引っ越しをしたい。そう語る妖怪。
パルスィとは対照的に朗らかな雰囲気を醸し出す、目の前の蜘蛛らしき妖怪。旧地獄ならいざ知らず、最早妖怪一匹増えるにも狭すぎる、旧都のどこへ引っ越そうと言うのか。少なくともパルスィには考え付かなかった。
*水橋パルスィ視点
引っ越しなんて珍しいわね。旧都は詳しくないからよくわからないのだけど、そこまで土地が余っていたとは思えないわね。
「引っ越し?そんなに旧都に土地は残っていたかしら。…まあ一人くらいなら、勝手に引っ越しすればいいと思うわ。別に私まで聞きに来なくても大丈夫よ。」
「いやーそうじゃなくてね。一族で。」
「どのくらい?」
「知らない。」
知らない?まさかとは思うけどとても多い訳じゃないわよね?…嫌な予感しかしないわ。
この時点で引っ越しの相談が簡単なものかもしれないという期待は脆くとも崩れ去っていた。
「数が多いなら旧都で引っ越すなんて無理よ。狭くて話にならない―
「ああ、そうじゃなくてさ。旧都から…寒いね。…こんな更地で立ち話もなんだし、あんたの家にお邪魔してもいいかい?」
「…そうね。ここで立ち話なんて正気じゃないわ。」
なぜか家までついてくる妖怪という点を除いて、パルスィは彼女の提案に賛成であった。
葉を枯らした立派な木の並び立つ道には、人影は他に見受けられない。その事がいっそう寒さを際立たせているような気がした。
彼女も当然のようについてくる。
知らない妖怪を家に迎え入れるのも少し嫌ね。最近さらに物騒になってきた気がするわ。
「私はあなたをよく知らないのだけれど、何の妖怪なのよ。蜘蛛?に見えるのだけど。」
「お、蜘蛛だと見破るなんて。気になるかい?私は土蜘蛛だよ。全ての疫病の原因とか言われたこともあったけど、さすがにそんなことはないねぇ。瘧くらいしか起こした覚えはなかったんだがね。いつの間にか病なら何でもござれ…どうだろうね。瘧以外も起こせるようになったのさ。」
瘧を起こさせる?酷い能力ね。妬ましいわ。
「瘧?瘧だけでもとんでもないわね。強くないかしら?」
「そう思うかい?」
あっけらかんと話すその妖怪。パルスィは強いと思ったが、本人は自分を別段強いともみていないように思えた。
「戦っている最中に病が表だって出ることはさほどないからね。使い勝手は微妙さ。しかも、鬼に効いたことがほとんどないしねぇ。」
確かに…鬼が病でうなされる?悪い冗談ね。病なんかかからなさそうな妖怪ばかり。そこは同情するわ。
宴会にでも行けば、確かに病でうなされるような軟弱者はいないように思える。パルスィは彼女がなぜ強さを誇らないか、理解できた。
それでも、パルスィには彼女はとても強い能力を持つ者のように感じられたが。土蜘蛛は話題を変えてきた。
「そんなことよりもあんたのことだね。私はあんたのことが気になるよ。」
「あんたこそ、何の妖怪なのかな?みた感じ、人間とそっくりみたいだけど。」
何の妖怪、ね。
私が何の妖怪なのか、よくよく考えたことがなかったわね。妬み?嫉妬?そもそもこの妖怪に教えても大丈夫かしら。
「さあ、自分でも考えたことも無かったし、わからないわ。」
「大体でいいのさ。自分でもわからないなら、私が当ててみるか。」
「それは好きにしたらいいと思うわ。」
「獣の妖怪じゃあ無さそうだね。それに、蜘蛛ってわかるなんて観察力があるねぇ。」
「蜘蛛じゃないのかしら?」
「そうよ。でも、何で蜘蛛だと思ったのかな?」
そういわれると難しいわね。
「人から出来た妖怪とは思えなかったのよ。」
「それだけじゃ蜘蛛とはわからない。理由が薄いね。」
「あとは服ね。そんな質が良くて、やたら膨らんだ服なんて着る妖怪は少ないわ。それ、麻じゃないわよね?」
「そうさね。」
「多分だけど、絹に近いわね。絹を買える妖怪なんてここにはほとんど居ないわ。」
「麻より絹みたいな糸の方が安くすむ妖怪。少なくとも、虫には近いとは思ったわ。…あとはあなたとその服になんか蜘蛛らしさを感じた。それだけね。」
「いや、それだけでもお見事!さすがはさとり妖怪と仲良くできる妖怪だね。よく見ている。」
パルスィを称える土蜘蛛は、すでにパルスィが何の妖怪なのかについてはどうでも良さそうに見えた。
地底では、明朗な雰囲気を纏う妖怪は大概強い。そして迷惑だ。
パルスィは彼女の実力を一段階上に評価し、そうそうに帰ってもらえるよう、努力することにした。
家が見えてきた。一日空けただけだったが、パルスィにはなんとも懐かしい。
