地霊殿には見える限りでは誰も居なかった。お空は居るかもしれないが。鳥たちは居らず、猫も見かけない。それはさとりが自身の外出の散歩に出していたから。
もちろん、さとりも居ない。それは…?
*水橋パルスィ視点
「留守…かな?」
「留守ね。でももしかしたら書斎とかに居るかもしれないわ。」
「それはありえない。いつもなら鳥がお姉ちゃんに伝えてくれるの。お姉ちゃんが家の中のどこにいてもね。」
「猫も居ないし散歩かなー?」
散歩って…。こいしの話によるとさとりは私と話すことがあったのよね?さとりが約束を放り出して出かけるとは思えないわ。
「さとりは私のこと呼んでいたのよね。」
「…うーん?多分。」
無意識をあてにするものじゃない。その事を再確認した所で紫が突然声をあげる。
「…!まあ!」
「どうしたの?」
「いえいえ。大したことではありませんわ。ただちょっと覗き見をしていただけ、ね。」
「何を?」
「地底の行く末ですわ。」
「…またごまかす。」
紫の発言は常にねじまがっているようにまで思われる。実際そうだ。こいしはパルスィからすればご立腹の様に見えるがはてさて内実はどうか。
「あら、まさかねえ…。」
「どうやらさとりとは話せそうにありませんし…。一度帰ろうかしら。」
帰るって…、急用はどこにいったのよ。
「さて、何か言伝てでも?」
「もう来なくていいよ。」
「次は私の家に急に来ないで欲しいわ。」
人の家に勝手に上がらない。地底の妖怪にとってはともかく、パルスィにとってはわりと大切なことだ。
「まあそれはそれは、善処致します。」
話し方もあるが、一切信用できない返答を受けとることが出来た。
「嘘だ。」
「嘘ね。」
「いーえ?嘘をつくつもりはありませんわ?それに、お二方共とは近いうちに絶対に会うことになります。地底は今、とても大変な時期ですもの…。」
「それでは。」
紫の必要な用事とはさとりと話すことだったはずなのだが、それをそうそうに諦めて帰るようだ。それは喫緊の用事だから地底に来たという説明と矛盾している。それをわざわざ告げると居座る可能性もあったためか、二人は何も言わなかった。ふと彼女の足元にスキマができたかと思うと、すでにそこには誰もいなくなっていた。
言いたいことだけ言って去っていきやがったわ。こいしもこいしだけどあれはもっとひどいわね。
「やなやつ…なんかないよね。」
「なんかないって何がないのよ。言いたいことは分かるけど…。」
珍しく適当ないちゃもんをつけたこいし。そのまま玄関から中へつかつかと突き進んでいく。その一歩後ろをあわててパルスィが追いかける。
「あんなやつ忘れよ。そんなことよりさ、お姉ちゃんここに居ないからー、今は私がここの主だよね?」
「何を言っているか分からないわね。」
「主になったからとりあえず明かりをつけていこう。」
「まだ昼だし、主と明かりをつけることは関係ないわよ。」
「誰も居ないとこの家は辛気くさいからね。」
「聞きなさいよ。」
「私は今だけ主だから。」
「…?」
話をしつつ玄関を抜けてやや暗い廊下まで来た。確かに窓から色とりどりの光は差し込んでは来ているが、以前来たよりも彩度が低く感じられる。それは本当なのか、心理的な原因から来ているのかはわからなかった。
こいしははたと立ち止まる。
「…こいし?私は早く服を着替えた―」
「お姉ちゃんならここで貴方に自慢するんだろな。貴方しか自慢できる相手が居ないもの。」
「…突然どうしたの?」
「さっきは危なかったね。」
「ええ…。そうね…。」
脈絡のない発言は、こいしと話すならいつものことなのだろうが、やはり困惑するものである。
「貴方が傷ついたらお姉ちゃん悲しむから。」
「…そんなこと急に言われても困るわ。」
「そう、そうだよね。お姉ちゃんの話はやっぱりやめる!私が今は主だから。私の好きなようにしよう。」
さとりが居ないから今だけはこいしが主になるということについては聞き返さないことにした。聞き返してもろくに答えが帰ってこなさそうだからだ。
