この橋渡る者無きこと長し   作:塵紙驀地

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東方妖々夢

 寒い。ただただ寒い。

 

「春はどこ……?」

 

 私の呟きが、この旧都に住まうもののけ共の総意だろう。

 こんな日は、暖炉の前で体を震わせながら椅子に座り、温かい紅茶や緑茶を飲むに限る。

 

「全くです。季節の巡りが滞ったみたいね」

 

 そう、今のように。地霊殿二階のさとりの部屋で、私は暖炉の火にあたっている。

 ありがたいことに、私には友人にするべき者三ヶ条のうち二つの、物をくれる者、知恵ある者、を占めるさとりがいる。おまけに言えば、医者にも恵まれているから、妬むネタは絶えない。

 

 私から1メートルほど離れた所にある、一人用のソファに、我が友は背を預けている。さとりも私と同じようにお茶を飲んでいる。この茶葉は、さとりが言うに『いつもの』茶葉らしいけれど、まだあと15年分は残っていると言っていた。15年後、それはもう腐っているのではないだろうか。

 

「腐っていれば燃やすだけですよ。足下を明るくする位の働きはするでしょう」

 

 これが金持ちの思考である。これを聞けば私も、嫉妬ファイアーくらいは使えるようになりそうだ。

 

 そう言えば、友人にするべきではない七ヶ条もあったか。

 高貴で、若く、病もなく、酒を好み、勇ましく、欲深い……おまけに嘘つき。

 ほとんど該当する種族を一種族ばかり知っている。そう、鬼そのものではないかしら? 

 だとしても、あれは私の友人だ。それに、嘘つきではない。この七カ条を私は守らない。なぜならばこれの書き手は人だから。つまり、筆者は、この七カ条を通して、「人は鬼に近づくな」と暗に示したかったのかもしれない。なら、妖怪である私が鬼に近づいても……それはそれでいいわよね?

 

 

 ――ふと、私の左にある窓が風に揺すられて声をあげた。こう、吹雪は止みそうにない。窓からは白銀の世界に時折見える橙赤色の光、壁に使われている板材のくすんだ色が見えた。木製の家は意外と持つが、とにかく寒い。我が家の密閉度は比較的高い部類なのに、あまりにも寒すぎる。

 地霊殿は違う。灼熱地獄から引っ張ってくる暖気で、館内がやや暖かいのだろうか。少しだけ過ごしやすい。

 

「当たり。昔、貴方には説明しましたね」

 さとりは左手の人差し指をピンと伸ばして、片目を瞑った。

 

「貴方の想像の通り、洋館は空気がこもりやすいのですよ。そのせいで黴が嫌なのだけど」

 

 さとりは左手を机の上になぞらせ、自身の顔に近づけてから、それにふっと息を吹きかけた。

 湿度なんか、この『冬場』では気にする必要もない。もう五月だというのに……。普段なら、清涼な気候の中、椅子に腰かけて足湯でも良いころなのにね。地底の中心近くはもう少し暖かいらしいけれど、橋町ではひどい有り様だ。

 

「いいえ、中心部と辺縁部、そこに大差はありませんよ。これでは今年の収穫など見込めないですね」

 

 さとりのため息が、持つ者の総意だ。持たない者には関係ないかもしれないけれど。

 田植えすらできない現状、既に各地から悲鳴が聞こえてきている。橋町の貯蓄はあと三年持つゆえ、あまり騒がしくないけれど。そのためかしら、なぜだか移住者が増えつつある気がする。

 

「ああ、橋町の住民が排他的だと幾つか意見が入ってきています。それから貴方も」

 

 心外だ。と言えるほど、私は真面目ではない。それでも私は心外だと言いたい。

 

「私が優しいかは別として、むやみやたらに追い出したりはしてないはずよ。……まったくの初耳ね。皆に優しくするよう伝えた方が良い?」

 

「いいえ。おおかたデマゴギーでしょう。地霊殿暮らしは嫌われています。貴方を嫌いな人は私のことも嫌いです」

 

 でま。

 

「ざっくばらんに言えば嘘の流布よ」

 

 なるほど。賢い友人のおかげで一つ賢くなった。

 

