藍は正座でちくちくと何かを作業していた。主の帰りを待ちながら。
程なくして、主が帰ってきた。
「ただいま。」
「…地底は本当に紫様の邪魔になるようなものでしたか?」
「もちろん。地底は恐ろしいのよ?」
「そうですか。旧都の様子はいかがでしたか?」
「私の勝ち。…独りの筈のさとりに仲間がいた所は除いて。」
「…私達も紫様の末永く側に。それと、勝ち…とは?」
人の形の紙にすらすらと何かを書き込みながら藍は答える。
「自分で考えなさいな。これが見事役に立ったということよ。」
紫は藍から渡された人の形をした紙に妖力を込めてスキマへと投げ捨てた。
「まさか。」
「まさかさとりが地霊殿の外に出るとは…。ねえ?藍。」
「…さとり妖怪も難儀なものです。端から端まで気を使わなくてはいけない。」
尻尾を垂れて恭順の意を示す。
「全くね。」
賭け事の結果、尻尾の上で寝る権利を得た紫は、藍に後ろからもたれかかる。
「あなたはさとりを気に入っていたわよね。私もそうよ。なんて可愛らしい。」
「ええ。…。」
主が重い。それに藍には思い当たる節があるのか、顔をしかめた。
「聡明なる私の式。手を抜いたでしょう?それも式の手順を。それがさとりには逆効果だった。せめてもう一細工必要よ。さとりは心を読めるのよ?」
藍は何も話さない。
「そんな同情の真似事は橙にやらせたらいいのよ。…あなたにそれを教えた覚えはないわ。」
「紫様、お言葉ですが…。」
「あらまあ…珍しい。あなたが言いたいことはお見通しよ。旧都は必要。私はそんなことなんかよく理解しているわ。強いくせに頭はない連中共が地上に、なんて想像もしたくない。」
「ならば」
さとりのもとで安定していた方が。言い切ることは出来なかった。
「甘いのよ。…萃香が居る。萃香とさとりはそりが合わない。さとりは萃香の枷には絶対になれない。その上萃香は私達の人形にも絶対にならないのよ。はあー…萃香と久しぶりに将棋がうちたいわ。酔象つきの…昔ながらのね。萃香は強いのよ。…あなたは風見と打ってきなさい。命令よ。」
「…畏まりました。ならば萃香に地底の舵をとらせないようにした方がよかったのでは。」
「それは正しいけど、すこし足りないわ。萃香が安定した地底の舵をとると不味いのよ。」
突然スキマから将棋一式を取り出し、藍の膝の右隣に厚盤とともに並べる。ご丁寧に駒まで並べているようだ。しかし、こちら側の陣に玉将だけは置かれていなかった。
「…わざわざ旧都を敵に回さなくてもよかったのではありませんか。私は風見で手一杯なのです。」
「あの風見鶏。いやらしいやつよ。…地底にもどうせ地上のいざこざを知られる。これ幸いと地底も敵となる。あなたもよく知っているでしょう?私はもっと弱い敵と戦いたいわ。」
「仲間…いえ。何でもありません。」
藍のこれまでの記憶は仲間は大切という思考に待ったをかけた。
「死体より高々何百年の仲間の方が脅威足りうるのよ。」
「安心しなさい。地底は王将を失った。そもそもばれなければいいのよ。今やばれてもいいのよ。地霊殿はさとりに依存している。さとりを放って敵討ち?そんな面子じゃない。旧都は愚図の間抜けばかり。誰かが旧都を取り纏められるとでも?…旧都に鬼しかいないのなら別よ。しかしそうではない。」
紫は旧都の妖怪の性格を完璧に把握してはいなかった。しかし自信があった。一点を除いて。
「…酔象が気になるわ。藍、どう思う?」
「酔象。はて、酔象。…ああ、理解しました。」
「ご明察。酔象は王にもなりうるのよ。…本当に気がかりだわ。」
紫は酔象の駒をスキマから取り出し、適当に転がした。
からからと駒はひっくり返り、しまいには対陣まで転がって相手の王将の上に乗った。駒には、「太子」と盛り揚げられていた。
パルスィを見に行け。それを勇儀は律儀に守って北までやって来た。鬼は空をよっぽどでないと飛ばない。飛ぶ必要がない。もしかしたらもう飛べないかもしれない。萃香にこれを話せば鼻で笑われるだろう。これが萃香は異端と呼ばれる所以である。
*星熊勇儀視点
なんでパルスィを守るんだろうね?
