この橋渡る者無きこと長し   作:塵紙驀地

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得難きもの

……さとりにしてやられたわ。元気になったということなのだろうから、悪い気はしないのだけれど……、すこし癪ね。上手く言い返せないと、むかむかするわ……。もう少し皮肉を言っても良かったのかもしれないわね。……どう言い返せたら良かったか、その時には思いつかないのに。こうも話した後で思いついてしまう。

 

「してやられるとは……?私、何かしましたっけ。」

 

「一番分かっているのは貴方でしょうに。」

 

「なんのことだか。貴方を罠に嵌めようとする奴なんて私は知らない。私はちょっとからかっただけで……貴方が急に言い出したわけだから、私は悪くない。悪いのはパルスィさんです。」

 

確かに罠には嵌まったというのは言い過ぎたかもしれないけれど、なんだか腑に落ちない。まあ……そうね……さとりがいつもより楽しそうだから、よしとすることにしようかしら。……ここまで楽しそうなさとりは見たことがないような気がするわ。

 

「それはもちろん。事件が原因の嬉しくない休みだけど、そんなものでも楽しまないと損だものね。」

 

妬ましくなるくらい前向きね。それも過ぎれば愚かにも思えるのだけれど?皆がどれだけ心配したか分かっているのかしら。さっき痛さに顔をしかめたことも忘れてないわよ。

 

「心配される私は幸せ者ね。お空もそう思うでしょう?」

 

「んん……。」

 

的を得ない答えをされ続けると、何だか腹立つわね。ちぐはぐとでも言うか、暖簾に腕押し、糠に釘とでもいうか。私の言うことはどうでもいいのかしら。

 

「あ、待ってください。ないがしろにしているわけではないの。ただ、夢心地なのよ。」

 

余計分からないわね……。実は斬られた出来事が原因で頭をやられているのではないかしら。

 

「ようやく目を覚ましたというのに……。パルスィさんには私の気持ちがわからないのね。お空に慰めてもらうから別にパルスィさんは帰っていいですよ。」

 

勝ち誇った顔……さとりは好きだけれど、なんだか無性に腹立つわ。お燐を待たずに帰ろうかしら。

 

「え……?あ、ああ……冗談……。なんだ、……驚かせてくれましたね。」

 

「そんな顔しなくても冗談よ……。どうしたのよ?」

さとりは心を読めるのに……真っ青。冗談のつもりだったのに、私は一瞬本気だったのかしら。でも、さとりを放って帰るなんて真似できるはずが無いのに……。

 

「……ごめんなさい。少し調子にのっていたかもしれません。」

 

「……本当にどうしたのよ?私は何も気にしていないわ。」

 

「……また、今日の恩返しをさせてくださいね。」

 

何か、安堵したような顔。さとりとは長い付き合いだ。……さとりは私に何を隠した?

「何も――」

「こうも下手だと、さとりが天邪鬼のように思えてくるわ。貴方は話の逸らし方がやたら下手なときがあるのよ。誰かに聞いて欲しいことでもあるの?……その思いは、私には教えてくれないの?」

真面目すぎるのよ。どうせ私に気を使おうとしただけだろうけどね。

 

「……貴方達は心を読めないというのに、どうしてそこまで『読める』の……。」

 

「……こいしからも見透かされることが増えました。もしかして、私って読みやすい性格でしょうか。」

 

「こいしに比べたら読みやすいわよ。勇儀よりは読みにくいかもしれないわね。」

 

「……あの子と比べられては仕方がありません。こいしは、私も読めませんから……。」

 

 

 

 

結局、パルスィはさとりの隠し事を聞く機会を逃した。とはいえ、さとりがそこまで気にしていないと踏んだパルスィは、深く足を踏み入れるつもりは無かった。

さとりの愛用している椅子に腰掛け、ただ時が過ぎるのを待つ。静寂のなかで、はじめて下の階が騒がしいことに気付いた。しかし、パルスィは今のさとりと遠く離れることなどできる筈もない。何かをしようと思ったのならば、お燐を待つか、お空が起きるのを待つかしかなかった。幸いにも、予期せぬ早さでお燐が帰ってきた。肩や顔には雪がうっすらとついていた。それよりも目に止まるのは、表情だった。パルスィからもお燐が興奮していることが見てとれる。

 

「……それは素敵。」

 

パルスィが状況を把握する間も無くさとりが呟いた。

 

「……橋町、すごいね。あたい、お姉さんのこと見くびっていたよ。低く見ていたわけじゃないんだけどさ。」

 

「私が見に行かなくて良かったのかしら。どうだったの?」

 