「いえいえ。理由を説明すると、貴方を嫌うような妖怪が、真っ先に貴方とずぶずぶな関係の地霊殿に密告するか。……普通しませんよね。一応お伝えしますが、各町の頭への流言は少なくない。私はこの意見がそれだと信じているので、裏切らないでください。そうだ、移住者の対応には気を付けて。地霊殿は移住の自由を認めています。もちろん、戸籍を持つことが第一条件ですが」

 

 他者に排他的であることは悪いけれど、そもそも戸籍を持たない者も多いわけね。戸籍があるものは平等なんて戯言はさておいて、戸籍が一種の権利書として存在する現状、弱者の救済とやらを重視しているらしい昨今の情勢にも沿っているといえるか。そもそも幻想郷自体が弱者の楽園といえるか。

 

「弱者の楽園? いいえ。私は悪い妖怪なのよ? 戸籍が無い者はそもそも、どこにいようが不法占拠で牢に入れますね。これだけは無戸籍者にも適用します。ああ、いつ革命を起こされるか、ゾクゾクする」

 

 革命……ね。さとりが刺されたあれがもう一度起こるなんて、考えたくもない。

 それにしても、あんな目に遭って、意地を張って……なんというか。自分は大丈夫だぁーって、さとりって感じよね。

 

 強がり。

 

「どうも。私が刺されるか刺されないかは皆の働き次第。……ですから、戸籍を持っていない者で、移住した者は全てしょっ引いてくださいね? 私を守るためには不穏分子への厳罰が必要です」

 

 おお、こわ。かなり攻めたことを思ったのに、顔色一つ変えなかった。おくびにも出さないの擬人化――

「怒ります」

 はい。

 

 ……ん、待った。戸籍を持つことが移住の条件とあるけれど、無戸籍者の扱いがさとりにしてはおかしい。戸籍が無いのだから、移住違反について処罰のしようがない。法に背いた『誰か』を名も確認せずに殺せるほどさとりは図太くない。……そんなことないか。

 ……さとりがにこにことしながら、私を覗いてくる。恥ずかしいからもう一口紅茶を啜ってごまかそう。

「聞こえてますよ」

 

 してさとり。無戸籍者を不法占拠で牢に入れるというのは嘘ね? 私は従わないわ。

 

「……パルスィ。これを徹底することは貴方の安全を守ることにもなる。お願いです。傷つく貴方を見たくない。だから、こちらにその犯罪者を送ってください」

 

 ……読めた。無理矢理無戸籍者にもこの悪法を嵌め込み、前科者にして特例条項から戸籍を作らせるつもりね。

 

「前科は付きますが不法占拠の罰則点は一点です。五点以内であれば、一点だけついていること以外の記録は残りません」

 

 無視しないで、というほど子供ではないけれど、そのまま話し続けられるのはちょっと、というほど子供ではないけれど、いや、私の憶測は正解なのかしら。

 

「正解です。ですが、私は知人を無くしたくないのもまたそうです。戸籍は条件さえ満たせば誰でも取得できるのですが……そもそも条件を満たさない妖怪も多い。これは私の実力不足。どうにかならないものかしら」

 

 私だって、戸籍を持っている。

女性

独身

年齢不詳

住所・橋町一丁目一番地

氏名・水橋パルスィ

分類・ヒトガタ科・分類不能属・分類不能種

所有地・多数により別記

 

 改めてみると酷いわね。分類不能って……。何か無かったの?

 

「鬼でも天邪鬼でも土蜘蛛でもない。ましてや鴉でも火車でもない。鱗も無い。幽霊ですらない。鵺でもない。嫉妬妖怪と付けるには、嫉妬妖怪の数は少なすぎます。おそらく、貴方だけ。だから、貴方はヒトガタであり分類不能です」

 

 なら勇儀はヒトガタ・鬼・鬼かしら。あとで聞いてみよう。

 

「ヒトガタ科鬼類真鬼。真でも着けたら喜ぶだろうって、適当につけちゃった。外来本を参考としてみたの。私はヒトガタ科覚属覚種。こいしもそう。科学だって、役に立つことはありますね」

 

 この分類はどれだけ立派な規定に基づいて名付けられたのかと思えば、さとりが適当につけたものなのか。確かにその気の抜けた笑みをみれば、疑いようはないわね。しかし、年齢不詳がよく許されたものだ。戸籍の取得条件は、氏名と住所を持つのみだなんて。

 