「あんた、どきな。私が通るんだ。」
宴会場を抜け、パルスィの家へと向かい始めた勇儀。のそのそと、しかし着実にパルスィの家へ近づきつつあった。もちろん勇儀は知り得ないことだが、パルスィはこの時地霊殿に居たので、家まで着いたところで会うことは出来ない。
萃香に馬鹿だ馬鹿だと馬鹿にされてきた勇儀はちょっぴり自分で考えてみてはいる。
ちなみに勇儀も旧都では賢い方、というよりも賢い。旧都の妖怪が阿呆というのもある。これはさとりの治世が失敗しているからではない。むしろさとりの治世は成功と評される方だ。
成功と評される理由として、旧都の馬鹿はいくら馬鹿でも大抵字が読めていたのであった。旧都の馬鹿たちは、立て看板を読むために知識人をつれてくる必要もない。
まあ、立て看板を読む妖怪なんて居なかったが。
萃香は何を掴んだんだろう。パルスィを守る?どうしてだい?
パルスィを嫌う妖怪がいるとでも言うのかい。
パルスィは危機が迫っても戦わないとでも言うのかい。…まさかね。違うだろう。
もしや、最近きな臭いから、パルスィが襲われるかもしれないとでも言うのかい。
そんなわけで、勇儀はのこのこと旧都の北までやって来た。北には縦穴、橋、もとからある北のぼろの町がある。縦穴に住む妖怪なんて土蜘蛛と物好き程度なので実質土蜘蛛が勝手にしているのが縦穴町。パルスィが自然的に受け持つことになってしまった橋町と、元からあった猫又の北町の境は曖昧だ。北町から新しく新設された橋町
―もう少し名前を考えた方が良いだろう。
と違い、北町にはあまり著名な妖怪は住んでいなかった。ヤマメが去ってからはその傾向が著しく、治安なんて橋町と雲泥の差である。
なぜ北町の猫又をやめさせないのか。もっとまともに仕事が出来る猫も犬も鴉も居なかったのである。さとりに言わせれば彼も仕事をしっかりしてくれるし、言葉を解するだけでも満点。とのことだが、少々身内贔屓が過ぎるだろう。
ここら辺、目立つもの何もないねえ。何か作るか。萃香は酒蔵を欲しがっていたね。だから何だい。私は温泉宿が欲しい。酒はいいだろう?どこにでもある。それに比べて温泉は少ない。地脈から外れているのかな?
そもそも、旧都の中心は血の池地獄など地獄機能を有していた南であり、そこで暇を持てあました鬼達が中央にかけて娯楽街を作り、鬼達は娯楽街に住めばわざわざ中央まで行かずにすむと思いつき移住。そうして中央が中心街となった。そこに紫がどこからか盗…拝借した地霊殿を配置してさとりの治世が始まった。地霊殿はもしかしたら紫が作ったかもしれないが、それはないだろう。彼女がそこまでしてくれるとは思えない。
そしてさとりの治世の結果、妖怪が爆発的に増えて北にもわんさか妖怪が住むようになった。
相対的に南には移住しなかった鬼など、頭の固いやつが多く、北には名前も知られていないような妖怪が多い。
考えながら歩いていると前方がなにやら騒がしい様子。喧嘩だろうか。期待して覗いてみると誰かが血を流して死んでいるだけだった。それはいい。旧都では多々あることだ。時に痴話、時に喧嘩、まれにお燐。
勇儀は少し期待がはずれた顔をした。喧嘩ではないので興味はわかなかったが、勇儀とて権力の一角。それどころか鬼の総大将として君臨している。つまるところ、事件を無視するにも出来ない役を務めているわけだった。
喧嘩に負けた末路かな?いや、よく見ると斬られたみたいだね。胴を斜めにやられている。これは誰が?より近づく必要があるね。
「どきな!その死体はなんだい!」
海が割れるように道が開く。つかつかと近寄れば寄るほど、妖怪の海はさらに割れていく。
「ここの…ここは北町かな?ここのお偉いさんは…誰だったかな。誰か役人に伝えに行ったのかい?」
勇儀は再び驚くことがあった。
皆目動こうとしない。勇儀は少しあきれた。
これだけいて動かないとはね。パルスィの爪の垢を煎じて飲ませるべきだ。
「…仕方ない。後で伝えに行きな。」
「それで…こいつは生きているのかい?」
周りの妖怪はおろおろとしていただけだったため、だんだん焦れったくなってくる。
「どうなんだ?」
「へぇ。どうにも息すらしてないようで…。」
「ふぅん。あんたは誰?」
「ここの貸家の大家でさぁ。これ、いかがいたしましょう。」
「弔ってやりな。」
妖怪は弔われたらどこにいくのだろうね。神様の元へかい?そんなものくそくらえだ。…神様は好きになれん。華扇の腕を返してから話しかけてくれ。お礼に殴ってやるよ。
「あと、身元はわからないのか?こいつの家族はいないのか?」
少々口調が厳しくなってしまうのは目の前に死体があるからだけではないだろう。
鬼を率いる威厳のある鬼になりたかった時期もあるし、今でもそう思っている。何よりもこの妖怪以外は動きすらしなかったのだ。朝方の件も相まって機嫌もあまり良くない。
「すいやせん。さっぱり…。」
「まあ。それは仕方ないか。…そこからそこのあんたたちはこいつを…」
お燐にかい?墓場にかい?
