さとりと幽香は机を挟み、向かい合って椅子に座っていた。さとりの後ろには、悠々と紫が浮いている。幽香は眉一つ動かさない。
どちらが悪いかはさておき、紫が啖呵を切ったせいで、場の空気は尖りきっていた。もっとも、その気にやられているのはさとりだけだったが。それもそのはず、ここは地霊殿である。馬鹿みたいな力を持つ二人のことだ。二人がここで何かをしようとしただけで、さとりとさとりの守るべきものすべてが吹き飛ぶことは間違いなしだった。かといって、ここでさとりが下手に動こうものなら、それが合図となって戦闘が始まるかもしれず、止めることもできなかった。
「……」
幽香と紫に挟まれた位置に座っているさとりにとって、どちらの攻撃の余波だけで致命傷となる。さとりは戦闘が始まるとするならば、幽香からの攻撃だと踏んでいた。
一撃目。もし私が反応できたなら、椅子を後ろに倒して、そのまま倒れこむ……。それで、なんとか……なってほしい。
さとりだけが平時の十倍ほどの速さで寿命が削れていくのを感じた。
そんな緊迫のさなか、ついに事態が動いた。それは些細なものだった。ドアノブが回された音。それだけのことであった。しかし、均衡を保っていた天秤は瞬く間に崩れ去る。
さとりは幸運だった。限界まで神経を尖らせていたせいで、ドアノブが回された音にさえ大いに驚いた。その結果、バランスを崩してしまい、奇跡的に倒れこめた。謀らずとも事前に決めていた避け方をなぞることができたのだった。
おまけにさとりが倒れる寸前、反射的に目を瞑っていたことも幸運だった。もし目を開いていれば、彼女は一つ目の妖怪となっていたかもしれなかった。
こいしは不運だった。彼女は今しがた地霊殿へ帰ってきたところで、さとりの部屋にさとりがいなかったことから、館中で姉を探し回っていた。その結果ここにたどり着き、いつもと違ってドアが閉められていたので、取り敢えずドアノブを回した。
彼女には不運を覆すだけの能力があった。第六感である。まだ何も見えていないのにも関わらず反射的にのけぞり、尻餅をついた。彼女が再び立ち上がり、瞑っていた目を開いた時、ドアは吹き飛び、そこに壁は無かった。
紫は幽香の一手を読んでいた。幽香の性格上、一撃目は確実にマスタースパークと名のつく光線が飛んでくると知っていたからだ。数百年に一度、お遊び妖怪大戦争を起こす二人。一手目は様式美。それほどまでに二人は良くも悪くも腐れ縁であった。
一撃目が放たれるまでに、ひそかに紫はさとりの前にスキマを張っていた。光線を受け流し、受け流した光線を紫の後ろに張ったスキマから垂れ流せるようにするためだった。馬鹿みたいな理由だが、光線に貫通されたかのように見えたが、光線の中から悠々と現れる無傷の紫。を演出しようとしていた。そのためにさとりの館が壊れようが、そこはどうでも良かった。
幽香はさとりへの配慮を一切為さなかった。紫の方へ一直線にマスタースパークを放ったのである。幽香にとって、目標への射線上に何がいようがどうでも良かった。さとりに当たった時の影響も、頭の片隅にすら無かった。
ただ一つだけ考慮していたことがあった。この一撃目で紫を倒してしまうのは、戦う楽しみが失せてしまうので、不味いのではないか、ということ。それだけは危惧していた。そのため、威力を半分以下に抑えていた。
いくら手抜きだろうが、マスタースパークが館の中で放たれたのは確かだ。
さとりの視界が、瞼に流れる血潮の赤で染められた後、恐れていた二撃目が飛んでくることはなかった。
「……」
「その程度の光線なんて、効きっこないわよ幽香。どう? なんとか言ったらどうよ」
「後ろ」
「……騙されないわ」
この馬鹿もついに人を騙すことを覚えたか、と感動しつつ、紫は振り返らなかった。椅子とともに倒れたさとりはドアの方に顔を向けることができた。
ドアと壁の代わりに見えてきたものは、重要な部屋を次々に貫通した大穴。スキマで少し下にぶれたか、大穴の突き当たりは玄関まで到達している。勿論、貫通した部屋は全て炎上中。
さとりを絶望させるには十分すぎた。
「紫は止めてくれるって、前はそうだったのに。違ったの?」
「いつもとは意趣を変えて……」