「お姉さんとさとり様が一緒にいると、二度手間みたいだね。……橋町と北町の境で捌いていたよ。蔵は開いていたけど、盗まれていたんじゃないよね?」

 

「町の皆に蔵は開けて使ってもいいと伝えておいたから、むしろ開いていたほうがいいわ。」

 

「ああ、なら良かったよ。」

 

お燐の機嫌は良さそうだ。パルスィも橋町の様子を聞いて、胸を撫で下ろす。当然だが、自分の住む町は平和なほうがよい。

 

「……さとり様、お願いです。お体は大切にしてほしい。さとり様は、さとり様だけのものじゃないから。」

 

「もとよりそうするつもりですよ。パルスィさんも、それでいいですよね?」

 

「水を差すようだけど……ええと、それって何よ。」

 

お燐の婉曲的な言葉も、さとりには本音を拾うなど朝飯前であるからか、どうしても『二人まで』の世界が出来やすい。

 

「……今日からです。」

 

「……ああ、そういうことね。……どうしても今日から?」

 

「さとり様にこんなところには一日でさえ居て欲しくない。お姉さん、頼むよ。あたいのずっと前にしたこと、まだ恨んでいるなら、何でもするから。」

 

パルスィにはあの出来事への恨みは既にさらさら無かった。ただ気まずさだけが残っていた。よくよく考えてみたら、嫉妬にかられただけで喧嘩を売るお燐の方が悪い気がしないでも無かったが、ここで水を差すつもりはなかった。

 

「あれは……故意ではなかったとはいえ、私のせいなのよね。……こちらこそ悪いことをしたわ。私も……さとりのためならいつでも迎え入れるわよ。私の家の周りも安全なようだし。」

 

「良かった。これからは仲良くしようね。それで……さとり様を少しの間、任せていい?」

 

「こうなっては、仕方がないのよね。ええ、もち――」

「……満更でもないならよかったです。」

 

回りくどい言い方をしたが、さとりの前だ、全て思考は筒抜けだった。

 

「……さとり、それは語弊があるわ。」

 

「貴方の発言こそが本心への偽りそのものでしょう。もっと素直になればいいのに。」

 

「私は素直に――」

「うーん、どっちでもいいなあ。それよりも、あたいがこっそりさとり様を運ぶから、お姉さんは先に帰っていて。さとり様がお姉さんの家にいるのは内密にね?」

 

「……分かったわ。」

 

 

 

雪の降りしきる中、パルスィは家へと急ぐ。ただいつもと違って、パルスィは雪のなかを、方角と感性を信じて飛んでいた。中心街と北町でのこのこと歩くことは、悪手であると先程学んだからだった。尊大な物ごい、すなわち野盗と出会えば、気分を害することなど考えなくてもわかる。さとりが家にくるのだ、パルスィにははやる気持ちもあった。幸いにも、吹雪ほどひどい雪ではなかった。目を凝らせば町が見えた。小さな礫――もっとも、それが天蓋から降ってきたら、家など豆腐のように崩れ落ちてしまう――が散見され始め、およそ北町の中心だっただろうところには、一町あるやもしれぬ大岩が鎮座していた。ここまで来たのなら迷うこともない。目の前に屯する怨霊を払いのけて、ようやく橋町と北町の境に降り立った。

 

「……おかえり。遅かったといえば、遅かったほうにはいるねえ。ま、仕方のないことだ。……寒さで大変だっただろ?」

 

降り立った横には、闊達に笑う老婆が立っていた。

 

「ごめんなさい、それで……どうしてここに?」

 

疑問に思ったとき、突然風が吹き、風は鼻をくすぐる味噌の香りのする湯気を運んできた。少しもたたないうちに、炊き出しだと理解できた。

 

「ここで北町の妖怪に飯を食わせる。あんたのおかげか、雑穀がたくさん送られてきたよ。さすがは勇儀だ。しかし、野菜は無かったね。冬だし仕方の無いことかもしれないな。」

 

「……食べさせた後のことは私が考えるわ。」

 

「ああ、心配には及ばない。あんたが溜め込んだ瓦と使えそうな木材で、大きな建物をつくっているのさ。土蜘蛛が手を貸してくれたよ。今日のうちに出来上がるらしい。簡素かつ粗末であたしは住みたくないが……やつらのあばらやよかましだ。雪と寒さはしのげよう。」

 

持つべきものは良き友だ。得難きは仲間だ。さとりに流されて始めたことは、パルスィに多くのものをもたらしたようだった。

 

「……なんて礼をしたら良いか……また何かお礼をさせてもらうわ。」

 

「ヤマメがあんたへの恩返しだって言っていたから、ヤマメに礼を言っておいてくれ。そうだ、あとさとりのとこの猫が来た。」

 

