さとりは泣いてしまった。大切な客人の前で。
彼女とは関係のない、こいしのことで。
さとりは、パルスィのような妖怪を欲した。こいしにも、埋め合わせとは言えないが、パルスィと会ったことで得た余裕を分けようとした。
こいしは本当に幸せだったのだろうか。
それとも幸せそうに振る舞っていただけか。
こいしは幸せそうに温泉から出ていった。それでもこいしが本当に満足したから出ていったとは思えない。
こいしはさとりの手では掬えないのだろうか。考えれば考えるほど、己が空回りしていたことに気がつく。
己の不甲斐なさに、恥じ入れば恥じ入るほど、この悲しみは、自業自得ではないかとさえ思えてしまう。
パルスィはそんなさとりのことをどう思うのだろうか?
情緒不安定なこともわかっている。
見捨てられても仕方がない。
なのに話を聞いてくれる。どうして?
さとりはパルスィにその『目』すら向けられないようだ。
*古明地さとり視点
…こんなの…おかしいじゃないですか。私は、迷惑をかけるつもりなんか、なかったのに…。嫌われても、おかしな妖怪って思われても…仕方がないですよ。
私は背中をさすられているだけ…。
さとりは、パルスィの隣に座ったはいいものの、今さら何を話せるというのか。愚痴を話して嫌われないのか。
話すか逡巡しているうちに、感情で胸が詰まって話すどころではなくなってしまう。それを知ってか知らずか、パルスィは静かに話し出した。
「…まさか妹の心が読めなかっただけで泣くとはね。」
おかしな妖怪ですか?人前で泣いてしまうなんて…あれ?前はいつ泣いたのでしょうか。人前で泣いたことなんて…ないはずなのに。
誤解されたくはありませんが…いつも泣いている訳じゃないですよ?
「こいしの心は読めないって、さとりは前からわかっていたことじゃないのかしら。」
それは…違うんですよ。
そんなこと…前からわかっていました。
…わかっていた気になっていたのかもしれません。
きっと、きっとこいしも幸せだって…。心が読めなくても、分かりあえているって。
全部、私の夢だったのでしょうか。
パルスィの発言にはさとりの考えと相違していた部分もあった。こいし心が読めないことは前から分かっていた。それでもこいしから聞く話や、表情からおおよその考えを読み取って、応対していた。
さとりから見て、こいしは幸せそうだった。満足そうに、たまに家に現れ、また幸せそうにどこかに消えていく。この生活で、こいしは満足している。そう判断した。
パルスィは、さとりが泣いたのはこいしの心を読めなかったからだと思っていたが、さとりからすれば、心を読めないのなら、詳しく聞き出して対応すればいいと思っていた。
さとりは、心を読めないなりに、こいしを幸せに出来ていたと思っていた。しかし、詳しく聞き出して、その上で間違った対応をしていたこと。それによってか、あのこいしが表面に出すほどの不満をため込んでいたことを今さら初めて知ったこと。
軽くではあるが、こいしがさとりから離れようとしたこと。
それが悲しいから泣いてしまった。
しかも、全てはこいしの心を考えた上で誤った対応をした自分のせいだと考えてしまう。
そんなこと、さとりが詳しく客人に話せる訳がない。
「貴方はこいしのために頑張っているのよね?すごいと思うわ。」
「…そうですね。」
頑張って…頑張ってあの結果。こいしはやっぱり幸せじゃなかったのでしょうか。
幸せに出来なきゃ意味なんてないのに。
「読めないから何よ。それでも貴方はこいしのためにいろいろしてあげられているじゃない。」
パルスィの慰めはさとりにはとことん的外れだ。さとりの慰めにはならず、ついさとりは、声を荒げてしまう。
「違うんです!そんなのじゃない!いろいろしてあげてあのざまだったんです!こいしのために、頑張って、…何もしてあげられなかった。」
大声をあげて、両膝の間に顔をうずめる。
ああ…、怒鳴ってしまいました。こんな妖怪なんて嫌われる。
折角出来た優しい知り合いを、こんな…私のせいで。急に泣いて、それを慰めても怒る面倒な妖怪まで見てくれている優しい妖怪。
貴方に嫌われるくらいなら、最初から知り合いにならなければよかった。
「…お願いです。何も言わないで出ていってくれませんか?帰りもペットに案内させますから。」
もう私なんて構わないで。貴方ももうこんな妖怪嫌になったでしょう?