「試したいことがあるの。」
「先に服を着替えたいわ。」
「お願い。すぐ終わるから。」
「…何よ。」
「私だって記憶に残すことは出来る。きっと。大丈夫だから。」
パルスィは渋々受け入れたが、肝心のこいしはぶつぶつと呟いている。
「…どうしたのよ?…記憶?ねえ―
顔こそ見えないがいつもより鬼気迫った雰囲気かもしれない。
「私を見ていて!」
こいしは突然叫んだ。
それはそれは美しい半回転と共に、大きくこいしは両手を広げる。
こいしの後ろ髪が流れる。
辺りには薔薇。薔薇。指先からは花びらが舞い散る。
右手からはありえない青色の薔薇の花。
左手からは見たこともない橙の薔薇の花。
…全ての廊下に明かりが灯った。
その時すでに動いていた物は薔薇だけだった。やがて緩やかに落ちて、こいしの周りには色のついた茨だけが残った。
硝子は光を受けて色とりどりに輝いていた。
綺麗だった。だが、これだけは彼女に言いたくなかった。多分、勇気を出した彼女はおそらく傷ついてしまうから。
綺麗だけど、何かが足りない。
「…とても綺麗よ。何をしたの?」
「妖力を込めると明るくなるんだって。一人ぼっちのお姉ちゃんがこの仕組みを作ったんだよ。」
一人ぼっちって…。確かにさとりは怖れられていたけれど…。
妖力を込めたら明るくなるとこいしは語っていたが、妖力を常に消費している様子はない。多分妖力を火打石がわりにした燭台みたいなものだろうと結論付けた。
「…綺麗でしょ。貴方はいつまでも覚えていられる…かな?」
いつまでも覚えていられるか。そのことについては正直パルスィは自信がなかった。綺麗ではある。他の出来事…さすがに斬りつけられかけたことは除くが、大概の出来事よりも覚えていられそうな気はする。だが、それまでだった。
その一方で、パルスィの生い立ち上、パルスィは観察力はある方だ。妬むには、相手をよく知る必要があるからだ。得られる情報が多ければ当然、相手について詳しく推察することが出来る。合っているかは別として。
パルスィにはこいしは勇気を出したように思えた。珍しく、こいしには迷いがあったように感じられた。あのこいしが迷ったのだ。
こいしは明かしたかったのだろう。自分は無視されるだけの存在ではないことを。誰かがいつまでも覚えていてくれることを。
こいしは明かしたくなかったのだろう。無意識の存在は記憶出来ないかもしれないということを。
故にパルスィは絶対に否定は出来ないのだ。
「覚えていられるわよ。…きっとね。」
「本当に?私がいなくても?」
「…本当よ。」
「そっか。ありがとう。服もあるお部屋はこっちだよ。」
本当に似ているわね。この姉妹。どこからどこまでそっくりだわ。
こいしはまた前を向いて歩き出した。一言呟いて。パルスィはそれを聞き取ることが出来た。
「…優しいね。」
ことにパルスィは失敗を悟った。パルスィには所詮嫉妬の妖怪、悲しいことに嘘をつく才能はなかったのだった。
前のような客のための部屋まで通された。替えの服―多分浴衣だろう、がおいてあり、これでようやく不快感から解放される。着替えるから入るなと厳命したので、さすがにこいしも部屋には入ってこなかった。戸は少しだけ開いている。
「まだ部屋の外にいるから着替え終わったら出てきてね。」
「わかったわ。」
またあとで何かするのかしら。…そもそもさとりは?
「あ、先にお風呂に行けば良かったね。」
「…そういえばそうね。順番を間違えたわ。」
少しの沈黙が流れる。脱ぎおわって、浴衣を着ようとし始めたとき、足音が聞こえてきた。
「―誰か帰ってきたのかな?こっちから聞こえてきたはずなんだけど…。」
こいしの声ではない。
聞いたことはある気がする。
「おかしいなあ…。誰もいないよ。廊下が明るくなったからさとり様だと思うんだけど…。」
そのまま通り過ぎていった。…少し、違和感が残る。こいしはそこにいたはずだ。
こいしは確かに見えないこともあるけど、さすがに…。いや、あり得るのかしら。本当に居ない?