「そう」
「素っ気ないわねえ。ほら、マスタースパークが貫通したはずの紫さんは無傷よ? ……代わりに館が焼けたけれど」
「……そう」
幽香の紫に対するいびつな信頼。場所をわきまえぬ紫。さとりは憤慨したくもなったが、相手が相手。我慢してきた。……それも、限界だった。体を起こしたさとりの顔は、憤りがありありと出ていた。
「……いい加減にして」
「あら」
「……?」
「お姉ちゃんが、怒った……!?」
「ここを、どこだと思っているのです?」
「それはもちろん、さとりの館。名称は地霊殿で、温泉の上に建っていることから――」
「こいしの住むところ」
「それで、なぜお二方は来客であるにも関わらず、好き勝手しているのですか?」
「以後、気を付けますわ」
「好き勝手? ……私は、いつも通りよ」
誰もまともに答えてくれないことに、さとりの感情が高ぶり続ける。さとりの目から、ついに涙が出てきた。
「この惨事、なんとかしてくれますよね!」
「可及的速やかに、対応を検討させていただくつもりでございますわ。つきましては――」
「……こいし、こっちきて」
紫はどうにかすると断言しない上に、幽香に至っては対応すら言わない。それどころか、さとりを無視して、こいしと談笑し始めようとした。
幽香が後ろ、と言った理由は、廊下で腰を抜かしたこいしを見つけたからにあった。決してさとりの館が炎上しているからでは無かった。こいしが居ることは良いものの、さとりはそれどころではない。
「………………」
「あっ」
「……こいし、どうしたの」
さとりが沈黙し、こいしが何かを察した。それを見て幽香が疑問を抱く。
「お姉ちゃ――」
「もう、やあああああああ!!」
幽香とのお茶会でのストレス、大妖怪に挟まれるストレス、死の瀬戸際にたたされるストレス、家を破壊されるストレス、上位の妖怪に説教するストレス、そして無視されるストレスに耐えかねて、ついに感情が暴発した。
「待って、お姉ちゃ――」
「知らない! 知らない!」
こいしの制止も聞かず、さとりは逃げ出してしまった。今火事だというのにどこへ逃避しようというのか、そもそもなぜストレスごときで逃避に走るのか、紫と幽香には理解できなかった。しかし、こいしはさとりの気持ちが痛いほどよくわかる。
「あらまあ、あなた、見ました? 乙女さとり……」
「殺すよ?」
「こいし、そいつを殺すのなら協力するわ」
「後でね?」
さとりの気持ちを理解できないからさとりの逃避行動を茶化す紫と、そもそもの元凶であり、さとりの逃避行動一切合切を無感情で無視する幽香に、こいしは腹をたてる。その最中、火事に慌てた鳥が部屋に駆け込んできた。
「あっ、鳥さん! 基本、火災マニュアル通りね! 各員に温泉でもなんでもいいから水を汲んでくるよう伝えて! それを火につよい妖怪に持たせて、消火! 危ない所は動物の霊にやらせておいて。鴉の一匹は、お空に逃げ遅れないよう伝え、万が一の際には、灼熱地獄経由で外へ! 鳥達は危なくない限りでお姉ちゃんを探して外に出るよう伝えてきて! お燐は……、自力でなんとかするでしょ! お燐は火車だし」
わずかな時間でこいしは連絡を終え、鳥もどこかへと消える。今は一刻を争う事態だ。
「さとりより、あなたの方が向いていたわねえ……」
さとりが説教を始めたのも、紫にとっては意外だった。行動の優先順位を付けられないこともあるのか、とややさとりの評価を下方修正しつつ、久々に姿を表したこいしをじろじろと見定めようとする。こいしは不快そうな顔を隠さない。
「くたばれ紫。手伝え」
「口の悪い子は嫌われますわよ。それにあなた、怒っていらっしゃる?」
「怒ってる。それと、悲しい」
「……ふうん」
感情の変化を大っぴらに口にできるようになっている。進化か、退化かはわからないけれど。
紫がこいしの変化に気付かないはずもなかった。気付いたことに気付かれては、あまり意味がない。紫は露骨に話を変えようとする。
「まあ、撒いた種は自分の手で回収するべきですわね。藍」
スキマが開き、藍がひょっこりと顔を出す。
「三秒で片付けろ」
「ご自分でどうぞ」
当たり前だ。撒いた種は自分の手で片付けるべきなのだから。