「墓場に持っていってやりな。ここら辺の妖怪にしてはわりと強いように見える。もしかしたらそいつの知り合いがわかる。」
死体は片付けられた。血のみが残り、誰もが安堵した顔で立ち去っていった。
根本的なことは何も解決していないだろう。
しかし、問題は解決された。勇儀はまた北へと向かっていく。
のろのろと並木道を歩く勇儀。ここは街道と言えるくらいには発展した。なかなかにおいしい屋台も増え、治安も悪くない。しかし勇儀は突然背筋に何かを感じた。直感で振り返る。
右腕が鎌になっている妖怪だ。
ああ、こいつが巷で噂の…。
辻斬りだろうか。頭より先に腕が動く。左腕をぐっと辻斬りらしき妖怪に向けて伸ばした。
鎌が振り下ろされ、左腕を斬られてしまった。
…正確には左腕の皮膚を斬られた。
辻斬りの刃は骨どころか皮膚すら貫通できなかった。ただその表面の一枚に傷をつけたのみに終わった。
反射的に左手がその妖怪の頭を掴もうと動く。やはり脳よりも経験が優った。辻斬りの頭を掴み取り、握りつぶそうとする。そこで脳が追いついた。
あ!潰したら駄目だ。こいつはあの辻斬りだろう。問い詰めてさとりに引き渡そう。パルスィは…後回しか…。パルスィを後回しにしたくはないな。しかしな…。
結局、旧都の親玉としての矜持が勝った。これまでの役職が彼女の性格を作り、性格が彼女を重役たらしめた。彼女はこの妖怪を尋問しなければならない。
「あんた、何のつもりだい?喧嘩を売りにきたのかい?」
何も話さない。
「…こっちは忙しいんだ。」
それでも何も話さない。
「斬りつけたらいけないとか、教わらなかったのかい。まさか誰からか雇われたのかい?」
頭をぎりぎりと圧迫してもなお辻斬りは一言も発しなかった。
こいつは何がしたかったんだい。一言も話さないなんて…。さとりに頼むしかないのかね。ここから地霊殿は遠すぎる。…牢獄につめておけばいいか。いっそここで殺すか?
「ちっ…。」
牢獄に向けて踵を返す。勇儀はその時にあり得ないものを見た。西町辺りが焼かれていた。炎は天蓋まで昇るがごとき様だ。これまでの中でも一位を争える大火事だった。
くそ、こいつと火事、どちらが優先なんて決まっているじゃないか。
この時代はどこでもそうだが、火事は恐ろしいものだ。木で出来た家ばかりの旧都では燃え広がったら対処すら出来ない。もちろんすぐに火事の対応へ向かうべきだ。
しかし、この辻斬りは何十もの妖怪を殺してきた極悪非道の妖怪だ。その辻斬りは同じものが複数いることを知らない勇儀にとっては、まさに神出鬼没。どこにでもこの妖怪の目撃情報は伝えられていた。
火事の時には罪人も解き放つなど、そういう話もあるが、こいつは次捕まえられるとは限らない。そして、これまでの行いは当然許せる話ではない。
決断した。
「…あんたはそこに居ときな。」
左腕を握りつぶす。腕が地面に刺さる。血が服に飛び散る。足を踏み潰す。骨の折れる音。膝より下がありえない方向にねじ曲がり、二度と歩けないとすぐにわかる姿へと変貌した。
こうすれば、最悪逃げられてもかまわない。
「こいつは勝手に動かすなよ!あと西側で火事だ!手伝えるやつは手伝いな!」
これでいいだろう。…よくはない。わかっているさ。…急がないと不味いな。
勇儀は自分の行いは道に反している気がした。しかし、一時が惜しかった。
鬼が飛んだ。
…路傍に投げ捨てられた汚物は、すこしの間誰からも触られることなくそこに落ちていたが、勇儀が帰ってくるまでに、忽然と姿を消していた。
大火事は恐ろしい。萃香がお燐を止めようとしても、お燐はなかなか止まらなかった。そのせいで野次馬がほとんど焼け死んだため、一部の生き残った妖怪達が散発的に消火していただけに過ぎなかった。しかし、その程度で消える地獄の業火など存在しない。第一、あの温度のなか誰が火を消そうと動けるのだろうか?中心街と西町の境からじわじわと火事は広まりつつある。
