。ふとパルスィは失礼な事を思い付いてしまう。
…この館で一番もさもさしてるのはさとりね。
パルスィはしまった!とは思ったが、手遅れだった。さとり妖怪には考えただけで伝わってしまう。
一瞬ピクッとしたかと思うと、顔の前から手を動かし、髪に持っていった。若干困り顔でくせ毛を指に巻いている。
「う…。それは恥ずかしい。なぜかわからないのだけど、はねるのよ…。」
さとりは口をすぼめてくせ毛を手でとかしたが、やはりはねた。
「…この話は終わりよ。」
…ええ、悪かったわね。
「…お気になさらず…。」
とても大きな玄関を通り、廊下を歩く。硝子から入る色とりどりの光が二人と二人の空間を飾る。
どこからか飛んできた小鳥がさとりの肩に止まった。
…好かれているのね。妬ましいわ。
それに、貴方どれだけ動物を飼っているのよ。
さっきまでパルスィが見た分だけで、家の前に犬が二十匹前後、狐が十匹くらい、兎が数えきれないほど。家の中の犬も、猫も、小鳥も数えるのが馬鹿馬鹿しくなる程だ。
小鳥の頭を撫でながらさとりは答える。
「それが、私にもわからないのですよ。どこからか増えて…。こいしが連れてきているのかしら。ああ、こちらですよ。」
さとりは、扉を開けて応接間に通してくれた。扉を開けると同時に小鳥はどこかへ行ってしまった。
部屋の中には布張りの腰掛けと、四脚の長机。天井からは、蝋燭が何本も纏まった金属製の照明が吊り下げられている。壁は、白地に金色の菱形が浮きでて見える模様が描かれている。菱形の中にも、蔓のような模様が描かれていた。本棚には、厚めの本が何冊も立てられていた。
「そちらのソファーにおかけください。」
そふぁ?この腰掛けみたいな?
「ええ、それです。座り心地は良いですよ。」
ちゃぶ台の高さくらいの布張りの腰掛けに座ることは、パルスィは初めてだった。何せ、家には椅子も机も無いのだ。当然ソファーも無い。
かつて暮らしていた所には、机と椅子があった気がしたが、最早忘れたも同じような淡い記憶のみだ。
それでも、確かにあった。そう感じた。
ソファーに座ったら、確かに心地よい。疲れた体にはとても効く。
「お疲れでしたね。」
遠すぎるのよ。ここ。
「でも、飛べば早くつくとおもいますが…。」
飛んだら鬼に見つかるじゃない。見つかったら
「ああ、宴会ですね。なるほど。」
よく分かったわね。
「何年ここで迷惑をかけられてきたか…。」
鬼は自由過ぎるのよ。
「そうですね…。」
「疲れてるし、寒かったでしょう。お茶でもいかがです?」
頂くわ。
「少し待っていてくださいね。」
そう言い残しさとりは部屋から出ていった。
部屋は静かになった。
扉に開けられた小窓から猫が部屋に入ってきた。足元を通っていく。パルスィは何も考えずに猫を見やり、猫はパルスィを気にもかけずに通っていった。
…静寂と疲労は彼女を睡眠へと誘う。
パルスィはソファーの上で船を漕ぐ。
しかし今回は、彼女が船を漕ぐことを止め、夢の世界に入る前に、誰かが扉を開けたようだった。
やがて、ことん、という音と共に目の前にお茶が置かれた。置かれた音で意識がはっきりとする。かつてペルシアで見たかも知れない湯飲みの形だ。中には赤いお茶が入っている。
珍しいお茶ね。
「紅茶と言うそうです。」
熱いかもしれないので、一口啜る。丁度よい温度だ。味も、やはりいつも飲むお茶とは違う。
パルスィにはどうしてか、一度飲んだ覚えがある。
…どこかで飲んだ気がするわ。…どこでだったかしら。
「思い出せませんか?」
うーん?どうかしら。昔…?…でも最近飲んだ気がするわ。
「いつかもわからない…。思い出したいですか?」
…それほどでもないわね。
片方のみが話す『会話』は、しっかり成立していた。いつもの会話と違い、普段の話の速さ、間の取り方は通用しないが、誤解は一切起こらない。相手の能力の良さがはっきりと分かる。
これはこれで楽な能力ね。妬ましい。
