この橋渡る者無きこと長し   作:塵紙驀地

48 / 67
鳥籠

(さとりの意識があやふやなのは熱のせい? 一度、地霊殿に帰した方がいいのかしら? さとりの言う、こいしとは誰? さとりはお燐と、お空と他の動物達と暮らしていたはず。)

 ……本気だ。パルスィさんは本気でこいしのことを忘れている。からかいにしても下手なものだけど、そんなからかいでもない。どうしてこいしを忘れるの。どうしてこいしの話なのに、こいしの顔が貴方の思考に浮かんでこないの。

 

 さとりが他人の心から記憶を引きずり出すと決めたのは、もう今日二回目だ。気心の知れたパルスィに眠る記憶を表層心理まで持ち出させることは、さとりは別に恐れていなかった。熱も上がりそうにない。

 

「そんなに言うなら、試してみますか? ……私が正しいのよ」

 

「……本当に大丈夫なの? 貴方はお燐とか、動物達と暮らしていたでしょう。こいしなんて、聞いたことがないけど。……そこまで言うなら、記憶を探ってみたらいいわ。きっとこいしなんて見つからないはずだけど」

 

 パルスィは一人でさとりの世話をしている事態ではないと判断していた。さとりの記憶の混濁は、パルスィにとって、看過できるものではなかった。さとりがここに居るのを隠すことを捨て、医者を呼ぶのは致し方ないと考える程には。

 さとりからすれば、狐につままれる所の話ではなかった。パルスィがこいしを忘れるなど前代未聞。しかもパルスィはさとりが記憶があやふやだと決めつけてくる。

 昨日の会話が頭をよぎる。さとりは、もしかしたら皆がこいしを忘れているかもしれないという思考が頭をよぎった。恐怖を払拭する為に、さとりは記憶を引きずり出す。

 

 

 

 二人のどちらが正しいかは、記憶を引き出し始めてすぐに明らかとなった。

 こいしによって故意に仕舞い込まれた記憶は、さとりによって故意に引きずり出され、再び日の目を浴びることとなった。こいしが試した記憶の隠匿は、夢喰いの獏が乱入したことで不完全に終わっていたのだ。

 不完全なまじないは、パルスィの記憶をパルスィ自身が思い出せない程度には隠せていたが、所詮はその程度。能力と下手な術を併せて用いたが、その術者はこいし。外からの干渉は妨げられる彼女だが、その一方で彼女は外への干渉がすこぶる下手であった。さとりとこいしでは、精神干渉においてさとりに一日の長があった。

 

「ねえ貴方。うす汚れた包丁をくれたその子の名前、言ってみたら?」

 

「…………ごめんなさい。私はどうして。……私はどうしたら」

 

 さとりが、勝ち誇った顔でそう宣言すれば、ばつが悪いパルスィは謝る他無かった。記憶があやふやなど散々なことを思ったのに、記憶があやふやなのはパルスィの方だった。これはパルスィのせいではないにしても。

 己を深く恥じるパルスィを余所目に、さとりは理由を探り始める。しかし、何も思い付かなかった。パルスィの記憶からも何も得られなかった。ドレミーが夢を喰って、パルスィの持つ夢の記憶をほとんど消していたからだ。獏が手をつけたところは、さとりでは引き出せない。思考ならいざしらず、記憶において、ドレミーはさとりよりもずっと高いところにいた。ドレミーはさとりが物心つくずっと昔から、記憶を扱ってきたのだった。

 

「――こんにちは。水橋パルスィのお宅はこちらでよろしかったでしょうか。よろしいようですね」

 

 二人の頭上から声がした。天井が歪み、夜空のような空間が天井に取って代わる。顔を出したのはドレミーだ。地底と夢の世界を繋げて二人に語りかけてくる。

 突然のことにパルスィは愕然とする。一方でさとりは強い不快感を覚えた。さとりはこの獏を覚えていた。この女はさとりを散々こけにした挙げ句、パルスィに依存する蛆虫だとのたまったのだ。――実際はそこまで言っていないとしても、彼女の記憶にはそう残った。

