こいしはどこからか脇息を持ってきていたようだ。さとりの顔色はあまりよろしくない。少なくとも、後ろからこいしに抱きつかれているから寒くはない筈だ。
「お姉ちゃん?」
「何?」
「……ううん?何でもない。」
「……もう。」
「やっぱり、仕方ないからお仕事手伝ってあげるね?」
「本当?……大好きよ。」
「お姉ちゃんのためだよ?」
姉妹仲睦まじく微笑ましい光景だ。痛々しい包帯がなければより良かったが。痛みを隠そうとしても隠しきれていないことがさとりの表情から読み取れる。
「……貴方の思うほどは痛くはないですよ。」
少しの間も無く読み取ったことを読み取られてしまった。しかし、既に慣れたことだ。パルスィには強がりにしか見えなかった。こいしも同様らしい。膨れっ面だ。
「私やこいしに睨まれるようでは、貴方も嘘をつくのが下手という訳ね。」
「嘘という訳でもないですが……。こいし?」
「後ろを見なさいよ。」
「えっと……や、何でも……ごめんなさい。」
さとりが体をひねって後ろを見ようとした時、痛みに顔を歪ませたことを、つぶさにさとりを見ていた二人が見逃す筈がなかった。
「いつものお姉ちゃんだね。」
「別に怒っていた訳じゃ無いわ。体を大切にしなさいって……。」
「……耳からも心からもよくよく伝わりましたよ。別に話さなくても伝わるから……ね?」
話さずに伝わる。これは間違いなかったが、それ以上に思いで伝えたものを聞かない女だということを、パルスィは分かっていた。
「そんなの、話さないと分からないでしょう!?」
「そうだよ?」
「それは――」
その時、突然猫の鳴き声がしたかと思うと、後ろから黒猫が部屋に飛び込んで来た。驚いて一歩仰け反る間に、空中で化けて人の形をしたお燐になっていた。
「……さとり様いじめてないよね?」
「……いじめられてないわよ。大丈夫。」
「どうして怒鳴られていたの?」
起きがけにさとりに怒鳴ったことも忘れてお燐は睨んできた。パルスィはハッとする。
もしかしてさとりに怒鳴ってしまっていたのかしら。……悪いことしたわね。
「いえ、怒鳴られていた訳ではないの、でも私が無理ばかりするなんて……そんなことは……お燐もそう思うの?」
「え、さとり様違うの?」
本人以外は皆そう思っていたようだ。三人には容易に予想できたことだった。
「そんなに?」
「だって……。」
「嘘、お燐ごめんね。……うん、そうする。」
さとりと誰かが「話し」ている時、蚊帳の外になりがちである。その上、彼女は嫉妬の妖怪であった。
わかるように話してくれないと分からないわね。まあ解決したならいいけど。……いいけど。
「そうですね、寝ていても出来ることはあります。……あの、地底はどうなりました?」
あー……やはり理解してないわね。仕事しようとしている。たまに手を抜くくせにこういうときだけそんなこと始めようとするんだから。
「別に今すぐに、というわけではなくて……単に気になっただけです。」
言っていいのかしら……と思った時には伝わっているのよね、大火事に米騒動らしきもの、そして落盤よ。町が二つばかり消えたわ。
さとりはあんぐりとした表情をみせた。ようやく意識を取り戻した矢先にこのことを伝えるのは辛いことだった。さとりは二の句が継げない様子だったが、諦観したのか、深くため息をついた。
「……地獄ですか?いえ、地獄でしたね。」
元地獄といったところね。
「……何を話しているか分からないよ。」
今度はお燐が話の輪に入れなくなってしまっていた。さとり妖怪のもとに数人集まると、とたんに会話の仕方が難しくなる。そもそも、さとりの周りに沢山の妖怪が集まることが稀だったが。
「地底で何があったか教えてもらっていたの。それで、なんといいますか、旧都が大変な時に私は……。」
「そんな、さとり様のせいじゃないよ!」
「でも、火事の時に……お燐?」
さとりの表情が一変した。パルスィは思い当たる節が無かったが、お燐は違うようだ、縮こまっている。
「……お燐、詳しく教えて?」
さとりの問いかけにお燐の口が動く。
「あたいが……あたいが火事を起こしたんだ。あれは……。あたいの軽率さと、愚かさがさとり様にとんだ迷惑をかけてしまって……。」
お燐はか細い声で言葉を詰まらせた。パルスィには知るよしも無かったが、お燐が辻斬りらしき『妖怪』への報復の時に起こした火が火種となって起こった火災だった。パルスィには、心が読めるさとりがお燐の言いたいことを正確に理解したように見えた。さとりは少し微笑んで、
「お燐……ごめんなさい。私のせいで――」
優しくお燐に言葉を投げ掛けた。
うわ……。さとり、ここで?