答えは返ってきた。
「見えないものなんだね。やっぱり。」
「なんだ、いたのね。」
「私はここにいたよ。さすがに気づいてもらえると思ったのに…。あーあ。今日はちょっぴり残念なことばかり。」
こいしは落胆しているのだろうか。少し申し訳なく思ったが、拳銃の音で思考もかききえた。
一緒に硝子の割れる音がした。
「つまんないなぁ。」
また一つごろつき共を叩きのめした帰り道。ごろつき共の住みかになんて居たくなかったお燐は、さっさと大通りまで戻ってきた。その時のことを、彼女は忘れることはないだろう。
*火焔猫燐視点
お仕事も終わったし、さっさと帰るんだ。多分、さとり様が待っているから。
市場まで戻ってきて、ごろつき共から拝借したお金で今や嗜好品の煮干しを買い、地霊殿へ向かう。
気分は上々だ。鼻息混じりに西町の境目まで来た。少し先に見覚えのある顔を見つけた。
あれ?さとり様じゃん。どうしたんだろう。迎えに来てくれたのかな?
少しうれしい気持ちが混じる。
しかし、お燐の思考は強制的にそこで停止させられた。
誰かがさとりに向かっていくのが見えた。
あれ…?あれはさとり様が言っていたあの妖怪殺しじゃないの?…さとり様が危ない?
慌ててさとりを守るために一歩目を踏み出した。
だが、遅かった。
信じられなかった。さとりが斬りつけられたこと。止められなかったこと。
「さとり様?」
さとり様を傷付けたあれは誰だ?
倒れたさとり様によってくる妖怪は何だ?
「さとっ…さとり様を守らないと…。」
お燐は自分が自分でも信じられない速さで飛び込んだことは覚えている。
さとりを斬りつけた妖怪の左肩を掴んだこと。右手がその妖怪の頬にめり込んだこと。
…あとは覚えていない。
何かをずっと殴り続け、燃やしたような気がした。
辺りは火の海となり、木造の家屋はいとも容易く燃え落ちていく。…動いている者はおろか、誰だか分かる死体すらそこには存在しなかった。
「―おい!」
うるさい。
「―んた、いい加減にやめろ!」
邪魔するな。
「さとりまでも燃やすつもりか!この馬鹿猫!」
誰かの声でお燐の意識が体の主導権を取り返した。
うぇっ!?さとり様が!?それに、さとりを殺そうとした奴は…?
「あれ…?さとり様を傷つけた糞野郎は…?」
声のする方にゆっくりと首が動く。
そこにはさとりを横抱きした萃香がいた。後ろにあった筈の建物はその面影すらも見受けられない。さらに奥も大火事である。萃香はこの温度のなかなぜか無傷だ。
「そんなものとっくにあんたが溶かしたよ。あんた、さとりまで燃やすつもりなのか。」
「違う…違うよ…。」
「さとりはどう見てもそれどころじゃないだろ!早く来い!」
「さとり様は!?」
お燐はあわてて萃香に駆け寄る。熱に強く、灼熱の中にいたお燐は気が付かなかったことを、萃香の周りまで近寄ってようやく気がついた。
それは街中をどう考えてもさとりまでもが火葬されるような環境にまでしてしまっていたこと。
そして萃香の周りだけがなんとかさとりが生きていける空気、環境だったということ。萃香の能力がなければさとりは燃え尽きていたこと。
最後にさとりの傷は遠くで見たよりも、とても深刻だということ。体を斜めに袈裟斬りにされてしまっている。
「どうするのさこれ!」
「だからそう言っていただろう!敵討ちなんか後にしろって!」
「ごめん、ごめんよさとり様…。あたいはどうすれば」
「後悔も後だよ。あんたは早くさとりを地霊殿まで運べ!」
状況はどう考えても芳しく無かった。これまでの時間を後悔しながらお燐は地霊殿に向かう。
「なあさとり。あんたの治世は誰かに刺されるようなものじゃなかったよ。悪いね…私は少し気付くのが遅かったみたいだ。」
残された萃香は独りごちてまた同じく地霊殿に向かった。