この橋渡る者無きこと長し   作:塵紙驀地

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燐的古明地観

 

「あーあ……、お姉ちゃんが羨ましいよ」

 

 こいし様がおかしい。昔からおかしかった――さとり様の前では絶対に言えないけど。それとは違う。不平不満を垂らして暮らすような妖怪じゃなかった。こいし様は、さとり様の椅子に腰をかけて今も書類を作っている。その様子があまりにも……つまらなさそうだ。よく分からないけど、自分から替わっておいてその言い種はないんじゃないかな?

「……それでも、こいし様は自分でお仕事するって決めたんですよね?」

 

「……もう。お燐、はずれ。そこじゃない」

 

「そこじゃないって、……じゃあ何ですか?」

 

「私はさとり妖怪じゃないのに、結局さとり妖怪ってこと。悪いことずくめだわ」

 

 こいし様とさとり様の言葉はなかんずく分かりにくい。さとり様はあたいが分からないことを分かってくれる。こいし様はそうじゃない。こいし様も賢いはずだから、言葉に意味があるはず。その意図をつかめないあたいが馬鹿なのかな……。

「さとり妖怪で……さとり妖怪じゃない? え? ……んん?」

 

「お姉ちゃんが、さとり妖怪であるにも関わらず得られたものを、私はまだ得られてないってこと。さとり妖怪が被る不幸は貰っているのに。だからね、逃げ出したかった。……逃げられなかった。種族とは残酷なものよね。……ああ、まあいいや。お燐には関係ないよ」

 

 何なのか全く分からない! 逃げる? ……何から? こいし様は不満を感じているみたい。だから……不幸から? 不幸から逃げたのかな。さとり様が得て、こいし様が得ていないもの……。思慕されること……とか。

「あたいは……こいし様だって大好きですよ」

 

「お燐はさとり妖怪の良さを知っている自分が好きなんだよ。その証拠に、お姉ちゃんを助ける前に報復を優先した」

 

 あの時あたいは、さとり様を助けることすら忘れ、犯人を焼き殺した。……痛い所をつかれた。でも、こいし様の言うことは間違っている。だって、あたいは本当にさとり様を慕っているのだから……。あの時は血がのぼっていただけ。それで順番を間違えた。間違えただけなんだよ。絶対にこいし様の言ったことは正しくない。

 あたいは主を守るためには何だってする。主がやられたら……当然、報いを得ることになる。やった奴を許す?あり得ない。

 ……明らかにこいし様はご機嫌ななめだ。ここまできたら、八つ当たりに近いような気がするけど。

「あれは……さとり様のためですよ。確かにあたいは順番を間違えた。でもそれはさとり様を思ってこそ間違えたんです。……さとり様を助ける方が先なのは明らかでしたけど。だからこいし様の言ったこと、取り消してはくれませんか?」

 

「ならそれでいいや。取り消すよ。……ところでお燐。パルスィがさとり妖怪の良さを知って悲しい?」

 

 それでいいとは何だろうか。馬鹿なあたいでも、こいし様に心の底から理解してもらったとは思ってない。取り敢えず、さっきの発言は取り消してはくれた。……こいし様も私の主。取り消して頂けただけで満足するしかない。

 さとり様がいい妖怪だと知る妖怪が増えることをあたいがどうして悲しく思うか。こいし様はあたいの気持ちを本当に読めないんだろうね。こいし様も、さとり妖怪を毛嫌いする妖怪が居なければ、ああはならずに済んだのに。きっと、もっとあたいたちは幸せに暮らせた。

 

「え……? そんなことは――」

「どうだろうね? 自分の気持ちなんて、誰にもわからないものだよ? もう一つある。普通の妖怪はちょっと悋気に狂ったところで、喧嘩なんか売らないよ。それに、パルスィはそんなに強くないし。お燐がパルスィに揺さぶられるとも思えないんだけど。違ったの?」

 

 相も変わらず、こいし様は言いたいことだけ言うよね。あたいが暗に弱いって言われてるってこと? 違う? ……なんだか釈然としないなぁ。言われっぱなしってのも嫌だし。あたいの気持ちは悋気でもなかったし。あのことは忘れたいのに。ちょっとくらい言い返しても、いいよね? そうだ、……前もこうやって洒落にならない結果に終わったんだっけ。あたいが後先考えずにやり返すと、仲間をやったな! とか言われて、鬼から殴られたり、さとりを放って報復を優先するな! とか鬼から諭されたり……。いつもひどい目に遭っている気がするよ。話を変えるべきか。

 

「そんなこと言っても、こいし様。あれはパルスィが悪いし……。それにこいし様。今日はなんだか変ですよ」

 

「変って……私のこと? 何で? 私の何が変なの?」

 

「だって……いつもと違って怒りっぽいじゃないですか」

 

「怒りっぽくないよ?」

 

「怒ってないんだったら、あたいに八つ当たりしなくても……。何か気に障ることでもありましたか?」

「それだわ!」

「わ!」

 

「なんだろう、怒ってないんだけど、なんだか心がぐらぐら煮え立つ? ……その少し前? みたいな感じでさ、萃香と会ってからなんだよね! 萃香が下手な真似するから」

 

 それって怒ってるんじゃ……結局、こいし様は怒ってたね。自分が怒ってたことに気付いていないのかなぁ? こいし様、少し変わっているし。でも自分の感情は説明できているしなぁ。どっちかわからないよ。

 それより萃香だよ。消えた……とかだっけ。その萃香と何かあったのかもしれない。こいし様、自分の気持ちを伝えようともしないことばかりだったから、もしかしたら手掛かりがあるかもしれないね。まさかとは思うけど萃香を殺して……。こいし様がいつもと違うのはそれが理由なんじゃ……。

「え、こいし様萃香と何かあったの?」

 

「お姉ちゃんが寝ていた時にね。大したことじゃないよ」

 

 きっと、大したことがあったのだろう。邪推せざるを得ない。でもこいし様を信じたい。

「……あたい、気になります」

 

「うんうん。そっかあ……そうなんだ」

 

 やっぱりはぐらかされた。違う。土俵にも立ってない。挙げ句の果てに何かを勝手に納得されたよ。納得したのはあたいのことなのか、それとも別のことなのか。あたいはさとり様みたいに心を読むことはできない。せめてこっちを向いてくれたら何か分かるかもしれないのになあ。

 

「聞いてますか? お話しするときは、話す妖怪の方を向こうって、さとり様にも言われましたよね。」

 

「どうだっけ、きっと言ってないと思うわ。あ、私もちょっとだけ北の様子を見に行こうかな? お燐留守番よろしく!」

「あ! ああ……。足、速いなあ」

 

 そうだ、あたいも北町に岩を砕きに行こうかな……。橋町にいるさとり様も気になるし。あ、駄目だね。地霊殿にお空しか居なくなる。地霊殿をお空に任せるわけにもいかないか。少なくとも、こいし様か、せめてあたいが居ないと地霊殿は回らない。お空が動物を指揮? お空はいい子なんだけど、できるわけがない。餌やりと、花壇の水やり。今のところお空はこれで満足している。よくさとり様はお空を言いくるめたものだなあ。仕事がなくて癇癪を起こしそうだったのに。……お空はまだ子供なんだろうね。

 こいし様はこれ以上教えてくれなかった。……もしかしたら、もう少し詳しく聞いた方が良かったのかもしれないね。何もないことを祈るしかないよ。

 








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