「仕方ないわよ。こんな条件でも、まだまだ戸籍を持てないものも少なくないわ」

 

 さとりは頑張っている。……今くらいは是非とも、仕事以外の話をしてもらいたいものだ。

 ……? なぜかしら。先程から館内が騒がしいわね。

 

「ああ、貴方には話して良いでしょう。この状況があと半年続いたら、私達はここから逃げます。……」

 

 

 

「……は?」

 

 私は次の言葉を失った。あまりにも衝撃的すぎたから。左手に持つ、紅茶を淹れたティーカップを落とさなかっただけ、理性を保っていたと言い張りたいものだ。

 

「……理由は簡単なこと。辛うじて存在していた季節に助けられて、耕作を行ってきた私達が、どうして冬季しか存在しなくなった地底で暮らしていけるでしょう? 元来ここは地獄だったそう。それが再び地獄に戻るだけよ。紫はアネクメーネに興味などない。妖怪にとってのエクメーネに興味があるだけ……ああ、エクメーネとは生存可能地域です。ネクメーネはその逆くらいの認識で構いません」

 

 エクメーネなんかはじめて聞いた。

 

「へー……。でも、確かに」

 

 作物も育たなくなれば、そこには凍った血の池と極寒灼熱地獄跡地が残るだけか。その名を当ててみせよう。コキュートスね。あら、さとりが笑ってくれた。……それはともかく。それでは紫が何と言うか。

 

「許可は得ています。最も、そんな事態は訪れないはずだとは言っていましたが」

 

 地底を見捨てると言えば聞こえは悪いが、損得勘定が上手い。そしてそれを許される辺り、やはり紫はさとりに一目置いているのかしら。その割には、随分とさとりをいじめているようだけれど。

 

「紫はなんと言っていたか……。確か、逆立ちすれば一気にあがりに近づくわ。だそうで。相も変わらず紫は変な妖怪よね。……それでね、今、少しだけ忙しいのよ。自然な政権移行のシナリオを練ったり……。長い冬をどうにもできなかった無能さとり! 必然ながらクーデターによって倒される嫌われものさとり政権! 新しい指導者のもと冬に立ち向かう鬼達! みたいなシナリオで……。いいえ、既に先達が沢山おられます……。ああ、もっと独創的なシナリオはないのかしら。流れ通りに妖怪を動かすのも簡単では無いから、多くの仕込みが必要となりますしね。そうだわ、偽の情報で私を極悪非道にしようかしら。鬼を餓死させる目的で、地底の温度を下げ続けた悪逆無道のさとり! ある一人の男だけがこの陰謀に気付き……あ、駄目ね。その男は温度を取り返さないといけないもの。なんせ、もし地底が常冬になれば、凍てつく氷の大地はもう蘇らないのだから――」

 

 私は、紫の言葉に一つピンときたものがある。回り将棋だ。金が逆立ちすれば、駒は進むのだから、そりゃあがりに近づくでしょうね。そこから何が読めるのか推察することは他人の仕事だ。もしかしたら紫はあっちで狐と回り将棋をしていただけかもしれないけどね。

 それよりも、さとりを無能と謗る妖怪がいれば、ぶん殴って差し上げる所だけれど、さとりが話すことは仮定の話。どうもさとりは物書きに向いているのか、妄想を始めてしまった。『目』もこちらに焦点が合っているとは言えない。

 

「別にそれでも、ある程度は読めますよ。流石に背中側は怪しいですが。……パルスィ、ちょっとだけ待っててね。今最高のシナリオを考え出すから」

 

 ……読まれていた。ただ、さとりが奥の書斎に行ったので、もう読まれはしないだろう。参考にする本でも取りに行ったのかしら。

 私は部屋の隅々を見渡してみた。書斎へと繋がる扉の上には、壁掛けの、縦に長く、重厚な木製の時計がかかっている。

 さとりの描くシナリオは、私が聞いた限り、すべてさとり自身が悪役らしい。誤解を嫌った彼女が、誤解されたままこの地から去ろうとするのは意外ね。

「おまえらの暮らしはこのさとり様が全て整えてあげていたのよ! 私を地底から追い出したお前らは泣いて私に詫びるだろうけど、もう遅い」くらいしても良いだろうに。……少し眠い。かふぇいん、は暖炉の暖かさに勝てないようだった。

 