パルスィにはさとりの優しさが深く理解できた、だが、富んだ言葉ではあるものの、幾分か返答を誤ったようにも感じた。
「謝らないでよ!あっ……そんなっ、ごめんなさいさとり様!」
予想通り、お燐はさらに顔面蒼白となった上に、彼女の主にあろうことか語気を強めて突き放してしまった。そのためか、動転していたお燐は跳ねるように部屋から走り去ってしまう。
「まって!止まって、お燐……。」
呆然とさとりが手を伸ばしたときには視界にお燐はいなかった。
お燐にとっては酷な声かけね。私は今の言葉でも十分嬉しいけど。なんなら言われてみたいまであるわね。そうは言えど……。
「……お姉ちゃん、は今は違うかなー……うん、地霊殿の主さん、本気でその言葉が良いと思ったの?」
「え、だってお燐からは私に迷惑をかけた、といったことと自分への不甲斐なさが読めたから、だから私は――」
「お燐が救われないなぁ……。地霊殿の主様?」
「ねえ、どうしていつも通り呼んでくれないの?」
さとりの動揺も最もだ。お燐に突き放され、よかれと思った言葉を妹に駄目出しされる。
「主様とお燐はただの友達なんかじゃないの。繊細な従者の心を弄ぶことなんてしちゃって。」
そう、さとりは地霊殿の主だもの。
「……パルスィさん、それはどういう意味ですか?」
お燐は自分の過ちを許せないみたいよ。
「それは読めましたけど、……何が悪かったのでしょうか。」
さとりに悪くないと言われても、お燐は多分聞かないわ。でも、自分の立ち位置を傘に着ないのは良いところよね。妬ましいわよ。多分、お燐も強くなって帰ってくるわよ。
「パルスィさん……。美談にする訳には……。」
お燐は不甲斐なさを恥じた。さとりはこれは自分のせいだと謝った。しかし、お燐にとっては覆らない己の過ちなのだ。どうして主に過ちでないと言われたとしても気にせずにいられるだろうか。あまり親密な仲と言えないパルスィでさえお燐が生真面目なことは知っていた。他の役人やお空であればさしあたって問題のある言葉では無かっただろう、だがお燐には辛い一言となってしまった。
「お燐はきっと山ほど働くよ?お仕事分けてあげてね?」
「十分手伝ってもらっているわよ。それはもう十分。」
「またそんなこと言う、お燐は取り返したいんだと思うの。私は違うけど、お姉ちゃんは読めたでしょ?」
「ええ、こいしが考えていることの八割方正しいわ。どちらかというと今すぐ役にたちたいといったこと。でもお燐に労いの言葉をかけてからよ。そのあとでお仕事を頼むつもりだったの。」
姉妹でお燐の人物像にほとんど隔たりは無いようだったが、扱い方に違いがあるようだった。
「どうせお燐はお姉ちゃんに怒鳴ったこと謝りに来るから、その時にでも頼んであげると良いと思うけど。」
「そうね、こいし……。」
こいしに髪をくしゃくしゃと撫でられているさとりはまたうつらうつらとしてきたように思える。
病み上がりですらないのだから眠いのは当たり前かしら。……何というか、姉妹って羨ましいわね。こちとら一人で寂しく過ごしていたのよ。ああ、私も家族がいれば。
ペルシアから幻想郷まで、悲喜交々、恋をしたこともあったが、やがては独りとなったパルスィには家族が妬ましくて仕方がないことだった。
「ふふ、家族と暮らすことは大変ですよ?」
話し相手がいつもいるなんて妬ましいわ。貴方と話せるこいしもお燐も、囲まれている貴方も妬ましい。
「……嬉しい。」
「お姉ちゃん、パルスィは何を思っているの?」
「……内緒。」
満ち足りた顔でこいしにもたれ掛かるさとり。上から覗きこんでいるこいしに微笑みかけた。
