*古明地こいし
私がちょっと優しくしたら、お姉ちゃんはすぐに嬉しそうにして……。どうやら、いつもの凛々しいお姉ちゃんじゃなかったらしいわ。だから、扱いやすかった。少しばかり誘導したら、お姉ちゃんはパルスィのもとへ向かった。
……それで良いよ。
お姉ちゃんと私は、うら若き乙女として、無為のままに過ごす少女時代を得られなかった。例えば、友達と話して、遊んで、何をするともなく隣にいるとか、冗談を言い合っては、とりとめもなく昨日の出来事を語り合うみたいな。……駄目だ。この程度の陳腐な想像しかできない。
さて、生憎とさとり妖怪は嫌われていた。お姉ちゃんの周りに居たのは家族だけだった。お姉ちゃんに残されたのは、懊悩と苦悶に満ちた地獄だけ。
私はそうはなりたくない! 私はさとり妖怪なんかじゃない! と、心から願ってきた……。
なのに、幻想郷ができた年に、私も同類だと理解させられた。目を閉ざしても、さとり妖怪なんだ。この『目』は私について回った。まるで萃香の持つ鎖のようにね。だから、私と話そうとするのは家族だけだし、いつも周りに居てくれるのは家族だけ。
……幽香? 自分の身を守ろうともしない怪物を生物と呼べるの? あれは、私には分からない。……どうやら好意を抱かれているらしいけど。まあ、嫌いじゃないわ。でも、友達とは言えない。友達って、苦難を共にできるものだよね。力が違いすぎてお互いの心を通じ合わせるなんて無理だと思うの。……これはどうでもいい話。
お姉ちゃんにとって、例外はパルスィ一人だけ。……お姉ちゃんが心底羨ましい。例外が一人もいるなんて。
そのためだろうか、最近、お姉ちゃんのちょっと幼い一面が露になりつつある。現実から逃げたり、感動してすぐに泣いたり、ちょっとの事でも大げさに反応したり。
私は、お姉ちゃんが変わりつつある原因を、いくつか考えたりしている。
まずは一つ目。お姉ちゃんは、読書で得た『普通の少女』に自分を同一視して、無意識に演技をしている、ということ。
お姉ちゃんなりに解釈した『普通の少女』。その『普通の少女』にお姉ちゃんは含まれていなかったって、知ってたんだよね? でも、お姉ちゃんは『普通の少女』として過ごしたかったんだね? 全部知ってるよ。本当の自分を見てもらいたいのに、着飾る装備を取っ替えて、結局見せるのは着飾った自分。お姉ちゃんもまた、煩悶と矛盾に満ちた地獄の住民。
パルスィがその『少女さとり』を許してくれるのなら、『古明地さとり』を受け入れてくれるかもね。いつだっけ、「パルスィさん」が、「パルスィ」になったのは。そうだ。私が家出しようとした時だ。二人の間で、何かあったんでしょ?
うん。証拠なんてない。ただの邪推。
……私の推測が間違っているのなら、それでもいい。別の邪推を用意しよう。一つ目よりは、幸せなものをね。
二つ目。お姉ちゃんの本性は、あれ。か弱くて、女々しくて。少女と言い表すには、少女に失礼なくらいの精神。でも、本心を見せる機会が無かった。お姉ちゃんは親友に、偽りない本当の自分を見せたかった。
よかったね、パルスィが居て。ようやくお姉ちゃんは本当の自分を打ち明けられた。お姉ちゃんのほとんどを理解してくれて、受け入れてくれて……。
でも、お姉ちゃんの全てをパルスィが受け入れてくれるか、最初の方は怪しかったよね。本当の自分を御簾に透かして、ほのかに見せようとするあのときのお姉ちゃん。なかなか見ていて面白かった。
そんなか弱いお姉ちゃんが、全てを受け入れてくれる妖怪を見つけた。それはもう何もかも委ねたくなるような強い誘惑に駆られていたにちがいない。……変な男に引っ掛からなきゃいいけど。
最後だ。三つ目。単純な話だけど、お姉ちゃんから仕事を奪うと、ああなる。お姉ちゃんがめそめそしてる時って、ほとんどが余暇。仕事中に泣いたりしてること、そんなに無かったような。
お姉ちゃんは仕事をしていない時、何をしていいか分からない。だから精神が不安定になる。お姉ちゃんが落ち着くためには友達と話したり、ペットの毛並みを整えたり、本を読んだりしないといけない。
まさか、お姉ちゃんって、落ち着くために仕事をしているの? そんなことある?