「……その貴方の頭にいる、偽物のさとりになってみたい。私と違って、なんだか欲に正直な感じがしませんか?」

 

「全く? 今のさとりの方が良いわ」

 

 私が思うに、変わるまでもなく欲に忠実なさとりはもう戻ってきていたらしい。私が振り返ると、さとりは棒立ちしていただけだった。その左手には、一冊の本を抱えている。さとりはどう出るか。何か言いたげにしていたことは確かだ。意味ありげな視線を何度も私に送ってきた。だから私は、あえてこう伝えた。

「必要ないわ。ありがとう」

 

「……はぁ」

 

 さとりのため息が、耳へと入ってきた。物憂げというよりは、どこか諦めを伴う、張り詰めた緊張を解いた時のため息だった。それが意味することは、おそらく、諦観そのもの。それは、私の考えが思考とともに『伝わった』から。そのまま、さとりは持ってきた本を捨てるように机に投げた。それ、大切なシナリオの本よね……?

 多分さとりに頼めば、私も地上に連れていってくれる気がする。さとりと私は以心伝心――

「貴方からそう言ってくれるのは嬉しいですね」

 

 ――のようね。……文字通り。一方通行気味ではあるけれど。

 私は、さとりに頼らないことにした。死ぬよりは生きたい。私だって同じだ。ただ、私は別に地上に逃げて生き長らえなくても、それはそれで良いと思う。

 だって、私の人生の結末を、私自身が決められるなんて、そんな贅沢なことはない。

 

「ごめんねさとり」

 

 仮の話とはいえ、昔から決めていた。後悔ばかりだった人生、最期くらい悔いなく終わりたいものだ。

 

「貴方が羨ましいです」

 

「どうしてなのさとり? どうして?」

 

「自分の生き方を決断できるところ。これは私と大違い。あと芯が強くて――」

「ストップ。やめて。照れる……」

 

 私がやめるようお願いしても、さとりはやめてくれなかった。さとりを拒否するわけではないけれども、これでは茶会も何もどうしようもないので、転がるように部屋から逃げ出した。さとりも笑っていたし、多分迷惑にはなっていないと思う。……あとで埋め合わせをしなくてはいけないわね。

 

 

 私は地霊殿を後にした。玄関では、さとりがなにかを呟いていたけれど、私はそれに気付くことはなかった。

 

「――パルスィの強いところ。やはり、少しおかしなところかしら?」

 ……嫉妬深いのに、諦めるのが早い。おかしいのよ、パルスィは。それは、それはとても……ねじ曲がっていて、私そっくり。類とやらが友を呼んでくれたことに感謝しようではないの。ねえ、私は我儘すぎたみたい。貴方の人生だもの。私が貴方の一番になる必要なんてなかった。だから、独占欲とはお別れしよう。みんなのパルスィだもんね?

 

 私は地霊殿から飛び出し、急いで闘技場に向かう。『コロッセオ』をモチーフとしたかは分からないけれど、闘技場は円形だった。さとりはどこでそんなものを知ったのやら……。

 

 

 

 私がそこについたとき、既に外まで妖怪が溢れていた。押すな押すなと、受付だかしらない妖怪が呻くも、誰もそれを気にしない。今が好機とばかりに、スリが跋扈し――おっと危ない。高々二百年も生きていない坊やに、私の財布はやれないわ。足を踏んづけてやったけれど、大丈夫かしら。そのミスで命を落とさなかっただけ、ありがたいと思ってほしいのだけれど。真面目に。ええ、止めときなさいよ? 鬼のお膝元よ? 

 乙女にわざとぶつかるなんてどんな教育を受けてきたのか。教育を受けなかったからこうなったのか。それとも悪い妖怪から教育を受けたのか。 思えば親なしの子の数は変わりがないわね。

 

「席あるだろ!」

 

「もうないよ!」

 

 怒気を孕んだ空気は大衆心理に作用して場の空気を剣呑とさせている。どうも聞こえてくる話からは、座って観戦なんて夢のまた夢らしい。残念ながら、座席どころか立ち見すらも不可能。そう私が思ったとき、深編笠を被った小さな妖怪がこちらに向かってきた。

 

「お姉さん、一人?」

 

 嫌な予感は当たるもので、その不審者は声をかけてきた。やはりナンパかしら。このような輩は無視するに……女の声だったわね。ナンパではなさそうだ。より嫌なことに、それも知った声。