「あー教えてくれないんだ。お姉ちゃんに教えてもらえなくても別に気にしないし、お姉ちゃんが寝てからパルスィに教えてもらうから。」
それを聞いてか、さとりは幸せそうな顔で眠りについた。
こいしのくせに私みたいなこと言ったわね。珍しい。
「……あ、動けない。」
暫くの沈黙、そして数瞬の内にこいしが気づいたことはなかなかに不味いことだった。
「可哀想に。仕方がないから私が代わってあげてもいい……あ。」
待ちなさい。私は勇儀に手伝ってもらうように頼みに来たのよ。すっかり忘れていたわ。
「動けないのに、代われるわけないよ?」
「そうね……。」
まずいわね。何もせずに町に帰るのは私としても嫌よ。
「ところで、今回の落盤、何か地霊殿から建て直しで手伝えることってあるかしら。」
「え、私?うーん……、どうだろう。勇儀に聞いてからにして?私よく分かんないからさ。」
「……そうするわ。一旦おいとまさせて頂くわよ。」
なら、早く勇儀の所に行かないといけないわ。
「ん、足が痺れる前に助けに来てね?」
「善処するわ。」
「また何もしなさそうな。凍った地面には気を付けてね?」
「分かっているわ。」
少し駆け足気味に部屋から出たパルスィは廊下の先にお燐を見つけた。
「あれ、お帰りなの?」
あって会釈くらいだろうと予想していたところ、声をかけられた。パルスィは意外に思う。
「ええ、さとりは寝てしまったみたいだし。」
「……さとり様は変なことしたあたいに怒っていなかった?」
「まさか。さとりの心が狭くないのは貴方もよく知っていることでしょう?」
「でも……。」
お燐はまだ引きずっている様だった。尻尾も垂れ下がっている。パルスィなりにお燐が欲しいと思っているだろう言葉を投げ掛ける。
「さとりは貴方を信頼しているみたいね。仕事を任せられるなんて。」
「……何としてもこの失敗を取り返したいんだ。」
「さとりはその事もよく分かっているみたい。手伝えばきっと喜んでくれるわよ。」
「うーん、そうするつもりだよ。お仕事を貰いにいかなくちゃ。で、お帰りなの?」
「そうよ。ま、勇儀を探すのだけれど。」
「そうなんだ。気をつけて帰ってね。」
お燐にとって満足する答えだったかは分からないが、パルスィは毛嫌いされていないことを知れただけ収穫だった。
地霊殿の外に出た。おおよそだが、昼手前だろう。中心街の南よりにある勇儀の家に急ぐ。
パルスィは、屋台から流れてくる匂いにもつられることなくまっすぐに繁華街を進む。繁華街では落盤など無かった様子であった。
……あの爆発が起これば何か思うところがあるだろうに。何も思わないなんてあるのかしらね。
歓楽街の名にふさわしい騒ぎ様だ。パルスィも美しい妖怪。それにも関わらず、声をかけてくる愚か者がいなかったのは、彼女も名が知れていたからだろうか。
「……そこの者。」
しかし賭博場の側で、誰かから声をかけられた。聞き覚えがある。振り返ると、大柄な鬼だった。
確か……鬼の鍛冶屋よね。
「ええと。確か南町の。」
「旧地獄鬼の若頭だった、が嬉しい。まあ南町の頭でも良いがな。」
南町は内乱が囁かれていたことをパルスィは知っていた。のうのうとこんな中心街にいられないはずである。パルスィは面倒事を押し付けられないよう用心する。
「何か私に用事でも有るのかしら。」
「まず、怪しい口説きではないことを伝えておく。」
「それで……?」
「それで、水橋殿に勇儀殿から言伝てだそうだ。……正直、信じられん。」
鬼が鬼の言うことを信じられないようなこと……?
嫌な予感が止まらない。
「その事なんだがな……萃香殿が見つからない。」