「ここまで心を読んで、そう考えるかたは貴方くらいですよ。本当に珍しい妖怪。」
一人よりも、二人。話し相手は多い方がよい。それは、パルスィにも、さとりにも言えることだった。
パルスィでさえ、誰もいなければ、ペンペン草を妬むような惨めな暮らしをせねばならない。
羨ましいじゃない。他人の心が読めるなんて。
「…本当にそう思います?私は読めない方が気になりますよ。
こいしと、たまに読めない妖怪はいますけど…。他に読めなかったこと、ありませんから。」
「でも、みんな心を読むと逃げていくのよ。」
そう言ってやや下を向き、考え事を始めた。さとりにはやはり、自分の能力に何か考える所があるのだろうか。しかし、自分の能力について一切考えてこなかったパルスィには理解の出来ないことだった。
だからパルスィには、この言葉で解決するような些細な悩みだ。
誰に嫌われようが、自分の能力は使えばいいのよ。
「そうは思いますよ。…でも、ちょっと私を見ただけで私の事を何も知らない…知ろうともしない妖怪には嫌われたくない。」
そんなこと、私も同じよ。
「なら、」
そんなやつとは、どうせ長続きしないわ。他人は他人。妬めば同じよ。
「…わりきってますね。どうしてそんなにわりきれるのですか?」
どちらかというと、友人に嫌われる方が嫌だと思うわ。
貴方、誰に嫌われたくないのよ。
「…家族。」
でしょう?関係ない妖怪には、言わせておけばいいし、私は勝手に妬むわ。お互い様よ。
私は貴方は変な妖怪だと思うけど、嫌いじゃないわ。
「…。ありがとう。優しいのね。」
どこがかしら。
「ふふ、そういう所です。」
相手は話を二段飛ばしで進めていくので、自分のどこが優しいのかパルスィには分からなかった。雑談をしている内に、本題を忘れそうになると思ったので、本題に入ろうとした。
…それで、そこら辺でやってた喧嘩とかを纏めておいたわ。
「あれ?もう纏めてくれたんですか?貴方、やっぱり優しいのね。でも、自分の体は大切にしてくださいね。」
あ!な!た!のせいでこうなったのよ!貴方のペット、もう少し躾なさいよ。
「えぇー?そんな。受けたのは貴方ですよ。それに、お燐には言い聞かせましたし、不幸な事故だったじゃないですか。お燐は、いつもはそんなことしませんよ。」
反論の余地も無い。
意図的ではないとはいえ、パルスィの能力によって、嫉妬心が大きく振れた訳なので、それ以上追及できることが無い。
…嫉妬心が大きく振れたということは、もとからお燐にはその心があったわけではあるが。それは当人にもわからないことだ。
諦めて話を変える。
ぐ…。
それで、たいした出来事は無かったわ。
「まあ、そうでしょうね。」
「ここ一番の出来事は貴方とお燐の喧嘩ですから。」
何?分かってたのかしら?
「大きな出来事は、派遣したペットが伝えてくれます。…たまに、伝わって来ませんけどね。この月は何も来ませんでしたし。」
…骨折り損のくたびれ儲けじゃない。
「いえいえ、助かってますよ。まさか、こんな小さなものまで…。」
折角纏めた報告書は、どうやら丁寧にやりすぎたもののようだ。
もう少し、サボってもよさそ
「別に構いませんよ?内容は多い方が有り難いですが。」
はぁ。なんというか…。疲れたわ。
これまでの頑張りはやりすぎだと分かり、今までの疲れが一気に体にのしかかるように感じる。そこに予想外の発言がさとりからとんできた。
「なら泊まっていきませんか?」
え?うーん?いいのかしら。
予想外の申し出に驚きはしたが、パルスィは今日はあまりにも疲れたことや、帰り道に鬼に見つかると最悪なことになると思ったので、断るつもりは無かった。
家も遠い。
「構いませんよ。」
ならお言葉に甘えてもいいかしら…そうするわ。
「やっ…、…お部屋を一つ用意しますね。」
パルスィさとりが顔に喜色を浮かばせたように見えたが、後ろを向いてしまい、よく見えなかった。