 

「……なにかしら」

 

「良い席あるよ」

 

 

 ……ああ、ため息がでる。まさかダフ屋に声をかけられるなんて。座席券を定価で買って、数文つり上げて転売する、馬鹿と阿呆の小遣い稼ぎだ。

 

 何よりも、それが知り合いだなんて、思いたくもないものだ。……深編笠でよく見えないのだけれど、こいつはこいしに違いない。

 

「いくら?」

 

「三十五文」

 

 近くでその声を聞いて、それが聞き間違えでないことを確認してしまった。あろうことか、地霊殿の支配者の妹は、ダフ屋を働いているらしい。しかも、公的価格から二十文もつり上げている。元値はたったの十五文なのに。

 

「馬鹿やってんじゃないわ――」

「お姉さんなら、買うでしょ? 勇儀は次の次に出場だよ……」

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 良い場所で見たい。

 

 

 ……流石に顔を知られているだけあって、私の目的が知られている。勝ち目がない。そして、こいしは気付いていた。私が深編笠の正体に気付いていることに。

 

「あらま。私の一押しを知っているなんて。もしかして、知り合いかしら?」

 

 いきなり不審者が声をかけてきたら、私だって警戒する。でも、私は深編笠の下にある顔に気付いてしまい、少しだけ安心してしまったのかもしれない。

 

「そんなことはどうでもいいよ。買うの? 買わないの? 橋町のパルスィさん?」

 

 私は財布のがま口を開く他ない。……しょうがないでしょう!?

 

「チッ……あーもう、そんなせこせこと稼がなくても良いでしょ貴方はさとりの妹なんだから」

 

「シーッ! はい毎度」 

 

 私は持ってけ泥棒と言わんばかりの雑さで、こいしに金を押し付けた。深編笠を被ったみみっちいこいしに、私は指をさしながら早口で捲し立ててしまったけれど、私は悪くない。だけど、こんなことで銭を失うとは思いもよらなかった。

 払ったものは仕方がない。本当に仕方ないふりをして、私はこいしの後ろをついていく。立ち見をする妖怪をなんとか避けつつ、左右で妖怪が後ろに流れていくのを尻目に見て幾分。ようやくその席とやらにたどり着いた。

 

「はいここ。犬ころ。交代。お疲れ様。帰って良いよ」

 

「てめっ、大妖怪を……ちっ。何も言うまい」

 

 哀れな名前のペットだ。その席取りを任せられていたらしい……小柄で、何の動物……? 本当に犬? うん。あいつが渋々私と席を交代してくれた。えっと、誰かは分からない奴のその背中はさびしかった。心中お察しするわ。今から良いところなのにね。

 

「あーあ。本当に酷いわね……」

 

「ダフ屋から席を買うパルスィが言えたことかなー……? ん、完売! いぇーい! お空も私の席取りありがとね!」

 

「上手くいったの!? おめでとうこいし様! やったね!」

 

 別のちっこいのはお空ね。いたいけな少女をあろうことかダフ屋の陣取りに使うあたり、こいしは天国と縁遠い存在なのかもしれない。

 

「お小遣い稼ぎ、だっけ? 役に立てて、ほんとに、とっても嬉しいわ!」

 

 本当に純粋無垢ね。比喩ではなく本当にもろ手をあげて喜んでいる。このお小遣い稼ぎすなわちダフ屋が何なのか、この子は一切知らないのだろう。

 

「こいしは罪悪感とか感じないわけ?」

 

「お空にはあとで飴玉買ってあげるから、別にー?」

 

「やったぁ!」

 

 これが社会の縮図か。知恵と知識がないと生きていけない、あるいは騙され利用されるのをこうも地で行く場面が見れるとは。本人は幸せそうなのがまた、たちが悪い。騙される者を見ると気分が悪くなる。

 

「じゃあ、お空はお家に帰ってお姉ちゃんの役に立ってきてね。お姉ちゃん、困ってるかもしれないから」

 

「わかった!」

 

 お空は背中の翼をぱたつかせながら、人の山をかき分け、軽やかに出口へ向かっていった。

 

「無垢な子供って、本当に可愛いわよねー。話も合うし」

 

「そうね……」

 