私は、私を嫌わなかった貴方がとても大好きでしたよ。だから、私を嫌わなかった妖怪のまま、他人になって…。最後まで、私の我が儘ばかり。
「…ねえ、さとり。」
さとりは次の発言なんて耳にいれたくなかった。
「さとりの都合よく仲を終わらせようなんて、ふざけたこと言うのね。」
嫌!やめて!絶交なんて、分かってました。でも、お願いです…言わないで。
「それに貴方、私の心、読んでいないわね?いつものはやさがないわ。」
読みたくない!…読んだら私は立ち直れないかも知れない。許して…。
さとりはパルスィに背を向けた。
次の一言は絶交だろうか。さとりは、冷静に考える頭を失いつつあった。今すぐにでも心を読めば、また、二人を詳しく知るものが居れば、そんなことは起こり得ないと理解できただろうに。
「貴方は私のこと何も分かっていないわね。」
「その程度で去っていこうなんて、甘いのよ。貴方。」
…?どういうことなのでしょう。
「今は私の心を読もうとしなくても、せめて最後まで聞いてはくれないのかしら?」
さとりは、嫌いと明言されたらその場から逃げ出していただろうが、嫌いとは言われなかった。逆に、パルスィが次に何をいうのか、興味が湧いてしまった。
さとりは今すぐにでも逃げ出したほうが受ける傷は小さくてすむのかも知れなかったが、次に期待してしまった。
「こいし私にはさとりが大切って言ったのよ。こいしに呆れられていると思い込むなんて、こいしに失礼よ。」
…こいしは私から離れていこうとしました。そんなの、呆れられているに決まっているじゃないですか。
「私は気づいたのだけど、こいしが貴方に呆れたのなら、貴方のためを思って温泉から出ていくなんて考えられないわ。いくら我を通すこいしでも、さとりの前で我を通さなかった。」
本当にそうでしょうか。こいしはしたいことはしたいと言います。したいことも言わずに出ていくなんて。
「…こいしは私に愛想を尽かした
「ふざけないで。さとりがこいしを信じられないなら、こいしは誰に信じられたらいいのよ。
さとり、貴方がこいしを信じられないら、私は貴方に幻滅するわ。こいしは信じてくれる相手がいたから、ずっと生きてきたはずよ。」
…どうして、まだ叱ってくれるのでしょうか。まだ見捨てないのでしょうか。
パルスィは怒りを表した。しかし、さとりが危惧していたさとりへの悪意ある怒りではなく、さとりを諭すかのような怒り。このような感情を向けられたことはいつぶりか、さとりは覚えていなかった。
パルスィから、肩に手がおかれる。
「ねえ、さとり。私は貴方の優しさが妬ましいわ。」
私が優しいかは置いておいて、そこも妬まれるのでしょうか。
「そんなに思い詰めるほど、家族が大切なのよね。だから、ずっと思い続けているのよね?」
こいしは何よりも大切ですね。
「そうですね。」
「自分の感情よりもこいしのためなんて、貴方も無茶苦茶なのよ。そんな理由で周りに当たったところで、私は貴方を嫌いにはならないわ。」
「でも、怒鳴ってしまった…。」
うしろから抱きしめられた。人肌の温度が伝わる。この温度は彼女の心の暖かさなのだろうか。
「私はここまで妬ましい心を持った妖怪なんて、見たことがなかったのよ。」
「折角聞いてあげるのよ。もっと貴方のことを話しなさいよ。」
…そんなの、優しすぎるではないですか。
…そんなの、私に都合が良すぎますよ。
パルスィさん。どうか、嫌わないで。