家に入れるしか無さそうね。この妖怪。
「じゃ、入ってもいいかい?」
「ええ、良いわよ。座敷間に通すわね。」
この旧都では珍しい石張りの玄関。奥では庭とも繋がっている。右手にある次の間とのあいだにも、硝子も使った贅沢な障子がある。玄関でさえも、材質の良い塗り壁だ。一日空けた筈なのに、玄関と外は温度が違うように感じる。
一通り見回した土蜘蛛は、嘆息とともに語りかけてくる。
「いいねえ。羨ましいねえ。この質のよさは、勇儀の大工の組だね?」
土蜘蛛は見事に誰が作ったか当ててみせた。
貴方も良い目をしているじゃないの。妬ましいわ。建物は分かる人には分かるものなのね。
…いつも妬んではいたけれど、羨ましがられると、なんだかむず痒いわね。
「そうよ。よくわかったわね。」
「いくらかかったのかい?それに、勇儀の組が動くなんて、そうそうないはずなんだがね。」
「あー…。」
あれね。…言わない方がいいわね。
パルスィはその日のことを覚えてはいたが、彼女の為に黙っておくことにした。
「…仲良くしていたよしみで、かしら。」
「そんなに勇儀と仲がいいのかい!?」
次の間には箪笥や、よそ行きのものが適当に置いてあるだけだった。宴会を頻繁に行う家なら違うのだろうが、パルスィの生活様式ではほとんど使うことが無かった。
左側の少し重いふすまを開けて、座敷に土蜘蛛を通す。
座敷の真ん中には低めのがっしりとした樫の机。その周りには座布団が数枚。
右の壁一面には高さが天井まである、木で出来たとても大きな戸棚がある。
当時の旧都の妖怪が持っていた様な戸もない棚ではなく、鬼が丹精を込めて作ったものだ。
「いやはや、なんというか、すごいねぇ。それしか言葉が出ないよ。」
「そこまで凄いものなのかしら?」
軽い気持ちで建ててもらったはずのこの家。周りから見ても凄かったのね。ますます勇儀には頭が上がらないわ。
私にまでこれ程よくしてくれる鬼は、そう居ないわよね。またこんど何か御返しでもしようかしら。
「凄いに決まっているよ。いや、おみそれした。そんなに凄い妖怪なら、確かにあのさとり妖怪ともお近づきになれるね。私にはとても難しいことだ。」
さとりと話すことはそんなに難しいことかしら。
「そう?さとりは別に急に怒鳴ったりも、無理強いもしてこないから、話しやすい妖怪だと思うのだけれど。お茶を用意するわね。」
座っているヤマメの目が見えた。
「まさか。」
そう言いたげだった。
とりあえず火をいれ、お湯が出来るまで座っていることにした。
本題に入らないと帰ってくれないわよね。
「で、引っ越すのよね?その事を伝えに来たという話で合っているかしら?」
「そうそう。地霊殿まで行くには少々遠いのよ。」
「確かに、地霊殿は遠いわね。」
昨日実際に行ったパルスィには身にしみて理解できる。しかも冬に鬼だ。途中で諦めることになる可能性の方が高い。
「そそ。しかもあの館。さとり妖怪は恐ろしいんだって話をよく聞くからねぇ。」
さとり?さとりのどこが恐ろしいというの?
「さとりが?」
「ああ、いや。悪い意味ではないのよ。その…なんだか妖怪ばなれしているって言うか…。能ある管理者だと思ってね。…いや、気を悪くしたのなら悪かったね。」
さとりが能あるのは間違っていないとは思うのだけど、妖怪ばなれしているわけでもないし、家族思いの…心はまだ少女な気がするわ。
「さとりも同じ妖怪よ。まだ少女ね。」
「おや、そうなのかい?旧都の隅暮らしにゃとてもそうは思えなかったのだがね。一度会って話すと違うのかい?」
「どうかしら。私は会うまでさとりのことを詳しく知らなかったし、変わるとは思うわ。…引っ越しの話に戻りましょう。」
「うん、そうしよう。さて、引っ越しを一族皆で行うつもりなんだけどね。引っ越し先は―
頼むから仕事にならない所にしてほしいわ。
地上とのあの縦穴のつもりなのよ。大丈夫かな?」
…私には別にどうでもいい場所ね。旧都なんか言い出さなかったし、いいじゃない。
どんな無理難題を押し付けられるかと戦々恐々としていたが、土蜘蛛一族はわりとまともだったようだ。他の妖怪に迷惑はかからないし、パルスィにとって何も悪いことではない。
パルスィは引っ越し先は別段問題ないと認識した。
「じゃ、そこでいいと思うわ。その程度なら、…やっぱり私に言いに来る必要なかったと思うのだけど。」
「何せ大人数だからねぇ。一言伝える必要があったのよ。地霊殿より近かったし。それに、地上との約定もあったしねぇ。」
!…約定!