………………。うん! 何だってありえるよ、私のお姉ちゃんだもの!
三つの邪推が涌き出た根本は同じで、いずれもお姉ちゃんの精神が不完全な成長をしたことに思える。全て間違ってるかもしれないし、もしかしたら、より深い根を這いずらせているかも。
私はお姉ちゃんじゃないから、分からない。私は心、閉ざしたからなぁ。……お姉ちゃんは私の心を読みたいらしいけど。嫌だよ。もう一度開けるだけの理由がない。
多分、お姉ちゃんの心はわがままで、独善的で……。
でも……、そのままで良いよ、お姉ちゃんは。
……妥協しよう。私は、お姉ちゃんのために少しばかり我慢しよう。パルスィの言葉が正しいのなら、私はお姉ちゃんを愛してるもの。
見える形で愛してほしいなら、お姉ちゃんの耳元で愛してると囁いてあげよう。
地霊殿の主を一時的に代わって欲しいなら、それを担ってあげよう。
お姉ちゃんが路頭に迷い、その目に何も映らなくなっても、一緒にいよう。家出なんかしない。家族は分かつことなどできないのだから。
そしてもし、その時が来たのなら、きっと、きっとお姉ちゃんは泣いて私にすがるだろう。
その時に私は深く実感するのです。ああ、古明地こいしはなんて愛されているのだろう! ……なんてね。
「傾国の――」
「その呼び方はやめてくれ。若気の至りで、その……なんだ。いや……」
「あらら、ごめん。……お姉ちゃんは洋風建築をお望みなのです」
そんなお姉ちゃんから仰せつかったこの仕事、完璧にこなしてみせようか。館の建て直し。お姉ちゃんのためなら少しばかり我慢しても構わない。
……この仕事からは逃げない。ねえ、お姉ちゃん。私はね、お姉ちゃんが嫌いな嘘はつかないよ?
お姉ちゃんがどこからか手にいれた、建物について書かれてある本。洋風建築の一頁に見とれてため息をついていたこと、私は知ってる。お姉ちゃんの望みは叶えてみせよう。……働くのは紫の狐だけど。
待って、……関係ないけど今の私、すごくかっこいいかも! 書類を片手で持って、もう片方の手には万年筆。よくお姉ちゃんがとってる姿勢と同じ! この部屋の雰囲気もいいよね。
「してこいしよ。ひとえに洋風といえども、多くの種類がある。それで、建ててほしいのはどのようなものだ?」
「広々とした玄関。長く美しい廊下。今の廊下は少し入り組みすぎていて困るわ」
「ふむ?」
「それはもう、館の中で迷子が出るくらいにね」
この館は広い。それなのに、道は狭いし、部屋もこじんまりしてる。そのくせ使っている部屋はとても少ない。勿体ないよね。動物用の部屋すらも余っている。本物の空き部屋ばかり。お姉ちゃんはもしもの時に必要……とか言ってるけど、そのもしもの時って、今までに一度しか訪れてないし。いらないでしょ。
「なるほどな」
「館の見た目は変えず、内装だけ変えてね。でも、そのままにしておいてほしい部屋もあるの。変えちゃ駄目な部屋は以下の通り――」
ただ、全面的な建て替えをしてしまうと、お姉ちゃんは悲しむだろうから、部屋のいくつかは作り直さないでおこう。ここも、お姉ちゃんの思い出の建物となってしまっているみたいだしね。
「――と最後にこの部屋。貴方の記憶力なら覚えられるでしょ?」
「もちろん。……ふむ。なら、三日くらいで終わらせてみせよう」
「大丈夫なの? それ」
この館を洋風建築とやらにするには、かなりの時間がかかると思うけど。三日で終わらせるなんて……。何か裏があったりするかも。
「大丈夫だ。手抜きはしないが……」
「……が? 何か問題があったり?」
「この館、もとから洋館だろう。洋風建築もなにも、洋館そのものだ。洋『風』ではなく本物」
「ん……」
……参ったな。それじゃあつまらない。全てが変わった館の中で、自由に飛び回ってみたかったのに。エントランスと廊下が広くなるだけでも、良しとしようか?