 さとりからすれば、会いたくない妖怪五英傑のうちの一人である。残りは普通に面倒な紫と、自分のことが嫌いな妖怪全て。残りの二つは空席である。

 

「……誰? 貴方を見たことがあるような……」

 

 パルスィは毎度毎度夢の記憶を消されていた。ドレミーなど()()()()()。だが、さとりはそうではない。ドレミーと初めて遭遇したときのことを、さとりは鮮明に覚えていた。

「……パルスィさん。こいつ、信ずるに値しませんよ」

 

「……ん? おや。丁度良かった。地底の取締役もいる。他人の記憶を食べる貴方こそ――」

 

 ――誰からも信じられないものでしょう。

 さとりからは、ドレミーの心を読めた。夢の中と違い、ドレミーの一挙一動に予想がつけられた。

 夢世界でさとりの能力を遮断したのは、ドレミーの単なる興味だった。ドレミーが興味を満たし終えた今、さとりがドレミーの心を読めることこそが、ドレミーの持つさとりへの警戒感をよく示していた。つまり、ドレミーはさとりを一切警戒していない。ドレミーはさとりに全てを読まれたとしても、さとりに勝つ自信があった。

 

「貴方は……誰よ?」

 

「夢を思い出せばわかることです。一度閉鎖した夢。もう一度開くことは叶いませんが、夢の記憶くらいはお返しします」

 

 パルスィからすれば、天井に穴をあけ、しかも一切話が通じない妖怪。さとりが睨みつけていることも気になる。刺客か。そう誤解するのも致し方ないだろう。

 さとりを庇うような位置で立つパルスィに、黒いもやが襲いかかったかのように見えた。

 

「何を……きゃあ!」

 

「――パルスィ! 危なっ……ああ、あれ。………………その夢は何?」

 

 もやはパルスィに触れると立ち消え、外見では何も起こらなかった。その代わりに、パルスィの頭に記憶が流れる。

 こいしが、夢の中にいた。パルスィに何か、まじないをかけた。その結果、パルスィがこいしを忘れた。パルスィの見た夢の内容に混乱するさとりを放って、話は進む。

 

「ドレミー・スイートだったわね。夢のことで、何度か助けてもらったのよね?」

 

「まあそうなりますね。現の世でも覚えておいてください、と言わざるを得ない状況となりました。貴方も災難ですねぇ。……もう一度聞きます。夢の中で会った女の子の名前は?」

 

「古明地こいし。さとりの妹。……どうして忘れていたのかようやく理解したわ」

 

「おお! 思い出して頂けました? こいしですか……。古明地に妹が。ふむ……夢でお会いしたことがなかったのは、彼女もまたこちら側だからか」

 

 パルスィは自分の夢を思い出した。夢の中の自分がいかにしてこいしを忘れていったか、よくよく理解したのだ。それを読んでさとりも、パルスィとの記憶にずれが生じた訳を知った。

 

「こちらってどちらよ」

 

「夢に勝てる側のことです。ああ、そうそう。……貴方の夢はいいですねぇ。欲望にまみれていて――」

「ちょっと、黙りなさい」

 

「ああ大変。貴方の夢、私経由でさとり妖怪に覗かれてしまいますよ」

 

「別にいいけど」

 

「……実はそのような夢はございません。良かったですね」

 

「お客様にお出しするお茶は無しね」

 

「何とけちな」

 

 さとりからすれば、パルスィはドレミーにすっかり絆されたように見える。そのことで、さらに面白からざるものが呼び起こされる。獏が橋姫へちょっかいをかけ終わった時、さとりはドレミーの思考をつぶさに、なめ回すように読んでいた。だからこそ気づいた。――こいしをどうしてやろうか。ドレミーはこいしに害をなすつもりだ。

 

「何をするつもり。……こいしには手を出させない。もし……しようものなら。奥底に眠る恐怖を思い出させてやる」

 

 ドレミーの思考を読めるのは、さとりのみだ。さとりはドレミーの心に不穏なものを感じ取った。次に置いていかれたのはパルスィだ。彼女を放って話は進む。

 