ことにパルスィはこの問題が想像より面倒なことに気がついた。さとりへの事後報告でいいと考えていた問題は事後報告では許されない問題へと早変わりしてしまった。
これでは文句の一つも言いたくなる。言おうとしたが、それでは急に手のひらを返して文句を言うわけのわからない妖怪になってしまう。
パルスィはさすがにそんな妖怪になるつもりは無かった。
そんなに大変な問題はさとりに直接言いに行きなさいよ!…ああ、あの寒さのなかもう一度地霊殿へ?
「…約定に触れないか、さとりに聞いておくわね。」
「お、頼むよ。」
丁度お湯が沸いたようだ。お茶を出すにも、すでに大体の話は終わっていた。その一方で、話が全部終わっているわけではない微妙な間の悪さ。パルスィにとって悩む所だ。
…今話さないといけないことは話した筈だけど、話し残したことがあったら面倒ね。お茶を出すときっとすぐに帰ってくれないだろうし…。
…お茶を用意するって言ってしまっていたわ。…仕方ない。緑茶で良いわよね。…緑茶以外ないけれど。
お湯を沸かしたからか、少し暖かい台所で棚から茶葉を出し、急須に入れる。パルスィはどうやってこの時間を早く終わらせるか考えてはいるが、一向に思い浮かばない。
早く帰って貰うのは無理かもしれないわね。こうなったらもう引っ越し問題を突き詰めるしかないか…。
「お茶よ。」
「ああ、ありがとうね。」
結局、お茶を出すことにしたパルスィ。この際この時間を、面倒事の面倒な部分を出来るだけ減らす為に使うことにした。
「伝えておくことは伝えておくわ。でも、私が伝えたら終わりではないかもしれないし、さとりが直接話を聞きに来るかも知れないわよ。」
「んー…。それは仕方ないかなぁ。出来れば、そちらで済ませてくれたら、ありがたいけどねぇ。」
「約定の問題まで入ってしまっているから、さとりが来るかも知れないわ。…私は約定なんて、どうでもいいと思うのだけどね。」
「うーむ、さとりと話すのは避けられないかもしれない、か。さとりは約定に厳しそうだ。約定なんて、私もどうでもいいと思っているのだけどねぇ。世知辛い世になったものよ。」
「そういえば、貴方はどこからその約定の話を知ったの?」
最近は約定を知らない妖怪も増えたのよね。…どうしてかしら。鬼は皆知っていたはずなんだけど、旧都の端の妖怪とか、何も知らずに生きている様な輩が増えた気がするわね。
「ああ、長生きしていれば、知ることも増えるのよ。それに、鬼の宴会にも行くしねぇ。何も知らないわけではないさ。あんただってそうだろう?」
「まあ、それはそうね。」
「そういうことさ。」
何がそういうことなのかしら。このままだとずるずると世間話をしてしまうことになるわ。
これは自分でふった話だったが、パルスィその事をすでに忘れていた。
「…そうね。」
「ところで、縦穴のどこに住むのよ。」
「いや、その事なんだけど、私は実際に見たことがなくてねぇ。見に行ってもいいのかい?」
「住む許可はいるかもしれないけれど、その事なら私に許可をとるまでもないわ。あっちの橋の
「悪いけど、私はここらの道が分からなくてね。案内してくれないかい?」
…一本道よ。迷わないと思うのだけど。初めて通るならそうもいかないのかしら。
「…分かったわ。」
「あら、いいの?」
…仕方ないじゃない。ふてぶてしいわね。妬ましい。
ヤマメは少し驚いた目でパルスィを見てくる。
「…地霊殿と関わりがある妖怪なんてどんな妖怪かと思ったけど、なんだ、普通にいい妖怪ねぇ。」
世間一般では地霊殿と関わるのはおかしな奴って思われていたのね。…私はそんなことないとは思うのだけれど。
「いい妖怪が何かは知らないけれど、賛辞は受け取っておくわ。」
「や、そうしてくれ。もしかしたら、近所になるかもしれないからねぇ。その時は仲良くしようね。」
「そうしてくれると助かるわ。こっちよ、ついてきてくれるかしら?」
家から橋までは一本道だが、それなりに距離はある。橋から縦穴もまた同じだ。まだ昼ではあったが、二人はやや急いで縦穴へ向かうことにした。
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