パルスィが知っていたことや、知らなかったこと、多くのことが家を空けていた間に起こっていたようだ。半ば報告を受けるような形で話は進んでいく。

 

「北町の様子を探りにでも来たかな。丁重におもてなしして、帰らせた。我らは忙しいのにね。」

 

「地霊殿に行って聞いてきたのだけれど、中心街に妖怪が流れていったから、橋町はどうであるか見にいったらしいわ。」

 

もちろんそれが全てではなかったが、パルスィにはこれ以上多くのことを語るつもりはなかった。また、その言葉に嘘も含んでいなかった。

 

「そうなのかい?今地霊殿は頭を失っているから何もしてこんとばかり思っていたが……そうでもないのかね。あるいは……何か起こったか。」

 

「……例えば何よ?」

 

「古明地の姉が目覚めたか……妹の方が……名前はなんだったか。……あたしも年をとったもんだ。ああ、こいしだ。……ともかくそいつが地霊殿をまわし始めたか……。」

 

斯くも鋭い鬼か。そう思わざるを得ない勘の良さだ。パルスィはこの鬼が長く生きてきた理由を再度よく理解させられた。

 

「……橋町はどうなるかしら。」

 

「何も変わらんよ。僅かに米蔵に鼠がよく来るようになるだけだろうね。……そこのあんた!橋姫様にその雑炊を奉りなよ!」

 

「ちょっと、私ごときに奉るなんて用いられても困るわ。」

 

「黙って受け取っておきな。」

 

あからさまに煮炊きもしたことのなさそうな妖怪が、雑炊を鍋から掬おうとしてこぼした。老婆の怒号が飛び、あわててその妻らしい妖怪がすっ飛んできた。

 

「ああ……もう何も言うつもりはないわ。」

 

「……もったいない。そのかいなは何のためにある!」

 

「多分煮炊きのためではないわ……。」

 

先程の手が不器用なのかもしれない妖怪が、名誉挽回といわんばかりによそわれた雑炊を走って持ってきた。手で持てない程では無いが、当然熱い。パルスィは白い吐息と湯気で奥の家の表札も覚束なかった。

 

「東町の稗に粟だ。あんたには粗末すぎて食えたものじゃないかもしれないねえ。」

 

今から食べるには気が重くなる前評判だが、寒い中飛んできたパルスィにとっては何ら枷にもならなかった。一口啜る。見た目と匂いに反せず味噌の味だ。確かに少し風味が飛んでいる気もしなくもなかったが、そこは大鍋でぐらぐらとせざるを得なかったようなので、仕方のないことだと割りきる。そこを除けば良くできていた。ふと隣を見れば、老婆が目を丸くしている。

 

「私が不味いと言って食べられないことを期待していたのなら残念ね。」

 

邪推ともとれるが、パルスィはその視線に猿が言葉を使ったかのような驚きを見いだした。

 

「……いんや、見直しただけさ。」

 

「見直したって……私を何だと思っていたのよ。」

 

「舌が肥えすぎているとばかりおもっていたがね。いや、おみそれしました。」

 

「私の生きてきた長さに比べれば、飯に常にありつけた時は些細なものよ。ここに来る前はお話にもならなかったわ。」

 

「はあ、勇儀に見初められた時くらいからかね?」

 

「……何よそれ。」

 

「勇儀が見初めた女。これで百人目くらいかな?」

 

見初めるという言葉はややずれているところもあるだろうが、好意は嬉しいものだ。自然と口もとが緩む。

 

「……一番目が妬ましいわね。」

 

「一番目は人そのものさ。」

 

「……。」

 

これには黙せざるを得なかった。考えてみれば、勇儀の境遇のなんと不遇なことか。あえて言うならば、ここで住むものに不遇でないものはほとんど居なかった。

 

「勇儀には幸せになってもらいたいものね。」

 

「全くだ。萃香が……。」

 

萃香が行方不明。それは老婆も知っていたようだ。人の口に戸は立てられぬと聞くが、その通りなのだろう。

 

「……ん、ご馳走さま。この具でも美味しかったわね。作った者が妬ましいわ。」

 

「そりゃどうも。腕も鈍っていなかったか。」

 

「……嘘。」

 

パルスィは面食らった。

 

「誠さ。お粗末さま。」

 

老婆はにかっと笑った。パルスィには、この鬼の底が見えない。

 

 

 

満足して帰ったパルスィのもとに、さとりが届けられたのはその夜のことだった。着く、ではなく届くである。お燐の火車に乗せられているところを見たのならば、誰だってそう言うだろう。

 


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