 そういって、けたけたとこいしは笑っている。貴方も見た目は餓鬼よなんて言わない。こいしは私よりも強いからだ。心がどろどろとするほど妬ましい。

 しかし卑怯だ。こいしは何も嘘をつかず、お空を動かした。さとりが困っているかもしれないから、って何よ。何も事実と合っていない。しかも憶測なので、嘘でもない。鬼相手にも通じる技だろう。

 

「ねえ、お空は拐われたりしないわよね?」

 

「全く! お空を拐おうとしたやつは、お空の強さを見誤り、火の海に沈められたのです! 知らない人に触られたらギャン泣きするし。中心街には、遊侠義侠も少なくないわ。幼女拐いとか、許されないと思う。浚ってもいいのは、どぶと死体と綺麗なおねーさんだけだよね!」

 

「ああ……そう……」

 

 なんだか周りに申し訳ないけれど、この席に座らせてもらおう。明らかに席を『買った』私に周りはなにも言ってこないことから、やはり周囲も後ろめたさがあるのかしら。こいつらも、こいしから席を『買った』に違いない。やや高値でも席を買えるなんて、とんだ金持ち共だ。妬ましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合は刻々と続き、こいしは一言も話さない。実力が伯仲しているのか、勇儀がでる前の試合が終わらない。そんな状況では、鬼は負けを認めない。だから何度でも立ち上がり、またその身を闘技場の血の池に沈める。

 私は勇儀が見たいのであって、むさ苦しい阿呆共の試合を見に来たわけではない。……三百年前は、阿呆の争いを見ることも好きだったのだけれど、今はもういい。そんなものを見なくても、周りにはより輝いている物が沢山ある。

 

「……思ったより、寒くないわね」

 

 私は微妙な沈黙に耐えられず、またこいしに話しかける。野外なのに、私の耳は外気と同化しておらず、温かかった。雪は降っていないとはいえ、旧都の冬は厳しいのに。

 

「そりゃ、こんだけ妖怪が集まればねー」

 

 こいしも、私からみて左手側の、お空が座っていた席に腰を下ろしている。

 こいしは、ちょうど、被っていた深編笠を脱ぎ捨てた。ウェーブがかかった髪が流れ、それと共に、ふわりと少女の汗の匂いが漂ってきた。深編笠は暑いのだろうか。……そぞろに、私はこいしの胸に目がいった。当然だけど、胸の大きさを確かめたいわけではない。

 

「で、いくら儲けたのよ」

 

 私が気になるのはこいしの財布の重さだ。

 

「この小遣い稼ぎで?」

 

「ええ」

 

 こいしのことだ、何十文か儲けて、その金で楽しいことでもするのでしょう。こんな嫉妬のネタ、そう易々とは転がっていな――

「純利益で三百九十八文」

 

「三百九十八文!?」

 

 何てことだ。これでは驚きが優って、嫉妬ポイントが2点しか貯まらないではないか。いや何を言っているのか? 嫉妬ポイントなんてないのに。

 

「シーッ! 目立っちゃうでしょ! まあみんなどうせ忘れるし、この熱気だと、そこらの人くらいにしか気づかれないと思うけど。」

 

「馬鹿っ……あなっ、貴方、どれだけ本気なのよ」

 

「元手は二貫ほど出して、百二十名ほど動員したよ? でも、ペットだから人件費はほぼタダだし、ちょうど良いわ。よって、利潤のほぼ全てが私の懐行き。ちんけな他のダフ屋とは元本も規模も統率も違うのです! そして、高々数文しかつり上げないお値打ち価格で席を提供しているから、他のダフ屋は放逐されて、健全な市場となったのよ。パルスィは例外で三倍近くね。富めるものから奪うのは鉄則だから」

 

 ……いけない。取り乱してしまった。嫉妬より先に驚きが来るなんて、私も衰えたかしら。それにしても、これは遊びの範疇を越えた何かだ。もう犯罪だろう。ボーダーはとっくに超えている。

 私だけ追加で金を取られたのはまあ許す。だけど、何というか、これが露呈すれば、さとり妖怪への大きなマイナスイメージになるかもしれない。政治は知らないけれど。

「とっとと姉に裁かれなさい。アウトよ」

 

「お姉ちゃんは忙しいから知らないのです! 心は読まれないから問題なし!」

 

「ペットは?」

 