「奥底に眠る恐怖を呼び起こす、……結局何をされるのか、よくわかりませんねぇ。まあ……トラウマのことでしょうか。トラウマ……抉り出してみてはどうです? 私は曲がりなりとも獏ですから……。貴方は一生、悪夢しか見ることはないでしょう。記憶の奥底に眠る恐怖に怯えるのは、貴方。私に比べれば、さとり妖怪が何だというのです」

 

 はったりではない。しかし、別に本気でもない。この程度の威圧は挨拶だと言わんばかりの獏に、さとりは言葉につまる。それでも、黙する訳にはいかない。

 

「……こいしはどこにいる?」

 

「まあ落ち着いて。……夢世界で他人の夢を荒らし回る輩がいまして。少し追ってみれば、被害者はほとんど地底に住んでいた。しかも地霊殿と関わったことのある妖怪ばかり。ここで本格的に追いかけ始めました。結果を申し上げますと……」

 

「こいしに、追い付けなかったのね」

 

「まんまと逃げおおせられてしまいました。夢とは狭いもの。無意識とは広いもの。夢も、無意識の一分でございますゆえ。まあ夢も全て繋げたら、現の世より大きいとは思いますが」

 

 獏なので、夢の中ならば敵なしだ。しかし、夢の外にある空間は、慣れているとはいえ専門外。こいしが一度他人の夢から抜け出せば、そこは無の境地だ。そこでは、ドレミーは無意識の権化には劣る。てがかりがなければ、捕まえること、意識することすら難しい。

 

「……これ、地底からの侵略ですか?」

 

「違う」

 

 さとりは語気を強める。パルスィの夢と、獏の話したことから、こいしの敵に近いと判断した。こいしの敵は、さとりの敵。全面戦争も辞さない。さとりはこいしを守ると固く決めていた。

 

「そうですか……でも、人の夢を喰らう卑しい獏とて面子があります」

 

 ――私に対する詫びが必要。……どのくらいが妥当か……決めました。菓子折りでも持ってこいと言いたい。

 

「……菓子折り?」

 

 あわや戦争か。身構えたさとりからすれば、とんだ拍子抜けだ。

 

「貴方の妹だそうですから、貴方にも責任を問いたいとは思いました。ですか、貴方がいなければ事態はより面倒になっていました。そこを加味すれば、こちらへの詫びくらいで引きましょう。……それに、地霊殿と夢世界があまり喧嘩するのもよろしくない。本心を言えば、荒らした本人を苛めたいところですが……」

 

 月とも提携を組んでいるドレミーにとっては、月に侮られることは避けたいので、夢で暴れた妖怪に頭を下げさせた事実が必要である。地底世界と紫が仲良くなるのも困る。飾られた言葉も、さとりには二文で済む話だ。パルスィもこの長々とした言葉で状況を理解した。

 

「……つまり、面倒なことにならなかったのは、さとりのお陰ってことかしら?」

 

「手間が増えたことには変わりありません。こうしてここへ顔を出した」

 

「……悪いわね」

 

「貴方ではなく無法者が悪いので、気を使わなくても大丈夫。堅気の者が夢で不幸せになられては困ります。夢そのものを嫌われては悲しいですから」

 

 ――存在そのものを嫌われると悲しい。さとりは獏の一言に共感する所もあったが、それ以上にこの獏を好きになれそうになかった。全ては獏に数日前に言われた言葉のせいだ。

 その一方で、手は組める相手だ。ドレミーもしがらみの中に居た。読んでみれば、こちらよりも頑固な鎖の中にいるようだった。月と幻想郷。そして、戦争。さとりも聞いたことがあるものだ。板挟み、仲介者。あるいは調整役。なんとも分厚い板に挟まれているようだ。

 

「これ以上暴れられたら、私は無法者にそれ相応の目に遭わせる必要がある。……その前に……最愛の妹の尻拭い、して頂けますよねぇ?」

 