まともな消火活動
―要するに隣家の破壊だ。
を行っていたのは萃香の分身、そして西町の役人衆だけだった。
そうこうしているなか、お燐が帰ってくる。大切な主を連れて。
*水橋パルスィ視点
「こいし様また窓割った!さとり様に怒られるよ?」
「うん。綺麗に割れたね。」
「…怒られても助けてあげないからね。」
「別にー?お姉ちゃんに叱られるくらいなんともないし?」
…驚かせてくれたわね。
お空はこいしの存在に気がつかなかった。そうは言えども拳銃の音くらい簡単に気がつく。
「本当に知らないから!…あと貴方は…パルスィだよね。何度も見たことある。」
「何回もここに来たから覚えていてくれないとね。」
「なら、お客様?」
「すこし違うけど、それでいいわ。」
ドガァン…バタァン
話を遮るように何かを張り飛ばしたかのような木の音が二回。そして誰かの足音。三人のいる三階にまで聞こえてきた。
「は?」
「下から音がしたね。お姉ちゃん?」
「さとりがあんな音をたてて帰ってきたらそれこそ地底の終わりよ。」
「さとり様じゃないなら誰?お燐?」
「お燐があんな音をたてて帰ってきても地底の終わりよ。」
怪しい妖怪かもしれないわ。
「三人で見に行くわよ。もし危ない妖怪なら…逃げ」
「殺す。」
「さとり様の邪魔になるんだよね?倒さないといけないわ。」
終わってるわね。確かに負けたこと無さそうな面子だけど。
三人は警戒しつつ二階まで降りてきた。直後聞きなれた声の叫び声がした。
「誰かっ!こいし様!お空!誰でもいいから!」
お燐だった。つまり先程の音をたてたのはお燐と判断できる。音をたてた正体がわかったところでこいしが二階までふわふわと降り、一階にいるだろうお燐に気軽に声をかける。
「お燐だったんだ!お姉ちゃんに怒られるよ!あとお姉ち」
「早く!早く来て!」
…お燐ってあんなことしたかしら。
「お空もパルスィも急ぐよ!」
いつも朗らかなお燐があそこまで叫ぶなんて只事ではない。そう感じた三人は一気に階段を飛び降り一階の玄関まで室内を飛ぶ。信じられないものを見た。
広い玄関の真ん中にお燐。そして火車に横たわるさとり。
火車の上に横たわるさとりはどう考えても無事ではない。
「こいし様!お空も!?さとり様が!あたいはどうしたら…?」
「え?…お姉ちゃんなの?」
嘘。
「さとり…?」
さとりは服を赤く染めていた。それだけでなくすこし見えてはいけないものもみえている。目の前でお空が倒れた。
「…ちょっと!」
パルスィは慌てて抱きかかえる。失神したのだろうか。お空は目の前の事実に耐えきれなかったのだろう。
「お空!」
「…お姉ちゃんが先。お燐はお姉ちゃんの部屋に多分あるさらしの布でいいから巻いて。胸帯があればそっち。お空は多分そのうち起きるよ。起きて忘れていたら地下で休ませてあげて。急ぐよ!」
一番最初に冷静になったのはこいしだった。そして、一番視野が広かったのも。
「…貴方は呼ばれてないよ。」
入り口から入ろうとしてきた、さとりを斬りつけ、お燐が溶かしたあの妖怪。こいしが撃ち殺した妖怪と
なんでこいつがいるの…?
「パルスィお空をよろしく!お燐?急ぐよ!」
「わっ、わかったよ!」
その思考は次のこいしの叫びに消された。パルスィは一度だけお空の部屋に行った、その記憶を頼りに地下へと向かった。
一階に残ったのは二人。ちょうどふわふわと玄関に降り立った萃香。そして死体だ。
「これはひどいね。…まさか地霊殿が襲われたわけじゃなかろうね。だとしたら不味いんだが…。」
「こいつぁ…。あの…。」
萃香は死体の脇を両手で持ち上げる。しばらくそのまま突っ立っていた萃香だが、何かに気がついた。
「…なんだろうね。これ。」
死体をおろし、萃香はその死体の背中からべりべりと何かを剥がした。
それは人の形をした紙だった。