「うふふ、地霊殿の三階に暮らす動物しか持ってきてないよ。お姉ちゃん、三階にはなかなか足を踏み入れないわ。それに、ペットなんて馬鹿ばかりだから、私の行為に理解を示せる奴なんかごく少数。その少数には餌を横流ししておいたわ。その子達にはしばらく地霊殿から退出してもらってる」

 

 横流し、汚職ときた。これは本当に犯罪でしょう。

 あと、静かにしてとこちらに頼んできた奴の方がうるさいのはどうにかならないものか。

 

「これは汚職じゃなくて『特別作戦行動』だよ? というわけでパルスィ。はい」

 

 そう言って、こいしは私の手に何かを握らせてきた。

 

「三十五文で黙っててね。一ヶ月くらいは地霊殿に入っちゃダメ。パルスィがダフ屋からチケット買ったなんて、お姉ちゃんはどう思うのかな?」

 

「んなっ……」

 何だこれは。三十五文で私に席を売り付け、三十五文で私を買収しようとする。それなら、私にダフ行為を働く必要など無かったのではないか。行きどころのない怒りが込み上げてきた。

 

「それなら、最初からやるんじゃないわよ!」

「きゃー!」

 

 私が連なった三十五文をこいしに投げ返すと、こいしは笑いながら、おどけた悲鳴を出した。しかも、何事もなかったかのように、私が投げた銅銭は、その右手に収まっている。

 むきになった私は、観戦をさておいて、その頬をつねろうとこいしの頬に手を伸ばす。才気の差か、こいしは私の手を上手く左手で弾いて、逆に下手投げで私の眼前に銅銭を放ってきた。なんとか右手でその銅銭を掴めたのはいいものの、つんのめっていた私はバランスを崩して、そのままこいしの太腿に突っ込んでしまった。俗に言う、膝枕のような。

 

「パルスィの髪の毛さらさらしてる」

 

「ああ……最悪……」

 

 負け。完敗。

 

「きれいな髪。男共が金を払ってでも、女の髪を触りたいというのも分かるわ」

 

 ああ、遊郭。それとも、踊り子だったかしら。トラウマが私に、『私』の過去を思い出させる。

 妬ましやその御髪。私の婚約者を奪って消えていったそいつの髪色はどうだったか。黒くは無かった気がする。今は反省していることだけれど、二回目のあいつよりも、こいつの方を殺すべきだった。

 

「あいつらと一緒にしないで頂戴。なんだか知らないけれど、所詮庶民の仕事よ。卑しい妖怪が言うのも何だけど」

 

「……パルスィって、昔はお貴族様だったり?」

 

 ……こいしには驚かされるばかり。いえ、もしかしたら、この程度の推察力は誰でも持ち合わせているのかもしれない。私を除いてね。

 

「……いえ、嫉妬よ。そんな、ちょっと庶民の女を論っただけで」

 

「あはは、それは嘘だよね。でも、聞かないであげる。私は成長したのよ」

 

 今は庶民の私が、庶民を馬鹿にするなど愚昧にしか見えなかったのかもしれない。こいしが私を愚昧と思わない限り、私の素性はお貴族様か。

 ……戦いなどが終わってから気づいたことだけれど、確か……お空は地霊殿に向かっていた。あの子が今日あったことをさとりに話さないわけがないだろう。だから、お空は、こいしが『お小遣い稼ぎ』をしていたと信じているとしても、その内容からさとりにばれるのではないか。こいしはこの先生きのこれるかしら。怒ったさとりは怖い気がする。

 あと、勇儀の舞いと戦い様は美しかった。これで私は、あと十年ほどそれを妬める。

 ……狂った貴方がお姉ちゃんを狂わせたことを、私は深く感謝しよう。私が認めてあげる。貴方は、お姉ちゃんと私だけの帝国に必要かもしれないってね。そうそう、背後には気を付けてね? お姉ちゃん、私の本だったあの魔法書を読破していたみたいだし。きっとそれは独占欲の現れ。もしお姉ちゃんがアレを必要とするならば、死体だろうが生き返らせてお姉ちゃんのモノにする。私はお姉ちゃんを愛しているもの。それくらい、当たり前だよね?

 試合もたけなわ。パルスィの心が試合に埋もれた後、こいしは一言呟いた。

「……かわいいね!」

 パルスィはそれを聞き逃した。

 

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