 これだけの会話で、ドレミーはさとりがどれくらいこいしに執着しているか推し量ることができた。さとりは見透かされたことを見透かしている。ドレミーが見透かした推測はおおよそ当たっていた。

 

「……何をすればいいの」

 

「貴方の妹にまつわる物をかき集めていただきます。できれば妹がずっと愛用してきたものが良い。見つけたら、枕にでも敷いてください。そうです、橋姫も手伝っていただけるならば……」

 

「厄介事を持ってきたわね……。強い妖怪はどうしてこうなのかしら。……まあ、夢でも助けてもらったし、いいわよ。あとは、さとりのため。見たらわかるでしょう。貴方、その体のさとりに鞭打つわけ?」

 

「……確かに。しかし、貴方が思うほど大きな怪我ではないかと」

 

「その言葉は強き者の特権ね。悔しいことに、私はそうではないの。私にとって、さとりの傷は、大きな傷よ」

 

「それは失礼。……伝えたいことは伝えました。また夢でお会いしましょう」

 

 

 

 夢世界との狭間が天井へと戻り、獏は消えた。二人、特にさとりが安堵したのもつかの間、襖が跳ねとぶ。パルスィは慌ててさとりを庇おうとするが、その必要はなかった。見覚えのある人影がそこにはいた。

 

「さとり様ぁ!」

 

 けたたましい音を立てて部屋に飛び込んできたのはお燐だ。手に一枚の紙を持ち、顔も赤い。頬に涙も見える。

 

「さとり様! 家出するって本当ですか!? あたい達と暮らすこと……そんなに……嫌ですか? あたいが、あたいが間違えたせい? やっぱり、パルスィの方がいいの? これからあたい達はどうやって暮らせばいいの?」

 

 なぜさとりが家出をすることになっているのか。突然の事で頭が真っ白になったさとりだが、思わず口が強く否定した。

 

「待って、どうして。私が家出? 私は家出しませんよ」

 

「さとりが貴方を捨てるわけないわよ。さとりは私の家で、すこし療養するだけでしょう?」

 

「え? そのまま出ていって……」

 

 当然、三人は混乱した。話が噛み合わないどころではない。

 

「……だって、だって。これを書いたのはさとり様ですよね?」

 

 お燐が手にした紙に書かれていたのはただ一言。『家出します。もう帰りません。』

 一見さとりの字だ。しかし、さとりだからわかる。似ているがこれはこいしの字。こいしの字だと理解して、さとりは胆が冷えた。この紙が正しいのなら、こいしが家出する。一生見えないところへ消えてしまう。さとりにとっては許せる事態ではない。

 

「……よく見せて。お燐? 私は家出しない。でも、これは――」

 

「家出……しない、の。……なら、これは誰が置いたのさ?」

 

 二人はお燐の返事に違和感を覚えた。この手紙を誰が置いたか、いつものお燐ならわからないわけがない。そうして二人は慄いた。先に立ち直ったのはパルスィだ。さとりは今すぐ目も耳もふさいでしまいたいくらいだ。

 

「お燐……。さとりの妹の名前。言ってみなさい! 今すぐ!」

 

「えっ! そんなの……いない…………かな? あれ、パルスィとの秘密の合言葉だっけ。そんなのあったかなぁ」

 

 こいしを覚えているのは、もはや二人だけかもしれない。正確には、獏を含めて三人か。

 神出鬼没の妹が家出。誰もがこいしのことを忘れ、見つけることは難しい。絶望しかけたさとりだが、まだ蜘蛛の糸は眼前に垂れていた。

 厄介事を持ってきたかのように思える獏も、二人からすればこいし探しに使える戦力だ。さとり達は、こいしの後始末をさせられている。こいしを見つけられなければ、相手も困る。予想通り手は組める相手だった。

 

「……こいしを連れ戻します。獏を上手く扱えば、不可能ではない」

 

 鳥を連れ戻すため、施政者は宇宙(そら)を飛ぶ。手がかり()を用意する。鳥を鳥籠に戻すことについて、鳥の意思は関係なかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。